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四法院の事件簿 1    作者: 高天原 綾女
2/12

一章 不可解な事件

        一


 日が昇り始めていた。

 高い塀に囲まれた建物。塀の高さは通常の倍以上あり、内と外を完全に隔絶しようとする意図が見られる。

 朝日は、そんな壁すら暖かく照らしている。

 建物は広大で独特な雰囲気を醸し出していた。館内は、どこも驚くほどに清潔で、物は少ない。

 その館内の隅々にまで、日光の清々しさは満ちていた。

 その館内を、険しい表情で歩く男たちがいた。

 普通に館内を歩いているが、建物の構造の為なのか、靴音が反響している。

 男たちの居る場所は、東京都葛飾区小菅にある東京拘置所の北舎である。そして、死刑囚が住む場所でもあった。

 廊下を進むと、右側に同じような扉が並んでいる。手前の扉に、人の群れが見えた。

 俗世とかけ離れた拘置所内。普段ではありえない程、多くの刑事と鑑識官が立ち、忙しなく動いている。

 先頭を歩く男の姿を皆が見ると、波を割るように道が出来上がる。

 男は当然のようにそこを歩き、後ろに従っている男二人もつられるように共に進んだ。二人も同様のスーツを着ていたが、色は少し暗めである。

 先頭を歩く男は、自尊心の高そうな顔に、スポーツで鍛えた肉体。その屈強な体躯に、スーツはあまりにも似合っていない。

 男の名は、御堂元治(みどうもとはる)。年齢は三十二歳。階級は警視。肩書きは、刑事部管理官である。垢抜けない顔だが、これでも東大法学部を卒業して、俗に言うキャリア組である。

 御堂が現れると、刑事たちの動きは止まり、鑑識の作業音以外が止んだ。

 御堂が独居房の入り口に立つと異様な死体がそこにあった。

 どう異様なのかと言えば、一見して死体に見えない死体だ。

 的確に表現するならば、座っているのである。

 場所は、洗面台の傍。壁に向かい、こちらに背を向け、膝を折り、尻を床に着けて、うな垂れるように座っている。首には、布を紙縒(こよ)り、紐状にしたものが巻きついていた。

 その紐は、十センチ程上に伸びて洗面台の淵を頂点に、排水溝のストレーナーにしっかりと結ばれていた。

 首吊り・・・・・・・・・?そう言えばいいのだろうか・・・・・・・・・。

 床からの高さは、わずかに一メートル程。この高さで死ねるものなのか、そんな疑問が湧いてきた。

 御堂は、顔を見ようと死体の傍に近寄る。壁と体の隙間から覗き見る。すると、死体の顔よりも、胸に視線が引き寄せられた。

 死体の左胸には、ボールペンが刺さっている。だが、右胸部にも刺し傷が確認できた。刺さっているペンで、両胸を刺したのだろう。

 死体の顔を見ると鬱血し、腫れていた。


「御堂管理官」


 初動捜査の報告をするために、刑事が説明を始めようとした。

 そこで御堂は、刑事より早く、遺体についての感想を述べた。


「他殺だな」

「はい。ですが、死因は縊死(いし)(首吊り)によるものだそうです」

「あの高さで、首を吊れるのか?」


 御堂は、率直な疑問を口にした。


「可能だそうです。首吊りには二通りあり、定型縊死と非定型縊死に分けられます。定型は、一般的に誰しもが思い浮かぶ首吊りの形で、非定型はそれ以外だそうです。この場合、非定型縊死に該当致します」

「それで、続けてくれ」


 御堂が言った。


「この死体には、溢血点(いっけつてん)鬱血点(うっけつてん)が現れています。これが、定型縊死なら、溢血点、鬱血点などはみられません。頚動脈、頚静脈の血流は止まっていますが、椎骨動脈の血流は流れたままです。流入する血液はありますが、排出する血管が止まっています。その為に、それら血点が現れます」


