十章 もう一人の共犯者
一
休み期間の最終日。日曜の朝十時に目が覚めた。まるで、長い夢を見ていたような気がする。だが、この体の怠さと気の重さは事件に関わったことを示している。
冷蔵庫から缶コーヒーを取り出した。寝起きの一杯は無糖コーヒーと決めている。
洗顔の爽快感が消える前に、口に豆の香ばしい匂いと心地よい苦味が広がった。
テレビを点けた。画面にはニュースが流れている。どの放送局に変えても、国内有数の大企業、両経営者の逮捕で持ちきりだ。
テレビ局各社は、通常番組から緊急特別番組に差し替えて流している。世羅会長の経歴、SGIの社史、天野社長の経歴、天納グループの過去など偏見と歪んだ解釈で報道している。
「酷いな」
民売テレビの報道は、四法院の解釈とは真逆だった。さすが、政府の太鼓持ちと称されるだけの事はある。どれほど危険な原子力施設でも絶対の安全を謳い。消費税の重要性を説いても、米軍への思いやり予算に関する矛盾を説くことはない。
もっともSGIの場合、各放送局への提供、部署への出資額がモノをいっているのだろう。
垂れ流されている番組を見ていて、まだ逮捕された事実しか伝わっていないことがわかる。マスコミも情報が錯綜している。その醜態ぶりを見ていて楽しいが、コメンテーターという御気楽な職業人の呆れるコメントを聞いているとムナクソが悪くなる。
真実を知っている僕としては、各社のあまりの見当違いの報道に呆れるしかなかった。
恥というものを知らないコメンテーターという名の文化人は、下品さがわかる露骨な装飾品を身に着け、口から不浄な言葉を吐き出している。
「いかんいかん。四法院の悪影響だな。こんな風に考えるなんて、朱に交われば………だな」
反省をしながら、僕は事件を振り返る。
事件は、一見複雑そうだったが、解決してみると以外に単純だった。要約すれば、世羅は延命のために代替用の臓器を捜していた。それの情報を知った天野は、世羅に恨みを持っていた。天野は、世羅に絶望感を与えるために河野を殺した。それが今回の事件だった。
しかし、金持ちと云うか、力を持つ者の考える事は恐ろしい。
よくよく考えれば、国と社会に影響力があれば、庶民の中で臓器が適合すれば本人の行いも自衛的振る舞いも意味を無くしてしまうのだ。
万が一、僕が標的であったらと考える。ある日、まったく身に憶えの無い罪で逮捕される。当然、無実を訴え、冤罪だと叫ぶだろう。しかし、無能のキャリアに罪を負わされる。警察と検察で苛烈な取り調べに精神を擦り切らし、留置所から拘置所に移される。孤立無援の中で、絶妙なタイミングで弁護士が現れれば、すがり付くだろう。だが、その弁護士は世羅の指示で動いている敵だった。裁判で反論するも、偽の物証に状況証拠であれだけ固められれば、裁判官も死刑判決を出すかもしれない。
二人殺害すれば死刑確立は、六割から七割を超える。偽の物証といえども、あれほど多く揃っていれば、崩すのは難しい。なにしろ肝心の弁護士が、常道の戦い方をしていないのだ。警察、検察が提出した証拠は、あからさまに怪しかった。そこを衝くべきだった。何か一つでも物証が崩れれば、他の証拠も信頼性がかなり薄まっただろうが………。
世羅弘蔵の生への執着、その凄まじさを体感したようだった。これほどの人物は、身近にはいない。もし自分が不治の病に罹ったとして、莫大な富を持っていたとする。日に日に肺の細胞が死滅し、体力が削り取られる感覚に襲われる。助かるには、他人の臓器を奪うしかないとして、数千億の出費をしてまで、適合する臓器を奪うという結論には行き着かないだろう。
どこか、現実離れしていて、歴史上の物語、そう、まるで古代中国の皇帝が、不老不死の妙薬を探させたのにどこか似ている。
自己が生きるのに、全く関係の無い三人の命を奪う。その為に、関係各社、持てる人脈の全てを使い。最大限の危険回避をし、目的を達しようとしていた。
