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四法院の事件簿 1    作者: 高天原 綾女
6/12

五章 暗禄の糸

        一


 それは、街にネオンが灯るころだった。

 僕たちは、警察の経費を当てにして、少しだけ値の張るお弁当を宅配して貰った直後だった。これから食事という時に、事態の急を告げる電話が鳴った。

 四法院が何気なく出る。電話を見直す仕草をした。どうやら御堂からのようだ。


「あ~、そう・・・・・・。だろうね」


 四法院は、気の無い返事で受け答えをしている。目を細めた表情を見ていると、電話向こうの御堂の苛立ちが見えるようだ。


「わかった」


 四法院は、気の無い返事をすると電話を切った。


「何だって?」


 僕は、何を話したのか訊いた。


「村中の行方が、わかったそうだ」

「わかった、って事は、生きているってことだね。どこだって?あの世って、オチじゃないだろう?」

「あの世よりはマシだが、この世ではかなり手が出し難いぞ」


 四法院がここまで言うとなると、本当に手が出せないんだろう。


「で、どこにいたんだい?」

「ブラジル連邦共和国だそうだ。中華人民共和国を経由してな」


 四法院の顔には、驚きも納得もない。あくまで淡々とした口調だった。


「驚いてないって事は、判ってたのかい?」

「まさか、超能力者じゃあるまいし。だけど、結果は二つしかないと思ってたよ。死体か、ブラジルか」

「なんでブラジルなんだい。理由はわかってるよ。犯罪人引渡し条約だろ?それくらいは知っているさ。だけど、中国でも北朝鮮でも、新疆ウイグル自治区でもいいじゃないか?」

「だったら、永都が大金を持って逃走するとする。ブラジルと北朝鮮と新疆ウイグル自治区、はたまたアフリカで内戦中の国のどれがいい?」

「そんなの決まってるだろ。ブラジルだよ」

「そうだろ」


 勝ち誇ったように言われた。


「だって、国家としての姿勢、文化水準、言葉、人種を考えれば。他のところは、あまりに不安が残る」


 それにブラジルは、たとえ犯罪人引渡し条約が結ばれていたとしても、自国民の引渡しはしない。さらに、その犯罪者に対して自国内で裁判すら行わない。

 ロナルド・ビッグスが良い例だろう。

 イギリス国内で列車強盗をして、国外に逃亡。逃亡先のブラジルで一人の女性と出会い、子供を授かった。 ブラジル国内で、イギリスの警察に身柄を拘束され、本国へと送還されるかと思われた。だが、当時のブラジルでは、ブラジルで生を受けた子供の父親が外国人である場合、その父親は身柄を拘束されない。という法律に引っかかり、ビッグスが逮捕されることはなかった。

 僕は、大声を上げた。


「まさか」

「そのまさかだ。既に結婚しているらしい」

「子供は?」

「御堂の電話では、そこまでは分かっていないらしい」

「そうか………」


 僕は険しい表情を作ったが、四法院はあくびをして、片手を上げ、伸びしていた。


「四法院。犯人が、海外に居るんだぞ。あの事件を解決しないと、こっちの事件が見えてこないじゃないか」

「何に苛立っているんだ?ちなみに聞いておくが、死んでいたらどうするんだ?」


 僕は、無言になった。確かにそうだ。村中の生存を意識し過ぎるばかりに、論理的な思考が吹き飛んでいた。どうしても吐かせる方向に意識が向かう。もう、警察に毒されているのだろうか。


