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四法院の事件簿 1    作者: 高天原 綾女
5/12

四章 転換の場

        一


 広島つけ麺を限界まで平らげて、僕と四法院は警視庁へ向かった。

 自分は事件が気になって仕方なかった。一方、四法院は悠長に置かれてある漫画を読み、出汁入りむすびも注文して、つけ麺のおかわりまでしてお手軽な快楽を堪能していた。

 本屋に寄ろうとしている友人に腹を立てて、警視庁で資料を見返すべきだと言って、強制的に連れて来たのだ。

 既に、午後二時を過ぎている。

 警視庁の入り口には、番兵のような警官が立っている。無言で入ろうとする四法院は、当然のように止められる。

 僕が、頭を下げて御堂の名を出すと通して貰える。そんな感じだった。

 再び、六階に捜査一課フロアーで空いた部屋を借りて、抱えている借りた資料を置いた。


「おっ、この部屋。テレビが置いてあるな」


 四法院は、捜査資料よりもテレビが気になり、電源を点けた。ニュース番組にすると、今話題のM&A(企業買収)に釘付けだ。

 斎賀製菓が、光涼食品と事業統合の基本合意に達成したなど、最近はこの手の報道を多くしている。この両社は、友好的な統合であるが、こういう例ばかりではないことは自分にも分かる。

 次に、天納グループの敵対的M&Aの報道が流れた。

 現在、天納グループは、株式会社HKTに買収工作を仕掛けているようだ。鋼鉄に特化し、優秀な機能性耐火物の製品を有している。米国・欧州・台湾・中国に生産拠点を設けていて、近年ではファインセラミックでも名を知られ始めた。十年前ほどの勢いは無いが、技術力には定評がある企業だった。

 既に、発行済株式数四三七八万八〇〇〇株のうちの三割超一三一三万八〇〇〇を手にしていた。天納グループは拒否権を発動させ内部に揺さぶりを掛けると同時に、一族と取締役の切り崩し、メインバンクへの根回しを行っているようだ。思いがけず買収が難航している所為もあって、天納グループの株価は下降の一途を辿っている。


「もう少し下がってくれれば、買うんだがな」


 テレビに映る株価の動向をじっと見ている。四法院が、株をやっていることは知っている。元金の額が小額だから利益も高が知れている。お小遣い稼ぎにしかならない。それでも四法院の莫大な書籍費を支える柱の一本にはなるのだろう。

 昨晩、自分も天納グループを調べた。

 四法院が言ったように天納グループは、企業を買い漁っていた。株価に対して、優良な資産を有している企業、技術を持つ企業、特定分野に特化している企業など、まさに見境なしだ。

 そんな天納グループが負けた買収劇があった。三年前だっただろうか、超巨大企業の世羅グループインターナショナル傘下企業『湯木リゾート』で、ホテル・ゴルフ場経営を軸に、賃貸など不動産活用にも重点を置いていた。

 湯木リゾートの株価が下がったとき、天野の英断で天納グループは強襲的に株を集めた。

 世羅グループは、親会社として介入をするも、天納グループの猛攻は単調な防戦では防げないと判断する。そして、買収者に対して逆買収を仕掛ける『パックマンディフェンス』を行った。双方の親会社が総力を挙げた攻防は拡大し、両社の株をも買い集める。市場は混乱の様相を呈していた。この戦いでは、両社にホワイトナイトが多数乱立したが、それは戦場の拡大を示していて、司法の場でも熾烈な攻防が繰り広げられた。

