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エクェスィ・タルフス  作者: やと&星
4/21

4.星


 冷えた微睡みの中で、浅くおぼろな夢を見る。

 過去に存在し得た事だったか、それともただの虚無でしかないのか、それすらも分からないまま、底冷えした闇に身を浸す。

 

 《――……って、……いろ……》

 

 自分ではない声。

 だから多分、自分以外の誰かの言葉だ。話しかけられているのか、否か、その判断すらつかないけれど。


 《――……つか、かな……ず……》

 

 聞き覚えのあるような声。

 聞いたことすらないような言葉。

 ただ、そこに滲む感情だけはくみ取れる。必死に、懸命に。届かぬ手を伸ばそうとでもしているような。誰に? わたしに? それともほかのひとに?

 分からない、分からない、分からないわからないわからない……――。

 

 

 《かならず、むかえに》 

 

 

「ルウ」

 待たせていた先。石造りの長い長い廊下が延々と続くこのぼろ屋敷の隅っこで、いつの間にか眠りこけていた例のシュレイア……ルウの名前を付けてやったあの少女に、トヴァは冷淡に声をかける。

 瞬間、それまで眠っていたのが嘘のように彼女はぱっと目を見開き、立ち上がった。

 今までの経験上、半ば条件反射だったんだろう。咄嗟に傅こうとするのが分かったので、先に

「やめろ」

 と言った。びくりと震え、おずおずと見返してくる瞳が、愛しさすら覚えそうになるぐらいに、弱く、怯えている。表面化させることすらなかったが、内心では、笑っていた事を認めよう。

「来い」

「どこ、へ?」

「僕への依頼人のところ。お前のことを話したら、是非とも会いたいんだとさ」

 それを聞いて、ルウは首を傾げた。言葉の意味が理解出来ているのかいないのか、そんな事はトヴァにとって些事である。

 会わせろと言われたから会わせるだけ。これが下手な相手だったなら、のらりくらりとかわして逃げたところだが、今回の相手はその定義から外れる奴だ。

「一番奥の部屋。そこで待ってる」

 言い切り、すぐに踵を返す。歩き出して少しして、慌てて追いかけてくる野良猫の気配を背中で察した。

 

 

 

 元々、トヴァはある一定のギルドに所属している暗殺者ではなかった。

 物乞いの頃、ついに耐えきれなくなった飢えを何とかして満たす為に手段を選ばなかった事をきっかけに入り込んだ道。それがこの道。ただそれだけであったので、それ以上に思うところもない。以下の場合も同様に。

 故に、トヴァは様々な人間から様々な始末の案件を引き受けてきたが、今回の相手は、その中でも唯一、“常連”と形容してもいい相手だった。

 後ろ盾も何もない盗賊や暗殺者など、形式上の契約だけとって、使い捨てられるのが今の世の常。聞いていた話とまるで違う相手の下に放り投げられたり、提示されていた報酬額の桁を、一つ減らされたりすることなど当たり前。

 そんな中、奴は唯一、標的の情報と報酬を、寸分の狂いも間違いもなく、こちらへ提供し続ける奴だったのだ。生きる為に、そしてその為に金を必要としていた身であったから、自ずとそいつからの依頼を引き受けることが多くなった。そして、結果として常連になったわけである。……ある意味で、奴も大概の物好きだ。


 そんな物好きは、部屋に入って早々、薄暗い石の部屋にはまるで不釣り合いな明るい笑顔で、トヴァとルウの二人を出迎えた。


「やあ! 君がトヴァが引き取ったっていうシュレイアだね? わざわざ来て貰ってありがとう、何もないところだけど歓迎するよ」

 さらさらの、絹のような髪を肩まで伸ばすそいつは、一見するとただの子どもだ。年にして、十代の前半と後半の合間。風貌から判断出来る事実としては、エリィであるという事ぐらい。

 だが、身なりが下手に上等なだけに、周囲の冷たくぼろい石の風景から浮いて、その異質と物好き具合に拍車がかかる。

 チリ、と燭台と蝋燭の炎が揺らめく音。そいつと、トヴァと、ルウの三人が赤く照らされた。

「え……あ……?」

 ルウが戸惑っているのが分かる。子どもが出迎えるだなんて思っていなかったのか、それとも、こんな風に邪気もなく出迎えられた事が、そもそも未知の経験なのか。

「最初に言っておくぜ、ルウ。こいつの見た目だけは、何があっても信用するなよ」

「は、はい……?」

 戸惑ったままのルウが、曖昧に声を零した隙に、

「やぁねぇ……。それ以外のところではちゃんと信頼させてるでしょう?」

 先の少年は綺麗さっぱりいなくなり、代わりに妖艶な衣装を身に纏う長身の美女が、トヴァとの距離を詰めていた。長い髪が、音無く揺れ遊ぶ。

「あ、あれっ? え、さ、さきほどの、かたはっ……!?」

「……だから言っただろ、こいつの見た目だけは信用するなと」

「ふふっ。期待通りの反応で嬉しいわぁ。驚かせてごめんなさいね? こればっかりは、私の楽しみの一つでね。どうしてもやめられないの」

 ふわりと、艶やかに微笑んで、女はルウの頬を指先で優しく撫でた。整った顔には綺麗に化粧が施されていて、そこに微笑が浮かんだとあっては、普通の奴ならまず、言葉を失ってそこに立ち尽くすしか出来ないだろう。無論、それはシュレイアであっても例外なく。

