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四法院の事件簿 1    作者: 高天原 綾女
3/12

二章 名探偵捕獲

        一



 勤務先の電話が鳴ったのは、午前九時半を過ぎたところだっただろうか。

 電話を取った塾長は、取った直後、旧式のロボットのような動きに変わった。

 「ハイ」という言葉を連発し、受話器のマイク部分を手で押さえ、こちらを向くと小声で呟いた。


「永都先生。お電話です」


 塾長のしわがれた声は、ひどく聴き難かったが、約二年の勤務年数を経て完全に理解できるようになっていた。


「どちらからですか?」


 声を出さずに、口だけ動かす。そして、目線で問い掛けた。


「ケ、イ、シ、チョ、ウ」

「御堂か………」


 呟くと、塾長に謝意を伝え、差し出された受話器を受け取った。


《仕事中に悪いな》


 自信に満ちた声だ。この声を聞くと学生時代の記憶が蘇る。


「どうした?警察官僚は、友人の職場に電話を掛けるほど暇なのか?」


 第一声で皮肉を言うと御堂は鼻で笑った。

 背後に邪念を感じ、後ろを見ると塾長が聞き耳を立てていた。

 僕は頭を掻き、塾長と少し距離を取り、口を開いた。


「で、何の用なんだ?」

《厄介な事件が起きた。至急来てくれないか》

「これからか?」

《至急という意味が、俺の認識で間違ってなければなだが?》


 辞書によれば、『至急』とは、非常に急ぐ、と云う意だ。そんなことは辞書を見るまでもない。それにしても不躾な物言いだ。普段の御堂からは想像できない。そこまで考慮したとしても、即答はできなかった。

