第一章 03.英雄と呼ばれた青年
お立ち寄りいただき有り難うございます。良ければ読んでみてください。
その瞬間を、村の誰もが待ち望んでいた。
その青年が目を覚ましたのは、昼を少し過ぎたあたりのことだった。青年がアマリス村をおとずれて――正確に言えば、行き倒れているところを発見され、村に運び込まれて――から二度目の秋が訪れようとしていた。森の木々には年老いた葉がちらほら疎らにしがみついている。
昨日もそんな景色だった。昨日と今日の景色は何が違うかと聞かれても、答えられる自信はない。
しかし、昨日と変わらない平凡な1日は、青年が目覚めたことで特別な1日へと変貌を遂げた。
青年は静かに目を覚ました。窓から射す日差しは、薄いカーテンで程よく調整され、昼寝に最適な心地よさだった。雨の日も風の日も、蒸し暑く寝苦しい日も目覚めなかった青年は、こんな睡眠日和に目を覚ました。
いつものように、青年を村に運び込んだ本人であるアデルが、湿った布で青年の体を拭っていた最中のこと。およそ二年も目覚めなかった青年の目が薄く開いた。
驚いたアデルは硬直し、青年の目を見つめて呼吸を浅くした。
目覚めたことに驚いたというのは、語弊がある。もともと、青年はいつ目覚めてもおかしくない状態まで回復はしていた。生きているのが不思議なほどの傷を負っていたが、痕こそ残ってしまったものの、全ての外傷は治療を初めて数ヶ月後には塞がっていた。
ただ、その事を知っていても、アデルは青年が目覚めることを予想していなかった。そこまで回復してもなお、青年は今の今まで目覚めることは無かったからだ。村医者曰く、精神的な要因が覚醒を妨げているとかなんとか。だから、今更目覚めたことに、驚いた。
目を覚ました青年は、狼狽することも興奮した様子もない。二年も眠り続けた体で急に動く方が無茶というものだが、驚き慌てるアデルはそこに思い至らない。青年が生きていることを確かめるように言葉をかけ、叩いたりつねったりして反応を確かめる。すると、錆び付いたドアを無理やりに引き開けたような掠れた声が、ひび割れてかさついた青年の口元から発せられた。もしかしたら、叩いたときに出た呻き声だったかもしれないが、そこには目を瞑ることにした。ずっと目を瞑った青年の世話してきたのだ、一瞬くらい目を瞑っても、バチは当たらないだろう。
◇
「申し訳ないが、覚えていることは何もない」
青年は、自身のことについて何も覚えていないという。
その事実が発覚したのは、青年が目を覚まして一週間が経過した、月の見えない夜のこと。対話ができる程度に青年の体力が回復したため、青年と村長・ホーズ=トルサスによる対談が行われた。青年は、体を起こすまでには及ばないが、目が見えるようになり、体に力を入れられるようになっていた。
対談には二人の他に、村長の孫であり青年を介抱してきたアデルが、青年の介助役として同席する形となった。
「お体の方はいかがですかな」
編み込まれた立派な顎髭とは対照的な頭部――立派な満月である――を撫でながら、ホーズは言った。ホーズは青年の横たわるベッドのそばへ椅子を置き、腰を掛け丸くなった背中を背もたれに預けた。椅子がギイと苦しそうに鳴る。
青年は申し訳なさそうに言う。
「この様な形でしかお話しできず、申し訳ないかぎりです。体は、まだ自由に動かすことはできませんが、目が覚めた時と比べると、ずいぶんと感覚が戻ってきたように感じます」
青年は手を天井に向け、すっと伸ばして、掌を開いたり閉じたりして見せた。
ホーズは「恐れ多いことです」と返し、青年に笑顔を向け
「どうかお気になさらず、お休みになられながらお話しください」
と気遣いを見せた。
アデルは青年の傍らに立ち、青年を見つめる。
ホーズは短く咳払いし、この対談の本題を切り出した。
「改めまして、この村の村長・ホーズ=トルサスです。村長という立場上、貴方について、率直に言うと、貴方がこの村にとって害のないお人柄であるのか知る必要があります。つきましては、貴方の素性について、いくつかご質問をさせていただきます。お体のこともありますし、手短に済ませてしまいましょう。まず、貴方の名前をお聞かせください」
ホーズは青年に問いかけ、青年が話し始めるのを待った。
屋外からは、幼い子供たちの言い争う声が聞こえてくる。夜ご飯の時間だ、おかずの取り合いでもしているのだろうか。食糧難であるこの村では、そういった子供たちの言い争う声は日常の中に溢れかえっている。遅れて、女性のさらに大きな声が聞こえ、やがて何も聞こえなくなった。
青年は依然口を閉ざしたままである。少しうつむき、迷うような、考えるような姿勢をとっている。
「お加減が優れませんか」
心配したアデルは青年の額に手を添え、空いたてで自身の額に触れた。
「いえ、そうではなくて」
青年は一呼吸置き、覚悟を決めたように口を開いた。
そしてようやく言葉を口にした。
「申し訳ないが、覚えていることは何もない」
ホーズの目がすっと細くなる。
青年は続ける。
「自分の名前も、年齢も、どこで育ち誰といたのか、なぜこの土地に来て行き倒れていたのか。何も覚えていません。だから、本当に申し訳ない限りなのですが、自分について話せることが何もないのです」
青年はきっぱりと言う。言いきった。
ホーズは見定めるように青年を見る。その視線を感じたのか
「拘束しようが殺されようが文句は言いません。もともと、この村に拾われなければ果てていた命です」
青年はまっすぐにホーズを見る。アデルには、青年が嘘をついているように見えなかった。
青年の言葉を受け、ホーズは表情を和らげる。
「拘束も殺すことも致しません。その言葉を信じましょう。嘘をつくなら、そんな身の保証の無くなるような嘘はつかないでしょう」
ホーズは一度言葉を切り、茶で口を濡らし、続ける。
「何より、貴方はこの国の英雄です。貴方は何も覚えていないとのことですし、私どもも直接助けられたわけではありませんが、少なくとも、『この国に長く続いた内乱を終わらせた英雄』である貴方を、悪意のある人間だとは、この村の人間は誰一人として思っておりません。試すような真似をしたことをお許しください」
これが、青年が『自分がこの国である英雄である』ことを知った瞬間だった。
読んで頂き有り難うございます。
一月ほど前になりますが、この小説に感想をいただきました。小説にかぎらず、今まで何かを創作しても個人完結していたため『誰かに見て頂ける』のは初めてでしたが、嬉しいものですね。やる気が出ました。
これからも、感想・コメント等お待ちしております。