世羅は、さぞかし安心していただろう。自分は助かる。莫大な資産を切り崩したが、金銭では解決できない問題を、全知全能、持てるもの総動員して解決したのだ。
あとは、死刑執行命令書に法務大臣の署名をさせれば完成なのだ。囚人なら人権もあるが、死刑後は人権など無い。大臣、矯正監、拘置所の医師、この三人を抑えれば問題が無い。
「僕は、何て馬鹿なんだ!」
即座にテレビを消して、身支度を整えた。
携帯電話で、時間を確認する。四法院が、そろそろ起きる時間だ。閑散とした住宅地を慌ただしく駆け抜ける。息が荒くなり、足の動きが止まる。
「ハァ、ハァ………。学生の頃のようにはいかないか………」
やっと少し離れた駐車場に到着すると、すぐさま発進させた。
「僕は、なんで昨日の夜に気付かなかったんだ。もう一人、とんでもない奴がいるじゃないか!」
あまりの怒りに、拳側面でハンドルを叩いた。
僕は自分の失態とは別に、昨日の四法院を思い返していた。四法院も気付いていないのか?あの四法院が………。
事件の全容は明かした。それだけで、良しとしたのだろうが。
昨日、四法院の顔には、確かに疲労の色が浮かんでいた。だが、時刻的には深夜、夜行性の四法院が夜に疲れで能力を発揮出来ないなどありえない。
信号に捉まり電話を掛ける。
『ハーイ』
四法院の暢気な声が聞こえた。
「四法院、話がある。もうすぐ着く」
『わーった』
返事が来るのに、認識できるか出来ないかのごく僅かな時間だが沈黙になった。そこを永都は、見逃さなかった。
次の角を曲がれば、四法院の家が見える。
路上駐車をして、四法院の部屋へ駆けだした。ドアが簡易的に取り付けられている。御堂が破壊した扉を完全に修理していないみたいだ。
その扉には鍵が掛かっている様だが、いとも簡単に外した。
「四法院」
部屋に入ると、中央で転がっていた。
室内は、相変わらず書物が整然と並べられ、積み上げられ、もの凄い圧迫感だ。
「またモノが増えたな~」
あれから一日しか経過していないのに、室内の様相は激変している。
「なんで、こんなにモノが増えているんだ?」
「永都、世の中には女性の勇猛部族を意味するネット書籍販売をしているところがあるんだよ」
四法院が、めんどくさそうに説明する。
「いくら、注文したんだい?」
「五万円分かな」
「書籍を、一度に五万………。それで、一気に二十冊相当増えているのか………」
この本の量、地震が起きれば埋もれるな。ま、四法院も本に殺されるなら本望だろうな。
寝転がっている四法院を起こした。
「四法院、犯人がもう一人いる。捕まえにいかないのか?」
その言葉に、四法院の目に動揺の影が差した。
「誰が、犯人なんだ?」
「知ってるんだろ?なんで逮捕しないんだ?」
四法院は、頭を掻いている。
「理由を聞きたいな」
「御堂が動いているだろ?」
「そうだろうか?だったら、これから捜査本部に行かないか?」
カマを掛けてみた。
「今は、捜査陣は、両企業を全力を挙げて捜査中だろ。双方の企みから鷹山の名と資料が出れば行き着くだろう」
「関与の資料が出なければ?」
「お咎めなしだな」
しれっと口にした。
その態度に、怒りが込み上がってくる。
「微罪や困窮者が止むを得ずも犯す罪でない。相手は衆議院の代議士で、利権や金銭が絡んでいる。それも、国民の事を、市民の権利を保護せねばならぬ立場であるにもかかわらずだ」
大きな身振りで、四法院に思いを伝える。
「永都。君は正しい。俺もそう生きたかったが、半身を闇に食わせてしまった」
「で、どうするんだい?」
「君が満足するように動こう。だが、満点は取れないかもしれない」
四法院が、呟くように言った。
「まずは、何をするんだい?」
「御堂に会いに行くか。いやな顔するだろうがな」
四法院は、携帯電話を取り出した。相手が出ないのか、呼び出している最中に御堂に連絡を取ってくれと言われた。