 僕は無難な言葉を口にした。


「それは、さすがに・・・・・・」


 また頭を掻いた。何気ない動作だったが、塾長の熱い視線が突き刺さる。

 受話器からは、禍々しいまでの無言の圧力が発せられている。


「わかった。わかったよ。一応、上司の許可が要るんだ。駄目な時は連絡する」


 一息吐いた。


「で、どこに行けばいいのかな?」

《東京拘置所だ》

「は?悪い。もう一度言ってくれ」


 訊き返すと同じ口調で御堂が答える。


《東京拘置所だ。小菅の》

「東京拘置所?拘置所で間違いないのか?わかった、急いで向かう」

《ところで、四法院は何処にいる?》

「四法院?なんか新宿の大型雑貨店でバイトだって言ってたな………」

《あの区役所付近のか?》

「ああ、あそこだ」


 電話を切ると、塾長がワザとらしく近づいてきた。


「永都先生、何か用事かね?」


 塾長は後ろに手を回し、胸を張ってワザとらしく現れた。


「塾長、申し訳ありません。警視庁の友人から捜査協力を申し込まれました」

「ほうほう。それは仕方ないね」


 給料を払っているのに、警察に人材を使われているにもかかわらず、塾長から文句は出てこなかった。


「よろしいのですか?」

「良いも悪いも、警察に協力するのは市民の義務ですよ。それに、当塾から、警察に協力を求められるほどの人材がいるのは自慢でもあります」


 なるほど、そういう事か。自分を看板にでもする気なのだろう。『豊富な知識で、警視庁に協力する講師が在籍』なんてチラシに書かれたら興醒めだ。


「塾長。言っておきますが、捜査に関することは教えられませんよ。機密情報ですから」

「わ、わかっておるよ。前回と同じことを言わなくても」


 塾長は憮然として答えた。


「わかって貰っていると思いますが、私が協力していることは、生徒だけでなく、他の講師にも内密にお願いします」


 釘を刺され、塾長は苦々しい顔をしていた。

 教室から他講師の講義が聞こえる。

 最近の塾は酷いものだ。少子化による影響もあり、優秀な子は大手の塾へ取られてしまう。

 経済的に余裕のある家庭は、教育費に糸目をつけない。だが、うちのような中規模の塾には、中産階級の子供が集まっていた。

 その為か、うちのような塾は経営的には苦しそうだ。

 自分は、数学、化学などを教えているが、生徒の出来に差がありすぎて講義どころではない。

 基礎も理解いない子も居れば、一人だけ優秀な子もいたりする。だが、大方は躾すら身についていない生徒が多い。

 その親たちは、最低限の躾より、最低限の学力を身に着けさせたいらしい。その考えにもついていけないが、教わる姿勢が身に付いていない人間に学力が身につく訳がない。

 こんな時、大手塾の細かなクラス分けなどの効率性などは羨ましい限りだ。

 こんな自分でも、先生と呼ばれる身分なのだが、正直、給料は良くない。更に、待遇も良くない。もっと言えば、人間関係も良くないのだ。


「こんなんじゃ、結婚も出来ないな・・・・・・」


 ため息に込めるように呟いた。


「結婚?結婚詐欺かね?それとも、偽装結婚が関係あるのか?」


 塾長は、見当違いの事を言いながら、こちらをじっと見ていた。

 塾長の中では、自分はどこぞの名探偵のように、華麗に事件を解決していると思い込んでいるようだ。だが、実態はまったく違う。

 正確に言えば、お守りなのだ。探偵もどきをしているのは、僕の友人で、自分はその付き人に過ぎない。

 なぜ自分なのかといえば、友人の四法院は極度な人間嫌いで気難しい。能力的には非常に優秀な部類に入ると思うのだが、本人には独自の哲学だの主義のようなものがあり、度々、他人と衝突を繰り返す。いまは随分と丸くなったが、それでも他人には扱い辛い人物のようだ。

 四法院が、難しい顔をしている姿が浮かんだ。

 学生の頃から、四法院と御堂は仲が良くなかった。御堂は、記憶力が優れていて要領も良い。四法院は、洞察力がずば抜けていて興味のある分野には優れていたが、人間関係を形成する能力だけは著しく欠けていた。お互いに認めてはいるが、感情的には受け入れられないままでいる。

 四法院は、高卒のままフリーターになった。色々と紆余曲折あり、この体験を本にでも書いて一発当てようか言っているが、現状、生活苦に喘いでいるダメ人間だ。一方、御堂は東大法学部を卒業し、国家公務員Ⅰ種試験に合格して警察庁へ入庁した。出世が生きがいであり、自分は人を使う器だと信じている。

 その二人が、今は対極な人生を歩んでいる。

 だが、四法院がある事件を解決して、二人の人生が再び交わった。

 その出来事とは、僕と四法院がアルバイトを引き受けた場所で殺人事件が起きた。僕は、都合が悪くなり、四法院だけで、バイトに向かった。そして四法院が、容疑者として疑われたのだ。理由は、定職に就いていないという一方的な偏見であった。

 取調べは、悲惨の一言だった。こうして冤罪が作られる。その過程を、まざまざと見せられたのだ。四法院が何を言っても、聞き入れられなかった。警察組織のあまりにヒドイ実態に呆れ、自分の身の潔白は自分で晴らすべく行動したのだ。