 ついに、政界が動くことで、事態の収拾が図られた。天納グループに利益を、世羅グループには名誉を得られることで決着した。

 利益こそ得られたが、天納グループにとって事実上の敗戦であった。

 マスコミは、こぞって成り上がりの天野を叩いた。世羅側は、マスコミと政界の要所を押さえていた。それが最終的な勝因に思えた。

 そして再び天納グループが買収劇を繰り広げているのだ。株価がもう少し下がるようなら、四法院も株を数株買うと言った。

 少し考えて、四法院に助言した。


「でも、いま天納グループの捜査をしているんだ。インサイダー取引になるんじゃないか?」


 四法院が少し悩んでいる。


「でも、何も分かってないからな。今のところ問題はないだろう」


 そうは言ったが、まだ何か悩んでいた。


「どうしたんだい?」

「いや、そう言えばSGI率いる世羅は、体調が悪く会長職に上がった事を思い出した」


 そう答えるとテレビ画面を消した。後頭部を掻きながら、パイプ椅子に座り資料を読み始める。

 自分は、捜査資料を眺めていても、御堂の動きが気になった。隣りにいる友は、気にする様子も無く、気も無く捜査資料を捲っている。


「御堂の捜査状況が気にならないのか?」

「気にならない。御堂なら真面目にやるだろう」

「僕は気になるよ。君が、今朝、御堂に何を言ったかもね」

「そんなことか………。そのうち、わかるよ」

「今、教えてくれないのかい」

「ん~。こういう事は、全貌が分かってからの方が、アリガタミが増すからな」

「御堂には言ってるんだろう?」

「全部は、教えてない。調べる場所と方向性くらいだな。もっとも御堂は、それで察したようだが」


 四法院は、御堂を認めているように思えた。

 自分は、御堂と友人関係があるものの、それ程強いものではない。関係から言えば、四法院と御堂は中学時代からだから、二人の関係のほうが深い。だが、二人はお互いの長所を認めながらも、仲がどうしようもなく悪い。高校時代に自分が仲を取り持つ役割をして以来、自分が仲裁役になってしまった。

 昔を思い出しそうになっていたら、荒々しい振る舞いで男が室内に入ってきた。


「お前たちか。老夫婦惨殺事件を洗いなおしているって奴は」


 男の身なりは、ひと目で高価だとわかるスーツに包まれていた。

 ひと目見た瞬間に、四法院は無視を決め込んだようだ。こちらに視線を送り、相手は任せる、と丸投げの姿勢を示した。

 僕は立ち上がり、形式的に頭を下げた。相手の高圧的態度に変化は見られない。


「きさまたちは、何の権限があって、私の指揮した事件のアラ捜しをしてるんだ?」


 疑問形を使っているようだが、命令口調で立ち位置はかなり高く、態度は見下していた。四法院が毛嫌いするタイプだ。


「どちら様ですか?」

「警視の上月だ」

「ああ、この事件の指揮を執った方ですね」

「そうだ」


 上月と名乗ったキャリアは、謙虚さ、礼節を一切無視した態度だ。


「御堂警視は、優秀な後輩を潰したいようだ。私が、異例の早さで事件を解決し、残忍なホシを確保して死刑台に送ったんだ。警察に、卓抜な人材がいること世に知らしめたのだ」


 稀に見る酷い人材だ。民間では通用しない者でも、警察組織では重宝するらしい。四法院の目には、哀れみすら滲んでいるようだった。

 その視線に気付かず、まだ喋っている。


「御堂さんは優秀だ。人望もある。だが、私を恐れ、陥れようとするとは・・・・・・。上層部とのコネが無いからといって、これほど露骨な手に出るとは思わなかった」


 四法院は呆れ顔をして、僕が訂正した。


「そんなことは、無いと思いますが・・・・・・」

「御堂さんに言っておいてもらおう。それほど追い落としたいなら、私にも考えがあると」


 上月というキャリアは、そういって出て行ってしまった。

 四法院は不快そうに見送ると、窓を開けて換気を始めた。澱んでいる空気を換気したいのだろう。


「あの手の人間って、居なくならないもんかね?」

「同感。でも、あれと比べれば、御堂がどれほど素晴らしいな人間が分かるよ」

「それは、あまりに比較対象物が悪過ぎる。御堂で普通だ。音痴の人間と比べれば、音大出の凡人が天才に思えるだろう。御堂は当たり前のことをごく当たり前にしているだけだ」


 四法院が言った。だが、当たり前のことを当たり前に出来ない世の中なのだ。そうする覚悟があるだけ、どれだけ賞賛に値することか・・・・・・。

 自分は、比較的自由度の高い塾の講師だが、それでも最近は、締め付けが厳しい。結果的平等という不平等。その意識を微量だが、学習塾にまで持ち込む親がいる。塾という場所が、どういう場所なのか分かっていないのだ。