御堂に電話をしているんじゃないなら、誰に電話しているんだろうか。
二
一時間後には、御堂と合流を果たしていた。
特別捜査本部は、活気を取り戻し、刑事たちの士気も高い。昨日の昼からでは想像もできないほどの違いだった。
四法院と僕が現れたとき、御堂の表情が強烈だった。疫病神でも見るような目をしていた。
「何の用だ?」
「随分な言い方だな。事件を解決してやったのに」
四法院が鋭い口調で答えた。
「忙しい所申し訳ない。僕が四法院を焚きつけたんだ」
御堂は、三人の空間を作る。両企業の情報はあまりに膨大で、捜査人員の不足を痛感させられているようだ。
「御堂、上層部からの圧力はどうだ?」
「短期間勝負で動いたのが功を奏し、世羅の逮捕を機に状況が一変した。警察上層部は、一気に保身に方針を転換したからな」
御堂の口調は明るい。
「役人で、しかも、キャリアだ。風見鶏と同じで世の流れに身を任せる生き方が染み付いているからな」
四法院が冷ややかな口調で言った。
「風見鶏の高級官僚と信念の非正規雇用者、どっちが世の女性から評価されるかな?」
御堂は、舌鋒の鋭さを取り戻していた。問題が判明してから、御堂の動きは早く、何よりも的確だ。指示待ち人間ではないが、混沌の中から的確に問題の核を掬う才能は無いようだ。それだけに警察向きな人間でもある。
四法院が説明すると話がややこしくなるので、僕が説明する。
「御堂。世羅氏と天野氏以外の査対象は誰だい?」
「それは色々いる」
「誰だい?」
「両氏とその傘下企業の全関係者、それに村中、橋野。あと、利用された日本赤十字職員、大学病院などだ」
やはり。省庁には目が向いていない。
「世羅氏の捜査で、鷹山大臣の名は挙がっているのかな?」
「挙がっているさ。もっとも、鷹山氏だけではない。古部総理、津山幹事長、播磨参議院議長など財界重鎮の世羅氏らしく、錚々たる顔ぶれだがな」
「総理はともかく、鷹山大臣は犯罪に加担している」
「証拠はあるのか?」
御堂の予想を裏切る発言に、苛立ちが募った。四法院の判り切った表情が、さらにその思いを自覚させた。
「本気で言っているのか?常識で分かるじゃないか。協力していないとして、どうやって死刑執行命令書に署名を貰うんだ?死刑を十年以上延期されている囚人もいる。それなのになぜ、死刑確定後二ヶ月で執行されたんだ。裏で通じてることは明白じゃないか!」
「状況証拠だけなら、事件の始めに天野の関与を示す物があった。だが、動けなかったのは、動機が見えなかったからだ。それと同様、社会的地位のある人間を挙げるには、言い逃れの出来ない証拠が必要だ」
一息吐き、さらに続ける。
「物証拠が無くても、明らかじゃないか!移植の準備まで整っていて、法務大臣の関与がないなんて、小学生でも信じるか!」
コンクリート壁を叩いていた。
「提案がある」
しゃべったのは四法院だった。
「永都、御堂は有力代議士に睨まれたくないんだよ」
御堂は否定も肯定もしなかった。
「なんだい四法院。君も同じ考えなのかい?」
厭味をふんだんに含んだ口調で言った。その言い方は、四法院には何の感情も沸かせなかったらしく、涼しい顔で僕に対している。
「御堂とまったく同じという訳じゃない」
「どう云うことだい?」
「御堂。このままでは、警察の威信にも関わる。警察は権力者には機能しないと認めることにもなりかねない。ただでさえ、警察は権力に対し弱腰のイメージがある。世間では、政治家を挙げるのは検察の仕事だと思っている人が多い」
現に、政治家絡みの汚職を多く挙げているのは検察の特捜部だ。
再び、四法院はゆっくりと話し始める。
「だが今回、検察は動かないだろう。検察も経財界との癒着体質がある。なにより、捜査対象が検察の指揮権を持つ法務大臣だ。法務大臣が指揮権を発動して、自身への捜査を止めさせられることもできるしな」
