第二章32.収束、後始末
助けたい人は分厚い壁一枚隔てた先にいる。
彼女の心の壁も同じように分厚い。
既に一度失敗している。
この声が届くのか分からない。
それでも少女にできることは、声をかけることだけだった。
「……白さん。私ちょっと電話してきます」
「はい。いってらっしゃいつぼみさん」
覚悟を決めたらしいつぼみを見送り、今度は自分の役目に向き直る。
「さて、僕達も始めましょう。未散さん」
羽黒未散、自分の心に住まう女の子。
彼女も心壊症患者の一人で、その能力は悪夢を見せること。
『別に良いけど……本当にやるの?』
「やるしかありません。凪さんが目覚めないのは急激な脳負荷によるもの、その原因は宇花さんから奪った大容量の記憶です。そして原因を取り除くには……凪さん自身が宇花さんの記憶を手放す他ない」
少女が目を覚ますには眠ったまま心壊症能力を発動し記憶を解放させる必要がある。
一見不可能に思えるが、解決案はあった。
「だから悪夢を見せ、奪った記憶を解放させる夢遊病を引き起こします」
『でも危険よ? 強制昏睡なしで悪夢を見せるなんて……最悪第三症状を引き起こす』
「リスクは承知の上です。凪さんには辛い思いをさせてしまいますが……元はこの子が撒いた種。二人が助かるためにも少しだけ我慢してもらいます」
『ふーん。ま、いいけど。始めるね』
「お願いします」
体の制御を渡し、羽黒未散が能力を発動する。
◇
白の世界、気づけば回りには何もなかった。
(あれ、ここは、どこ? たしか、おねえちゃんの、つらいをなくしてあげて、それから……)
眠っている自覚すらない赤佐凪。
そんな彼女の前に、一人の女性が俯いていた。
(あ、おねえちゃん、だ)
姉の存在に気づき注視する。
その姉は泣いていた。
『何も、思い出せない……大切な思い出も、全部……』
(どうして、かなしい、の? くるしいおもいで、なんて、いらない、でしょ?)
赤佐凪は分からなかった。
姉が何に悲しんでいるのか。
なんて声をかけようかと迷っていると、姉が一言呟いた。
『私にはなんにもない……もう死のうかな……』
(え、それはダメ)
反射的に、ただ姉と別れたくないという感情だけで、涙を流している姉にすがる。
(おねえ、ちゃ、し、しなないで)
発声し、姉に手を伸ばすが届かない。
そんな私の存在に姉は気づいて振り向いてくれた。
『だって、凪が起きてくれないから頼れる人、知ってる人すら誰も居ないし……』
(おきる? わかんない、けど、わたしも、おきたい、よ?)
姉が起きろと言うなら起きる。
その一心で目覚めを希望した。
しかし、立ち上がることすら叶わなくない。
原因はいつの間にか持っていた大きな重荷。
その中身は、今まで能力で奪ってきたみんなの記憶だった。
(だめ、てばなさないと、おきれない。でもこれは、おねえちゃんの、くるしいのかたまり、だから……)
躊躇する。思考する。
この重荷を持ったまま起きる方法はないものだろうかと。
しかし考える暇を姉はくれなかった。
『凪が起きてくれないと、凪のことも忘れちゃうよ?』
その一言を聞いて、何も考えられなくなった。
姉に忘れられる、それがどれほど怖いことか。
一つの感情、二文字の言葉に思考が埋め尽くされる。
『や、だ。やだ、やだやだ、やだやだやだやだやだやだやだやだやだ』
忘れて欲しくない。
全部どうでも良いから。
今はただ姉に会いたい。
「い、やだぁぁぁあああ!!!」
少女は抱えていた重い荷物を手放し、姉の元へと駆ける。
すると、たくさんの感覚情報が襲ってきた。
身を包む冷たい空気、背中に当たる硬い地面。
それから、頭を支える柔らかい何か。
瞳を開け、差し込んでくる眩い光。
一番最初に目に飛び込んできたのは姉の姿だった。
どうやら眠っている自分に膝枕をしてくれていたらしい。
「や、だ。忘れ、ないで……お姉、ぢゃ……」
溢れだす大粒の涙。
姉に触れようと必死に伸ばす手。
その手を姉は握り返してくれる。
私に言い聞かせるように、目に涙を浮かべながらはっきりと言葉にする。
「忘れないよ。例えどれだけ辛くても、もう誰のことも忘れたくないから」
「う゛ん゛……!」
誰も忘れたくない。
それが姉の願いだと言うのなら、私はもう姉の辛いを取り除いてあげられない。