 人材を有効に使う。少なくとも御堂には、そんな当たり前の姿勢が見られる。普通であれば、僕らに協力を求めることなど出来ることではない。

 四法院は、ポケットに入れておいた綿棒を取り出して、耳かきを始めた。目を細めて、小快楽に浸っている顔をしている。そして、聞こえるか聞こえないかという声で呟いた。


「政治力の予防線でも張っておくかな・・・・・・」


 使い終わった綿棒をゴミ箱に放ると、携帯電話を取り出した。


「悪い。谷元に電話してくる」


 そう言うと、いそいそと外に出ていった。

 谷元君とは、僕以外に四法院を理解する友人だ。衆議院議員の秘書をしていて、なかなかのやり手だそうだ。本人は、将来を見据えて、計画的に動いているらしい。

 谷元君が政治を語るのに、四法院は丁度良い相手のようで、突飛な政治手腕を口にして、様々な方面での情報知識も豊富だ。要は、僕では政治知識が足りず、役者不足なのだ。

 谷元君と四法院は、政治的思考は近いらしく笑顔で話す光景を良く見る。

 何の用があるのか気にはなったが、今は捜査資料を処理することにした。



        二



 御堂が現れたのは、夜も深け始めた頃だった。


「四法院、永都、朗報だ」


 表情の変化はそれ程見られないが、声の高さが半音上がっていた。


「何か突破口が見つかったんだね」


 僕が言うと、御堂は肯定した。そのまま話し出そうとする御堂を止める。


「話すのをちょっと待ってくれ、僕は四法院から御堂君へ耳打ちしたことを教えて貰ってない。そこから教えてくれないか」


 御堂は、四法院に苦情の視線を向けて、説明から話してくれた。


「あの時、私はコイツから村中について、何を調べるかいくつかキーワードのようなものを耳打ちされた」


 四法院がそうだと言う様に頷く。


「交友関係では、世間話ができる関係。車を所有している人間。場所では、空港や港」


 御堂は続ける。


「捜査は、村中、橋野、両名の知人関係まで拡大した。車を持っていたのは七十名程。皆、村中には貸していないらしい」

「だろうな。そこまでは調書の通りだ」


 四法院が口を挟んだ。

 僕は、四法院の態度が分からず、嘴をつっこむ。


「だったら、進展してないじゃないか。車を借りないと、犯行日には使えないじゃないか」

「そこで、犯行日に遠出をした人間を調べさせた。旅行、出張、家を空けた人間を調べさせた」


 おぼろげながらNシステムの欺き方が見えてきた。

 犯行日に旅行をしている車の持ち主なら、盗難届けを出せない。だから、長期旅行している人間の車なら、犯行後に返しておけばいいんだ。


「だから、空港や港なんだな。鍵を盗んで、合鍵を作る。それから、犯行日に車を勝手に使ったってことか?」

「違う、違う。それだとリスクが大きい。車の所有者は、以外に車内の変化に敏感だし、何より致命的なのは、走行距離が証拠として残る。それを気にしなかったとしても、近所の人間が、その日に車が無いのを確認していれば終わりだ」

「じゃ、どうするんだい?」


 さっさと答えを言わない四法院に、ゆるく突っ掛かった。

 四法院は、導くように話しだした。


「もっと簡単で、リスクが少なく、証拠も残さない。そんな方法があるだろう?」

「他人の車は使わず、警視庁のNシステムを騙す。近隣住民にも気付かれず、盗難届けが出せない方法・・・・・・」


 呟きながら考える。

 四法院が、御堂に尋ねる。


「犯行日に家を空けた人間に、車カバーをしているのはいたのか?」

「二人だ」


 この会話はヒントだ。車カバーで、犯人の策が見えた。


「解った。車の所有者が、長期旅行中に車のナンバープレートだけを借りたんだ。そうすればNシステムを欺け、車にまったく変化は無い」

「御明察」


 四法院はさらっと言った。そして、説明を付け加える。


「ナンバープレートなんて、溶接してあるわけじゃない。レンチやスパナで簡単に取り外せる。車カバーがしてあれば、誰も捲ってナンバーを確認しようとは思わない。仮にカバーが無くても、ナンバーを交換しておけば、気にする者はいないだろう。持ち主も車内の変化には敏感でも、ナンバープレートの極微細な傷なんて気付かないだろう」


