1.屋
合剣ギルド寄り合い所の隅の、低級依頼書掲示板の、そのまた隅。
貼り書に、明らかに子供が書いたと思しき拙い文字でこう記されてあった。
トヴァをさがしています。ほうしゅうは、はちじゅうはちラッド。
◆
トヴァは男だ。種系は人型。昨今、巷でちらほらとよく見るようになったハーフ・エリィ――森智の民と人間族のあいの子――の類ではなく、はたまたカラード――亜巨人や地形特化種の総称――の類でもなく、なんの変哲もへったくれもない、全身全霊の人間種族だ。これといって外見的特徴もなく、強いていえば髪色が暗灰であることくらいだがそれも珍しくはない、放っといたらそれこそ雑踏の中に消えてそのまま新海の園に召されそうなほど彩のない男だ。
トヴァは娼妓街の夜の中を歩いていた。年季が入りすぎたぼろぼろの水網鼠の外套で眼元以外の全身を隈なく多い、そよ風が吹けばよろけそうなほどの力のない足取りで通りを往く。剣を佩いた酔っ払いやら、身綺麗で清潔感のある――表向きだけなのが丸見えだが――客引きの青年やら、原因不明の事柄で殴りあう巨人種とエリィの怒号やら、娼妓通りの肉料理とでも呼ぶべき艶やかな艶やかな女衆の媚びた面持ちやら、そういったものをすべて黙殺して歩を刻む。浮いた格好だが、存在感は不思議とない。連なった店々の明瞭さとは裏腹に浮浪者然といった様相であるものの、まるで水に流れる髪の毛の一すじのように、何者にも注視されることなく淡々と進んでいる。
トヴァには今宵、目的があった。というより、このような街に寄るような用事は彼にとってひとつしかない。そのひとつを片付けるためにこうして歩んでいる。
トヴァはそれまで俯いていたが、気配を捉えた瞬間に顔を上げた。近い。前。接触までおよそ数瞬。
トヴァは外套の中で右手を閃かせた。
トヴァとすれ違った大鬼族の中年が、醜い笑顔のまま倒れ臥した。
トヴァの背後で何事かと事態の推移を問う声と、笑顔のままぴくりとも動かない中年をおふざけかなにかだと思っている娼婦の笑声が響く。
トヴァは、す、と適当に選んだ小さな娼館の門戸をくぐった。外套の頭掛けをまくった。まず、ざんぎりの白銀髪が飛び出て、そののちに童顔がこぼれた。顔だけでいうと、年の頃は十を真ん中あたりまで重ねた程度。実際には十七。受付の強面が垂れ目の笑みで来店についての喜びを口にする。遮って「静かな女を頼む。一晩、宿泊する」と告げる。きょとんとした顔も一瞬だけで、すぐさま強面はへへぇと手を揉んでみせた。前金制だったので、五十ラッドを支払った。通された部屋は質素だが至るところに染みのついた、まるで古強者のそれ。
トヴァは外套を脱いだ。下に着込んでいたのは、岩熊のなめし皮を張った丈夫な旅装服だった。西国製の登過靴を脱ぎ捨てて、右腕の袖をめくり、素肌につけた針剣帯を外す。
トヴァは暗殺者だった。針剣は彼が愛用する暗具だった。計五本を仕込んだそれは刺しつけてよし投擲してよし、だが打ち合いになれば即座に割れる脆い武器だった。
トヴァは剣帯を外套で包んで隠し、無数の情事を成させたであろう寝具の上に腰を下ろした。さてはて、どうやって抱かずに上手いこと夜を明かそうか思案する。睦ごとは体力を消耗する。明日より金子を受け取りに隣の街まで二日の道のりを走破することを考えると、とてもやってはいられない。快楽よりも金のほうが重要度が高い。それは物乞いをやっていた頃から変わらない、彼の世界観のひとつだった。
トヴァにも聞こえるほどの悲鳴が、壁の向こうから響き渡った。先程の鬼殺しの件か。楽な仕事だった。少なくとも、どこぞの部屋にこもって待ち構えられているよりはよほどよろしい相手である。
トヴァがこれから一夜を明かす部屋の戸を、こつこつと叩く音。どうぞ、と短く告げた。
入ってきたのは、変な女だった。年齢はおそらくトヴァとそう変わらない。腰まで伸びたくせのある黒髪に、日焼けか地肌かわからない火麦色の肌。羊鼠の布着を一枚羽織っただけの寒々しい格好。それよりも寒々しいのが、右の足首に巻かれた鉄鎖。奴隷女の類か、とトヴァはあたりをつけた。二束三文の金で身体を切り売りさせられる、あるいは無給なのかもしれない、残念な出自の星の娘子。
だというのに、女は爛漫に笑っていた。
「こんばんわ。おあいて、させていただきます」