2.星
僅かばかりに目を細めた。改めて、目の前にいる存在を、頭のてっぺんからつま先まで眺めてみる。
やせ細った身体。布から零れた肌はやはりというか、案の定というか、骨がうっすらと浮かび上がっている。
長すぎる黒髪も、店側が切る手間すら惜しんだ結果だろう。つい先ほどまで、今夜一晩をいかにしてやり過ごすかと考えていた身ではあったが、さすがに、『商品として提供するのなら、もう少し見た目を整えればいいものを』などと思ってしまう。
まあ、これはこれで、悪くない。つまり、その姿格好を理由にして、『そんな薄汚い格好じゃ、そんな気にはなれない。金は払っているから、一晩ここでじっとしておけ』とでも言えば、懸念事項は概ね解決だ。
トヴァは、一つ息を吐き出す。
「あれ? どうかなさいましたか?」
女は、見た目からは想像も付かないぐらいに、邪気も無さげに小首を傾げた。言葉遣いも、こんな場所では少なからず違和感を覚えさせてくるぐらいに子どもっぽい。……こいつ、本当にこの店の商品なんだろうか。何だか若干怪しくなってきた。
一歩こちらに近づいてくる。じゃらり、と鎖が重々しく鳴った。
「確認するけど」
努めて鋭く、人ではなくモノを見る目で少女を見つめる。
「はい」
素直に頷くあたりが、また、何と言うか。
「君は、僕に提供された商品だ」
「ええ。おあいてをしてくるようにと、きちんと、いいふくめられてます」
「そうか。だけど生憎、君みたいに見た目からして薄汚いものを相手にするなんて、とんでもない話でね」
「え? えっと、それは」
「あぁ、勘違いするな。交換はしなくていい。ただ、君はこの部屋で、今夜一晩ここでじっとしていればいい」
言い切り、トヴァはさっさに寝台に転がった。明朝、すぐにここを発つつもりであったので、すぐに睡眠に入り、体力を取り戻しておきたかったのだ。
が、
「あの」
女が声をかけてくる。無視しても良かったが、気まぐれで返事をした。
「まだ、何か?」
「それでは、わたしの〝おやくめ〟が、はたせません」
横たえていた身体を再び持ち上げた。今度女を見る視線は、棘を存分に織り込んでおいた。
「物分かりの悪い奴は、あまり好きじゃないんだ」
「ずっとずっと、生まれるまえからおしえられてきたことなんです。そのために生まれてきたんだって」
「……?」
言葉の意味を分かりかね、トヴァはついに、再度女と向き合うこととした。
女は、じっとトヴァの顔を……否、瞳を見つめている。長く艶のない黒髪の向こう側に、きらりと光る色……黄? いや、違う。これは、黄金。
「! その目。君、ひょっとして変異種?」
「はい。みなさんわたしのことを、そうよびます」
「ああ、なるほど……。それで」
道理で、この女が、こんななりで商品として成立していたはずだ。
人族やエリィ、カラードの、どれとも当てはまらない、これらの種族から稀に生じる突然変異の存在。その証となるのが、どんな手を尽くしても決して誤魔化すことの出来ない、燦然と輝く黄金色の瞳と、常識では持ち得るはずのない忌避すべき異能。
確かに、シュレイアが相手ともなれば、物珍しさが優先され、大抵の客は飛びつくだろう。存在そのものが稀有であるのだから、見た目などどうでもいい、という心理に流れ着くのも合点がいく。
「……」
トヴァは、僅かばかりに思案する。
この女を大人しく部屋でじっとさせておくには、多分、言葉で説き伏せるのが一番確実な手段だろう。無視して寝入ろうとしたところで、まず間違いなく先ほどと同じ道を辿る。
「よし。じゃあ少し話をしよう」
「おはなし? おあいて、ではなくて?」
「そう。話。……とりあえず、目の前で立たれてるとこっちの居心地が悪い。座れ」
言うと、女は素直に腰を下ろした。
「繰り返しになるけど。僕は君を相手にするつもりはない。だけど、君はそれだと役目を果たせないと言った。この部屋に入る時、店への金は払っているんだ。それじゃあ駄目なのか」
にこりと笑顔が返ってくる。