「村中が生きていれば、ブラジルとの交渉は外務省が当たるだろうし、その要請は御堂がするだろう。だが、ブラジルの法よりも、今は日本の法のが厄介だ」

「どういう意味だい?」

「一事不再理の壁だよ。」

「知らないな。一事フサイリって、どういう意味だい?」


 四法院は、頭を掻いて説明を始めた。


「え~と。一旦、刑事事件の判決を受け確定した被告人は、もう一度同じ事件について、逮捕や起訴はされないんだ。日本国憲法三十九条で、同一の犯罪について、重ねて刑事上の責任を問はれない、と定めている。特に、一事不再理や二重の危険禁止の原則は、日本だけでなく他の民主主義国でも、必ずといっていいくらい採用されている。刑事裁判の大原則と言ってもいい。あと、国際人権条約の一つである『市民的及び政治的権利に関する国際規約』(自由権規約)でも、『何人も、それぞれの国の法律及び刑事手続に従って既に確定的に有罪又は無罪の判決を受けた行為について再び裁判され又は処罰されることはない』など、同様の原則を定めている。何より村中は、犯行を実行していないことで、従犯として裁かれて服役も終えている。実質、罪を償っている。通常、蒸し返すのは不可能だ」

「だったら、ブラジルに逃げる必要は無かったんじゃないの?」

「これは予想だが、別件で挙げられるのを避けたのだろう。おそらく、黒幕がな・・・・・・。警察は、いざとなれば見境がないからな」

「なるほど」

「そこで、奴の銀行口座を始め、金の流れを徹底的に洗う。そうすれば、突破口が見えてくるかもしれない」

「だったら、御堂に・・・・・・」


 携帯電話を取り出す素振りをすると、四法院が微笑んだ。


「大丈夫だ。御堂ならとっくに調べてるだろう」


 そう言って、四法院は自宅に帰るように、警視庁へ向かって行く。


「何やってんだ?早く来いよ。高級弁当が冷めるだろ」

「ああ」


 歩きながら、考えていた。四法院には、どこまで見えているのだろうかと。

 河野亮太という死刑囚を、さらに詳しく調べた方がいいのだろうか。それとも、水森総一刑務官を調べるべきなのだろうか。

 今のところ河野が殺害される理由も、天野との繋がりも見えていない。村中を調べれば、天野との線が浮かび上がるのだろうか。

 そこまで考えて、違和感を覚えた。

 待てよ。仮に、天野と村中の関係が見えたとする。そうなれば、天野は獄中の河野よりも、村中の方が目障りなはずだ。消されるのは、村中であって河野ではない。では、なぜ河野なんだ・・・・・・。

 警視庁の正面入り口前に立っている。制服警官に入館証を見せ一室に戻る。四法院は、僕が運んだ弁当を奪い、机の上に広げた。

 四法院は、笑みをこぼしていた。

 机の上には、中華弁当が並んでいる。エビチリ、アワビのオイスターソース煮、蟹肉チャーハン、豚しゃぶの野菜サラダ、胡麻団子。〆て、御一人様三九八〇円也だ。作りたてだけあって、まだ熱々と湯気をたてている。食欲を激しく刺激する匂いが、室内に立ち込めた。