「そんなことをしたら、末端の検事から暴動を起こされないか?」
四法院は軽く笑った。
「だが、自己保身にその権限は行使できる、と云う事だよ」
「で、どうすると言うんだい?」
「カマをかけて見ればいい」
「材料も無いのにか?」
御堂は乗り気でないようだ。
「なぁに、鷹山大臣は冤罪ではない。なにより、清廉潔白、聖人君子の代議士なんて存在しない。また、清濁併せ呑むくらいでないと権力奪取なんてできないだろう。そこで、鷹山大臣には、参考人として意見を聞くことにすればいい。拘置所は法務省管轄だ。なんとでもなるだろう」
そう言って、車に乗り込んから数分。もうすぐ、法務省に着く。
御堂がこれから手続きをするから待ってろと言うと、四法院がもう手続きは済ませてあると言ったのだ。
御堂からすれば、警視庁へ向かう道である。三人とも無言だった。
御堂は悩み顔だが、四法院は笑みを浮かべ、僕は少し緊張していた。
法務省の前に、谷元が立っていた。
僕は驚きを隠せなかった。後ろから御堂は舌打ちをした。
四法院が谷元に駆け寄ると詫びた。
「まったく、どれだけ待たせればいいんだ?」
「悪い悪い。だが、共存共栄こそ俺たちの関係性じゃないか」
「そうだな。では行こうか」
谷元君が言うと、四法院、御堂と僕と刑事が後に続いた。
谷元君が話を着けていたのか、役所内を何事も無く歩いていく。
大臣室に入ると、そこは大臣という名に相応しく、無意味に広く、無意味に豪勢な机に革張りの椅子。その椅子には、衆議院当選五回の鷹山美津夫。政界の森を縫う様に飛翔し、野党を抑え込み活躍する姿から、岐阜のクマタカと称されている。熊鷹とは森の王者であり、二世議員の割に苦労人という売り込みから人気は高い。
椅子に深く腰掛けている鷹山は、威風堂々たる態度だった。横には事務次官だろうか、神経質そうで冴えない感じの初老の男が立っていた。
「本日の用向きは、何かな?」
室内の者、全員を圧する気迫を発した。僕は、後退りしそうになるのを何とか堪えた。四法院を見ると、春のそよ風を浴びるような顔をしている。
谷元君が前に出た。
「鷹山大臣。本日は、時間をとって頂いてありがとうございます。実は、直前に警視庁刑事部の御堂管理官に大臣への橋渡し役を仰せ付かりました」
谷元の物言いは品良く物腰が柔らかだ。
「何かね。御堂管理官」
「実は、大臣に参考人という御立場で、拘置所内での殺人事件について、お聞きしたい事がありまして………」
御堂は、四法院に視線を送った。
四法院が、全身でやる気の無さを示しながら前に出てきた。
「どうも」
四法院は、やる気が無さそうに首筋を掻きながら前へ出た。
「君は、警官ではなさそうだ。身分と名を明かしたまえ」
鷹山は尊大な態度で命じた。
「はいはい。俺の名は、四法院甲。三十二歳。フリーターです」
「なぜ君が、この場に居るのかね?」
「ん~~。話せば長いんですが、その話だけで二時間ほど必要です。よろしいです?」
四法院の発言に、場が凍りついた。
「すまないな。私は、君を相手にするほど身軽な体じゃないんでな」
「では、本題に入ります」
大臣も、四法院のペースに巻き込まれている。
「拘置所内で起こった殺人事件について、どこまでお知りでしょうか?」
「法務省管轄の場所で殺人が起きたことは非常に遺憾だ。事件については、事務次官に聞くといい。良く把握している」
四法院が、苛立つように眼を細めた。それもそのはず、大臣は聞かれたことにまったく答えていないのだ。
「では、質問を変えましょう。鷹山大臣、世羅氏とはどのような御関係でした?」
「その様な事を一般人に教えることは出来ん」
その返答は、四法院すら呆れさせるものだった。
「御堂、参考人も何も無いぞ。黙秘だそうだ」
四法院の言った黙秘という単語に、鷹山は怒りの色を滲ませた。
机上に握り拳を下した。
