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四法院の事件簿 1    作者: 高天原 綾女
10/12

九章 四法院動く

        一


 四法院は、捜査員から渡された資料を一度だけ見ると、亀有署の一室、その部屋の片隅で文庫本を読んでいた。

 僕は御堂に連絡をしたが、電話が通じなかった。おそらく、四法院からの情報で上層部と掛け合い時間稼ぎの工作をしているのだろう。

 捜査陣は、未だに天野、世羅、両氏の情報を集めている。

 四法院が、世羅の情報を欲しがっていたので、僕もその情報を見せてもらった。

 その紙には、両氏の経歴から会社の経営方針まで記入されていた。

 会社の情報は、どうでもいい情報ばかりだった。

 四法院が気にしていた。河野の殺害された日で、世羅弘蔵の前後七日程を調べあげていた。

 河野が殺害された当日、世羅は都内の私立大学病院に入院していたことが判っている。

 世羅氏は、四十代後半だが体を患い、入退院を繰り返していると記されている。

 親の後を継ぎ、若くして二十代で社長に就任して重厚な取締役たちに補助され、企業自体は成長していた。歴史でも証明されているように、暗君でも補佐役、側近が優秀であれば全体としては問題が無いようだ。

 世羅は、河野が殺される五日前から大学病院の豪勢な個室に偽名で入院していた。その直前に、法務省に寄り鷹山大臣に面会している。会見時間は十分を超える程度だ。

 世羅氏は、官庁に影響力を持っている以上、その行動は自然である。官庁に訪れる行為に疑わしい動きは無い。その二日前には、国土交通省に出向いている。

 世羅の病状は、若年性肺気腫と記されていた。

 老夫婦惨殺事件当時の世羅氏の行動も判っている。通院はしているが、会社の社長として辣腕を揮っている。

 唯一訝しい点と言えば、献血後の河野は派遣会社に所属する。その派遣会社は、河野を世羅グループ傘下の会社にばかり派遣させ続けている。その理由を現経営陣に問いただしたが、現在は当時の責任者が辞めているために判らなかった。たとえ、責任者が居たとしても、世羅グループは超巨大企業だ。その派遣会社で請け負っている派遣先で全体の四割が世羅系だった。調べれば、世羅傘下の企業に派遣されている者が複数人いるだろう。