 確かに四法院の言う通りだった。

 御堂が咳払いをして、話を先に進める。


「そこで、犯行日に車を使わない者を調べ上げた。すると、一週間、国内の温泉地で養生していた老夫婦、五日間海外旅行をした若夫婦、三日間出張だった会社員がいた」


 僕も、四法院も、既にどの車のナンバープレートを使ったか見えていた。国内にいれば、なにか急用があれば車を使うかも知れない。だが、海外なら国内よりも行動の自由は無いのだ。

 御堂も、その夫婦のナンバーをNシステムに打ち込んだんだろう。


「で、もう調べたんだろう?」


 その問いに御堂は、無表情だった。


「あぁ、ヒットした。その日、所有者は海外にいる筈の車が、上信越道を下っている」

「おそらく村中だな」


 四法院が、悩む表情をした。


「どうしたんだい?せっかく犯人の策を見破ったのに喜んでないじゃないか?」

「これからが問題だ」


 言ったのは、御堂だった。


「どういう意味だ?」

「証拠がない。事件発生直後ならナンバープレートの指紋、足取りから現場への聞き込みも可能だ。だが時間が経ち過ぎている。ナンバープレートを直接手で触れてたとしても、既に五年近く経過している。洗車くらいしているだろうし、そうでなくても風雨や泥で消されているだろう」


 車内に入っていれば、髪の毛一本、指紋一つでも残っている可能性がある。だが、プレートだけしか触れていないだろう。そういった意味では、虚偽の自供をして巧妙に時間を稼いだとも言える。


「村中を締め上げるか?」

「無駄だよ」


 四法院が、こめかみを指先で掻きながら言った。

 調書では、村中は嵌められたことになっていて、警察への協力的な態度も裁判で評価され、減刑されている。それでも薬物の前科を考慮され、懲役四年三ヶ月の実刑判決を受けていた。


「と言うことは」


 思考を声に出していた。


「既に、釈放されている」


 四法院が答えた。その声に、御堂は頷いた。


「村中は?」

「釈放後姿を消している。今、捜査員が全力で行方を追っている」


 その言葉に、閉塞感を覚えた。最悪の事態が脳裏をよぎった。


「消されているかも知れない・・・・・・」


 僕の言葉に、場の空気が重くなっていくのを感じた。


「四法院、村中の行方は分からないのかい?」

「さすがに、そこまでは・・・・・・。俺は、超能力者でもなければ、霊能者でもない。刑事の足に頼るしかない」

「でも、調べる方向性くらい分かるだろう?」

「釈放後の金の流れくらいじゃないか・・・・・・。それと携帯電話から、ある程度の足取りは分かる。でも、そんなことは御堂もやっているだろう」


 御堂に視線を向けると、当然だと云わんばかりの顔をしている。

 四法院が、どう思っているか分からない。

だが、自分は考えざるを得ない。村中の行方を。

 それ如何によって、今後の捜査の展開が変わってくる。いや、既に変わっていると言っていい。

 当時二十六歳の村中青年に、複数の偽造した物証、Nシステムの構造の熟知、虚偽の自供による捜査攪乱。それらによって、物取りという短絡的な犯行が崩れ、真の目的が見えなくなった。