「経費万歳だな」


 四法院は嬉しそうだ。飲み物を取り出して、椅子に腰掛ける。


「早く食おうぜ」


 キンキンに冷えた無糖紅茶を飲み、咽喉を潤わせたところで、豚しゃぶの野菜サラダに箸を突き刺し、口に運んだ。


「う、旨いな~。この濃味のタレが、野菜の味を引き立ててるな。豚の味が鼻に抜けて味わい深いな」


 料理の見た目よりも、四法院の発言が気になり食べてみると、口の中に和と中華の和音が広がる。


「美味い」


 そこからは、お互いに会話は無い。一方的な、美味いという感想だけで口に運ぶ。

 エビチリ、蟹チャーハンと次々と高級な品物を腹に入れていく。

 四法院の飲み物が、ペットボトル二本目に突入した。


「アワビなんて、何年ぶりだろう・・・・・・」


 四法院は、噛み締めるようにアワビを食べている。


「でも、四法院はグルメな方だろ?アワビなんて食えなくても、色々なモノを噛み締めているだろ?」

「何、言ってんだよ。俺なんて、アワビどころか砂を噛むような人生だぞ。鮑や和牛の肉なんて、滅多に噛めないさ」


 僕は、四法院の過去を思い出していた。二、三、出来事を鮮明に思い出した。


「う~ん。でも、自業自得の感もあるかな………」

「そんなことは、無い」


 蟹チャーハンを掬い、口に入れ、四法院は否定した。

 僕は、四法院の戯言は放って置き、胡麻団子の香ばしい匂いとサクサクの食感に舌鼓を打つ。残りの烏龍茶を飲み干すと、河野を殺す理由を考えていた。

 金銭の縺れ、痴情の縺れ、怨恨などが思い浮かんだが、仮定して脳内で動かすが問題にもならなかった。男の力量、実力が違いすぎるのだ。社会的地位、総資産、生きている階層など、そのどれも違っているから接点が無い。言ってしまえば、殺すまでも無いのだ。

 友人は、まだ食事中らしく、アワビに掛かっていた餡を箸で掬う卑しい動作をしていた。


「御堂、遅いな・・・・・・・」


 警視庁の窓から、高層ビルしかみえない街の風景を眺めていた。窓を開けると、街の澱んだ空気が入ってきた。


「永都。今日、谷元と夜九時に会うことになっている。君も来るかい?」


 少し迷って、その目的を聞く。


「会談の目的は何だ?」

「なんだい会談って、友人と語らうのに、そんな仰々しい。普通に夕食を食べて話すだけだよ」


 四法院は、政治家を利用する気なのだろう。だが、その目的がわからなかった。僕たちの安全の為かもしれない。

 今は、そう思うことにした。行けばわかるのだ。



        二



 永都と四法院が食事を取り終わっていたとき、御堂は警視庁の会議室に呼び出されていた。部屋の広さは、二十人を収容できる程、折り畳みの長机が二枚、窓側に並べられている。

 中会議室の中央に立たされ、少し薄暗い部屋にキナ臭さを感じさせた。

 窓を背に、四人の男が座っている。

 御堂の上に立つ上司らだった。、生活安全部長、地域部長、警備部長、公安部長だ。


「御堂管理官、捜査状況はどうなっておるのかね?」


 御堂は細心の注意を心掛ける。

 そして、自身の振る舞いと言葉を選んで動作に変える。


「御心配をお掛け致しまして申し訳ありません。ですが、ホシは判かっています」

「流石、御堂管理官だ。仕事が早い」


 警備部長が言った。


「現状の報告は、亀山刑事部長に上げております。気になるのでしたら、お聞き戴ければ、私も直属の上司を差し置いて口にする訳にもいきません」

「解っているさ」


 生活安全部長が、笑顔で答えた。


「君は、なぜ呼び出されたか分かっていないようだね」


 言ったのは、地域部長だ。


「はい。正直なところ、戸惑っております」


 御堂は、謙虚な態度を見せた。


「君ねぇ、分からないかね~………」


 警備部長が顔をしかめた。


「申し訳ありません。自分には、見当もつきません」


 はぐらかす御堂に、警備部長が身を乗り出した。


「今回の事件は、法務省管理の場だ。他の省庁も関係しているのだ。他の省庁との軋轢が生じては、我々の部署へも影響が出るのだよ」


 生活安全部長も丁寧に説明してくれる。


「関係各位から、我々にも苦情が寄せられるのだよ。それが難儀でね」

「それはそうと、君の矯正監へのアノ態度がよろしくなかった」

「そうだな。話に聞くところでは、協力を得ようという姿勢ではないな」


 警備部長の非難に、生活安全部長が同意した。

 なるほど。各人と繋がっている政・財・官の重鎮たちから圧力があったのだろう。

 各部長の出世は、実質的には止まっている。階級は、第二位の警視監、第三位の警視長である。年齢もかなり重ねている。現在の地位よりも上位の役職と言えば、警視総監と警視副総監など数種と警察庁長官くらいである。そんな役職に、皆が就ける訳も無いのだ。そうと分かれば、人間心理として利己主義に走る。