 それは、あまりに鮮やかな探偵四法院の登場であった。

 その手腕を御堂は知り、難事件には四法院を利用した。四法院を使うことで、国民には益を、そして自分の出世にもなり、四法院自身には金銭で報いる。正に、一石三鳥なのだ。

 こうして自分は、両者の緩衝材という一番割に合わない役割なのだ。


「よし」


 荷物をまとめ、ネクタイを緩めた。


「塾長すみませんが、失礼させて戴きます」

「おっ、がんばってきな」


 塾長は、右手を軽く上げた。


「来週の数学の講義はやりますので」

「お願いしますね」


 塾長の卑下た顔が不快だった。上に弱く、下に強い。発言はコロコロ変わり、方針も同じくらいよく変わる。朝礼暮改という四字熟語よりも転換の頻度は多い。

 何しろ自分を見下していたにも拘らず、警察官僚の友人がいると判ると、もみ手をして卑屈な態度に変わったのだ。どうせ下種な考えでもあるのだろう。

 それ以来、よく酒を飲みに誘われるが、一度行って懲りた。塾長の口から出るのは、仕事の話、それに纏わる褒め殺しだった。

 こんな男だが、これでも結婚していて、子供が二人いるらしい。

 子供が、父親に似ないこと願うばかりである。

 不敵な笑みを絶やさない塾長を無視した。

 鞄を持ち、書類の入った封筒を抱えると、車の鍵を手に出て行った。



        二



 汚れたコンクリート塀。その塀が、都心に造られた拘置所と住宅街を隔絶するようにそびえていた。

 まさに監獄という雰囲気を醸し出している。

 閉ざされた正門を見る。今は使っていないらしく、扉は堅く閉じられ、壁面には風雨の汚れが見える。壁の上には鉄条網がある。

 そして、広めの門が見えた。あれが、現在の正門らしい。

 入り口に警備の人間と傍に警察官が立っていた。

 僕は、車で近づき車窓を開けて声を掛けた。

 警備の方が近づいてきてくれる。事情を話すと、責任者に連絡を取ってくれ、中へ案内された。

 無機質な館内。家や職場の建物とは違い、感情や思想なんてものは感じられない。単なる箱という感じだ。

 建物の中に入ると、叫び声が聞こえてきた。


「ふざけるな!」


 四法院の声だ。速足で声のする部屋へ向かう。

 入った部屋は簡素だった。

 室内には、折りたたみの机と数個の折りたたみ椅子が置かれている。

 その机を挟んで、御堂と四法院が睨み合っていた。

 僕は室内に入ると、声を掛けた。


「どうしたんだい?」


 その声に反応して、四法院がこっちを向いた。


「永都、キミも呼ばれたのか」

「ああ」

「だったら、僕とは仲間だ。君も言ってやれ、この無能な警察官僚に」


 四法院は、怒気を前面に押し出している。


「で、何をそんなに怒っているんだい?」


 四法院に尋ねると、彼は御堂へ鋭い視線を向けた。


「聞いてくれ。俺は、久々に早起きして、午前九時からのバイトに勤しんでいたんだ」


 昼夜逆転の夜行性人間が、午前九時出勤のバイトとは珍しい。


「で?」

「勤務してまだ五日だ。慣れてないんだ。慣れてないのは、仕事の内容じゃなくて、人間関係だけどな」


 四法院が補足するように言った。


「それで何があったんだい?」

「バイトを始めて五日だぞ。まだまだ言いたいことも言えない立場だ。それなのに………」


 四法院が御堂を指差し、そして続ける。


「それなのに、あの野郎はパトカーで警官を寄越すなり、屈強さ以外に取り柄のなさそうな警官二名に俺の両脇を抱えさせ、連行しやがったんだ」


 四法院は御堂をキッと睨んでいる。


「店側へ配慮はなかったのかい?」


 僕が訊いた。


「迎えに行かせた者に事情を説明するように言ってある」


 答えたのは御堂だった。


「それなら、なんの問題もないじゃないか」


 四法院に言うと、顔を左右に振った。


「俺の意思はどうなる?協力するかしないかは、俺の自由だ。それを無理やり連行して、連れて来られたところは拘置所だ。不愉快以外の何ものでもない」


 四法院は机に掌を叩き付け、何度も自分の感情を口にした。


「こうなったら、仕方ないじゃないか。捜査に協力して、事件を解決するしかないだろう」

「永都、おまえ物分りが良過ぎるぞ。お前のような人間が、議員たちが国会で勝手に増税を議決しても、仕方がないって払うんだ」

「そんなこと言われてもな~。仕方ないだろう。議員を選んだのは国民だ」

「そんなことはない。国民に出血を求めるんだ。だったら、議員の数を減らすなり、報酬を減らすなりすればいい」

「おいおい。論点がズレてるぞ」


 御堂が割って入り、話を止めた。


「でも、ここは拘置所の中だ。文句を言っても、出れないと思うよ。ここは話だけでも聞くのが得策だよ」


 四法院に反論はなかった。


「捜査協力費または、情報提供謝礼として金も出そう」


 それは御堂の妥協案だった。


「当たり前だ。俺は、バイトから無理やり連れ出されたんだ。日給の補填に加え、報酬も貰うぞ」

「いいだろう」


 四法院の喧嘩腰の口調を、御堂は余裕の表情で答えた。

 四法院と御堂の和解が成立したようだ。


「では、こっちに来てくれ」


 御堂が、歩き出した。そして、事件概要を説明し始める。


「死刑囚が死んだ。首を吊って」

「死刑囚だから、死ぬのは当たり前じゃないか。それに日本は、絞首刑なんだから首吊りだろ?別に変じゃないだろう」


 僕が答えた。


「違う。独房内で首を吊って死んだんだ」

「なるほど。でも、死刑が決まっていたのに、同じ死に方で死ぬのは何の意味があるんだろうか?まさか、十三階段を上りたくないって理由じゃないだろう?」


 僕は素朴な疑問を聞いた。


「違う。これを見てくれ。非定型縊死だそうだ」


 御堂から現場写真を数枚渡された。

 被害者を後ろから撮影している写真だ。

 若い男が、壁に向かい膝を折って床に座っている。

 姿勢は、うな垂れ、その首には紐が巻きついている。


(これが首吊りなのか?)