「黙秘とは、どういうことか?いつ私は犯罪者扱いされる様な事をしたのかね?」
大臣の怒りを察して、事務次官が慌てた様に続けて抗議する。
御堂が慇懃に接する。
「鷹山大臣。我々は、捜査を進めるうちに貴方に疑惑を持っようになりました。ですが、大臣が凶悪な殺人行為に加担するとは思えません。ですので、その疑惑を大臣御自身の言葉で払っていただきたいのです」
鷹山は、四法院に鋭い眼光を向けた。
「何だね?私は回りくどい言い方は好まん。要点だけを言いたまえ」
「わかりました。では、単刀直入に。大臣は、世羅氏に膨大な資金援助を受けていると考えています。その見返りに、世羅氏は要求した」
「何を要求したのかな?世羅さんは政治に理解のある方で、各省庁に多大な寄付金をしてくださっている。その金銭は、寄付であって賄賂ではない。間山次官、世羅さんに便宜を図ったことがあるのかね?」
「とんでもございません」
次官は、即座に否定した。
「公文書を調べて頂ければ、我々が公正・公明に省運営をしていることが分かるでしょう」
鷹山は、胸を張った。
「違います。見当違いも甚だしい」
四法院が冷静な口調で言った。
「どういう意味かね?」
「大臣。貴方は莫大な援助と引き換えに、河野の死刑執行命令書に署名をした。そして、河野をいつ死刑に処すかを知らせて臓器移植の日程を決めさせた」
「言っている意味が分からないな。世羅さんの為に、死刑を行う。そんなこと出来るわけが無い。そんなことをすれば法律に触れる」
四法院が、眼を細め疑心を示した。その視線に、鷹山大臣は厭味を効かした仮定を口にする。
「例えば、ありえない事だが、金銭を受け取っていない私が世羅氏の要望を聞いて、河野死刑囚の死刑執行命令書に署名したとする。死刑判決を受けた死刑囚を死刑に処して何か問題があるのかね?」
鷹山は、御堂に問いかけた。
「ありません」
「法務大臣は、死刑囚を死刑に処す権利があり、被害者心情を汲んで署名をする義務もある。その行為に、一点の違法性があるかね?」
今度は、谷元の眼を見た。
「ありません」
谷元は短く答えた。
「間山事務次官。私が、一度でも河野死刑囚を名指しして、署名したかね?」
間山事務次官は、頭を横に振り答える。
「ありません」
そして、大臣は四法院に向き直った。
「確か、名前を四法院君と言ったね」
「はい」
「私は、死刑囚を死刑にする為に命令書に署名をした。これが一般市民を殺したのであれば大問題だ。だが、法で与えられている権限を正当に行使した。これも大臣職務だ。私に、法に反する行為があったかね?」
「ありません。今のところ」
悔しがる四法院に、大臣はご満悦だ。
「どれだけ調べても出てこないさ」
「では、徹底的に調べさせて頂きます」
この言葉を口にするのが精一杯だった。
鷹山大臣に退室を促され、四法院を先頭に皆玄関へと歩き出した。
「鷹山大臣。申し訳ありません。私も警察への協力は断れませんので、これで大臣の疑いが晴れてよかったです」
谷元が笑顔で口にした。
「なに、気持ちは分かる。谷元君も国を憂い秘書をしておるのだ。権田先生によろしく言っておいてくれ」
「畏まりました」
そんな会話が、廊下に漏れ聞こえていた。
鷹山大臣の内心を推し量れば、激昂してしかるべきだろう。谷元君にも売られたという認識がある筈だ。だが、そんな感情を完全に制御し、笑顔で対応したのだ。流石、この地位まで昇りついた人物は違う。今後の報復は恐いが、その尻尾を掴めば、また新たな展開があるかも知れない。
ともかく、四法院が敗北した姿を見て、どう声を掛けるべきか分からなかった。
「四法院………」
励まそうと名を口にした時、四法院の口の端が笑っている事に気がついた。
三
その日の夜、御堂から御役御免を伝えられた。これ以上、一般人を巻き込むと、自身にとって危険と判断したのだろう。
