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中編

「私が空野君を振った……?」


 聞かされた話は私を動揺させるのに十分な内容であった。


「ああ、見事に玉砕、撃沈、大破したよ」

「た、大破!?」


 空野君は自嘲気味に言ってから溜息をついた。

 身に覚えがないけれど、私が振ったのは事実らしい。

 私は空野君に何と声を掛ければ良いか分からず嫌な汗がダラダラと流れた。


「いやー、記憶喪失になる前のこととはいえごめんね?」

「謝ることじゃない。俺は聖にとって恋愛対象じゃなかった。ただそれだけの話だ」


 遠い目をしながら空野君は言った。

 それだけの話……

 そんな簡単に割り切れる話ではないと思うのだけど……

 身に覚えがないとはいえ、空野君には申し訳ないことをした。


「やーい、振られおとこー!」


 気まずい空気に耐え切れなくなった月森さんが空野君をからかい、空野君は「うるせー」と言ってからペットボトルに入ったコーラをあおるように飲んだ。


「この話はいったん終わり! ひじりんも気にしなくていいよ」

「そう言われても気になるよ!?」

「半年前の話だし、俺はもう何とも思ってない」


 この話は私達の中で過去として処理されており、既に冗談のネタになってしまっているようだ。

 二人からしたら半年前のことで気持ちの整理がついているのだろうけど、記憶喪失の私からしたら今初めて知ったことなので気にしなくて良いと言われても難しい。


「でも……ごめん……」

「ああ、もうっ! これで許してやるからもう謝るな」


 私が申し訳なく思っていると、空野君は私の購入したお菓子の箱にヒョイと手を伸ばしてたけのこの形をしたチョコレート二つを手に取った。

 チョコ二つで許してくれるらしい。

 しかしそれでは振ったことに対する等価のお詫びにならないのではないだろうか?

 私が空野君の手の中にあるチョコを見ながら考えていたら――


「あっー! 二つも取った!」


 私の表情を見て何やら勘違いした月森さんが不満の声を上げた。


「ミ、ミャコちゃん、二つでいいから。チョコで許してもらえるならいくらでも食べていいし」

「よくないよ! 空野なんてチョコ一つで十分だよ!」

「流石にチョコ一つはあんまりだと思うよ」

「つまり、何だ? 俺の失恋のショックはチョコ一つ分だと?」

「そういうことよ。チョコを一つ箱に戻しなさい」

「やなこった」


 空野君は手の中のチョコを自分の口に放り込んだ。


「あ、返せー!」

「返せといわれても、もう食っちまったよ」


 プンプンと怒りながら返却を要求する月森さんに対して、空野君は口を大きく開けてチョコがなくなったことをアピールする。


「最低。可哀相なひじりんには代わりに私のパッキーをあげよう」


 そう言って月森さんは私に納豆味のパッキーを一本渡した。


「あ、ありがとう。私もたけのこ王国を一つあげる」

「ひじりん、サンキュー」

「じゃあ、俺も聖にきのこ王国を一つやるよ」

「ありがとう」

「あ、私にもきのこ王国ちょうだい。パッキー一本あげるからさぁ」

「いらねぇよ」

「遠慮しなくていいから」

「遠慮してねぇよ!」


 空野君は納豆味のパッキーを半ば無理やり押し付けられる形でチョコと交換することになった。


「結局の所、皆でお菓子を交換しただけっていう」


 まあいいか。

 空野君からもらったきのこ王国のチョコを食べて分かったのだけど、たけのこ王国の方がおいしいと感じた。

 やはり私はたけのこ派で間違いないらしい。

 記憶を失う以前と味覚の変化はなさそうだ。

 納豆味のパッキーはというと……やはりというか不味かった。


 空気は元に戻り、私たちは再びアルバムを見ながら雑談を始めた。

 世の中は自分が気づいていないだけで告白して付き合ったり、告白して振られたりしている男女で溢れているのだろう。

 そして何事もなかったかのように日常は過ぎてゆくのだ。

 変化を気づかせない世の中の人々は凄いと思う。

 記憶を失う前の私は告白された相手を振り、そのまま元の幼馴染の関係に戻れたのだろうか。

 少なくとも今の私だったら好きな相手に振られたら一緒にいるのは辛い。

 私は空野君のように割り切れない。

 きっと前と同じ友人関係ではいられないと思う。


 空野君の横顔を見ながら思う。

 今でも私のことが好きなのだろうか?

 それとも、今はもう別の人を好きになってしまったのだろうか?