 現在の役職を利用して、人脈を最大限に広げ、他省の役人も驚くほどの友好的関係である。各部長たちにでもなれば、各団体に数ヶ月の在籍で天下りを繰り返し、その度に退職金を二、三〇〇〇万貰えるのだ。

 一般人であれば、金銭だけで十分だろう。だが、彼らの様な人種は、金銭だけでは満足できる筈もない。一度、手にした権限を最大限に維持しておきたいと思うのが人間だ。その為に、資産が充実したら、権限の有る団体の役職を欲しがる。そして、どれほど歳老いても、体裁を気にして名誉職すら手放すことがない。

 自分は、利権を否定する気も、天下りを全否定する気もはない。自身もいずれ歩む道だというのもある。しかし、定年が六十として、その後の長い人生も公務員であれば安泰だと世に示せば、人材も集まると云うものだ。

 先の無い彼らとしても、自身の警察内での影響力を援者に示しておきたいのだろう。


「御堂管理官。我々の面子をくれぐれも(おもんばか)ってくれたまえよ」


 そう言って、警備部長が退室を促した。各部長の視線は強い。

 自分は、一礼して退室する。

 廊下を歩いているとき、内から怒りが湧き上げてきた。

 刑事部長に呼び付けられるならまだしも、部署の違う上司たちから捜査について探りを入れられないといけないのか。

 それにしても、公安部長の沈黙が不気味だった。

 警視庁には全国の警察で唯一『公安部』と呼ばれる部門がある。警視庁本部庁舎の十三階から十五階にある。公安部長を二名の管理官が補佐し、公安一課から四課、外事一、二課、公安機動捜査隊、外事特別捜査隊が置かれている。

 公安を覆っているベールは非常に厚い。情報は、捜査一課にすら分からない。活動費などは、各地方公安委員会や地方自治体議会はもとより、警察本部長にすら知らされていない。

 警察庁の予算は約二六〇〇億円。人件費、装備・通信費、施設費を除いた金額が約四七〇億円。このうち公安が、どれ程取っているのかはわからないが、かなり大きな割合を占めているだろう。

 日本の警察組織では、公安はエリートとされている。公安がエリートコースであるのは、警察組織の頂点、警察庁長官の経歴を振り返るだけで簡単に裏付けられる。

 歴代の警察庁長官は、半数以上が警備・公安出身者である。

 だから、自分は公安に行くものだと思っていた。それが、刑事部に配属されるとは想いもよらなかった。キャリアだから出世は約束されている。だがそれは、ノンキャリア、準キャリアと比べればということで、キャリア同士の出世争いは熾烈を極める。功績と能力が同じなら経歴が結果に左右しかねないのだ。

 だからこそ御堂は、出世のためには犯罪者を確保しなければならない。それはまるで犯罪者と向き合うというよりも、公安のキャリアと功を競っているような意識になっていた。


(公安などは後回しだ。今はなぜ各部長がこの捜査を気にするのか、それが気がかりだ)


 警視庁内を歩きながら、今の出来事の裏を考える。

 事件の捜査は進展している。証拠は続々と出ているし、停滞感は無い。だが、老夫婦惨殺事件に触れ、上層部が動いた。上層部からの圧力と理解した方がいいだろう。

 この動きは、上月によるモノなのか、それもと別の人物によるモノなのか、それ如何によって対応が変わってくる。

 捜査と権謀、足場固めと派閥形成。どんな事でもやる必要があった。

 差し当たり、上層部にこれだけの動きが見えるというのは、どこからの意思で、どのように作用しているのが探る必要があった。

 事件も難解だが、警視庁内部の人間力学の方が数倍難解である。

 御堂は、警視庁主要人物、警察庁主要人物を思い浮かべていた。長官、総監、副総監、次長、局長、審議官、各県警本部長、管区警察局長などだが、皆曲者ばかりだ。それぞれに政界・財界などに繋がりを持っている。特に政界、政権与党とは密接な関係だ。個人的な繋がりとしているが、与党内の各派閥の長や大物代議士、大臣、副大臣などの顔が見え隠れする者もいる。