その対応に、四法院の怒りが爆発するだろうと思ったが、御堂から現ナマを受け取り、ホクホク顔でその場を去っていった。
帰ってくるなり、四法院は寝ている。鷹山のような力だけの二流政治家に、あの言われようは僕でさえ悔しかった。四法院が、悔しくない筈がない。
それなのに、四法院はうつ伏せ状態で熟睡している。僕は、コンビニで缶ビールを大量に買い込んで呷るしかない。ニュースは、相変わらず両氏の特番を放送し、河野の冤罪にも、世羅氏の臓器への執念、天野氏の世羅氏との過去などは放送していない。
今でも、恐ろしく偏った情報を放送している。
「なんだ、臭いと思ったら酒を飲んでいるのか………」
四法院の目が覚めたようだ。
「飲むかい?」
「いや、俺は壺切茶にする」
その言葉で僕は、四法院が酒も煙草もギャンブルもしない事を思い出した。
手にしている缶を垂直近く傾け、一つ空けた。
「何をそんなに荒れてるんだ?」
「何を?何をって、どう云う意味だい?鷹山大臣に届かなかった事、なんとも思ってないのかい?」
僕は、新しいビール缶の封を開け、勢い良く流し込む。
四法院は、一級茶葉を急須に放り込み、八十五度に設定したお湯を注ぐと甘味と渋みを含んだ品の良い香りが僅かに漂った。その芳醇な香りは、アルコール臭に押し消された。
四法院は溜息を着くと、向かい合い座った。
「永都、大臣には届かない。俺には判っていた。だが、君は気付いてしまった訳だ」
「君は何かい。共犯の鷹山を野放しにする気だったのか?」
「まぁ、そうだ」
まさかの肯定に、僕は開いた口が塞がらなかった。
「ちょっと待って。天野、世羅、両氏を逮捕しておいて、何故鷹山を見逃すんだ!?」
壁の薄いボロアパートの一室で、いま話題の事件を声高に叫ぶ僕に、四法院は人差し指を口に当てた。
高級料亭の個室ならともかく、こんな貧者のアパートに事件の全貌を知る人間がいるなど誰も思わないだろう。だが、注意は払っておくべきだった。
「いいか。鷹山の関与は疑う余地もない。鷹山は狡猾だ。すぐに足がつくような事はしないだろう。これからは僕の予想だ。おそらく鷹山は、直接的には世羅資金を得ていないだろう」
「だったら、どうやって手にするんだ?」
「そうだな。僕だったら、党に献金して貰って、党から資金援助をしてもらう。他には、パーティー券での献金など、まぁ、この手の話なら谷元の方が詳しい」
「で?」
僕は、酒を呷った。
「莫大な世羅資金は政界に確実に流れている。それは与野党問わずにな。鷹山が逮捕されれば、内閣への打撃は避けられない。もっとも、代議士には不逮捕特権があるから逮捕はされないがな」
「だから放っておくのか?」
四法院は否定した。
「ここからは、政治的解決をするのさ。ま、テレビを見てれば、そのうちわかるよ」
四法院は緑茶を啜った。
僕は、法務省での意味深な笑みを思い出した。
「わかった。勝てるんだな?」
「ん~。これは、勝ち負けではないさ」
「だったら何だい?」
「生存競争かな」
四法院の達観した表情を見ていたら気になることを思い出した。
「四法院、そう言えば色々と気になる事があるんだ」
「なんだい?」
「惚けるなよ。ホラ、入試問題のもう一つの円さ。それとなんで、その問題が事件解決に役立ったかだ。教えてくれるんだろ?」
僕は、二缶目のビールを飲み干した。
その間に、四法院は紙とペンを取り出す。僕は、三缶目のビールは開封しなかった。
四法院は、紙に図形を描いた。
「これが問題だ」
そう言って、四法院が図形を描いた紙を差し出した。
「そして、ここまで解っている」
そして、僕が書き込んだ円を書き足した。
そうなんだ。そこまでは解っている。だが、もう一つの円が見えない。
悩んでいる僕に、四法院がペンを持って、線を書き足した。
「これならどうだい?」
四法院は直線Lを驚くほど延ばした。
じっと考える。アルコールの所為か、頭が働かない。
「どうだ?」
(アッ!)