 派遣先の業種は、警備、運送、清掃、土建など多岐に渡っている。犯行直前の勤務先は、木材加工会社だった。

 ここまで調べても、河野を死刑囚にする動機が見つからない。四法院の顔を見る限りは、既に事件は解決しているとばかりに、本格ミステリー小説を読んでいる。

 四法院には、もう事件の真相が解っている。であれば、何故動かないのか。御堂を待っているのだろうか。

 窓辺で文庫本を捲っている四法院からは何の推察も出来なかった。

 御堂が現れたのは、夕方午後五時を過ぎた頃だった。

 険しい表情で御堂は、四法院の居る部屋に真っ直ぐ向かってきた。


「よう、御堂。随分早かったな。俺は、深夜になると思ってたよ」


 読んでいる小説から目を離し、吹けば飛びそうなほど軽い口調で言った。


「四法院、何をしている?」


 御堂は、不快さを隠しきれないでいた。


「何って、見たらわかるだろう。推理小説を読んでいるんだが」


 そう言って、再び本に視線を落とした。


「何故、動かない?全て解っているんだろう?俺が来たということは、これから直ぐに動くぞ。時間が無い」


それでも、四法院は本を読んでいた。


「時間が無いって?」


 僕が御堂に聞いた。


「このままいけば、最短で二日。二日で、捜査は形骸化させられる」


 御堂は、警視庁上層部に探りを入れたんだろう。人脈構築の巧みな御堂をもってして、どうにも出来ないのだろう。そう考えれば、どんな時でも冷静な御堂が焦る理由もわかる。


「四法院・・・・・・急いだ方がいい」


 僕も、御堂に賛成だった。それでも、四法院は動かない。

 まるで僕たちの声が聞こえないかのような振る舞いだ。


「四法院。貴様が動きたくないならそれでいい。だが、今すぐ見えていることを全て話せ」


 御堂の苛立つ声と同時に机を叩く音が室内に響いた。

 一瞬、室内が無音に支配される。

 音の無い室内の状況を打ち消したのは、四法院が本のページを捲る音だった。


「四法院、御堂の気持ち分かるだろう。何とかしたいんだよ」


 僕ですら、御堂の気持ちが手に取るように分かった。僕自身、ここまで捜査に協力している以上、謎は解きたいし、犯人は挙げたい。その感情が、言葉を続けさせる。


「じゃ、動けない理由を教えてくれ。猶予は、あと二日だ。君の呪縛が二日で解けるのか、そうでないのか分からないとこちらも動けない」


 四法院は読んでいる小説を両手でたたみ、目を細めた。


「永都。君は、いつから警察の犬になったんだい?」

「別に犬になった訳じゃない。犯罪者をなんとかしたいだけだよ」

「大した正義感だな。だが、まだだ。まだ動けない」

「だから、その理由を言え!」


 御堂が言った。

 四法院は、説明することが面倒臭いのか、再び本を開いた。その本を、御堂が奪い机に投げるように置いた。

 四法院が、大きな溜息を吐くと話す姿勢になった。


「悪いが、一切話す気が無い。それに関する説明もしない。俺も含めて出来るのは、待つことだけだ」


 情報が漏れた。四法院は何かを待っているらしい。何を待っているのだろうか、御堂は動きを終えている。既に世羅と天野の捜査も終え、情報はここに揃っている。

 あと、あるとすれば・・・・・・。

 僕が室内を歩いていると、四法院がしゃべった。


「御堂、お前の準備は完璧に整っているのか?」


 御堂は、その問いに不快さを隠すことなく答える。


「誰に言っている。私は、講じるべき策は全て講じ、打てる手は全て打つ。キサマと違ってな」

「そうか、それなら安心だ。最悪、お前が職を辞せば済むだろうからな」


 四法院が意味深に言うが、御堂は鼻で笑い飛ばした。

 四法院の醸し出す雰囲気に、僕と御堂の体から発する殺気が削がれているような感じだった。僕と御堂が心内で苛立つなか、四法院は窓の外を眺めている。

 外は、すっかり日が落ちていた。亀有署から見える風景は下町の情緒が溢れていた。

 何も知らない人が見れば、長閑な日常風景と変わらないように見えるだろう。

 突然、四法院の携帯電話が鳴った。

 四法院は、予想を上回る早さで反応し、電話に出た。


「はい」


 四法院の声に緊張感が籠もっている。


「どうだ?」


 四法院はそう言って、しきりに頷いている。


「そうか。流石だな」


 笑顔でそう言う四法院の表情は明るい。


「誰からだ?」


 御堂が聞いた。四法院は、電話に夢中でその問いには答えない。


「ああ、お互いにな」


 そう言って電話を切り、片手で折りたたむと、四法院は立ち上がった。


「さ、行こうか」


 四法院の意外な発言だった。


「どこへ?」


 僕が聞いた。


「犯人の所へだよ」

「動けるようになったのかい?」