 そして、村中の背後に黒幕の存在を知るに十分だ。

 村中が殺害されている場合、間違いなく黒幕に消されたと判断していいだろう。


「黒幕・・・・・・」


 閃きの様なモノが脳を駆け巡った。

 天野尚司。この人物と繋がれば、二つの事件は解決する。どちらの事件にしても、動機が問題になるのだが、ここまで来れば天野との関連を調べるだけだ。


「あの、四法院」

「御堂」


 四法院に話し掛けようとした時、四法院が御堂を呼んだ。


「御堂。覚悟を聞きたい」


 四法院の言っている覚悟が、何を指しているか分からない。御堂を見たが、御堂も思考中のようだ。


「どういうことだ?事件は解決する。犯人は確保する。それ以外に、どんな覚悟が必要だ?」


 その答えに、四法院が一笑した後、すぐにこちらを見た。


「永都、君もこれ以上介入するには、覚悟が必要だ」

「突然、なんだい?僕も退かないよ」


 四法院は、何でそんなに深刻な顔をしているのか理解できないでいた。


「事の深刻さが解ってないな。いいかい。死刑囚が法務省管轄の施設で殺害された。それだけでも大失態だが、その死刑囚が無罪だと分かった。法務省の失態、警察庁の失態、検察、裁判官それら全てが共謀し闇に葬る可能性がある」

「まさか、そんなこと・・・・・・」


 僕は笑い飛ばそうと、御堂に同意を求めるべく視線を送った。取り越し苦労に、御堂も笑っているだろうと思ったが、その顔に笑みはなかった。


「おいおい、御堂まで………」


 警察官僚の御堂は黙していた。

 四法院が、独り言として話し出す。


「小学生の頃だった。夏休み前に友人から、『海に行かないほうがいい』と言われた。『なんで?』と聞き返したら、『北朝鮮に拉致されるらしいよ』と教えてくれた。当時の俺は、『そんなことしたら、いくら弱腰の日本だって黙ってないよ。戦争になるじゃないか』と言い返した。だが、真実は言わずもがなだ。政治家からすれば、高度な政治判断と言うかも知れないが、目先の利益の為に国としての姿勢を崩した。今回は、役人の保身がかかっている。それら関係省庁すべてを敵にするかも知れない。裏で通じ、連携されれば捜査自体を潰されかねない。それだけじゃない。いざとなれば、国家が敵になる。それでも真実を暴く覚悟だ」


 確かに四法院の言う通りだ。冤罪の上に、死刑判決。その上、命を管理している場所で殺害されている。事ここに至っては、死者の名誉よりも死者に全てを背負わせて、闇に葬れば誰も傷つかないのだ。

 薬害で、厚生省がとった不誠実極まりない行動が、何よりも役所という場所の性質を露にしたのだ。

 僕は、口の中に溜まった唾を飲み込んだ。

 役所をはじめ、各方面からの露骨な嫌がらせ、そんなことがあるかも知れない。


「僕は一人者だし、今の職場を首になってもどうということは無い。給料も安いし、転職を考えていたところだ。問題ない」


 あっけなく結論に達すると、御堂を見た。御堂は、まだ考えている。

 御堂は、警察官僚だ。組織に盾突けば出世の道は断たれる。これまでのキャリアも棒にすることになる。

 いつになく、慎重に考えているようだ。それ程、長く考えていた訳ではないが、長く感じる。

 御堂の瞳に、決意の光が帯びた。


「分かった。私も腹を括ろう。だが、表向きは河野の冤罪は隠す。そして、証拠が揃い、明るみに出せる環境が整うまで絶対に極秘だ」

「警視庁の上層部にも隠せるのか?」

「報告書は小マメに上げていれば問題ない。幸いNに関しては、私しか知らない」

「コイツ、保険を掛けて来たな・・・・・・」


 四法院が、御堂に喰えない奴だという意図の口調を使った。

 こういう時、御堂の本能というべき感が冴える。自己の利益に関する情報操作、切り札、そういう事に関して、御堂ほど能力のある人物もそうはいない。

 決意をした御堂が、静かだが強さを感じる口調で声を出す。


「いいか。これから私は、捜査と平行して環境作りをする。それまで、絶対に洩らすなよ」


 御堂から殺意に近しい重い言葉が発せられた。

 四法院がどう判断しているのか、それはわからない。だが、この事件は個人の範囲を遥かに超えているように思えた。実行は、一人で全て可能だ。しかし、村中が老夫婦の僅かな金を奪う為だけのことにしては、芸が込み入っていてその意図も不明だ。だからこそ、誰かの意を受けての行動だとしか取れない。

