第二章2.生きる術
名前も知らない男の家を出てから3日は凌いだ。
昼は公園で、夜はファミレスやファーストフード店でやり過ごした。
年齢的に夜にネットカフェなどが利用できないのが痛いところだ。
しかしそんな生活を3日続けただけで所持金が半分を切ろうとしている。
妹もまともな場所で寝てないからか疲労が目に見える。
「……そろそろ限界、か」
最低限の身支度ができるお金が残っているうちに動かなくては、立ち行かなくなる。
なんとか避けて来たが、やはり私達が生きるには売りをするしかない。
再び来ることになった夜の街。
飲み屋帰りの社会人が多いこの時間帯に今日の宿を探す。
けれど思いの外警戒心の強い大人の方が多く、上手く立ち回らなくては警察に連れていかれるので注意が必要。
中々上手くいかず、焦って早足になる。
そうしているうちに、次第に妹へ向ける注意が薄れてしまった。
「きゃっ……」
どさっ、と後ろから音が聞こえる。
少し離れた位置で妹が他人と接触したらしい。
仕方ない、とそばまで駆け寄り妹を立たせる。
ぶつかった相手も心配しているようだったので軽く会釈することにした。
「あの、すみませ……っ!」
「ん? 君どこかで……」
私は咄嗟に顔を隠した。
迂闊だった。
何故考えなかったのか、前回と同じ場所で遭遇する可能性を。
妹が衝突した相手は先日宿を借り、寝ている間にお金をいくらか拝借した中年だった。
まずい……バレれば報復は確実だろう。
しかし逃げるにしても妹を連れてでは逃げ切れない。
やがて男性が私と妹の顔を交互に見る。
これはもう……私は終わりを悟った。
「んー……ごめん、勘違いだったみたいだ」
「……え?」
「こんな時間に子供だけでダメだよ。悪い大人に連れてかれてしまうからね」
そう言って中年は去っていった。
私達のことを覚えていないのか?
ほんの数日前、そうそう忘れられない出会いをしたはずなのに?
「これは……」
半信半疑ながら私は一つの考えに至った。
やはりあのとき、何か不思議な力が働いたんだ。
それが神の悪戯か私の隠された力なのか、それは分からない。
けれど確かに、あの晩あの中年は催眠状態に陥り、その後私達に関する記憶を失くした。
偶然にしては都合がよすぎる。
もし……もしもそれが私の力で、これを意のままに操れるようになったなら……。
それは私達が生きる術になる。
少しだけ希望が見えた気がして、妹の手を引く力が強まった。
ようやく誘いに乗ってくれる人を見つけた。
前回同様、妹は別室にて寝かせてもらい、私は男性と向かい合う。
さて、思い出さなくては。
あのとき男性が催眠状態になったのは何がきっかけか。
目の前の男を同じ状態にするにはどうすれば良いか。
少しずつ距離を詰めてくる男。
あのときもこうして体を触られそうになって、恐怖のあまり拒絶してしまった。
その直後にああなったんだ。
「やめて」
今度は意識的に男の手を払う。
前回と同じ行動、きっとこれが発動条件のはず。
これで、この男も私の言いなりに――――なってくれなかった。
「なあ、痛いんだけど。君が誘ってきたんだよな? あ?」
男は怒気を孕んだ口調で距離を積めて、そして私の首を掴んだ。
失敗だ。
何が違った? それとも最初からそんな力はなかったのか?
疑問は出てくるがそんな余裕はない。
必死にもがきながら、苦しさを目で訴える。
だが男は私の顔を見て、恍惚と笑う。
「最初は和姦のつもりだったんだけどな。でも仕方ないよな。君が抵抗したんだから、無理矢理になっても君が悪い」
男が私の顔を覗き込んで言う。
首に籠められる力も次第に強くなり、脳に酸素が届かなくなる。
ヤバい……殺される……。
「いいね……いいよその顔。もっと、もっと…………」
すると、いきなり首にかかる力が緩んだ。
さらに男の嬉々とした表情も徐々に失われていった。
「……っげほ、けほっ……成功……した?」
拘束から解放され咳き込む。
深呼吸して、落ち着いてから男の反応を伺った。
やはりこれは催眠状態と言えるだろう。
しかし条件がまだ分からない。
使いこなせるようにならないと、生きるために……生きて妹を守るために。
その後、男を実験台にして催眠の発動条件を確認した。
そして条件が分かった。
それは5秒間目を合わせること。
それだけで私の命令通りに動く人形になり、次に眠って目が覚めたときには私に関する記憶が消える。
そんな都合の良すぎる力を持った自分が正直怖く思えた。
これを欲望のままに使えば私は私じゃなくなる、そんな気がした。
だから自分の中で制限を設けた。
人の生活を壊してはいけないという制限を。
宿を借りるのは独身男性から一晩だけ、お金を貰うのは裕福そうな人から少しだけ、あとはトラブルに遭ったときだけ。
それだけのことができれば一定水準の生活が保たれた。
空腹にも寝床にも困らない、少しだけど娯楽にも費やせる。
そんな生活を続けて、2ヶ月近くが経った。
今日も妹と放浪しながら寝床を探す。
狙うのはある程度身なりが整っていて気弱そうな社会人。
近づいて、話しかけて、5秒目を合わせるだけ。
「お兄さん。一晩だけ、私達のパパになってくれない?」
こう言えば相手は動揺して、戸惑っているうちに5秒稼げる。
もう随分手慣れたものだ。
けれど、今日の標的は今までの人と少しだけ違った。
「いいですよ」
一瞬、私を軽く見るだけで目は合わせずに、そして私の願いを簡単に承諾してしまった。
「えっと……お兄さんの家に連れてっくれるってこと? 妹も一緒に?」
「はい。何か不都合でもありましたか?」
中々目を見てくれず能力が使えない。
けれどここで着いていかなければ不審に思われ通報されるかもしれない。
こうなっては家まで着いていって隙を見てやるしかないか。
「いえ、よろしくお願いします」
「ええ、名前を伺ってもよろしいでしょうか?」
「あ、はい……赤佐卯花です。こっちは妹の凪」
名前を聞かれる機会もほとんどなかったため咄嗟に偽名が思いつかず本名を名乗ってしまった。
しかし不思議な男だ。
私の誘いに乗ったのは確かだが、下心が感じられない。
こういう人を騙すのは少し心苦しいが……運が悪かったと思って欲しい。
私達も生きるのに必死なんだ。
許せとは言わない、どうせ記憶には残らないだろうけれど。
「ありがとうございます。僕は――――春瀬白と申します。では行きましょうか」