「ああ、これで何の心配も無い」


 余裕の表情の四法院に、御堂は言った。


「行く途中、説明はしてもらうぞ」

「説明?そんな物は、もう必要ない。あとは、解決するだけだ」

「せめて、さっきの電話の相手は誰だ?それくらい答えられるだろう」


 御堂は、外に出ようとする四法院の前に立ち塞がった。四法院は、御堂の肩に手を置き言った。


「谷元だよ。さあ、急ごうか」


 そう言って、部屋を出た御堂は、何かを感じたらしく携帯電話を取り出して室外に走って出て行った。

 僕は、四法院の後に付いて行って、御堂の車に乗り込んだ。

 御堂がなかなか来ない。何をしているんだろうか・・・・・・。あれ程、四法院を急かしていたのに。

 車に乗り込んで数十分後、御堂は眉間に皺を作って現れた。



        二



 四法院が、運転をしている刑事さんに、新宿区にある大学病院に到着した。


「ここは?」


 僕は素朴な疑問を口にした。


「ここに、SGI会長こと世羅弘蔵が入院している病院だよ。報告書にあっただろ」


 四法院が車から降りると、僕と御堂、そして後に続くように刑事五人が続いた。

 四法院が、休憩中の看護師のお姉さんを呼び止めた。


「ルンゲ(呼吸器外科)の病棟はどこですか?」


 お姉さんの白い手を取って聞いた。

 二十代前半の看護師は、突然の出来事にアワアワしている。

 笑顔で接する四法院に、背後から御堂が首根っこを掴んで引っ張った。


「こっちだ。俺が、案内してやろう」

「おい、御堂。お前、なんで人の恋路を邪魔する」

「恋は、事件が解決してからやれ」

「馬鹿が、一期一会の精神を大事にするのが日本人の美徳というものだ。俺が、少しだけ尊敬している千利休もそう言っている」

「駄目だよ。四法院。TPOをわきまえなきゃ」


 僕が、そう言うと四法院はこう抗った。


「お前ら、西洋カブレのアメリカ文化に汚染された人間は、何でも横文字、キリスト教的観念で考える。日本人は、日本文化を大切に・・・・・・」

「わかったわかった。お前の主張は、ネット世界で掲示板にでも書き込んでくれ」


 御堂が、先を急がせた。


「ここだな」


 御堂が、部屋の扉の前に立った。個室というのは判るが、扉の感じから高級感が滲み出ている。御堂が、扉を開けて入室した。

 僕は、驚いた。病室とは思えない内装、まるで一流ホテルの一室のような木目を基調とした温かみを感じる調和の取れた室内だった。その室内に、豪勢なベッドと驚くほど薄いテレビ、その他は生活用品が置いてあった。

 ベッドの上には、やせ細った初老の男。その傍に、三十代前半のいかにも切れ者という感じの秘書が立っていた。ベッドに座っている男が世羅だろう。


「どちらさまですか?」

「警視庁の者です」


 答えたのは、御堂だった。


「私は、警視庁刑事部管理官。御堂元治と申します」


 長い黒髪の秘書の女が、警察の非礼を責めようとしたのをベッドに座っている世羅が止めた。


「何の用かね?」


 世羅は、掻き消されそうな細い声で言った。


「私共は、河野死刑囚殺害事件について捜査しております」

「ほう。で、わたしに何か御用ですかな?」

「四法院」


 御堂に呼ばれる前に、四法院は動いていた。四法院は、世羅と対峙するように立った。


「此方は?」


 世羅が聞いた。


「俺は、しがないフリーターですよ」

「警察の方じゃない人が、この中に入っている理由は何ですかな?」

「その訳は簡単ですよ。僕が、事件の全容を解明するからです」


 世羅は、四法院の言葉を全く理解できていないようだ。


「すまないが、私が分かるように話してくれないか。その死刑囚が殺されたことと、私がどう関係する?」


 世羅は、当然の反応をした。四法院の言っていることは、全てが唐突なのだ。


「あれ、おかしいですね。心当たりがあるでしょう。河野亮太という人物に」

「さぁ。私には、殺人犯に知り合いは居ませんからな~。美月君、記憶力の良いキミなら、私とその河野という人物がどういう関係か把握しているかね?」


 この秘書の名は、美月というらしい。秘書は、髪を掻き揚げて答えた。


「いえ、私が入社して八年になりますが、一度もそのような人物との接点は御座いません」

「なぜ、殺人犯だと知っているんですか?」


 四法院は聞いた。


「死刑判決を受けるということは、殺人犯だろう。日本では、殺人以外で死刑になることはほとんど無い」

「そんなことは無いですよ。現在、死刑にあたる罪は十八種。人を殺さなくても死刑になる可能性はありますよ。もっとも、ほとんどの死刑囚の罪は殺人罪が含まれていますがね。それでも異例の死刑判決がありますよ。例えば、無実で殺されるとかね」