 それは、あまりに妙な体勢だ。座ったままでは、どう考えても首を吊れる姿勢ではないのだ。

 次の写真を見る。男の顔は鬱血していて、腫れ上がっている。

 そんな表情でも、自分たちよりも若いことが判る。まだ二十代だろう。

 御堂から、非定型縊死についての説明を受ける。

 これでも十分に死ぬ事は可能だということだ。人間とは、意外に簡単に死ぬものらしい。

 自分は、その説明を驚きながら聞いていたが、四法院は知っていたらしく無反応だった。

 さらに、次の写真に視線を落とした。


「これは?」


 両胸には刺し傷があり、左胸にはボールペンが刺さっていた。

 その傷はあまりにも不自然で、縊死とは無関係であり、明らかに他者につけられた傷だった。

 僕は思考の結果として、首吊りは自殺を偽装したものだと結論付けた。

 すべての写真を見終わり、四法院に渡した。

 受け取った四法院は、首を傾げながら写真を見ている。

 僕の表情から察したのか、御堂が口を開いた。


「そうだ。これは他殺だ」

「しかし、死刑囚だろ?捜査する価値はあるのか?」


 僕は、素直な疑問を口にした。

 疑問に思う所があったのか、沈黙を守っていた四法院が口を開いた。


「それは違う。国家が管理する施設で殺人が起こったんだ。しかも、場所は拘置所だ。ここは、死刑囚に対して、逃走防止、自殺防止を目的としている。身柄を安全に確保する役目がある。自殺されたってだけでも、矯正監には責任問題だ」

「矯正監って?」


 僕の質問に四法院が答えた。


「刑務所長、拘置所長のことさ。ちなみに、君の発言に間違いがある。現在の処刑台は、十三階段なんて付いてないよ。改良されて、地下絞架式になっているんだ。死刑囚は、約一二〇センチ四方の赤い線で囲った踏板の中心に立つ。その真上には、太さ二センチ、長さ七.五メートルの麻縄の絞縄(こうじょう)が、滑車を通して垂れ下がっているらしい。首を括る輪は黒革で覆われていて、その絞縄を咽喉で締め、さらに両膝を緊縛する。その後、踏板のボタンが押され、床が開くと体が地下に落ちる。死刑囚は、苦しみ、痙攣しながら死んでいく。そのさまは、絶命するまで立会人に見届けられて終了となるんだ」


 説明に聞き入っていた。この建物に処刑場がある。

 知ってはいたが、そこまで詳しくは知らなかった。

 精々、映画などでみる十三階段付の処刑台の映像知識ぐらいだ。


「ところで立会人って?」

「刑務官とか検事とかさ」


 首が締め付けられる感覚がして、指で襟元を緩めた。


「苦しいだろうな・・・・・・」

「苦しいさ。だが、もっと苦しいことが起こることもある」

「なんだい?」

「処刑ミスだよ」


 一瞬、僕は考えた。


「蘇生でもするのかい?二度、殺されるとか?」

「今の時代に、それはない。だが、絞縄の調整ミスで、体重が十分にかからず(くび)の骨が折れないで、絶命するのにかなりの時間がかかることがある。他にも、縄が死刑執行中に切れて、刑務官が直接引き上げ、三十分も吊るされていたことがあったそうだ。もっとも、刑務所、拘置所は認めていないから、真偽はわからないがね」

「やけに詳しいんだな」


 御堂が、意味あり気に感想を言った。


「やがて、その器具を使う奴の為に調べたんだよ」


 四法院は、御堂にキツイ視線を向けて言った。だが、御堂も負けていなかった。


「そうだな。俺が、法務大臣になれば、それを使わないといけなくなるな」


 四法院は、御堂を無視して話し出す。


「死刑とは、国家が管理して行うものだ。だから、死刑囚だからといって、殺しても構わないって事にはならない」


 写真を見ながら、右手を顎に当てて考えている。

 御堂が咳払いをした。


「説明を続けよう。見ての通り、明らかに他殺だ。室内を荒らされた跡はない。荒すと言っても、相手は死刑囚だ。取るものなど何もない。命だけと言ってもいいくらいだ」

「それにしても、陳腐な偽装だな………」


 僕が四法院の代わりに言った。


「場所が場所だけに、犯人を炙り出すのは簡単なんじゃないかな?」

「そうだ。俺も、そう考えた。動機で言えば、犯人に殺された遺族。実行できる可能性を考えれば刑務官だ。だが、遺族に息子がいるんだが、その息子は両親とは疎遠で、そこまでの想いがあるとは思えない。そこで刑務官を取り調べた」