 黒幕がいることは判った。だが、それに迫るためには、身内、潜在的な敵を抑えないといけない。行動の自由は、真犯人へ迫るための必須条件なのだ。

 永都は、自分の目の前に立つ二人を見て笑みを浮かべた。四法院が持つ能力の全てを駆使し、御堂の得ている権限と地位が統合する。二人の歴史を知っている永都からすれば、それは、驚くべきことであった。

 自分は、歴史的な瞬間に立ち会っているのかもしれない、そう感じていた。



        三



 四法院と御堂の同盟が成立した翌日。いや、同盟の言葉は正しくない。連携、提携、共闘、信約、どれもしっくり来ない。

 適切な言葉は、利害の一致だろうな。

 ともかく、劇的な関係改善が図られた翌日だ。

 僕と四法院は、裁判資料に埋もれていた。

 難解な文章に、役人特有の文体。警察資料も難解ではあったが、これよりは幾分取っ付き易く面白味があった。だが、法廷の資料は、あまりに距離のある言葉、文言で書かれていた。

 向かいでは四法院が、目をしょぼしょぼさせ読んでいる。


「ひどい純文学の小説を読んでいるようだ」


 そう言って、資料を投げるように机に置いた。


「文学作品と法廷資料を同一視するのもどうだろう?」

「名作と法廷資料に失礼だったな。それでも、冤罪の裁判資料だ。無罪の人間を死刑にしておいて、検察も裁判官も偉そうなもんだぞ。無罪を見抜けない知性で、この主文。上から見下すこと見下すこと。思考停止の証拠じゃないか」


 四法院の言は、的を射ている。だが、裁判官は探偵ではない。捜査権も無いだろう。たとえ不自然に思ったとしても、動くような人種ではない。あくまで、罪を犯した者を裁くのが仕事であり、一定の規定に沿って量刑を判断する秤なのだ。

 ま、裁判官にも言い分があるだろうが、今回は失態に違いない。

 四法院を見ると、だらけきった態度で資料を捲っている。


「四法院、もっと真剣に取り組んだらどうなんだ。御堂も腹を括って、一課の刑事さんたちも全様解明に駆けずり回ってるんだ」

「永都、一課の刑事さんたちの評価については、異論はない。だが、御堂はどうかな?」

「何を言ってるんだ。確かに御堂は、官僚的だ。だが、それも自己の栄達が、他者の利になっていると思えばこそじゃないか。彼は、少なくとも自分だけが得するようには動かないよ」


 高校時代の思い出が蘇った。

 僕たちが学生のころは、まだ教師たちが地位を保っていた。自分の世代が、教師が強権を揮えた最後の時だっただろう。授業は単調、生徒には無関心、能力は全体的に欠落していた。特に、体育教師の質は悪かった。

 教えは軍国主義的で、説明は非論理的で、態度はどこまでも威圧的だった。

 偏差値教育の広がりで、只でさえ軽視される体育教師の価値と立場がさらに削られたのかもしれない。その不満や鬱積を生徒たちにぶつける事で解消していたのだろう。

 特に、四法院は目をつけられやすかった。知識は教師と同等か、それ以上に持っている。喋り方は、酷く攻撃的だが、口から出るのは正論だった。それゆえ、口の立たない体育教員から評価は惨憺たるものだった。

 当時の四法院の性格は、非常に義理堅く、責任感が強いのだか、恩は恩、仇は仇で返すところまでも責任の範囲内だった。その性質も教員との不和を助長した結果でもあった。

 全教師の顔を思い浮かべても、上から見下す人間ばかりで、正常な人間関係を形成しようとする教員はいなかった。強制と詰め込み、それこそ教育であると思っているような輩ばかりだった。その成果が、生徒たちに忍耐と従順さになって顕れる、と蒙昧に信じているようだ。