 呆気にとられたルウの反応に満足したのか、奴はくるり、と優雅に踵を返した。衣装が音もなくはためき、一歩足を踏み出した頃には、目つきの鋭い爺となる。今までとは打って変わったぼろぼろの服から出てる痩せこけた細い腕には、古傷がいくつも刻まれていた。

 ここまでの、いっそ夢幻のようなめまぐるしい変化の中で、唯一変わらない点は一つ。エリィとして血を引いた証である、翡翠にも似た色をした、深緑の瞳。だが、それすらも『あえて』変貌させず、エリィだと錯覚させている可能性だってある事を、トヴァは随分前から理解していた。

「しかしまぁ……いやはや。この世は何があるか分からんの。あのトヴァが、よもや、こんなに可愛らしいおなごを連れてくるとは。明日は、雨粒の代わりに人の生首でも降ってくるかもしれんわ」

 くくっと、低く爺が笑う。トヴァは、ふん、とそれを嘲る。

「妙な勘ぐりはするなよ、リアン

「……りあ、ん……?」

 ルウが、恐る恐るといった具合に声を零したので、「あぁ」と、肩越しに振り返った。

「僕はそう呼んでる。こんな有様だ、ちゃんとした名前があるのかすら疑わしいんでね」

 更に、別の界隈――つまり、裏世界のもっと深い闇の部分――では、別の名称で知れ渡っているとか、いないとか、そんな話を耳にした事もあった気がした。だから多分、こいつを呼ぶ際には、今使っている単語より、もっと適切なものがあるんだとは思う。それを探る気があるか、ないかは別にして。(不必要な情報など、入手したところで無駄極まりない)

「ほっほ。言い返す言葉がないのは確かだがな。しかしまあ、いつも仕事と金をくれてやってる依頼主に、よくそんな口を利ける」

「鬱陶しいなら、即刻叩き斬れよ。出来るだろう? あんたなら」

「怖い、怖い。そう殺気立つな。これでも、今も昔も、お前さんのことは色々と買っとるんでな」

 言い終える頃には、この部屋に唯一設置されている机と、古ぼけた二つの長椅子、その片方のど真ん中にどっかりと腰掛けている。机の隅には、これまた古いキセルが一つ。鈍色をしたそれを口にくわえ、白い煙を吐き出せば、無と呼んでいるそいつは、最初の少年へと戻っていた。

「とりあえず、年格好が近い方が話しやすいかい? それとも、同性の方が?」

 にこりと、あの邪気のない笑顔を浮かべてそう言われたルウは、戸惑った様子で、奴とトヴァを何度も何度も、繰り返し見やっていた。何か言いかけて、それを呑み込んでいるのを繰り返している風だ。決めあぐねいている。

 恐らくは、下手な返事を返せば、再び痛みが突き刺さると思ったから、か。

 向こうも、それに気付いたのだろう。おや、と目を細め、そしてすぐに眉をひそめてトヴァを見た。

「……トヴァ? 君、この子に随分な挨拶をしたんじゃあないかい?」

「何のことだか」

 きっぱりと言い切り、ルウの手を力任せに握って歩き出した。ルウが驚いた事、小さな悲鳴、全て気に留める必要はないもの。

 相手と向かい合わせになっている椅子を、断りもなく拝借する。

「座れ」

 と言えば、ルウは大人しくトヴァの隣に座った。

「随分怯えてるように見えるんだけどねぇ。駄目だよ、女性はデリケートなんだから。こんな風に」

 一瞬の間すら、開けず。

「細くて白い指を持つ女の身なんて、あなたなら少しその気になれば簡単に壊せてしまうでしょ?」

 再びの、女。今度は、ルウの年齢に少し近い風に。わざわざ肌の色まで、こいつのそれと似せて。

「例えるなら花を愛するように。一輪の花を愛でる心をあなたが持ってるなんて到底思ってないし、そんな心を実は持ってるとか言われたら、私は明日以降の太陽が空に昇らないとは思うけど、とにかく、大事に扱ってあげなきゃ。何だったら、女の愛し方を手取り足取り教えてあげましょうか?」

「断る、その趣味はない。……いつにも増して長々と煩いね。僕のものを、どう扱うかを決めるのは僕のはずだろ? 口出しされる謂れはない」

「まあっ」

 心外極まりない、と表面だけ演じ、姿はすぐに少年のそれに戻された。

「本当に君は変わらないね。まあいいや、そこが面白いし、僕が君を気に入ってる理由の一つでもある」

 くすくすと小さく笑った後、「あ」と何かに気付いたように、奴はルウの方を見る。

「君も、僕を好きなように呼ぶといいよ。でもまあ、その前に色々話を聞かせてくれるかな。最初に言ったけど、僕は君を歓迎する」

 とん、とキセルが一度動く。そこにあるのかないのか曖昧な白い何かが、ふわりと漂い、そのまま消えた。


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