 御堂は自尊心が高いが、それに見合うだけの能力を有している。

 見ているところは見ていて、鼻につく言動はあるが、間違い無く優秀ではある。


「で、疑わしい刑務官がいたってことだね?」

「ああ、三人」

「解決じゃないか。それを絞っていけば、犯人に行き着きそうだ。僕たちの出る幕なんてないよ」

「それほど簡単な事件じゃない。最も怪しい刑務官を取調べていたら、いきなり苦しみだし、泡を吹いて死んだ。拘置所の医師の説明では毒物による中毒死だそうだ。そして他の二人は、シロだった」

「それが、何時の出来事ことなんだい?」

「死亡推定時刻は、四時半から五時半の間。事件発覚が朝六時。我々が到着したのは、その三十分後。刑務官が死んだのが七時過ぎだ。その間、すべてに我々の許可を得て行動してもらった。無論、参考人の口に入る物は、我らが用意した。だが、被疑者は死んでしまった」

「それは、警察の中にも犯人がいるってことかい?」


 永都は、囁く様な小声で聞いた。

 その言葉に御堂は衝撃を受けているようだ。

 身内に共犯がいるとは考えていなかったようだ。

 僅かな間を空けて、御堂が口を開く。


「分からない。実は、被疑者に食べ物はおろか、水分すら与えてないんだ。だが注射針のようなもので、注入したとも考えられる。全ては解剖結果を待つしかない」


 要は、実行犯が殺され、それを計画した黒幕に繋がる糸が切れたように思えた。


「御堂。殺された刑務官の情報は?あるんだろう?」

「あぁ、その刑務官は、莫大な借金があった。現在は借金理由までは分からない。だが、それ絡みだろう」

「負債金額は?」

「約二六〇〇万だ。奥さんとも、その件で離婚している」

「街金や闇金か?」

「数社に渡って借りている」

「たった数社で、そんなに借りられないと思うんだけどな」

「その辺りは調べるさ」


 御堂は、既に指示を与えているようだった。

 御堂が止まると、死んだ死刑囚が使っていた独房へ案内された。

 まだ、現場は保存され、入り口には警官が立っている。



        三



 四法院と共に中に入った。異臭が鼻につく。

 独房は、三畳ほどの広さで、洗面台、便器などがあり、なかなか機能的に出来ている。

 説明では、布団の布を縒って首を吊ったと聞いている。洗面台の排水溝のストレーナーというのだろうか、異物やゴミが流れないように簡単な十字の金属が付けられていた。その金属に紐が括られ、洗面台の淵を頂点に、首まで繋がれていたらしい。

 室内を見渡すと、首を吊れるようなモノは無く、部屋に凹凸すら無い。そう考えれば、ストレーナーに結び付けてあるのはなかなかの知恵である。

 遺体は、司法解剖に回され既に無い。


「それにしても、狭いな………」


 僕が呟くと四法院が答えた。


「いや、なかなか機能的に出来ている。ここに冷蔵庫とテレビとエアコン。ノートパソコンと折りたたみ机を入れれば、俺もココへ入りたいくらいだ。食いっぱぐれる心配だけはないしな」


 四法院は、なぜか嬉しそうだ。


「あのなぁ。それだと刑にならんだろ」

「それは違う。死刑とは、罪に死をもって償うことだ。だから刑務所で服役している他の囚人のような、懲罰的労働は無い。あくまで、ここは死までの仮住まいに過ぎないんだ。だからこそ、その権利はあるような気がするがな………」