 御堂の脳裏に、それぞれの交友関係、協力・敵対関係、背後の力学を図式化していく。

 どこに自分の力を加え、協力を要請するべきか運命の別れどころだ。下手をすれば、利用されるだけ利用されて、下手を打った責任を自分に被せて切ることくらいやりかねない。

 自己を守る為にも、まだ情報が足りない。

 何しろ政界は、一寸先は闇。日々、猫の目のように情勢が変わる。情報は、鮮度こそ重要なのだ。

 御堂は、政治とはある程度距離をとって生きていた。それは、自分なりの処世術であった。入庁当初に派閥に属すると、活躍の場も奪われかねない。それだけならまだしも、派閥の長が政治的に失脚すれば身の破滅なのだ。

 そうなれば、あまりに興醒めである。だからこそ、力を付けるまで上司には従順で、結果だけは出してきた。

 現在の立場を取るのも限界かもしれない。もう、これまでの方針では生き抜けない。これからは、旗色を鮮明にする必要がある。立場を鮮明にしない事で、どの勢力からも敵と判断されかねない。

 御堂は、捜査を気にしつつも、捜査よりも重要なことを調べる事になった。

 問題は、誰を参謀にするべきかだ。事件捜査における四法院のような役割を・・・・・・。

 政治に精通し、多くの企業情報を持ち、財界、官界に詳しく顔が利く男。


「アイツだな」


 適任者が一人だけ浮かんだ。

 御堂は携帯電話を取り出し、アドレスを探した。


(番号を入れてなかったか・・・・・・)


 仕方なく、四法院番号で通話ボタンを押す。

 呼び出し音が、繰り返しなった。


《只今電波の届かないところにいるか、電源が入っていないため掛かりません》

「アイツ・・・・・・、電源切ってるな」


 仕方なく、永都の番号に掛け直す。



        三



 四法院の背中を見て歩いていた。

 僕は、政治家の秘書との会食というから高級料亭だろうと決めていた。それはそれは立派な懐石料理にありつけるだろうと思っていた。だが、連れて来られた場所はどうだ。赤坂を通り過ぎ、新宿のタイ料理屋の前に立っていた。


「四法院。ここは?」

「見てわからないのかい?タイ料理屋だ」

「何で、タイ料理なのかと聞いてるんだ!」

「トムヤムクンが食べたかったからだ。あと、ここは、個室があるんだよ。何より、深夜二時まで営業している」

「料亭は?」


 お約束の面子なら、お決まりの環境があったはずだ。それなのに、これでは政治的な雰囲気なんか出ない。

 がっかりしていると、誘った人間が追い討ちをかけた。


「高級料亭なんて形ばかりだ。居酒屋と比べても味に大差は無いよ。それに割り勘ならこのあたりが丁度良いだろ」


 確かに。同級生ばかりで、誰が奢るなんて考えられなかった。自分も四法院も金には苦労しているが、政治家の秘書も給料が安いのを知っている。立場が対等であればこそ、奢られるのを良しとしないのだ。政治家になれば話が変わるが、立場が代われば贈賄になりかねず、それはそれで微妙な問題になり、やはり割り勘になるだろう。

 店に入ると、そこは異国だった。朱塗りの柱、訳のわからない置物、一見中国のようだったが、明らかに感じが違っていた。

 店主は、四法院の顔を見ると奥を指差した。先頭を歩く四法院に、店の最も奥の一室に案内された。掃除はキチンとされている。だが、どこか室内は油っぽく感じるのは何故なんだろうか。