 御堂は素朴な疑問を口にした。


「頚動脈の血流が止まるほどの重さがあるのか?」

「頚静脈は二キロ。頚動脈は五キロで塞がるそうです」


 刑事が答えた。


「なるほど。頭の重さで、十分自殺は可能ということだな」


 御堂が納得するも、刑事はさらに説明を続ける。


「胸の傷ですが、死んだ後に刺されたようなのです」

「死んだ後にだと?」


 そう言うと眉間に皺を寄せた。


「その様です」

「それ程、恨みがあった、と云うことか?」


 死因に関する説明が終わり、刑事は被害者に関する説明を始めた。


「被害者は、河野(こうの)(りょう)()。二十八歳、五年半前に老夫婦惨殺事件を起し、半月後に逮捕。二ヶ月前、判決で死刑が確定。上告するも棄却されています」


 事実上、死刑確定ということらしい。


「それが、何で殺される?何か重要な証拠でも握っていたのか?」

「いいえ。河野は、終始『自分は無実だ』と叫んでいたようですが、証拠、証言など持っているようには思えない、と刑務官と当時の捜査陣は言っています。それに・・・・・・」

「なんだ?」

「前日、死刑執行が決まっていました」

「なに?」


 脇に居た男が言った。


「では、何故殺される?」

「不明です」


 御堂は、だろうな、と言う表情で応えた。そして、質問する。


「被疑者は?」

「今のところは………」


 一課殺人班の刑事は口籠った。


「ですが、犯行現場が非常に特殊なので、すぐに判明するかと」


 御堂は、部下の報告に苛立ちを感じながら聞いていた。


「当たり前のことを言うな。東京拘置所内を通りすがりの暴漢が、死刑囚を殺して逃走するなど有り得ないだろうが」


 そう心の中で毒吐いた。言ってしまえば、所内を自由に歩けるのは、刑務官だけである。

 刑務官を主に調べていけば良いだけなのだ。

 御堂は最大限に平静を装い、政治的な配慮をすることにした。


「まずは、所長にお会いしよう」

「こちらへ」


 そう言うと、刑事は先に発ち、案内を始めた。

 御堂は、殺風景な所内を歩きながら考える。

 死刑が確定し、死刑執行命令書にサインまでされている。

 云わば、死体になることは決定しているのだ。そんな人間が、たとえ重大な発言をしたとしても、誰も本気で取り合わないだろう。

 死刑命令が出た死刑囚が殺された。それは絞首刑かどうかの死に方の問題に過ぎない。

 個人的な意見を言えば、捜査する価値があるのかどうかすら疑わしい。既に、法務大臣から人権を剥奪された人物なのだ。殺されたところで、たいした違いはないように思えた。

 犯人は、十中八九の可能性で刑務官だろう。刑務官が、受刑囚を誤って殺す。そんな事件は、調べればそこそこの数はあるのだ。

 そんなことを思いながら、案内役の刑事の後を歩いていた。

 館内は完全に清掃が行き届いており、各扉も閉まっているて自由に行き来が出来ない。そんな中を歩きながら、つくづく思う。殺害現場には、あまりに似つかわしくない場所だと。

 御堂は、東京拘置所の中を見るのは初めてであった。想像では荒れているのかと思っていたが、脚を踏み入れ、そのあまりの清潔さに驚かされた。

 建物は古いが、館内にはゴミや汚れが見えない。これなら警視庁の方が何倍も不衛生である。

 前を歩く刑事の足が止まった。


「こちらです」


 案内された部屋のプレートには矯正監室と書かれてあった。

 ドアを開けられ入室すると、初老の男性が座っていた。


「警視庁刑事部管理官、御堂です」


 胸を張り、堂々と名乗った。


「矯正監をしております。野々辺と申します。それにしても、捜査の指揮を執っていらっしゃる方が、こんなに若い方だとは思いませんでした」


 野々辺と名乗った矯正監は、年齢が四十代後半で恰幅の良い体型をして、その表情は険しい。


「警察庁は、優秀であれば年齢など関係ありません。申し訳ありませんが、すぐに本題に入らせて戴きます」


 矯正監は、椅子に深く腰掛けると姿勢を正した。

 御堂は礼を持って接する。相手は東京拘置所の頂点にいる人物なのだ。関係省庁にも顔が利くだろう。


「被害者について教えていただけますか?」

「河野亮太。老夫婦惨殺事件で、死刑判決が出た男です。房内で、いつも自分は無罪だと言っていたようだと報告を受けていました」

「その件について、どう思われますか?」

「よくあることです。あれは拘禁反応でしょう。死刑囚の七割は、精神に何らかの変調をきたすのです。主としては死への恐怖ですが、独房という狭い空間と未来は死しかないという状況が、彼らを追い込むのですよ。そして、突如に行動として表れる。ヒステリー、大暴れ、自傷行為。あるいは無反応状態。幻聴や幻覚をともなう被害妄想。無罪妄想。失語症など、これらはほんの一部ですが・・・・・・」