「そんな権利があるかっ」


 御堂は、鼻で笑うように否定した。

 四法院は、興味深そうに室内を見回している。


「抵抗した形跡はないな」


 体液だろうか、畳に跡がついている。首吊りの特徴でもある。


「もう十分だ。創作の参考にはなった」


 四法院は、捜査の目で見ていないようだ。御堂を見ると、眉間に皺を作っていた。


「四法院。ここに居させるのは、お前の為じゃない」

「分かってるよ。お前の出世の為だろ。俗物がッ」

「貴様は、まだ社会が分かってないのか。だから、いつまで経っても非正規雇用の仕事しか出来ないんだ。少しは、私を見習ったらどうだ」

「お前から見習う?何を?上司に対しての尻尾の振り方か?それとも、他人の功の横取りの仕方か?」

「私が得たものは、私の力で掴み取ったものだ」


 御堂は、一呼吸置いて続けた。


「そんなことより、どうやって殺したか教えてもらおうか」


 四法院は、電化製品の説明をするような口ぶりで始めた。


「この死に方をするなら、己の意思では不可能だ。自殺なら睡眠導入剤、向精神薬を飲んでの事だろう。他殺でも、薬物を飲ませたうえで、この位置まで運び、首を吊らせる。なぁに、吊る労力は無いんだ。一人でも十分に可能だ。拘置所では、その手の薬はあるはずだ。過去に、それら薬物を溜め込んで、服毒自殺の前例があるしな」

「なるほど。そして、放って置けば勝手に死ぬか」


 御堂が確認するように、部下に聞いた。

 四法院の言うように、河野は不眠と鬱の診断をされ、薬を処方されていた。


「もっとも、河野の知らない所で、勝手に書類に書き込まれている可能性もあるが、まずは信頼できるだろう」

「だったら、胸の傷は何だ?」


 四法院は、黙ったまま答えない。死ぬだけなら、それで十分な筈だ。


「判らないのか?」

「違うな。情報が足りないんだ」


 四法院の苦肉の言葉だった。そこに若手の刑事が現れた。


「失礼致します。御堂管理官」


 後ろから、刑事が話しに割り込んだ。


「なんだ?」

「気になることが判りました。刑務官の水森には借金がありました。様々な会社で借金を作っているようですが、それら全ての会社を辿れば、天野尚司の会社に繋がります」

「天野尚司って?」


 僕は尋ねた。すぐに、四法院を見ると、意外そうな顔をしていた。

 どうやら知らないのは僕だけらしい。

 御堂が説明を始めた。


天野(あまの)尚司(しょうじ)。五十六歳。天納グループCEO(最高経営責任者)。天納グループとは、ファイナンス事業を核とした八つの事業から成っている。かなりあくどい手口で急成長し、今では日本有数の大企業になっている。公表されている個人資産は、推定三〇〇〇億ほどだろうと言われている」


 御堂の後に、四法院が付属説明を加える。


「資産の殆どは有価証券などの動産が占める。都心などに不動産も持つが、法人名義だろうな。金持ち度合いでは、国内十指に入るだろう」


 二人の情報に感心させられていた。そんなに有名なのか、それとも二人の情報が豊富なのか分からなかった。


「参考人として、アポを取り付けよう。お前たちも来い」


 御堂は、車に向かって歩き出した。


「その前に、資料が必要だ」

「今、部下が情報を集めているだろう。以前から天野は、別件でマークしている。それほど時間は掛からないだろう」


 四法院は、納得したようで拘置所外に出ようと独房を後にした。


「あと、事件の情報をまとめたものが欲しい」


 僕のお願いに、御堂は渋々頷いた。

 出口付近に車が回されていた。

 自分は車には疎いのだが、そんな自分でも理解できるほどの高級車だ。車内は、質素だが座り心地は悪くない。

 車で天納グループ本社のある新宿に向かった。日光街道に入った時、御堂のノートパソコンに天野尚司と天納グループの情報が送られてきた。

 さすがキャリアの命令だけあって、欲しい情報がすぐに送られてきた。善良な市民の要請では、こう素早い対応にはならないだろう。

 御堂が先に目を通し、次に四法院、そして自分が目を通した。



 天野尚司。五十六歳。二十七歳で天納グループの前身となる『天野商会』を設立。

 トラック業を初め、好景気の風を受けて倉庫業にも手を広げた。

 順調に利益を出し、金融業にも乗り出した。消費者金融を手始めに莫大な利益を出すと、他社の株と土地に手を出した。

 世は、類稀な好景気。バブルの時期でもあり、土地も株も高騰した。そして、莫大な富を得る。

 そして、神懸かった行動を取った。突如株を放出し、土地も手放した。その二週間後にバブルが弾けた。

 その衝撃は日本全土を席巻し、二年後に土地神話を崩壊させる。

 崩壊は、様々な企業も潰した。それは大企業も例外ではなく、大手銀行ですら巨額の負債を抱える結果になったのだ。

 天野が絶妙なタイミングで売り抜けたことに、大蔵省と金融庁は情報の漏洩を疑った。そして、役人を多数投入するも、確たる証拠は得られなかった。

 バブルが弾けて、優良企業が多額の負債をかかえると、天野は技術のある企業、人材を持つ企業を買い漁った。それは、企業買収と呼べるものではなく、二束三文で引き取ると言うのが正確だろう。買収した企業の主力部署だけを吸収統合し、不採算部門は他者に売り渡したのだ。それから、グループ内を再編して整えると、一流企業と肩を並べるまでに成長した。