「言っている意味がよく分からないな。刑事さん、ちゃんと説明していただきたい」


 世羅の苛立つ声に、御堂が補足をした。


「我々は、あなたが約五年前の老夫婦惨殺事件の計画犯だと考えています」


 世羅の表情は、僅かだが変化した。


「突拍子も無いことですな。刑事さん、私がなぜ老夫婦を殺害せねばならないのです。是非とも理由を教えていただきたいですな」

「それは・・・・・・」


 御堂は言葉に詰まった。世羅は畳み掛ける。


「私は、この国で五指に入る富を有している。そんな私が、老夫婦の小銭など狙う価値も無い。たとえ恨みがあったとしても、晴らすなら社会的制裁で十分だ。違いますかな?」

「違います」


 言ったのは四法院だった。


「どう違うのかね?」


 世羅は、挑発的な口調で聞いた。


「俺も、始めのうちはさっぱり分からなかった。だが、見方を変えれば、全てが見えた」

「では、定職に就かれていない貴方は、あくまで私が殺人計画を練ったと主張する訳ですな」


 世羅は、あくまで四法院を馬鹿にした口調だ。


「そう。あなたが、驚愕に値するほどに遠大な計画を練ったのは賞賛に値するが、運が悪かった。二重に・・・・・・」


 世羅の顔に怒気の色が射した。


「私には、老夫婦を殺害する動機が無い。その事件に関して、私に利益はない。いや、河野という人物との接点すら無い。そんな人間を罪人扱いとは甚だ迷惑だ。このことは、国家公安委員会で問題にする」

「動機はありますよ。利益は、邪魔が入って得られなかったが、あなたは紛れも無く罪人ですよ」

「御託は結構。その動機とは何だ?」

「貴方の狙いは、河野だったんです」


 世羅は、咳き込みながら笑った。


「その様な人物と接点は無いと言っているだろう」

「接点は無くとも、あなたは河野を狙わねばならなかった。いや、河野でなければならなかった。生きる為に、河野の臓器が狙いだったからだ」

「どういう事だ?」


 御堂が声を上げた。


「簡単だ。世羅氏は、三十代にして若年性肺気腫にかかった。肺気腫とは肺胞が徐々に壊れていく病だ。そうなると、肺は全体として弾力のない伸びきったゴム風船のようになり、勢いよく空気を吐き出そうとしても思うようにならない。肺気腫になると、その効率も悪くなるため、ちょっとした体の動きですぐに体内の酸素不足が起こるようになる。現在、肺気腫の治療法はない。座して死を待つだけだ。だが、一つだけ方法がある。それが肺移植だ」


 世羅も御堂も黙っていた。四法院は先を続ける


「あなたは生きる為に、莫大な私財にモノを言わせた。まず、ドナーを探すことから始めたが、ここは日本。ドナー登録数など、ほとんど絶望的な数値だ。だから、効率的かつ確実に、自身と適合する人間を探す方法を編み出した」

「どうやったんだ?」


 御堂が口を挟んだ。


「ドナー(臓器提供者)とレシピエント(移植希望者)の適合性を判断する手法は、血液検査だ」

「そうか!そこで、献血か!」


 僕が声を上げた。


「そう。あなたは、赤十字に食い込んだ。理事官や医師、おそらく事務などにも内通者を作り、可能な限り情報を得たのでしょう。血液データさえ手に入れば、血液型、前感作抗体、CMV抗体、HLA型など主要な移植に欠かせないデータが手に入る。内通した日赤職員も物を盗むような抵抗感もないから、協力は得やすかったでしょう。そして、ドナーという自身の生贄が見つかるまで、精力的に政界、官界、医師会などに膨大な金を流し込んだ。もっとも、それ自体はたいした事じゃなかった。前々からやってきた事の延長に過ぎない。そして、あなたは法務省に目をつけた」


 四法院は、眉を掻いて一息ついた。皆、次の言葉を待っている。


「あなたは、どうやって移植をするか考えたが、妙案は出なかった。何しろ臓器を売ってくれと言われて

売る日本人はいないだろう。そして、河野が献血に訪れた。血液型は同じA型、CMV抗体は同じ陰性。HLA型の誤差も少なく免疫抑制剤に頼ることが少ないという奇跡的な適合率のドナーだった。あなたは、欲が出てきて両肺が欲しくなった。そして、肺気腫で弱った心臓も取り替えようと思ったのかも知れない」