「なるほど、無罪だと叫んでも、誰も聞く耳すら持たないという訳ですな」


 非難されていると感じたのか、矯正監は前に身を乗り出した。


「忘れている様なので言っておきますが、あなた方警察が『河野』を捕らえたのですよ。その後、司法によって、有罪も決定している。そんな者の発言を誰が信じるのですか?信じるのは貴殿の様な若くして優秀な警察官僚くらいですかな?」


 野々辺矯正監は、皮肉を口にした。

 御堂は、咳払いをして質問を変えた。


「殺される理由に、心当たりはありますか?」

「さっぱりですな。見当も付きません」

「独房で、何かそれらしいことを言っていませんでしたか?」

「そのような事、報告に上がっていませんな。担当の看守長以下にでも聞いてください。指示は出しておきます」


 そう言うと、野々辺矯正監は話を終えようとした。


「まだ、お聞きしたい事があるのですが」


 御堂は、丁寧に食い下がった。


「私にも、少し時間をくれないかね。君も、キャリアなら解るだろう。私は、比較的出世は早かった。だが、こんな不祥事など初めてなのだよ。完璧なキャリアに傷が付いた。少しでも傷を繕わねばならぬのだ。どうせ、どこにも行けぬのだ。お互いに事態の把握すら出来ていない。違うかね?」

「分かりました。ですが、独房の監視カメラの映像を見せていただきたい」

「仕方ないでしょう。ですが、しばらく待っていただきたい」

「承知いたしました」


 御堂は、野々辺矯正監の能力は高く評価していた。

 現場が荒らされることなく保持し、即座に人の出入りを禁止した。

 それは、身内の不祥事を想定しての指示だったのだろう。

 ひとまずは、優秀な指揮官で安心できた。



        二



 御堂が廊下に出ると部下が待っていた。

 優秀な部下たちで、御堂に必要な情報をいち早く得るために動いてきた実績がある。


「御堂管理官。被害者と関係のある刑務官は、多くはいませんでした。重要参考人は三名です」


 捜査一課殺人班のベテラン刑事だ。最先端技術はない。

 だが、職人のような捜査手法と、その経験には誰も太刀打ちできない。

 御堂はキャリア官僚で、ノンキャリアとの接点は少ない。だが、人材は無駄なく、有効に使うことを常に心がけている。

 ここは、任せるのが得策だろう。そこで、方針を聞いた。


「気になるのは?」

水森(みずもり)総一(そういち)という刑務官です」

「理由は?」

「挙動不審なんです」

「それだけか?」

「それだけですが、決定的なまでに違います。あいつが犯人(ほし)です」


 捜査員の絶対的な言い方に、御堂もその案を受け入れた。


「刑務官たちは、どう扱っている?」

「職務の性質上、拘束することは難しいのですが、事が事ですので、各刑務官には刑事を一人付けております。これで、証拠の隠滅、逃走、自殺などの不測の事態を防げるでしょう」


 過不足ない的確な対処。御堂にも、付け加えることなどは思い浮かばなかった。


「すぐに、一室を準備しよう。少しでも、情報を揃えておけ」


 御堂は、刑務官から話を聞きたいとの旨を伝え、教育長から一室を与えられた。

 そして、すぐに水森の取調べに入った。

 拘置所に配慮して、矯正副長の同席も許し、ベテランの捜査官に任せた。

 本格的な取調べは、所管の亀有署で行えばいい。

 あとは、法務省に介入の口実を作らぬ努力だけであった。

 取調官に一人付き添い、水森には矯正副長の同室が決まった。

 その決定に捜査員たちから、冷ややかな視線を浴びせかけられた。捜査員の気持ちは十分すぎるほど良くわかる。

 だが、ホシが見えている以上、法務省に出てこられると総理大臣の所轄の下の下にある警察庁としては厄介であった。規模としての警察は、全省庁で最大であったが、庁という組織形態では上位の省という役所に出てこられると、捜査に思わぬ支障が出るのは間違いないのだ。