 四法院と向かい合う様に座ると谷元を待つ。店員が水を持ってくると、四法院が飲み物を先に注文した。


「四法院、待ったほうが良くないか?」

「構わないさ。目上の人間を待っている訳じゃない」


 それを聞いて、自分も烏龍茶を注文した。飲み物が運び込まれると、乾杯する間もなく、四法院は飲み干した。

 僕も咽喉を潤した時、携帯電話が震えた。


「はい」


 電話に出ると、四法院が視線で誰かと問い掛けてきた。


《今、どこにいる?》

「御堂、進展はあった?」


 名前を挙げると、四法院は興味を失くし、鶏肉の炒め物を注文していた。手を伸ばし、四法院を掴む事で注文を止めさせた。体は四法院の相手をして、口は御堂に向いている。


「今、四法院と一緒なんだ。タイ料理屋で、谷元君と会う予定だ。………そう秘書の。………わかった。聞いてみる」


 電話を離し、四法院に聞く。


「御堂も来ると言っているけど、いいのかな?」

 四法院はあからさまに嫌な顔を向けたが、電話だから御堂君には伝わらない。だが、容易に想像が着くから、それほどの意味は無いかな。


 僕は、御堂に四法院の意思を汲んで答えた。


「いいってさ。新宿の三丁目にお店があるよ」


 そう言って、携帯を置いた。


「なんで、呼ぶんだよ」


 そう友が恨めしそうに言う。


「いや、フリかと思って」

「お笑い芸人じゃねーよ」


 笑顔で答えると、鋭いツッコミを入れられた。

 そんなことをしているうちに、個室のドアが開いた。


「待たせたね」


 痩せ気味で、くたびれたスーツを着た低姿勢の若い男が立っていた。


「呼び出して悪いな」


 四法院が、笑顔で出迎えた。


「なぁに、たいした事じゃない。それにしても、会うのは約一年ぶりかな」

「ああ」


 谷元は椅子を引くと、四法院が紹介してくれた。


「谷元。こっちは、塾の講師をしている永都敦史。俺と御堂と同じ高校だ」


 頭を下げた。今度は、谷元が自己紹介をした。


「初めまして。衆議院議員秘書をしている谷元英雄です」

「永都です」


 谷元と名乗る男は、心地よさを感じさせる。柔和さの中に、自信と誇り、細やかな気遣いと強固さを認識した。


「僕は、ビールをください」


 谷元は上着を脱ぎ椅子に掛けると、椅子に深く腰掛けて仰け反った。四法院が、お手ごろな品物を注文して、店員を下がらせた。


「は~。疲れたよ」

「何かあったか?」


 興味深そうに四法院が聞いた。


「うちの事務所で、色々あってな」

「おっ、なんだ?」

「うちの先生、旧家のボンボンなんだ。非常に優秀なんだが、現実感覚が多少薄い」


 四法院は、黙って聞いている。


「で、先生と超リアリストの政策秘書の意見が対立した。政策秘書は、勝つ為には手段を選ぶべきではないといい、先生は現在は苦しくとも長期的な策を打つべきだと」

「お前は、どっちが正しいと思うんだ?」

「どっちもどっちかな。戦略眼の違いだな」


 罠に掛からない谷元に、四法院は舌打ちをした。


「で?」

「で。先生がキレた」


 その言葉で、四法院の瞳が輝いた。谷元が続ける。


「政策秘書の首を切って、賛同する事務所スタッフの首も切ったんだ」

「おおっ」


 四法院は、満面の笑みだ。


「残ったのは、わずか数人でな・・・・・・」

「なるほど。その収拾あたっていて遅れたってことか」


 四法院が小声でまとめると、谷元は苦笑いで応えた。


「まったく、意味が分からない。自分の足場を崩して何になる?今回で、当選四回だ。四回と言っても補選が一度。周囲の認識では、中堅かな。まだ出来ることも少ない。だが、将来への布石なら大きく打てる。にも拘らず、意志統一の出来ない組織では戦えないと断を下し、再構築の道を選んだ」