 僕たちは何も言えず、ただ四法院の言うことを息を呑んで聞いていた。


「まさか、金を唸るほど持っていたとしても、安易に殺害して臓器を奪う訳にはいかない。可能な限り合法的で、出来うる限り露見しない方法を考えた。国に殺して貰い、臓器だけ頂くという手段に出た。そこで、村中を利用した。冤罪事件をでっち上げ、物証で固めた。あなたはいくら使っても河野を死刑にしなければならなかった。その為に、関係先の人間を使って物証を捏造した。例えば、木材加工会社で、斧から柄を外して触らせた。木材の会社で斧の柄に使う木に触ったことなんて本人だってわからないだろう。そういう捏造証拠を積み上げ、最後は弁護士を向かわせた。そして、あまりに酷い弁護をやらせて、目論見通り死刑にすることが出来た。死刑囚の処刑後の動きは闇の中だ。死ねば人権も無いからね。それに、拘置所の医師は厚生労働省ではなく、法務省所属だしな。河野の遺族がいたとしても、死体の胸に不自然な傷があっても、遺族が胸を開胸して肺があるかまで見ないだろう。死刑囚でもある。異議を唱える訳がない。あとは、村中を海外に逃亡させれば万事解決。頃合をみて、口封じでもやる気だろ?」


 世羅は笑っていた。


「空想だな。証拠はあるのか?」

「ここに、河野の血液データがある。貴方の血と、これから比較してもいい」


 四法院は、データの記されている紙を掲げた。


「たとえ、適合率が高めに一致したとしても、私は未だに病だ。治っていない。臓器を得ていなければ、治ってもいない」

「では、なぜ河野の死刑執行日の数日前から入院していたんですか?」

「たまたまですよ」

「では、何故、死刑執行日に移植手術の予定が入っていたのか教えて貰いましょう。しかも、オペ予定だったにもかかわらず、臓器は届かず、オペが中止だったのは何故ですか?病院側によると、世羅氏が臓器は必ず届くと言っていたのを証言しましたよ」

「それはだな・・・・・・」


 世羅は、言葉に詰まった。


「ま、いいでしょう。関係者の金の流れを追えば済む話だ。なっ、御堂」


 御堂は頷いた。そして、指揮官として付け加える。


「今頃、本社や自宅の方に刑事たちが到着しているでしょう」

「丸の内の本社や世田谷の自宅が捜査できれば、証拠はたくさん出るだろう。貴方の計画は完璧でした。だが、運が無かった。まさか拘置所内で、河野を殺されるとは思わなかった。あれさえなければ、僕が捜査に加わることも無かった」


 世羅は怒りで震え、咳き込み苦しみだした。呼吸を整えるとしゃべり出した。


「君は、君には私の臓器を奪った者が判るのか?」

「えぇ。ですが、貴方の臓器ではありませんが・・・・・・」

「何を言う。私の肺だ。私の・・・・・・。貧乏人に、健康な臓器など不要だ。私が使用してこそ、社員の生活も経済も国力も向上するのだ。貧民の臓器など、富裕層の予備に使えば良いんだよ」


 世羅は興奮した為か、咳きが止まらず荒い息遣いだ。

 世羅弘蔵の逮捕を見届けることなく、四法院は室内を出た。


「次、天野の会社だな」


 そう言うと、御堂と僕は四法院の後を付いて行った。



        三



 夜が更けていた。早々に車に乗り込み、行き先を指示した。

 新宿区の病院から、六本木の超高層ビルへ向かう。目指すは、天納グループの中枢が置かれている通称バベルの塔である。


「バベルの塔の伝説が、また一つ増えるな」


 四法院は、愉快そうに笑う。


「君は、会社を潰す気なのかい?」

「まさか。民話を作りたいだけさ」


 四法院は、どこまでも楽しそうだ。

 夜の六本木は、日中より数段国際化している。国籍不明の外人が街を闊歩し、品の無い女性があられもない姿で道路で酔い潰れていた。

 四法院は、この街に興味は無さそうだ。 

 十字路を曲がると、ライトアップされている丸みを帯びた高層ビルが見えた。そして緑地化されている敷地内と通り、地下駐車場に入っていった。

 天納グループ本社には、数人の刑事が待機していた。

  何やら報告を受けている御堂を放置するように、四法院は先に進み出す。

 病院と違って、館内は華やかさがあった。

 贅を尽くした無意味なエレベーターに乗り込むと、四十四階のボタンを押した。

 高速エレベーターは、無音に近い音量だが、体に掛かる負荷はどうしようもないらしく、膝と腰に重みがかかった。

 病院での四法院の推理は、かなり正確に当たっていたようだ。最後は、冷静な世羅の心境が顕になっていた。約五年前の老夫婦殺害事件の真相は分かった。老夫婦の殺害自体がまやかしであり、真の目的は河野を陥れることだった。だが、ここまでで約半分。もう半分残っている。