 そんな教員たちの間では、四法院は問題児以外の何者でもなく、毎朝のように職員会議で名前が挙がるほどだった。

 教職員室にプリントを取りに向かっていたときだった。

 いつも名を出すのは体育教師だった。


「あいつを停学とか出来ないんですか?」


 四十代半ばの反清潔感の漂う体育教師だった。


「そうは言っても、四法院君は口答えするが、それ自体は、停学に抵触しないですからね。暴力でもあれば別ですが」


 発言者は、教頭だった。


「しかし、あの物言いは、学校の秩序、教師の威厳に傷を付けておるのです」


 その言葉に、定年間際の白髪の体育教師が頷いた。

 英語と数学の教師も四法院への不快感を表した。庇うだろうと思っていた担任は、肯定するように無言だった。

 どうやら、教師の不満の捌け口に四法院が使われている、そんな気さえした。

 立ち聞きばかりもしていられないので、一呼吸して姿勢を正した。

 ノックをした。


「失礼致します」


 形式だけの言葉を使い入室する。担任からプリントの束を渡され、急いで四法院の元へ向かった。

 教卓にプリントを置くと、四法院を探した。クラスに居ないのが判り、ベランダを見るとコンクリートに横たわり日向ぼっこをしている姿が見えた。


「四法院、なんでこんなところで寝てるんだよ」

「な・・・・・・に・・・・・・?」


 四法院は目も開けることなく、無気力な返事をするだけだ。


「体育教師のアイツ、君の事を職員会議で話題にしてたぞ。いったい、何をしたんだ?」

「何も」


 四法院はコンクリートの床に寝転んだままだ。


「何もないところに、煙は立たないぞ」


 そう言うと、面倒臭そうに起き上がり、大きなあくびをして聞き返してきた。


「どの事、言ってたの?」

「思い浮かばない程、沢山あるのかい?」

「いくつからが沢山なんだ?」


 いつまでも本題に入らない四法院に、決定的な言葉を言った。


「記憶にあるものから、言ってみなよ?」


 少し悩んだ顔をして、四法院は話し始めた。


「ん~。そうだな。徹夜で本を読んだから、体育の授業を休みたかったんだ。内容が水泳でもあったしな」


 永都は相槌すら打つことなく、静かに聴いている。


「で、あの軍国主義者は、俺に体調の悪い証拠を見せろと言ったんだ」

「で、君が大人しく言うことを聞くわけがない。何て言ったんだ?」

「これから病院へ行ってきます、と」


 仮病だと判っていても、そう言われれば返事に窮する。病院への診断許可を出せば、次の授業にも差し障る。


「で?」

「アイツは、『病院に行かなくていい。体調が悪くなってから、休めばいい』と言ったんだ」


 筋肉教師も意外と頑張る。


「先生。俺は、体調が悪いから休みたいと言ったんですが?」


 挑戦的な口調だった。


「まさか、その口調で言ったのかい?」

「あぁ」

「で、それで?」

「こう続けた。先生と呼ばれる身分になると、何でも出来るんですね。医師でもないのに、医療診断も可能になるらしい。では、センセイ。ワタシが不調を訴えているにもかかわらず、センセイ個人の判断によって強制的に運動をさせたということを、書面にしておきたい、可能であれば校長の捺印と共にね。当然、センセイと呼ばれる身分なら容易いでしょう」


 教師が、そんな書面を作る訳がない。所詮、教員になる人物など保守的な人間が多い。自分の墓穴になるような行為をする筈がない。

 その文句は、効果的だが、絶対的な敵を作る。ここまで言う生徒は、四法院くらいだろう。


「それで終わりかい?」

「いや、無言だったから、追撃を加えておいた。こんな風に、先生と云われる身から犯罪者になるんでしょうね。医師、弁護士、代議士センセイのようにね。ちなみに、医師免許がない人間が、医師のふりをして診断すれば医師法違反ですよ」