表情に出た。
「解ったようだな」
そして、四法院がもう一つの円を素早く書き足した。
「ちょっと、俺に書かせてくれよ。折角、解ったんだからさ」
四法院は、意地悪く笑っていた。
「さぁ、どうしてこの図形から、事件が解ったか説明してくれ」
僕は三本目の缶ビールに手を伸ばした。
「この図形の問題は素晴らしい」
四法院が、問題制作者へ賛辞を呈した。
「もったいぶらないで、早く説明してくれ」
僕は、キンキンに冷えているビールを咽喉で味わうと幸福感が手足に染み渡った。
「この図形、事件の構図に似ている。この図形問題の要は、直線Lだ。直線L が、河野の時間軸。円1との接点が、老夫婦惨殺事件。円2が、死刑だ。それぞれの中心に、首謀者がいる。老夫婦惨殺事件であれば村中堅太郎であり、死刑執行であれば、鷹山法務大臣だ」
頷いた僕は、ビール片手にワサビ味の柿の種を口に放り込んだ。ピリリとする美味が、口の中に広がる。
「本来は、円1、円2で終わっていた。だが、三点に接する円が、直線Lと1と2の間に割って入った。それは、我々が関与した死刑囚河野殺害事件だ。その円の中心には天野だ。これだけだと、事件の全容はまったく見えないんだ」
確かに、僕たちは、この三つの円しか見えていなかった。河野の死が、全てを清算すると勝手に思い込み、そこまでで思考停止をしてしまっていた。
「俺たちは、天野と村中、天野と河野の関係を探ったが、どうしても出てこなかった。それは当然だ。天野は、それらの情報は世羅の情報網と政界の情報から偶然手に入れたに過ぎなかったのだから。そして、この問題だ。直線Lを伸ばした先に見えなかった最後の巨大な円が見えた。そこで初めて、死んだ後に何があるのか考えた。解決の糸は、河野殺害状況を振り返ることだと思ったんだ」
「なるほど、そこで胸の傷か………」
「そう、あの傷だけがどうしても不可解だった。殺して済むなら、もっと容易で、自然な殺し方があった筈だ。それなのに、胸の傷だけが、どう考えても余計だった。そこで、赤十字の検査項目を見て、両胸の傷は肺を示しているのだと直感した。肺の摘出から移植時間は八時間、心臓が二時間。この事を思い出したとき、直感は確信に変わった」
僕は、ほろ酔い加減も手伝い、手を叩いていた。
「素晴らしい。今回の事件を小説にすれば、デビューできるじゃないか」
「永都、酔い過ぎだぞ。明日、講義があるんだろ?ここで寝て、酔いを醒ませよ」
それからの記憶は残っていない。体が心地よく睡魔に侵略された感覚だけを残していた。
ここまで読んで頂きありがとうございます。
御意見、御感想、誤字脱字の指摘、なんでも大歓迎です。