 四法院を見ると、血液が足に溜まる感覚が嫌いらしく、足を交互に振っていた。

 エレベーターが停止すると、ドアが開いた。


「着いたぞ」

「行こうか」


 御堂と四法院が同時に言った。

 僕は、その言葉に反応するように息を吐き出した。

 華やかな受付が見える。夜遅い時間という事もあり、受付嬢は居ない。

 刑事の一人が先頭をきって入っていった。御堂、四法院、僕、その他刑事たちと続く。

 社内は、静寂に包まれている。本社の中枢であることも、その一因なような気がする。

 社長室に向かいノックした。

 重低音の返事。

 ゆっくりと扉を開いた。

 豪華な室内。重厚感のある備品。約四半世紀で巨万の財を成した男が、前にどっしりと座っていた。

 他を圧するような眼力、覇気がある。


「待っていたよ」


 その言葉を受け、四法院が前に出た。


「吉報は聞かれましたか?」


 笑顔で、四法院が尋ねた。


「ああ。聞かせてもらった。スッキリしたが、残念でもある」

「そうですよね。ですが、この社会、自己責任ですからね」


 偉そうに言う四法院に、キサマが言うなとツッコミを入れたくて仕方なかったが、場を見守ることにした。

 天野は机に肘を着き、指を組んで、目を細めて言った。


「では、聞こうか」


 四法院は意を汲んだように、正面に立った。

 僕は、二人が何を話しているのか、全には理解できない。だが、共通認識がそうさせるのだろうと言う事は理解できる。

 四法院が喋り出す。


「事件発生当初、全く解らなかった。死刑囚を獄殺する意味、非定型の首吊り、死後に両胸を傷つける意味、混乱させられました。ですが、計画の粗さも目につきました。当初の感想はこれくらいです」


 天野の表情は変わらない。それを確認し、四法院が笑顔になり、姿勢を正して続ける。


「どの様な手段、タイミングでかは、わからないが、貴方は世羅氏の遠大な計画を知った。天納グループは設立当初から、世羅企業に異様な敵対意識がある。過日の買収劇で、それが表面化してしまった。あの時、天野さんは、マスコミ、政界、財界からかなり叩かれました。恨みを晴らすには、丁度良かったのかも知れません。貴方は、随分前から世羅情報を収集していたことは分かっています」

「ま、いい。続けて」


 天野は、四法院に掌を上に向け出した。


「貴方も当初は、世羅氏が莫大な富を何の為にばら撒いているか分からなかった筈です。おそらく知ったのは、早くて三ヶ月前、遅ければひと月ほどでしょう。世羅氏に恨みを持つ貴方は、世羅弘蔵本人を殺すより、死刑囚の河野を何とかする方が遥かに都合が良かった。弱っている世羅氏は生きても、あと一、二年でしょう。世羅を間接的に殺害するために、是が非でも河野を死刑にする訳にはいかなかった。だからといって助けるには絶望的に時間がない。熟慮した末に、結論は殺害に行き着いた。何しろ、河野と自分を繋ぐモノは何も無い。動機も、殺害理由を示す接点が無いんだ。自分の犯行だと判る人間は、世羅氏側だが犯罪者が犯罪者を訴え出る訳にはいかない。そこで天野さん、自身の安全も確約されると踏んだじゃないですか?」


 天野は無言で四法院を見ている。


「そこで、水森刑務官が浮かんだ。公務員にしては多額の負債。さらに追い込む為に、追加融資をしたのでしょう。そして、徹底的に追い込んだ末に、甘言で籠絡したのでしょう。地獄から開放されれば、再び地獄に落ちたくないですからね。その上、逃亡先、資金、手引きなどの約束をしたのでしょう。海外の落ち着き先に、別れた奥さんと子供を呼んで暮らせばいいと」