 こうして、水森の参考人としての調べが始まった。

 その空間に、御堂の居場所は無い。

 遺体は、現場写真を入念に撮影した後、司法解剖に回した。証拠品は科捜研にまわした。

 証拠固めをすれば、この事件は難しくない。

 環境も現場も特殊なのだ。状況証拠だけでも、立件できるほどに・・・・・・。

 事情聴取が始まって、数分経過しただろうか。捜査員の動きが慌ただしい。

 腕時計を見ると、五分すら経っていない。

 捜査員の一人が、息を切らせ駆け込んだ。


「水森が、水森が死にました」

「なに!何があった?説明しろ」


 仮の聴取部屋は、そのまま第二の現場になってしまった、ということらしい。

 状況の説明を詳細に報告させた。

 室内に二名の捜査員を待たせていると、矯正副長に連れられ水森は現れた。

 入ってきた時には、見た目で判る様な変化はなかったらしい。

 多少、緊張している様子だったので、事件に関する事情を聞きたいだけだと繰り返し説明した。

 氏名、生年月日、住所、本籍などを聞いた。だが、水森は答えない。

 ベテランの捜査官は、柔らかい口調で聞く。


「どうしました?」


 やさしく訊いたが、水森は答えない。

 横に座っている矯正副長も気になり口を開いた。


「水森君、どうしたのかね。緊張することは無い。知っていることを話せばいいんだから」


 水森は、手を強く握り、足が震えだした。

 その動作に、一同の視線が集まる。


「どうかしましたか?」


 言ったのは、聞き役の向かい合っている刑事だ。

 水森の震えは激しくなり、低く唸っている。


「どうした?体調が悪いのか?」


 上司が尋ねると、水森が突然、立ち上がり叫んだ。


「アァー!」


 腹と首を掻きむしり、仰け反り、口から泡を出し、糞尿を垂れ流し、痙攣した。


「どうした!?」


 捜査員たちは、水森に駆け寄る。


「オイ、医者だ!」

「ハイ!」


 その時、矯正副長が口を挟んだ。


「医師なら、所内に居る」

「走れ!」


 若手捜査員が室内から全速力で駆け出した。だが、その直後に水森は息絶えた。

 以上が、室内で起こったことであった。

 御堂の腹の底から、怒りが込み上がって来るのが自身でわかった。

 机を叩く。室内から漏れるほどの音。


「被疑者に自殺される。これがどう云う事か、刑事なら分からないわけじゃないだろ!」


 捜査員たちの顔に失意の影が差していた。

 水森に付いていた捜査員を呼び出した。現れたのは、三十代半ばの精悍な捜査員だった。

 御堂は、怒りを抑えて冷静な口調で質問をする。


「被疑者に付き添ってからの経緯を報告しろ」


 捜査官は、納得していない様子だ。それでも不承不承に話し出した。


「何もありません。言われたとおり、不審な行動がないか見ていました」

「だが、その被疑者が死んだ。どうしてだ?」

「わかりません」

「思い当たることは?」

「ありません」


 即答だった。その態度が、御堂の癇に障った。


「だったら、なぜ死んだ!いいか、被疑者の行動のすべてを思い出して報告しろ!」


 そう言葉をぶつけ、下がらせた。

 苛立ちと怒り、その他の様々な感情を抑えるのに苦労した。

 とんだ失態だ。自分の失態ではないが、事件を潰した責任はあるともいえる。

 数分して、水森の詳細な情報が上がってきた。

 現場に到着した時、水森は体の不調を訴えていたらしい。

 だが、事件が起こったために、帰すことは出来なかった。

 捜査員が、関係者にいち早く当たっていた。そして、水森を割り出したのだ。それから、浮上した三人に監視を付けた。

 御堂は詳細な報告を聞いても、失態らしいものは見つからなかった。水森に関しては、約一時間半前に付いている。

 その間に、食べ物はおろか、飲み物すら与えていない。当然、薬なども与えていない。自殺するにしても、本人の意思だけで死ぬ事など不可能だ。物理的な死への作用が必要なのだ。

 肉体と言うのは、精神、意思とは別の物質的なモノである。どれほど絶望、失望を味わい、心を病んでも、心臓は動き、呼吸を止められるものではないのだ。

 詳細な報告によると、そこには誰との接点も無い。その為、体に毒物の注入も不可能。何者かに殺害された線は薄そうだ。


(では、なぜ死んだんだ?)


