第二章12.汚泥を愛して
日の沈んだ飲み屋街、雑踏の脇で私は佇む。
3日前まではずっとここで宿を探していた。
今は帰る場所があるのだからこんなところにいる必要はないのだが……。
「なあ、あれ……」
「声かけるか?」
視線とともにひっそりとした陰口が私に届く。
やがて声の主である二人組が近づいてきた。
「君、もしかして噂の子?」
「噂って?」
「あー……まあ違うなら断るか。よかったらさ、今晩うちに来ない?」
「噂」というのは誘えば乗ってくる少女がこのあたりに出没する、というものだろう。
その話は私も聞いたことがあるし、何ならそれは間違いなく私のことだ。
多少事実とは異なるが、噂とは歪曲して伝わるもの。
私が数日前まで似たような生活をしていたことは確かだ。
「そうだなぁ……ねえ、私って可愛い?」
「ん? ああ、可愛いよな?」
「もちろんさ」
「ほんとかなぁ? じゃあちゃんと目を合わせて10回可愛いって言えたら信じてあげる。二人同時にね」
「そのくらい簡単だよ。可愛い可愛い可愛い可愛い」
「可愛い可愛いかわい……」
「…………」
一人、続いてもう一人も瞳から生気が抜け落ちたように放心した。
それを見ても特に驚くことはない、ただ納得するだけ。
「ごめんね、一時間くらいあっちで寝ててくれる?」
そう言うと二人は私の指差す路地裏の方へ歩いていった。
この現象は何度も見たことがある、だから確信できた。
(やっぱり、能力使える……)
そう、噂のことを知りながら今日ここに来たのは手頃な人を見つけて自分の能力を再確認するため。
相手には申し訳ないけれど、彼らもまた私を食い物にしようとしたのだから罰が当たったとでも思ってほしい。
先刻、能力検査なるものをしたときは何故か発動しなかった。
こうして今普通に能力が使えたということは、問題は私ではなく能力を向けた対象にあるはず。
(つまり……春瀬さんだけが効かないってこと……?)
その可能性は考えなかったわけじゃない。
だがそれがほぼ確定した今、思わずにはいられない。
だとすれば、私は彼を――――。
「戻りました」
「ああ、宇花さん。おかえりなさい」
「……ただいま」
ただの居候をさも当然のように同居人として扱われると、言葉一つに遠慮を覚えるのも馬鹿馬鹿しく思えてくる。
「凪さんはつぼみさんと一緒におやすみになりましたよ。こんな遅くに一人で出かけたいと言われたときは驚きましたが、何も問題はありませんでしたか?」
「心配しすぎ、夜出歩くのなんてもう慣れてるから」
「それなら良かった」
安堵したように笑みを浮かべ、それ以上彼が何かを聞いてくることはなかった。
私が何の用で外に出たのかも聞かず、疑るそぶりも見せない。
「ほんと、そういうとこだよ春瀬さん……」
「? 何か言いましたか?」
「言った。こっち見て」
言うが早いか、私は春瀬さんの顔を無理やり手で固定し至近距離で目を合わせる。
5秒以上、沈黙が続く。
彼も既に意図を察したのか、赤面しながらも付き合ってくれている。
「春瀬さん、こんな夜に私は何をしてきたと思う?」
「……分かりません。けど言いたくなければ別に言わなくても……」
「能力の実験。ちゃんと発動したよ」
「……」
彼はうつむき押し黙る。
もっと蔑むような目をすればいいのに。
まあそんな目をするはずがないと分かっていて口にしたのも事実だけど。
「分かってる。やってることはただの通り魔、私は悪人だよ。嫌いになった?」
「……なりませんよ」
「なんで? なってよ」
「難しいですね……それが悪だと自覚できてるなら、宇花さんにとってそれは必要悪だったのでしょう? 僕だって必要悪に手を染めた元犯罪者です」
「そいえばそうだったね……」
「何故嫌いになってほしいんですか?」
「諦めたかったから」
「……何を、ですか?」
彼は苦々しい顔をしながら聞いた。
私が何を言おうとしているのか察したのか、その上でその顔ならやはり迷惑ということか。
けれど私は止まらない。
「私はこの能力のせいでこれから人と目を合わせて話すこともできない。春瀬さん、あなた以外とは」
「そう……ですね」
「運命だと思った」
「……運命なんて聞こえのいい飾り言葉です。その本質はただの偶然か、仕組まれた必然のどちらかです」
「そうかもね。でも別に運命じゃなくてもいいんだ……私は春瀬さんだから運命だと思いたかったんだよ」
「それは……一時の気の迷いかもしれませんよ? もう一度考え直してみては?」
「迷わせた本人がそれ言う? それにどれだけ考えたとしても事実だけは変えようがない。私と凪の居場所をくれたのはあなただけだから……私は春瀬さんがいい」
本当に申し訳ないと思う。
彼にも、彼のことが好きな女の子にも。
でもやめる気はない。
醜く、汚く、裏切りすらも厭わない。
どんなに惨めな方法でも私は形振り構わず生きるって決めたから。
「春瀬さんは……身も心も汚れた女の子を愛せる?」