「そんなこと、どうしてわかるんだい?」


 捜査中、共に居た僕にはそんなことは見えない。だから、聞いていた。


「推測ですよ。僕だったら、こうすると。資金が潤沢にあり、時間が無く、借金苦に喘いでいる者を相手にするなら、僕ならこうする」


 四法院は、あとで金の流れを追ってくれと付け加えた。


「貴方は万が一の為に、二重、三重に予防線を張った。それが矛盾だらけの殺害現場だった。水森には、なるべく罪の意識を持たせないように止めは刺さないような手を教えた。食事に向精神薬・睡眠薬を混ぜ、寝る前にさらに睡眠薬を飲ませた」

「なぜ毒じゃないんだい?毒であれば、移植も阻止できた上に、逃走も容易いじゃないか」


 僕が聞いた。


「毒だと完全に他殺じゃないか。そうなると、不都合なんだ。直接、命を奪うことは水森も抵抗感があるだろうし、完全に他殺であれば捜査が混乱しない。向精神薬と睡眠薬のブレンドは、非定型の縊死でも十分に殺せる。だが、首を吊れる物が独房には無い。何しろ自殺防止も拘置所の役目だ。他にも監視カメラもある。最大の不安要素は、水森の心変わりでしょう。その為に、あなたは様々な手を尽くした。監視カメラの細工、そして健忘症を引き起こす薬だといって、カプセルを飲ませた。それの行為は、水森を納得させる為でもあり、保身の為でもあった」

「どういうことだ?」


 聞いたのは御堂だった。


「カプセルには毒が入っていた」

「ちょっと待て、カプセルに毒物を入れても、二時間ほどで効果が現れるだろう」


 御堂が言った。その言葉に四法院が答える。


「そのカプセルは、胃で溶けず腸で溶けるタイプなんだろう。大体、四時間、そうであれば死亡時刻が納得いく」

「まだ疑問はある。だったら、監視カメラの細工は何の意味があるんだ。殺すなら、カメラに細工しない方が単独犯だと思わせられるだろう」

「それだと、河野の死体が発見された直後に監視カメラを見られれば、水森の犯行だと判ってしまう。そして、すぐに尋問され天納グループの関与が浮かべば破滅だ。監視映像の細工は、直接的な危機を回避する為だった。水森の口から出なければ、いくらでも警察の疑惑など突っぱねられるからな。何しろ警察は動機を知らない」


 話が逸れ、御堂が目を細めた。


「話を非定型の首吊りにまで戻そう。天野さん。貴方は、決定的なミスをした。水森刑務官に河野が死んだ後、両肺を移植に使えなくする為に文具で突いて臓器を損傷させた。貴方は怖かったんだ。肺の摘出から移植までの許容時間は約八時間。拘置所が事件を闇に葬り、両肺を摘出しかねないと。だから、傷を付けずにはいられなかった。それで、あの矛盾だらけの事件現場が出来上がる。だが、その行為がヒントになった。その後、水森の死は決まっていた。ただ、死んだタイミングが、あまりに絶妙だった」


 皆、言葉が無かった。四法院は、天野氏に微笑んでみせた。


「以上ですが、どうですか?天野さん」


 四法院の問いかけに、天野は椅子に深く背を落とした。


「四法院君と言ったかね。君の事を調べさせて貰ったよ。正直言って、これほど前後左右、幅も奥行きも高低のある人間は初めて見たよ。この社会、生き難いだろう」

 四法院は、笑顔で応えた。

「それにしても、我が社以外にこのような人材を使う組織があるとは・・・・・・。しかも、柔軟性と対極にある警察が・・・・・・」

「俺は、善良で正義感溢るる一市民です。国は、民から搾取することしか考えていませんが、わたくし個人は愛国心があるのですよ」


 四法院の愛情のまったく籠もっていない口調と態度が、場を極限までシラけさせた。


「天野さん、一つお聞かせ下さい。僕には、世羅弘蔵を殺害する動機がどうしても分かりません。皆は、企業的対立から買収劇の恨みと見るでしょうが、金銭や経営などと関係しているようには、どうしても思えないんです」

