潮風には血の香混じりて その5
カーライル王国最大の港町マイロ。その中心部への侵攻作戦が開始された直後のこと。
はるか北に位置する王都カルネリアでは、ネルガン海軍航空隊所属、バルヘッド・パラコーダ大尉が上官に向かって声を荒げていた。
『どういうつもりです、これは!』
『どうしたの……。バルヘッド大尉ともあろうお人が、そんなに血相を変えたりして』
『茶化すのもいい加減にしてもらいたい。一体、トーリス中将に何をされたのですか!』
以前まで中将が使っていたビロード張りのソファ。今、その中央に座っているのは、老齢の男とは似ても似つかぬ、妖艶な笑みを浮かべた女だった。
プレータ・マクライエン。少佐という階級からすれば異例の若さで、先日急死したトーリス中将の肝いりだというのがもっぱらの噂。そのせいもあってか、彼女は上官亡き後の全権大使代理という立場までのし上がっていた。
これまで、よほどの時以外は上着を着ようとしなかったプレータ。
恐らくは自分に自信があるのか、己の体すら武器になると理解しての服装か。いずれにせよ、意図的にそうしての薄着と勝手に想像していたバルヘッドは、しかし今この時、うすら寒さを隠せない。
中将暗殺の後から、プレータ・マクライエン少佐は確かに変わった。
今の彼女は、まるで真意を隠す鎧のようであるかのように軍の正装をぴしりと着こなし、ソファに座って紅茶をたしなむ。その面影に、どこか人を委縮させる雰囲気を放っているのだ。
経緯はどうあれ、彼女にしてみれば、気にかけてくれる中将の後ろ盾が消えたのだ。新たな寄る辺を探しているのかもしれない。
一時はそう勘ぐったバルヘッドだったが、彼女の前に立ってみて、その考えが間違っていることに気付かされた。
むしろ、その逆なのではないだろうか。
こんな女がなぜ海軍に。そう思っていた自分の目はどうやら節穴だったらしい。今のプレータはまるで蛇。気を抜けば頭から呑まれる。本能的に警戒する自分がいた。
『じれったいわね、言いたいことがあるなら言いなさいな。何のために人払いしたと思っているの』
大尉である自分と少佐である彼女。階級が絶対の軍隊において、自分のような一士官がしていいことではない。けれどそれは承知の上で、バルヘッドは詰め寄った。
大使の護衛を任務としていた彼にとって、トーリス中将暗殺事件は、言うなれば顔に泥を塗られたも同義。味方から無能の烙印を押されることは間違いなく、上層部からはバルヘッドの更迭すらも十分視野に入れているはずだ。
しかし、真実に気付いてしまった者にしてみれば、そんなことすらどうでも良くなる事態が進んでいた。
『何故だ、何故殺した……!』
激情をやり過ごすため、声は必然押し殺したものになった。
『嫌ねえ、大尉。私が誰を殺したと……』
その浮ついた態度に、堪忍袋の緒が切れた。
『しらばっくれていられる立場か! いくら上官と言えども、味方殺しをのさばらせておくつもりはない!』
腰のサーベルを抜き放ち、プレータの鼻先に突き付ける。艦隊司令官を謀殺しておいて、この舐めた態度。返答によっては、本気で切り殺すつもりだった。
『殺りたければ殺りなさい。その後の責任を取ってくれるならね』
それでもソファに寄りかかり、彼女は脚を組み替えてみせる。一周回って薄気味悪さすら感じさせる態度に戸惑った数瞬のうちに、冷ややかな声が耳を刺す。
『今ここで、大尉が私を殺す。ええ、ええ。下剋上は世の常、大いに結構。それで? せっかくだし、その後の計画を聞かせて頂戴な』
『どうするだと? そんなこと……』
『大尉が私を殺せば、流石に誤魔化しきれないわよ。ネルガン大使ご一行が仲間割れ、しかも暗殺疑惑を他国の王子に擦り付けた。そんな事実が、事実として周囲に広まることになる。……当然カーライルはそこを責め立てるでしょう。言い返せないわよねえ、何にも。だってこんなの、まったくもって前代未聞の不祥事だから。ネルガン連邦が誇る最強の艦隊は一度も砲火を交えることなく、ただ威信を失い、完膚なきまでに叩きのめされて帰国。そして、その後は……』
プレータはニコリと笑った。そこには、いつも彼女が権力者へ向けていた色気はどこにもなく、かわりに純真無垢な少女を思わせる微笑みだけがあった。
『ねえねえねえねえ、こんなこと許されると思う? 莫大な金をつぎ込んで、莫大な資源をつぎ込んで、得られたものと言えば愚者の烙印一つだけ。本国へ与える損失はどれほどのものになるかしら、試算してみたことは?』
『……な、何を!』
『ほら、そのサーベルで私の首を飛ばせばいい。それで悪は滅び、この国は更なる混乱の渦に落とされる。……果たして次はどんな戦争になるかしら、何人死んでしまうかしら。そういう流れに舵を切ってしまったどこかの大尉は、その責をどんな方法で取るというのかしらね。私、その人が自分を責めてしまわないか心配だわ』
ぞわと全身の毛が逆立った。
別に脅しの内容に恐れを為した訳ではない。それを口にする女の態度が、あまりに楽しそうだったからである。
果たして自分は何と喋っているのだろうか。蛇を思わせるその目に睨まれながら、バルヘッドは怯む自分に気付いていた。
『この国がネルガンから遠く離れていて助かったね。近かったら既に取り返しのつかないことになっていた。今みたいな、本国への情報遮断なんてやりようがないもの』
『……な、何を。少佐、何を言っている?』