「だめなんです」
「何故?」
「わたしは……私は、私の身体の全て、血の一滴さえも残さず、誰かの血肉と力になる為に、生まれてきたから。……こうやって」
何故か、この言葉だけは妙に流暢だった。ここで、唐突に女は這いつくばった。何をやるつもりなのかは知らないが、とりあえず止めないでおいた。
トヴァの足首に、がさがさとした指がゆっくりと這う。ひやりとした空気に晒されたが、すぐに別の感覚が生じた。女が舌をゆっくりと這わせているのだ。
「…………?」
女の行為には驚かなかったが、自身の身体の異変にはすぐに気付いた。
異変、という表現も間違っているかもしれない。異常が起きた、と言えば確かに異常ではある。急に身体が軽くなった、とでも言えばいいか。今の今まで嫌になるほど身体の至る所に感じた倦怠感が、まるで空気に溶けるようにして消えていく。
「……これが、君の異能か」
呟くように言うと
「みなさんはそういいます。でも、わたしにとっては、だいじなやくめです」
顔を上げてそう言う女の顔は、真剣極まりなかった。
こんな風な惨めな格好で、売り物とされ、金をそこそこ持つだけの人型の獣に言いように蹂躙されているだろうに。
「……」
その役目というのも、大方外野が、この女を体よく動かす為に適当に吹き込んだ、ただのホラかもしれない。
そんな予想は、簡単についたのだが。
「……っく……」
だが、全く変わらず真っ直ぐに自分を見る女と、嘘を真理と捉えている、馬鹿みたいな純粋な精神も、それに伴っているんだろう妙にきらきらとしている瞳も、全部まとめて、なんだか、妙に、おかしくて。
「くくっ……は、あはははっ!」
部屋に入った時の、あの陰鬱な気分などさっぱり消え果て、気付けばトヴァは笑っていた。声を思い切りあげて。女が目を瞬かせていることなど、気にも留めずに。
「面白いね、君! 気に入った!」
「あ、それじゃあ……!」
「いや、さっきも言った通りだ。今夜一晩は、ここでじっとしていて貰う。……というか、僕はちょっと、店に話が出来た。多分、朝方にしか戻ってこない」
「え……えっと?」
「君のその姿を見るに、店側には、特に君への思い入れはなさそうだ。なら、買値の倍額も出せばよろこんで押し付けてくれるだろ」
言い切り、トヴァは立ち上がる。
適当に店員を捕まえ、店の長との交渉に入るとしよう。そうしてドアノブに手をかけたところで、
「あぁ」
と、不意に思い当たった事があったので、振り返った。
女はきょとんとした顔のまま、こちらを見てくる。
「駄目もとで聞いておこうか。君、名前はあるのか」
「みなさんは、シュレイアと」
「だと思った。名前の方は、追々考えるとしよう。だから君はまず、僕の名前を覚えるんだ。僕はアルトヴァイス。周りはトヴァと呼ぶから、それに習うといい」
「トヴァさ、ま?」
「やめろ、様はいらない」
「わ、かりました。トヴァさ……ト、ヴァ」
「よし。じゃあ、ここで大人しくしてること。いいね」
「はい」
素直に頷く女を見、再び笑みが零れている事に気付く。
何分、こうまで色んなものがちぐはぐで、見ていて面白いものに出会ったのははじめてなのだ。こんな職業をやっていると、どうにも身体も頭も、どうにかなってしまいそうになるぐらいには、混沌の渦に身投げし続けているような気分から抜け出せないので。
あの女を手近に置いておけば、きっと面白いことになる。役目と信じて疑っていない歪んだ存在意義の真実を知った時、どういう風な反応を示すだろう。現実を嘆くか。呪うか。それとも愚かに、真実すら投げ捨てて、ひたすらに己の真のみを貫くか。
女はぺたんと床に座り込んだまま、締め切られようとしているドアを見つめている。
長き旅の供となるか、はたまたすぐに飽きて明日にでも路上に捨て去るか。
それはトヴァ自身にも分からないことだったが、今を生きる事以外に思考を裂くなど、下らない事であったので、今は、あの女を手元に置くことに専念することにした。