姉を助けたい気持ちもあるけど、それ以上にもう姉と離れたくない。
私だって、姉に忘れて欲しくないから。
◇
「これで応急処置は完了です」
「うん。ありがと春瀬さん」
赤佐宇花の治療、彼女が背部に受けた弾丸。
不幸中の幸いか、弾丸は内蔵を傷つけること無く腹を貫通しており、重傷にはならなかった。
だが急がないと、赤佐宇花は別の部分で重症になる可能性を秘めている。
「それから宇花さん。申し訳ありませんが、第三症状を止めるために少しの間眠ってもらいます。辛い夢を見ることになるかもしれません。良いですか?」
彼女の心壊症は進行しすぎている。
通常であれば第三症状まで進んだ場合治療法はなかった。
それでも今は白銀優希という治療に成功した前例がある。
その治療法は、別の心壊症能力で眠らせること。
自力で意識を手放すことのできない第三症状、それを強制的に眠らせることで症状が一時的に収まる、と思われる。
まだ一度しか成功していないため確実ではないが、今はこの方法に頼る他無い。
「大丈夫、助かるだけありがたいよ。でもその前に、魅了しちゃった人たちを開放してもらっていい? 安全な場所まで歩いたら意識を取り戻すように指示したから」
協力的な姿勢の宇花を見て少しホッとする。
あれだけ拒絶されていたのに今では信用してくれているように見える。
それもつぼみ達の説得のおかげだろう。
彼女に宇花のことをお願いして本当に良かった。
それとは別に、宇花は操っていた人々は行動を制限するために大穴の中に閉じ込めている。
「茶和田さん。お願いします」
「おう。任せろ」
茶和田の能力、地形操作で大穴は静かに動き、数秒後には元の平坦な地面を取り戻す。
未だ虚ろな目をしている、獅子郷を含む操られし者達。
宇花はそれらに命令を下そうとする。
「うん。みんな指示通り帰ってくれそう。これで……ちょっと待って」
命令を遮り、突然俯き頭を抑え始める。
苦痛を感じている表情ではない。
戦慄した表情で、何かに集中するように黙っている。
「宇花さん? 何かありましたか?」
「……うん。私の能力、第三症状になってから魅了した人の視界を共有できるようになったんだ。けどこれ……なんであの高さから落ちてまだ…………」
信じられないようなモノを見るような目で虚空を見つめ続ける。
彼女の脳内にはどんな情景が浮かんでいるのかは分からない。
だが「あの高さから落ちて」、という言葉から察せられることもある。
宇花を狙撃した政府組織『リーパー』の一員。
その人は宇花の魅了により自らビルの屋上から飛び降りていた。
随分と時間が経ったはずだが、それがまだ生存していて、宇花はその人の視界を共有しているというのか?
「ああ……そうだよね。あなたもいるよね。大切な人……」
「宇花さん?」
「……ねぇ凪。1個聞いてもいい?」
「? うん。なぁにお姉ちゃん」
突然妹に質問を投げかける。
妹の赤佐凪は、戸惑いながらも返答する。
「凪の能力ってさ、記憶を人に渡したりもできる?」
「んー……できると思う。たぶん」
「そっか……ありがと。みんなちょっといい? 見て欲しいモノがあるんだけど」
宇花が何を考えているのかは分からない。
けれどきっと、彼女は自分の能力で見たものを共有しようとしているのだろう。
何かトラブルがあり、それを解決するために協力を要請しようとしてくれている。
疑うこと無く、我々全員が宇花が差し出した携帯電話の画面を直視した。
そこには瞳が映っていた。
「これは……第三症状の……!」
「っ……宇花さん、なんで……」
茶和田、つぼみ、そして妹の赤佐凪までもその画面を見て意識を失ってしまう。
携帯電話の画面に映し出されたのは一枚の写真、天空に浮かぶ巨大な目、それは正しく宇花の第三症状の象徴。
それを見た、つまり宇花の能力発動条件を満たしたということ。
裏切りとも取れる行動。しかし何故今更?
分からないままに意識が遠のく。
薄れゆく思考の中で、宇花の声が耳に届いた。
「ごめんね。でも大人しくしてて欲しいの。これ以上、誰も傷つけたくないから」
最後に見た宇花の表情は、何か覚悟を決めたような、そんな強い目をしていた。
「自分の尻拭いは……自分でするよ」