『国と国の問題は面倒よ。……建前と面子がなにより大切、そのためならどんな醜聞すらも隠し通せてしまう。誰もが分かり切っている事実を、誰も口にできない。そんな仕組みができあがってしまう程』
狂気と呼ぶにはあまりに冷静さを帯びた、しかし確実に何かが壊れている人間の視線だった。人の欲と組織の体質を極限まで見つめた女が、豪奢なビロードの手触りを楽しんでいた。
『バルヘッド大尉に一つだけアドバイス。事を起こすなら、行きつく先をしっかり見定めてからになさい。あなたもいい歳した大人でしょう? もうママのお乳にしがみつく赤子じゃないはずよ』
大人なら誰でも守らねばならないルール、もはや常識と言ってもいいそれを、いけしゃあしゃあと口にした女。
今の自分が考えなしというのは認めよう。だが、では目の前に座るプレータはどうなのだ。部隊の最高司令を謀殺しておいて、他国の王族に罪を擦り付けておいて吐く台詞ではない。そんな思いがバルヘッドの口を動かした。
『……行きつく先だと? なら、マクライエン少佐。あなたにとってのそれは何だ』
そんな疑問に、蛇が口元を吊り上げる。真っ赤な口がぬらりと蠢き、端から毒牙の先端が見えたような気がした。
『我が偉大なる祖国の繁栄』
『祖国の、繁栄……?』
『襲い、奪い、支配し、やがて滅ぼす。ネルガン連邦はそうしてのし上がってきた。同じ論理をこの国にも適用するだけ』
周辺諸国への植民地化政策を推し進め続けて来たネルガンのやり口。それをよく知る、軍人の言葉だった。それなら、この半年間続けていたやる気のない交渉はなんだ。そんな糾弾も声にならなかった。
『さあ、どうする? このままいけば確実に得られる富、それこそが祖国の求めるもの。そして、ここで一時の怒りに飲まれてすべてを台無しにする、それもまた、一つの道として存在している。上手くやれば潰せるわよ? 私を』
この女は何を求めているのだろう。
自分や、そしてトーリス中将にも理解できない景色を、彼女だけは見ているのではないか。そんな予感が止まらない。
見え透いた罠を強大な力のみで押し通し、その果てに待つものはなんだ。いくら問いかけても凡愚な頭では回答を出せず、金縛りにあったような手では、サーベルを振るう勇気も持てない。
『迷っているようだから教えてあげる。私の名で艦隊に要請を出したの』
『要請……?』
『ええ。マイロ中心部への侵攻。上陸作戦の初手として橋頭保を築け、と』
頭の中で、その言葉の意味を理解するのに、いくばくかの時間を要した。
『正気か!? 宣戦布告もなしに……!』
『あくまで艦隊の安全確保の範疇に留めるわ。だから余計な場所まで手を回すことはない。これが、カーライルに対する最後通告、そしてトーリス中将暗殺の報復となる』
自分の預かり知らぬ場所で、事態は取り返しのつかないところまで進んでいる。遅すぎる理解に、顔から血の気が引いた瞬間だった。
『すべて順調だわ。……常識知らずの我儘王子は身柄を押さえた。そして一向に進まない交渉に焦れた本国が、増援も寄越している』
その言葉に思い出す。そうだ、トーリス中将存命の頃、カーライルに対する更なる圧力として、本国に主力艦隊の派遣を要請したという話は、バルヘッドの耳にも入っている。
『そろそろはじめる頃合いでしょう?』
それを進言したのは、トーリス中将に媚を売った女。
『まずは初手。今日の午後、カーライル側に交渉の席を設けるよう通達を出したわ』
交渉は最初が肝心。そんなことを言い張って、和親条約案を過激な文言に書き換えるよう口を出したのもまた、この女。
『そこでカーライルには思い知ってもらおうと思って』
艦隊から離れたがらない重鎮たちは、この現状を理解していない。
平時ならともかく、関係の悪化しつつある敵国の港で、船なる武力と権力の象徴から身一つを陸に上げることを不安に思う老人は思った以上に多いのだ。むしろ、自分だけが陸に上がるのは得策でないとまで考えている者もいるかもしれない。だから特使暗殺を防げなかった責を問われる形で、プレータは交渉を引き継ぐことになり……。
……それもまた、目の前の女の計画の内か?
プレータ・マクライエン少佐の噂は有名だ。有力者に取り入ることでのし上がった女士官。かつてネルガンに併合された、とある植民地の出身者。ネルガン本国併合後に間諜としての才覚を存分に発揮し、本国に多大な貢献をしたという女性。非常に厳しい条件を満たし、数少ない本国同化民の地位を得た≪無敵艦隊≫の紅一点。
『さて、バルヘッド大尉はどうする?』
『……』
『もう、引き返せるタイミングはとうに過ぎているのよ。ここで惑えば、得られたはずのものですら失う。あなたに国家の損失の責任が、果たして取れる?』
無言で睨み合う数瞬。目こそ離さなかったものの、憤りの炎は水をかけられたように勢いを弱めていた。
プレータが、そっとサーベルを横に押しやる。湯気が立たなくなったカップを手に取り、『大尉のせいで冷めちゃった』と一言。まるで女帝のように、プレータ・マクライエンは冷ややかな視線を部下に向けた。
『……殺してくれないんなら、その無粋な面なんて拝みたくもないわ。あなた、紅茶を淹れ直してきなさい、早く』
その声に失望の色が含まれていることに、バルヘッドは最後まで気付くことができなかった。
※次回は5/16(月)の更新になります。