 解剖の診断は出ていないが、症状だけを見て判断すると、死因は毒による中毒死であるというので、皆の見解も一致した。


(であれば、どうやって・・・・・・)


 自殺か、他殺か、今は判断できない。方法も不明である。

 司法解剖で、ある程度のことは分かるだろう。だが、御堂にとって、現在、後手に回っている状況が何よりも不快だった。

 御堂なりに、推察してみる。もし、河野の事件を刑務官複数で犯行をおこない。そして、何らかの理由で仲間割れ、口封じに水森を殺害したとすれば厄介だ。

 どの道、この事件の動機が見えない。

 いま御堂にできることは、捜査の引き締めを図ることだけであった。



        三



 御堂は、野々辺矯正監から呼び出しを受けた。

 この最悪な状況での呼び出しは、指揮官として苛立ちを増加させるものだった。

 入室した瞬間、すさまじい怒気を向けられる。


「いったい、どういう事ですかな?水森刑務官が、亡くなったという報告を受けましたが………。是非、納得いく説明をしていただきたい」


 さすが高級職。役人らしい言葉遣いだ。拘置所の責任者として、警察の不手際をあげつらい、自身の不始末を払拭出来ないまでも、印象を薄める材料にはなると思っているのだろう。

 こんな時は、御堂も役人として接する。


「ただいま調査中です。起こった出来事に関しては遺憾に思いますが、捜査に関することは御教え出来ません」

「私はここの責任者です。説明を受ける義務も権利もあると思うのですが?」

「その為に、現在、正確かつ早急に捜査を進めています」


 淡々とした御堂の物言いは、野々辺矯正監を苛立たせた様だ。


「それは、能力的な問題ということかね?」

「いえ、時間的な問題です」

「では、どれ程の時間を掛ければ、正確に報告できるのかね?」

「いまは、判りかねます」

「いつなら判るのかね?」

「捜査が、全て終了すれば、お教え出来ます」


 御堂は平然と言った。


「では、質問を変えよう。捜査の目途はついているのかね?」

「捜査に関することは、御教え出来ません」


 御堂は同じ言葉を繰り返す。矯正監の怒りは顔に表れている。それでも御堂は、堂々と立っていた。

 野々辺矯正監が、下がるように言うが、御堂は退室しない。


「まだ何か用かね?」


 不快さを隠すことなく、矯正監は聞いた。


「監視カメラですが、河野の独房だけでなく、この北舎全体も拝見させていただきたい」


 矯正監は、指先で重厚な机を小刻みに叩いている。


「刑務官にも被害が出ています。建前、規則よりも職員の命を最優先に考えて頂きたい」

「仕方あるまい」


 矯正監は、苛立ちと不快感を隠そうとはしなかったが、協力の姿勢を覆す事はしなかった。

 御堂は、一礼して室内を出て行った。

 現場に戻ると、部下たちが忙しなく動いている。自殺にしろ、他殺にしろ、面子が潰されたのだ。一課の刑事で、犯人の身柄を確保できない事は不名誉の極みであり、その悔しさが刑事たちを突き動かしているのだろう。


「御堂管理官。水森の遺体も司法解剖に回しました」

「そうか。北舎全体の監視カメラの許可が出た。すぐに調べろ」

「はい」


 これで、犯行の全貌が判るだろう。モニター室に入ると捜査員たちが目を細めている。ここに付けられているカメラは、市場に出回っている性能の悪い防犯カメラなどではない。死刑囚の自殺を防止するため、些細な行動も把握できるような高性能のカメラだ。否が応にも期待が高まる。