「もう、何も云えないな。で、アノ教師はどう言ったの?」

「勝手にしろ!」


 だろうな。

 そう言えば、前々回の体育の授業で、軍隊訓練のような行進をさせられたときも、途中で帰ったことを聞いた。

 次から次へと、四法院と教師の戦歴を聞いて、教師には堪らない生徒だと云う事は理解できた。

 そんな時、暴力事件が起きた。

 出来損ないというのは、どの学校にもいる。その出来損ないの生徒が、至極短絡的な思考で暴力と破壊行為へ行動を移したのだ。

 構内で最も下劣な教師二名が、狙われたのだ。体育教師の車は分解、破壊され、英語教師は闇討ちされた。

 それは大きな問題になり、全校生徒の前で犯人探しが始まった。

 当然、見つかる筈もない。

 教員は、落ちこぼれグループの中の数人だと判りながらも、感情的に四法院を含めて、辞めさせたかったようだ。

 体育教師を筆頭に、英語、国語の教師が続いてその方針を支持した。皆、落ちこぼれよりも、四法院のことを数倍嫌っている。

 初めのうちは、落ちこぼれの生徒たちも巧く隠していたが、日がたつに連れて気が緩み、校内で吹聴するようになった。教師たちは、自分たちに弓引いた生徒たちを個々に呼び出して脅した。退学処分を始め、無期停学、留年などをチラつかせた。退学になればどうなるか、いくら不出来な生徒でもそこは進学校だ。わが身は可愛い。

 難なく四法院も共犯に加え、計画を立てた主犯も四法院になっていた。

  何も知らない四法院が、生徒指導室に呼び出され、捏造証言で断罪された。

 冷ややかな視線を向けた四法院だが、教師四人の偽証は予想以上に厚く、どう反論しても覆せなかった。

 四法院は、苛立っていた。教員の反撃を予想していたが、まさかここまでひどい冤罪でゴリ押ししてくるとは予想外だったのだろう。

 その時、僕は四法院を救うべく動いた。そして、助けてくれたのが御堂だった。

 御堂は、自身の絶大な信頼と信望を最大限に活用してくれた。

 事態は、四法院と実際の主犯を退学処分。他を無期停学で決着しようとしていた。

 御堂は永都を連れ、自分たちも共犯だと名乗り出たのだ。校内一位。歴代でも確実に上位を争うほどの優秀な生徒が、名乗りを上げたことに校長を始め教員に激震が走った。

 教師は、生徒を庇う御堂を評価しつつも、発言を退けようとした。

 その教師たちの対応に、御堂は堂々と言った。


「私は、その日のその時刻。永都と居ました」


 犯行時刻に四法院は永都と居たことを証言している。そして、御堂は永都と居たと証言したのだ。

 間接的に、四法院は無罪であり、無関係だと言ったに過ぎない。そして、こう続ける。


「四法院だけ退学処分にして、自分が処分を免れるのは、正義感の強い父なら許さないでしょう」


 教師一同に、御堂の父の職業が検事ということを思い出した。各方面にこの火災が飛び火することを恐れ、校長が事件そのものを消した。

 それが、御堂と四法院の腐れ縁の始まりだった。その後、御堂に四法院のことを聞くと知っていたらしく、話してみたかったらしい。四法院は、優等生には関心が無さそうだったが、無難な態度で接していた。御堂のお陰で、いくぶん学校生活を送り易くなったのは、紛れも無い事実なのだ。

 それなのに四法院は、御堂の決意を信じていない。僕は、当時のことを出した。


「あの時だって、利益がないのに動いたじゃないか。今回だって、信じていいんじゃないか?」


 四法院は、すこし考えて反論した。


「いいか。あの時、結果的にどうなった?御堂は、教師の弱みを握り、生徒をまとめ、学校を牛耳る結果になったじゃないか」

「それは結果論だろ。君を助けた事には変わりはない。君を助けるよりも、見捨てたほうが遥かに楽なんだ。今回も同じだろう?」


 いつも考えすぎの感がある四法院に、人の厚意と気遣いは素直に受け取るものだと教える。

 だが、返ってきた言葉は四法院らしいものだった。


「永都。キミは、素直で純真で単純でいい。羨ましいほどだ。キミがそこまで言うなら、今回の御堂の行動で判断しよう」


 そして、俺は用心深いんだ、と付け加えた。

 四法院は、再び裁判資料を手に取ると読み始めた。

 室内に、長閑な空気が流れ始める。

 お互いの耳には、書類を捲る紙の音だけが聞こえていた。



ここまで読んで頂きありがとうございます。


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