 こうして天野は、社名を天納グループに改名すると海外に打って出たのだ。

 その後の天納グループは右肩上がりで成長する。新規参入の有望会社が現れれば、潰しにかかり、それでも業績を上げる新興会社には買収工作で対応した。

 その他のデータは、業績の推移と会社の組織図などが描かれてあった。


 データに目を通して、僕はある事を思い出していた。各メディアの経済欄を騒がせていたのは天納グループだったのだ。自社製品が他者製品に負ける度、資金力にモノをいわせて会社ごと買収したことが報道で話題になっていた。


 『技術を知らぬ成金が、技術を買い叩く』


 新聞・雑誌の紙面では、このように書かれていた。

 会社の成長を見ると、天野尚司という人物は類まれな強運の持ち主であるようだ。もっとも経営感覚は優れており、金の使い方も知っている。これだけの資料で、政治力の重要性が骨身に沁みているように感じた。

 天野という人物に一つだけ、僕は違和感を覚えた。その疑問も四法院にぶつけてみた。


「社員や、労働者からの不満は聞こえないが、無いのかい?」

「それが無いんだ。他社からの恨みは多いが、社員や部下からは聞かない。もちろん何人か、そういった人物はいるが、大半の社員は社長を守ろうとしている」

「人徳があるのかな………?」


 そう呟くと、御堂が訂正した。


「利益の間違いだろう。あれだけのワンマンで、絶大な財務権と人事権を持っているんだ。逆らえるわけもない。四課の情報によると、広域暴力団との関係も確認されている。だが・・・・・・」


 四法院は否定しつつも、仕切れない様子だ。


「表の権力と裏の暴力を併せ持つか・・・・・・、そんな人物と関わりたくないな」

「だから俺は言ったんだ。こんな警察官僚と仲良くするとロクな目にあわないって。それをお前は、なんだかんだと・・・・・・」


 失言だった。こうなると、四法院の小言は際限なく続く。

 それから三分ほどだろうか、小言を適当に受け流していると目的地に到着した。

 眼前に最先端のデザインの高層ビルがそびえていた。


「降りろ」


 御堂が促した。


「バベルの塔・・・・・・」


 四法院がビルを見て呟いた。

 六本木の超高層ビル。清潔感があるが、無機的で温か味が無い。その典型のようなビルであった。

 周囲には多くの木々が植えられているが、人工的な配置で、その点でも味わいは無い。

 通称『バベルの塔』と呼ばれている。

 その由来は、この富裕層の入る高層高級ビルには、多くの新興企業が入っていた。世に言われる一代で成功した成金企業ばかりだ。だが、それら企業がテナントに入ると高確率で会社が潰れるのだ。IT企業だけでなく、堅実そうなファイナンス会社なども潰れている。その頻度の多さから、このビルはバベルの塔という不名誉な名を付けられたのだ。

 天納グループ本部は、そのビルの四十四階に入っていた。

 豪華だが温かみのない正面入口から入ると、四法院は不愉快そうな顔をしている。


「酷く醜い建物だ」 


 四法院が目を細めて言った。

 引き篭もりのくせに、四法院は、城郭、神社仏閣、天体や文学が好きなのだ。木造建築が好きで、枯山水が好きで、本人は、美しいものが好きだと言っているが、他人には何が美しくて何が醜いのかわからない。解る事といえば、近代的な鉄骨とコンクリートと強化硝子の建築物は好きではないらしい。

