第一章 08.星を追う人
いつか、この星空を思い出した時、私は何を思うだろう。
なんでも無い夜空だ。満月でもなければ、雲も無数に浮いている。200年に一度の彗星が駆け抜けるわけでもないし、ひと際目を引く星もなく、一様の星が転がっている。
でも、隣に彼がいる。それだけで、私にとっては忘れられない夜になる。
「俺、三日後にこの村を出る。旅に出る」
遠くから聞こえるミミズクの声も、彼の声は遮らなかった。
「星の話をするんじゃなかったの?」
星の話をすると聞いていたが、開口一番村を発つ話を聞かされるとは思っていなかった。けれど、二つめか三つ目にはきっとこの話をされるんだろうなとも思っていた。
「これも、星の話だよ。俺の、星の話。アデルに聞いてほし」
彼は夜空に向かって、名一杯てを伸ばした。指先がピンと伸び、横から見ている私からは星に手が届いているようにも見える。
「目が覚める前に、こうやって手を伸ばしていたような気がする」
「眠っていたときのこと?」
「そう。真っ暗な闇に一つ、綺麗な光りがあって、そこに向かって手を伸ばした。まるで、真っ暗な世界をたった一つの小さな星が照らしているようだった」
「ずっとそんな夢を見ていたの?」
そんな気がする、と彼は言った。
「もうずっと、俺はその光を追いかけていたような気がする」
もうずっと、もしかしたら、目が覚めるよりも前から。
「俺は、その光を追いかけたい。本当に何かを追いかけていたのかさえ分からないけど、どちらにしろ俺は分からないことが多すぎるから、一つ一つ探していきたい。俺が誰なのか、どこから来たのか、誰といて、何をしたのか、なぜ今ここにいるのか。好きなものも、嫌いなものも。それに、もしかしたら俺の帰りを待ってくれている誰かがいるかもしれない。だから俺は、自分を探す旅に出ようと思う」
「辛いことがあるかもしれない」
「どこにいても、辛いことはあるよ」
「何も見つからないかもしれない」
「そんなものなかったってことが分かる」
「途中で死んでしまうかもしれない」
「それでも、この村にいたら何もわからない」
ダンの覚悟は堅い。何を言っても揺らがないだろう。
「本当に、出ていくの?」
「三日後に、俺はこの村を出る」
「三日後ね。わかった。皆には私から言っておく」
ありがとうと彼は言う。
「この話がしたくて、星をみにきたの?」
「半分正解。この話をしたかったのは本当。けど別に、今じゃなくてもいいし、夜空の下じゃなくてもよかった」
ダンはほんの少し、アデルとの距離を詰める。
「ゆっくりお礼が言いたかった。行き倒れていた俺を助けてくれたこと、ずっとそばで助けてくれたこと。本当に感謝してるから」
「いいよそんなの。もう何回も言ってもらった」
「それでも、言いたかった。それに、お礼がしたかった。何ができるかずっと考えてた。例えば、武器の扱いを教えるとか。でも、あんまり喜びそうにないし、何よりあんまり教えることがないくらい十分に扱えるしね」
「ダンほどではないけどね」
「俺にできることは少ないから、結構必死に考えて。それで、星の話をしようと思った。俺が知っていて、アデルが知らないこと。生きるのに必要はないけれど、知っているとほんの少し夜が楽しくなる話をしようかなって」
「どうして?」
「今日は質問が多いな。普段は気を使ってあまり質問をしてこないのに。でも、ありがたかった。俺に答えられることがあまりないから」
彼は本当に人を良く見ているなと思う。
「夜になると、アデルがなんだか悲しそうに見えたから」
生きるためには必要ないけれど、知っているとほんの少し夜が楽しくなる話。アデルの夜がほんの少しだけ、楽しくなる話。
「星の話、どうかな」
「聞かせて」
彼は何でも知っている。実際にそんなことなどあり得ないけれど、彼以外のことについて、彼が言いよどんだことはあまりない。
「アデルは、星に名前が存在するって知ってる?うん、俺も今日思い出した。一つ一つにも名前がついてるんだけど、びっくりするのは、複数の星を線でつないで、さらに名前を付けているんだって。例えば、あれとあれ、それにあれを、そうそうその星。それから、あれとあれとを繋げて…」
彼の厚い手がいくつもの星をたどり、形を描いていく。アデルには何を描いたのか全く解らない。
「ペガスス座っていうんだけど、うん、俺もペガススには見えてない。ぐちゃぐちゃ線しか想像できないよね。なんで昔の人は、あれがペガススに見えたんだろ。しかも、別のやつもあって、あれとあれ、それから、あれだったかな、それから少し右のあの星と…最後にあれとつないで、ペルセウス座って言うんだけど、どう見ても人には見えないよね。そうやって星同士をつないで、星座っていう形を創造するんだってさ。しかも、この星座や星座同市には、物語が添えられていて――」
彼はそうやって、幾つもの星を線で繋ぎ、そこにある物語を語ってくれた。