 捜査陣の面子が揃い、河野の死亡推定時刻に合わせ、録画映像を再生した。

 撮影位置は天井からだ。カメラに死角は無く、室内の河野の行動全てを捕捉している。


〈午前三時〉


 河野が寝ている映像が流れている。布団に入り込み、仰向けの寝姿だ。別段、変わったところは無さそうだ。

 早送りをする。三十分進めたが、まだ寝ていて変化ない。


「変化がありませんな」


 ベテラン捜査員が、独り言のように呟いた。

 四倍速で進めながら、映像を見る。映像内で既に一時間が経過している。

 映像では、未だに河野の睡眠中の映像が流れている。


「そろそろか・・・・・・」


 捜査員の一人が口にした。だが、まだ河野は布団で寝ている。

 映像の時計では、四時三十分を過ぎている。

 まだ独房内に変化はない。

 捜査員たちは、息を呑む。緊迫した空気が満ち始め、身が引き締まる。

 さらに時間が、一時間進んだ。そして、変化は、突然だった。


「何!」

「なんだ!」


 映像を見ていた刑事たちから声が上がった。中には、立ち上がった者もいる。

 五時三十分を過ぎた時、室内に異変が起こった。

 五時三十分まで寝ている映像であったが、三十分を過ぎた瞬間に殺害現場が出来上がっていた。それは、まさに刹那の出来事であった。


「巻き戻せ」


 ベテラン刑事が言った。若手刑事が巻き戻す。

 それは、まるで一瞬の場面転換だった。

 一秒前まで布団で寝ている被害者が、次の瞬間には壁際に向かい、首に紐を括られて座っていたのだ。


「なるほど」

「ん~」 


 捜査員から数種の声が上がった。

 無論、関心しているわけでも、超常現象を受け入れた感嘆の声でもない。

 誰も、透明人間か瞬間能力者などの犯行だとは思っていない。

 現実に、超常現象が存在するならば、法も科学も崩壊するのだ。


「何らかの方法で、映像に細工をしたな」


 誰の声か知らないが、皆、同じ考えだった。

 機材に詳しい者が、リモコンを片手に、一時停止、コマ送り、巻き戻し、などを繰り返している。


「水森の映像は?」


 御堂が聞いた。


「水森を拘束していた部屋の映像はありますが、まったく不審な動きはありません。参考人として呼んだ室内には、カメラは設置されていません」


 その言葉に御堂は、悪寒を感じた。

 出来過ぎている。警察の捜査を振り切ろうという意図しか見えない。

 いくら刑務官の水森であっても、モニター室に細工をしてまで、河野を殺す動機があるのだろうか。

 いや、自殺する覚悟があれば、細工などするはずもない。

 もっと言えば、死刑執行命令書にサインされているのだ。

 水森が手を下すまでも無く、国家の命令では既に死んでいる。もはや殺す必要がない。それを何故、殺したのか。なぜ殺す必要があったのか、理由がまったく見えていない。

 映像の分析、解析は、部下に任せるにしても、この事件は相当に大きな案件だということは判明した。

 だが、直接的に犯人(ほし)と結びつくモノが無い。

 こうなれば、水森と河野の関係を調べるしか無さそうだ。

 死刑囚、刑務官、独房、監視室。それぞれを洗えば、どこかで繋がるのだろうか。

 御堂は立ち上がり、指示を出した。


「司法解剖、映像分析、それらの結果が出れば、何か判る筈だ。それまで、他の刑務官に河野と水森のことを聞き込み。共犯がいるかも知れん。急げ、だが慎重にだ」


 御堂は、返事を聞くことなく室内を後にした。

 事件が混迷して行くのがわかった。刑務官が犯人で、被疑者死亡のまま事を片付けられなくも無い。

 だが、そんな無能を実証するような捜査指揮を、自分が取れるはずも無かった。

 御堂は悔しさに震えていた。

 異常に清潔な館内を歩いていると、嫌な奴の顔が思い浮かんだ。


「不愉快だが、アイツの力が必要なようだ」


 苦渋の決断を下すために、小声だが口に出して言った。

 携帯電話を取り出すと、メモリー表示を見た。大きく溜息を吐いて、通話ボタンを押した。

 コールが数回鳴り、留守番電話に繋がる。


「アイツ。出ない気だな・・・・・・」

 そう言って、別の登録番号に変える。

 『(なが)()篤史(あつし) 勤務先』と表示されている。

 通話ボタンを押すと野太いが、低姿勢な口調の男の声が聞こえてきた。






ここまで読んで頂きありがとうございます。


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