 エレベーターに乗り込む。海外製のエレベーターのようだ、華美な装飾が施されている。


「お前たちは、後ろに控えているだけだ。会話に割り込むなよ」


 命令口調で御堂が言った。

 この手のエレベーターの高速移動から停止する際の内臓が浮くような気持ち悪さを体感する。

 フロアーに到着すると皆の表情が引き締まった。

 豪華な受付と入り口だ。その受付に、容姿の整った女性が二人座っていた。会社の特色に合った綺麗だが無愛想な女性だった。

 四法院なんかは、その女性のことなど受付に備付けの置き物としてしか見ていないようだった。

 御堂が警察手帳を提示し、尊大に身分を名乗る。

 綺麗なだけの女性は、受話器を取り上司へ報告しているのだろう。


「社長がお会いになられるそうです。こちらへ」


 やる気のない方が立ち上がり、先を歩き始めた。

 社の中は、豪華だが過疎地のようにひと気がない。

 奥へ奥へと案内されると、広めの一室へ通された。室内は、社内の豪華さとは反対に質素だが温かみを感じるように作られていた。

 正面に険しい顔つきをした男性が、椅子に腰掛けている。

 御堂が前に出た。


「警視庁刑事部管理官。警視の御堂元治と申します。天野CEOですね」

「警視庁の方が、何の御用ですかな?」


 天野を注意深く見るが、自然体という言葉しか出てこない。


「参考人として、お聞きしたいことがあります。河野(こうの)(りょう)()という人物をご存知ですか?」

「河野・・・・・・、申し訳ない。知りませんな。それはどういう会社の経営者ですかな?」

「経営者ではなく、死刑囚です」


 わずかに天野は鼻で笑った。


「死刑囚。私に死刑囚の知己はいませんよ。ちなみに、お聞きしますが、その死刑囚は何をしたのですか?」

「殺人事件を起こしています」

「その凶悪犯と私がどう関係するのですか?」


 御堂は無表情で聞いている。天野氏の質問に答える気はないようだ。


「では、水森総一という人物については、いかがですか?」

「今度は、誘拐犯ですかな?」


 天野は笑いながら聞いた。


「河野を殺した。第一容疑者です」

「その容疑者との関係で、お見えになられたというわけですな。それで、関係性はなんですかな?私の記憶には、その名前もありませんが」

「あなたの傘下にある消費者金融の客です」


 その言葉に、天野は溜息を吐いた。


「警部さん。私は、天納グループ全体を統率しているのです。いち顧客の事など分かる筈もありません。そもそも、天納グループだけで従業員数は一万人を超える。それに加え、提携先、取引先を加えれば私の脳にはとても収まりません。顧客情報であれば、債権管理部の者に聞いていただきたい」


 天野は、御堂を一階級下の役職で呼んだ。おそらく意図的だろう。

 御堂は気にする様子も無く、話を続ける。


「ですので、捜査協力をお願いしたいのです。こちらの企業は、天野社長の許可がなければ誰も口を割らんでしょう」


 天野は、笑みを浮かべていた。


「御堂さんと申しましたね。私は、急激に富を得た。その所為で、多くの嫌がらせを受けました。敵対企業だけでなく、税務署、検察、警察、官庁からも」


 御堂は黙っていた。天野は、優越感に浸るように続ける。


「ですが、私の企業は真っ当であり、従業員は善良な市民たちです。役所は、搾取と浪費しか能が無いが、御上には逆らえません。まっ、いいでしょう。警察への協力は市民の義務ですから。これから、全従業員に通達を出しましょう」

「ご協力感謝いたします。再び、何かお尋ねすることがあるかも知れませんが、そのときは、協力をお願いしたい」


 天野は、笑みを浮かべ退室を指示した。エレベーターに乗り、御堂が目を細め不快そうだ。

 四法院は頭を掻いている。

 外に出ると、ビル風が強く吹いている。日の光を眩しく感じながら、車に乗り込んだ。


「四法院、どう思う?」

「今は、なんとも言えないな。だが、不自然なほどに、こちらの話にまったく興味を示さなかった。いくら自分と関係ないとは言っても、子会社の関与があれば株価に響くだろう。それとも・・・・・・」

「それとも?」

「本当に興味がないだけだろうか・・・・・・」


 二人は、個々に様々なことを考えているようだ。僕は、素朴な疑問をぶつけた。


「貸金業をやっていれば、失踪、殺人などよくあることなのだろうか?」


 その質問に、四法院が答えてくれた。


「たとえそうであっても、今の行動は納得しがたい。何より、全然情報が足りない。刑務官と会社の関係は、警察に任せるとして、御堂、俺は河野亮太の起こした事件を知りたいんだが」

「わかった。警視庁のデータベースから資料を渡そう」


 御堂と四法院の会話に取り残された僕は、新宿の風景をぼーっと眺め考えていた。









ここまで読んで頂きありがとうございます。


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