第一章12.僕だけは
包まれてゆく。焔にだけでなく暗闇にも。
内側に暗雲は立ち込めるけれど雨は降らない。
この炎を掻き消す恵みの雨は降らない。
暗きの中にただ燃え続ける。光源はやがて炎だけとなる。
私にはこうして踞って耐えることが精一杯。
燃え続ける火に恐怖しながら、自責に耐えることが精一杯。
耐えるために閉じ籠って暗がりを作ってしまう。
この暗がりはもう慣れっこだ。
幾度となく経験した。けれど幾度となく経験したからこそ、知っている。
知っていたから気づけたんだ。
こうして暗くなるのは、光が何度も差したから。
光が差すことを知っていたから、私はその声に気づけたんだ。
「――――つぼみさん!」
暗闇を一条の光が貫く。
顔を起こすと暗闇を晴らすように光が拡散する。
その声は私にとって光なんだ。
その姿は私を救い導く光そのものだ。
だから私も救いを求めるように、彼を呼んでしまうんだ。
「…………お兄、さん……!」
「遅れてすみません。辛い思いをさせてしまってすみません。それから偉そうなことを言うようですみませんが――――助けに来ました」
ああ、変わらない。優しくて謙虚すぎる物言い。
その言葉だけで私を温めてくれる。
その言葉が、私の自責を暴発させる。
「ごめんなさい……! 勝手に家を出てごめんなさい……捜させてしまってごめんなさい……また助けさせて、ごめんなさい…………!」
彼の優しさに、余計に罪悪感を煽られた。
けれどこれだけ自身の非を口にすることができるのは相手が彼だからだ。
彼は何を言おうと怒らないだろうという打算もある。だから口を止められなかった。
「いいんです。それよりまずその火を何とかしないと。痛みはありませんか?」
「……痛くないです。それから熱くもないです。けどこの火は私以外にはすごく熱いみたいで、この火でお父さんも…………」
言葉にしようとして、自分がしたことを明確に理解した。
口にするのも憚れる、人が禁忌とするそれをこの身で行ったことを。
「私はっ、私はお父さんを…………!」
「分かりました。つぼみさん、一度深呼吸してください」
「っ……深呼吸、ですか?」
「はい、心臓の高鳴りが収まるまでゆっくりと」
言葉を紡ぐのを止め、呼吸に集中する。
大きく息を吸い、胸を撫で下ろすように吐く。
繰り返していくと段々体の辛さが解れていった。
「あなたの火はあなたの不安に合わせて大きくなる。だからその不安を解消することで火も消えると思います。ほら、その証拠に呼吸を整えただけで火は弱くなった」
「え……?」
言われて自分の周囲を見ると自身を包んでいた炎が目減りしていた。
微かながら希望が見えたが彼は何故知った風な口を聞くのだろう。
まるでこの炎の発生原因を知っているみたいに。
けれどそれは今考えることではない。
今は完全に消火することだけに集中しようと次の指示を仰ぐために彼を見る。
「……お兄さん?」
彼を見ると怪訝な顔をしていた。
火は消える兆しを見せているのに何か不都合なことでもあるというのか。
彼はちらりと私の顔を見て、深く深呼吸をすると何かを決心したかのような顔に変わった。
「すーっ……はーっ……少しの間そのまま動かないでいてもらえますか?」
指示の意図は分からないがひとまず従おう。
そんな考えは彼の行動で打ち消されようとしていた。
彼は歩き出した。真っ直ぐに、私を見据え、燃え盛る炎の中を一直線に。
「えっ……ダメです。来ないでください」
そんな言葉を無視して彼は進む。
「近づかないでください! 火傷します!」
「構いません」
不安を煽られ火は勢いづく。
それでも彼は歩みとめない。
これ以上近づいては彼に火の影響が及ぶ。
何とかして彼を止めないと。けれど私は彼に触れられず、言葉でも止められない。
何とかして火を消さないと。けれどそれを考えるほどに不安は募り、火は強くなる。
なんとか離れようと後退りするも彼との距離は一歩また一歩と近づく。
「ダメです、本当に……」
「怖がらなくても大丈夫です」
「…………え?」
そして男は意に返すことなく炎の中に体を押し込み、全身で包み込んだ。
炎に包まれた私を炎ごとその身で抱き締めた。
「なんで…………」
「今あなたの傷を癒すには、こうするべきだと思いました」
炎は今も彼の体を焦がしている。
けれどその抱き締める力はより強くなる。
「お兄さんは熱くないんですか? 痛くないんですか? …………怖く、ないんですか?」
「熱いし痛いですよ。けれどあなたの方がずっと痛かったはずです。怖いとは思いません。あなたを一人にする方が怖い。あなたを助けられるなら、そのくらい構わない」
彼が力を込めるのに対し、私は段々と力が抜けていく。
ああ、どうして私はこんな人を疑ってしまったのだろう。
彼はいつも優しくしてくれて、こんなになっても助けてくれる。
そして、私が欲しい言葉をくれる。
「僕だけは、ずっと一緒にいますから」
彼の一言一言に警戒が解かされていく。
不安などどうでもいいと投げ捨てたくなる。
気づけば炎も消えていた。
これで彼を傷つけずに済む。
そう安堵するとひどく意識が朦朧とした。
けれどもう安心して意識を手放せる。
ずっと一緒って、言ってくれたから。




