5.屋
ルゼル一級警邏騎士の元に、大鬼の豪商リカー殺害さるとの報が届いたのは昨夜のことだった。
警邏騎士とは、年中、角馬に跨って街から街へと練り歩き治安を維持する仕事である。ルゼル自身はこの仕事を選んだことについて一握りの後悔はあるものの、大公とその跡継ぎの小僧っ子三人まとめて病に臥せっているこの迷走する世において、少なくとも手に職を持っておくのは悪くないことだろうと思う。例え尻の皮が絶えず赤みを帯びていようと、家族もろとも食うに困ることと天秤にかけた場合、尻の皮程度で済めば安いものだといつだってそんな結論が出る。
報せを聞くや否や早馬を飛ばし、街をひとつ休む間もなく通過し、娼妓街に到着したのが今しがた。寝る間と喰う暇を惜しんだ甲斐は果たしてあったのかどうか、丸一日を絶えず走破してのけたへとへとの愛馬を枝教会の見習い坊主に預け、冷暗廟へと駆け込んだ彼が目にしたのは“いつもどおり”の綺麗な死体であった。
大鬼はよくよく戦士を輩出する一族なだけあって、どいつもこいつも体格のよい――時折、恰幅と勘違いした肥満体がいるものの――筋骨隆々揃いである。此度、殺害されたリカーもその他聞に洩れず、一目見ただけで敵に回すのが面倒と思えるほどのがたいだ。冷たい石の寝台の上でごろりと横たわったリカーはだらしのない笑顔ではあるものの、もはや声を上げて笑うことはできないし、そんな不自然は神がお許しにならない。いるかどうかはさておいて、否たぶんいないと思うが、ルゼルは教会の中で考えていいことではないなとかぶりを振った。
「お疲れ様です。いつもながら、お早い御着きですな」
手に持った燭台の明かりひとつで、死体をあれやこれやと触診だの眇めつだのしていたハーフ・エリィの老人が、こちらを見もせずにぽつりと労う。神父然とした恰好だが、神父ではない。教会は地下に霊廟を設ける義務がある。地上と地下では、担当者が違う。土より上は酒と女の大好きな自称神の信徒が、それより下は物言わぬ死骸を片付ける汚れ役が、それぞれ担っているのだ。当然、この爺は汚れ役であった。上の神父が女を抱いている間に、下の老骨は死体を運ぶ。
「トーマ殿、夜分遅くに申し訳ない」
剣帯を外し、入り口の二又に掛けながらルゼルは言った。鞘に納まっているとはいえ、死者に武器を覗かせるのは冒涜であると、そんなどうでもいい決まり事をここいらの神はのたまうらしく、だが逆らってもいいことはひとつもない上、逆らう理由もないゆえにルゼルはその作法に則る。これまでに数多の狼藉者を叩き斬ってきた飾り気のない無骨な長剣は、しかしルゼルがこの仕事に就いて以来、一度も折れず曲がらずを貫いてきた。神などよりもよほど頼り甲斐があるとルゼルは常日頃から思っている。
トーマと呼ばれた老人は、やはりこちらに一瞥すらくれずに死体の検分を進める。
「お互いに仕事ですからな。それで、騎士殿。まだすべてを調べ終えたわけではないのですが」
「見当はついているでしょう。なにせ、いつものやつだ」
まあそうですな、となんの感情も含まずにつぶやいて、トーマ検分官は大鬼の左胸のあたりを指差した。
「いつもの手口です。針のような何かで、急所を一突き、血の一滴すらこぼさずに仕留める。こいつはもう、あれですな、騎士殿」
「ええ。間違いなく“影縫い”の奴の仕業でしょう」
トーマのそばまで歩み寄り、軽甲冑の胸部の前で腕を組み、心底面白くないとばかりにルゼルは毒付いた。
影縫い。神出鬼没の殺し屋である。ここ数年の間、目撃情報のまったく上がらない、史上最悪の暗殺者である。