ダンは何時間もアデルに話し続けた。アデルも、ダンの話に相槌を打ちながら、一つ一つを胸に刻むように聞いていた。
やがて、相槌すら聞こえなくなった。
「アデル?寝ちゃった?」
寝ていない。起きていた。
彼と話すことに、耐えられなくなっていた。これ以上、彼の優しさを受取るわけにはいかない。本当は、一かけらだって受け取れる優しさなんてなかった。甘えてしまった。拒めなかった。罪悪感に押しつぶされそうだ。
――誰でもいいから助けて欲しい
彼に、助けてと言いたかった。彼はきっと助けるだろう。アデルを連れて、この森から逃げることもきっとできる。でもだとすれば、村はどうなるだろうか。村を見捨てることも、できない。
声を殺して、寝たふりをして過ごすしかなかった。こんな無責任な涙、他でもない彼には見せられない。
村人を守るために彼を殺す。その悲しみをみせるなんて、そんなことできない。
自分に言い聞かせる。言い訳を重ねる。生きるために牛や豚を殺すように、生きるために人間を犠牲するのは、仕方ないじゃないかと。
いつか、この星空を思い出した時、私は何を思うだろう。
特別綺麗な訳でもなく、数分月が陰ることさえある夜を。
少なくとも、特別なものとして残っていく。私の胸の真ん中で、ずっと灯をともし続け、私の心を焼いて、焦がして、蝕んでいく。
この夜空の黒は、呪いだ。
初めて自分の手で他人を殺すと決めた、そのことをずっと見ていた夜空。
彼は、この村の大切な商品である。
この村の食品、衣類、武器、家具その他、そのほとんどが『人身売買』の対価であることを知っているのは、この村の男たちと、村長の孫であるアデルだけだ。森へ立ち入った者に音もなく忍び寄り、捕獲し、商品として出荷している。
――誰か助けてほしい。
そういって泣き喚きたかった。
――本当はこんなことしたくない。
したくない。
――でも、仕方がないじゃないか。
そうやって言い訳を重ね、ずるずると二年もの間、私は人身売買に加担してきた。
商品の傍らで善人面を引っ提げて、商品の品質を見定める役として、いずれ出荷されていく者たちを監視してきた。ダンの隣でも、彼を監視し、値踏みしている。
内乱が終わってからというもの、国の制度も破綻し、国中が貧しくなり、物資は枯渇し、村の名産品であった珍しい獣の皮も、ジビエも売れなくなった。
どうしてそんなことが言えるだろうか。私たちは加害者であって、悪党であって、悪人であって、咎人であって、罪びとであって。誰に助けてと言えようか。
泣き叫ぶ子供を貴族のもとへ、志高い衛兵を人員の枯渇した戦闘地域へ、狩人は奴隷に。
彼を監視するために、彼の助けとなる名目で、彼と共に日々をおくる。
雨が降りしきる薄暗い夜、彼は剣を振っていた。
冷たい風が全身を刺す早朝、彼は槍を振っていた。
よく晴れた突き抜けた秋空のもと、彼は斧を振っていた。
「どうしてそんなに頑張るの」
彼は行くあても帰る場所も分からない。何を目指していたのかも、何のためにこんな地方の田舎まできたのかも。何も、覚えていない。
それなのに。
どうしてそんなに頑張るのか。
「え、どうしてそんなことを聞くの?」
武器を握った時、彼は普段見せないような感情を見せる。
怒っている。
――誰に対して怒っているの?
悲しんでいる。
――何が貴方を悲しませるの?
優しいあなたが、怒っている、悲しんでいる。
けれど、彼にはその自覚がない。だから、なぜそんな質問をされたのかがわかっていない。
いつも苦しそうな顔をして、それでも毎日訓練を欠かさない。
「アデル?」
心配そうに私に声をかける。何かに苦しんでいるのに、その自覚すらもないままに、誰かの心配ばかりする人。
「何でもない」
天体観測の話。争い事の話でお、儲け話でも、生活の知恵でもない、ないならなくてもいい知識。どこで仕入れたのか分からない星の話をする。
今後もこの作品を書き続けることは先に言っておくべきことでしょう。
今後、当作品『ただ、君を目指して歩く』を書き続けていくにあたり、作品の”書き方”を変えることにしました。私はこのような文章の書き方や表現が非常に好きですが、技術がまるっきり追いついていないと常々感じておりました。悩むことはいいことだと思いますが、あまりにも筆が進まない。作品を書いたこともない私が挑戦するには早かったように思います。いつか挑戦しますが、もう少し経験値が必要かと思います。
ですので、過去分含めて書き方を変えて『ただ、君を目指していく』を書いていくことにしました。内容は基本的に変えませんし、今まで書いた部分がなくなることは無いです。勿論、表現が変わるので、違和感があるとも思いますが…。
現行のものは『旧)ただ、君を目指して歩く』に名を改め、残しておきます。
続きの更新は『ただ、君を目指して歩く』にしていきますので、もしよろしければ読んでいただけれあ幸いです。