「どうして、そう思うのかね?」

「俺は、貴方を尊敬しています。あなたが、企業買収で一敗地に塗れたからといって、陳腐な報復に出るとは考えられません」

「光栄だな。理由を聞いてもいいかい?」


 天野はゆっくりと足を組んだ。


「あなたは、世間ではハイエナ、守銭奴などと呼ばれているが、実は違うと確信しています。企業を強引に買い漁っているようで、技術力、人材、知を集積した会社しか手を出していない。もっとも、不採算部門は切り捨て、天納グループにとって不要部門は他社に売却するが、技術や人材は手放したことは無い。特に、優秀な企業が外資の手に落ちようとした企業を日本国内に止まらせている。この意味は大きい。無能な政治家、拝金主義の経営者、何にでも無関心な国民のなか、貴方は世界を見据えていることに感歎を隠せません」


 天野氏は、柔和な表情をしていた。


「私の意図を正確に汲み取っている人間もいるのだな」

「貴方の救った技術、人材、知識は、全官僚及び全代議士より国に貢献しています」

「ま、それ相当の利益を得たがね」

「当然でしょう。それくらいの権利はあります。貴方の能力からすれば、世羅氏の総力に敗北したからといって、力を蓄えつつ機を待つでしょう。それ故、今回の事件が腑に落ちません。答えて頂けますか?」


 天野は冷静に、また思い出すように語り始めた。


「あれから、もう三十年近くなるな。儂がまだ二十六歳だった時だ。当時は高度経済成長の時期もあり、皆貧しいが忙しく希望が持てる時代だった。二十の時、儂は婿養子になり結婚した。経済力も無かったのに、妻の両親は結婚を許してくれたんだ。戦争で父親を失っていた自分にとって、幸せな日々だった。同い歳の妻。程なく娘が生まれた。娘が二歳の時、全てを失った。妻は、家族思いで優しかった。その時、儂の母親、妻の両親、子供を連れて初めての旅行だった。儂は、仕事の為に翌日合流する予定だった。だが、待ち合わせ場所に行ってみると家族は悲惨な目に遭っていた。当時、十九歳の世羅が運転する車が、妻と娘、そして母と妻の両親までも、跳ね飛ばし、車体で押し潰していた。当時の狭い道路状況から逃げ場など無かったんだろう」


 天野氏の言葉には怒りは無い。ただ、背筋がゾクっとする程の冷気が込められていた。


「事件現場から見ても、世羅はブレーキすら踏んでいない。事故後の対応などもあまりに不誠実だった。将来の社長として、父親から権力譲渡が約束されていたのだろう。事件を長引かせない為に、始め奴らは、端金で釣ろうとし、次は儂を力で押さえつけてきた。儂は、刑事事件にしたかったが、警察は世羅の肩ばかり持っていた。癒着は明らかだった。そこで儂は、現実を知った。世羅に当時、一千万円という膨大な金で決着を図った。世羅に勝つには、金を得て力を持たないと駄目だと思い知らされた」

「そして、婿養子だった頃の苗字を捨て、現在に至ると言う訳ですか」

「ああ、必死に働いた。恨みを晴らす為だけに。働いている時、娘が儂を呼ぶ声が幾度となく聞こえた。その度に、世羅の希望を、光を奪ってやりたかった。当初は、世羅から会社、地位、資産を全て奪うことが目的だった。金持ちが金を奪われる。それが、どれほどに辛いか分かった。数年前の総力戦の買収劇は、その為だった。だが、何代にも渡り蓄積された世羅家の底力は異様なものだった。死力を尽くして一代で築いたモノなどでは、到底歯が立たなかった。だが、そこに世羅弘蔵の希望を砕く、千歳一隅の話が情報網にかかったんだ」

「肺移植ですね?」


 天野氏は肯定した。


「刑事さん。少し時間を貰えますか?」


 刑事たちは身構えた。この時点で、自殺を図ろうとする者もいる。そうならない様に飛び掛ろうとする刑事を四法院が止めた。


「大丈夫だ。この人は、経営者としての責任を全うしたいのだろう」


 天野氏は携帯電話を取り出すと、信頼できる常務に明日の取締役会で、自身の社長解任動議を提出し、決議するように伝えた。


「これで、社員を路頭に迷わせず、技術、知恵の保護がある程度は出来るだろう」


 天野氏の顔は、晴れやかだった。

 四法院は、一人室外に出ると、閑散としたオフィスを眺めていた。


「四法院、終わったな・・・・・・」


 声をかけると、友は振り向き答える。


「疲れたな。帰って寝るよ」


 後頭部を掻きながら、室内を出口に向かって歩き出した。



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