 僕が思うに、谷元君としては切るよりもすり合わせを望んでいたのだろう。意見対立が起きれば切られる。今後、そう思わせてしまう。それは、先生としても後々まで尾を引くだろう。

 どこの世界も同じだな。上司には、本当に苦しめられる。


「でも、優秀な政策秘書を切った時には、本当に目眩がしたよ」


 そう言うと、運ばれてきたビールを口に運んだ。


「尻拭い、いや、お守りも大変だな」

「まったくだ。僕には、介護の資格も保育の勉強もしていないんだが、秘書という職業には含まれているらしい。お、料理が運ばれてきたな」


 店員が、両手に四皿の品を持って現れた。四法院が注文したから、メニューの名前はわからないが、大まかに判断して、春雨のサラダ、鶏肉の焼き物、海老の炒め物、ムール貝の蒸し物だ。口にしていないが、素直な感想を言おう。見た目は色彩鮮やかで、辛そうだ。

 谷元と四法院は、サラダを口に運んだ。


「これぞ、タイ。そんな味だな」


 谷元君が言った。


「まだ、トムヤムクンが来るぞ・・・・・・」


 何かを思い出したように、四法院の声が止まった。


「どうかしたか?」


 谷元君の問いかけに、四法院は無反応だ。代わりに僕が答えることにした。


「御堂君も来ると言っているから、憂鬱なんだよ」

「ははは、相変わらずだな」


 谷元君は、声を上げて笑った。


「御堂とは、三十を過ぎても相性が悪いようだな。で、電話で言っていた頼みたい件ってなんだい?」

「政治力が必要になりそうなんだ。その時は、協力をして貰いたい」

「内容にもよるかな」


 箸で、鶏肉をつまんだ。


「今、法務省管轄の場で殺人事件が起きた。さらに、殺された人間は、各役所の失態で死んだんだ」

「抽象的で、よく分からないな」

「詳しいことは、事態が動き始めたら説明する。今、政治家が動き始めると、役所へさらなる警戒心を与えかねない」


 四法院の抽象的な説明のためか、谷元から真剣さは感じられない。そこで、四法院が聞く。


「法務省に影響力を持つ代議士って誰かな?」

「ん~。難しいな。法務省という役所は、他省とは違って利権(うまみ)が無い。ちなみに、無いといっても、他省と比較対照すれば驚くほど少ないという喩えで、皆無ということではないが。国土交通省や厚生労働省のような処とは比べると、三段も四段も旨味が落ちるということだが………」

「代議士として関与するには、利が無いと云うことか」

「法務省の利権では、人権擁護法案とかその典型だ。とりあえず、俺は何を準備していればいい?」

「資料を頼む。党内の派閥構成、各省庁への影響力、行使の為の窓口など全ての情報が欲しい。できれば、裏の情報も金脈も」

「四法院。それは無理だ。それは議員の心臓を握ることに等しい。それを書面に起こして見せるなど、俺の命にもかかわる」

「だったら、お前が代わりに動いてくれないか?俺たちも、お前なら全面的に信じる」


 四法院は少し考えて、こう言葉を変えた。

 谷元は、気持ち関心したような顔を向けて笑った。


「わかった。どうとでも動けるように調べておくよ。情報を制することが、僕の仕事でもある。そのうち、全容は語って貰うよ」

「ああ、異議なしだ」


 そう言って、本格的に食事が運ばれた。


「お姉さん。トムヤムクン持って来て」


 四法院が言うと、酸味の強い匂いと辛味の多い刺激が室内に充満した。


「おい、四法院。永都」


 太く凛々しい声が聞こえた。


「四法院、御堂が来たよ」


 永都が言った。そして、ありえない面子が揃い、毒舌と恨み節、昔話と下ネタで盛り上がった。




ここまで読んで頂きありがとうございます。


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