 空野君の目つきはやや悪いが見た目は格好悪くない。

 もしかしたら、記憶喪失になる前の私は少し惜しいことをしたのではないかと思う。


「何か思い出したか?」

「えっ?」


 ふいに空野君が私の方を向いて目と目が合いドキッとしてしまう。

 よそ事を考えているうちにアルバムを見終わってしまったらしい。


「うーん、何も思い出さない。他人のアルバムを見てるような……写真に写ってる自分と今ここにいる自分が一致しない感じ」


 写真を見ても私の記憶が戻ることはなく、二人は「そうかー」と眉を八の字にして口をそろえて言った。


「どうすれば記憶が戻るのかな?」

「もう一度同じショックを与えるとか? 漫画やアニメでは事故で記憶を失った場合、もう一度事故にあって記憶が蘇ったりするのは定番だよね」


 私は頭にもう一度衝撃を与える提案をした。

 作品名や内容は思い出せないのにテンプレートな設定だけ覚えていることを不思議に思う。


「よし、試してみるか。月森、聖をしっかり押さえといてくれ」

「ラジャー!」


 月森さんは額に手をかざして敬礼したかと思うと私の背後に素早く移動し、椅子に据わった私を羽交い絞めにして動けなくする。


「え? え?」 


 私の眼前で空野君が片手を振り上げてチョップをする構えをしている。

 自分で提案したはいいが、やはり痛いのは嫌だ。


「いくぞ?」

「うそ!? やっぱ無理!?」


 ジタバタと暴れるが、月森さんが後ろからがっしりとホールドしているせいで拘束から抜け出せない。

 チョップが私の頭に振り下ろされる。

 私は痛みに備えて目をつぶった。


「…………ん!?」


 しかし、痛みはいくら待ってもやって来ない。

 私が恐る恐る目を開けると声を押し殺して笑っている空野君がそこにいた。


「冗談だよ。怪我人の頭を叩く訳ないだろ。これでさらに記憶が飛んでパッパラパーになったらどうするんだ?」

「やっぱり、ひじりんをからかうのは面白いなー」


 私を拘束から解放した月森さんが楽しそうに言った。


「びっくりした。冗談か」


 二人とも私をオモチャにして遊んでいただけのようだ。

 もしかして、私はいじられキャラだったのだろうか。

 私は本当に頭にチョップされるかと思ってびっくりしたので二人を恨みがましく睨んでやった。


「すまん、すまん。つい、いつものノリでやってしまった」


 私がムッとしていると空野君が包帯の巻かれた私の頭の上にポンと手をのせた。

 すると何だろう。突然、全身の筋肉が弛緩して幸せな気分がホワホワと込み上げてくる。


「あ、頭撫でりゃれたっ!?」

「すまん、痛かったか?」


 私が痛みを感じたと思った空野君が頭から手を引っ込めて謝る。

 いや、そうではなくて男の子に頭を触れられたことに対して驚いただけなのだけど。

 それにこの不思議な感覚は何だ?

 胸がドキドキして顔に血が昇って熱い。


「ひじりん、顔真っ赤。どったのー?」

「ほんとだ、顔がリンゴみたいになってるぞ」

「ええー? うそ? ここ暑いねー!?」

「冷房めっちゃ効いてるけどな?」


 私は早く鎮まれと思って顔を手で覆い隠す。

 男の子に頭を触られただけで顔が真っ赤になるとか私はウブ過ぎではないだろうか。

 もしかしてこれがナデポ?

 ナデポというのは女子が男子に頭を撫でられただけで顔をポッと赤らめて惚れてしまうことである。

 いやいや、私がそんな安い女のはずがない。何かの間違いだ。


 私達の雑談は続き、二人は帰り際に明日もまた来ると言って帰っていった。

 自分の病室に戻り、消灯時間前にカバンからラブレターを取り出して眺める。

 空野君から好意を寄せられていたことは分かったけれど、振ったということは私の恋愛対象ではなかったということだ……

 ラブレターの相手は誰なのか分からぬまま。

 だけど……私は空野君のことが気になり始めていた。


 その晩、私は夢を見た。

 夢の中の登場人物は私と空野君と月森さんで小学校低学年の頃の姿をしている。

 見知らぬ公園で走り回って遊ぶ私達。

 日が沈み始め公園が茜色に染まった頃、遊び疲れてそろそろ帰ろうかというところで私は転んでしまい膝を擦りむいてしまった。

 怪我したところから血が流れ、痛くて涙が出てくる。

 うずくまって泣いている私に二人が心配そうな顔で近寄り「大丈夫?」と声をかけた。

 しかし私は泣き止まず、困った空野君は「膝を少し擦りむいただけ。傷はそんなに深くないから大丈夫だ」と頭を撫でながら私を落ち着かせようとした。

 空野君の穏やかな表情を見ていると不思議なことに痛みが引いていき涙が止まった。

 公園の水道の蛇口をひねって水で傷口を洗い流し、ハンカチで拭いた後、月森さんは持っていた絆創膏を傷口に貼って「これでオッケー」と満足そうに言った。

 空野君に「歩けるか?」と聞かれ、「歩けない」と答えると空野君は「しょうがねえな」とぶっきらぼうに言って私をおんぶする。

 家までの道のりの間、私は空野君の背中の体温を感じながら心が温かいもので満ちていくのであった。


 朝になり私は目を覚ました。

 今の夢は本当にあったこと?

 それとも?

 あとで二人に聞いてみることにしよう。

 今日は午前中に簡単な検査を受けた。

 頭に巻いた包帯は外れたけれど記憶は戻らないまま。


 午後になり二人がお見舞いにやって来た。

 二人の話によると学校の友達も心配しているとのことだ。

 しかし話し合いの結果、大勢で押しかけるのは記憶喪失の私に精神的ストレスを与えることになるだろうということで、空野君と月森さんの二人が代表してお見舞いに訪れるという話になったらしい。


「頭の包帯取れたんだな」

「腫れがほとんど引いたから取っていいって。ここにたんこぶがあったんだけどもう全然分からないくらい」

「どれどれ?」


 空野君はそう言って私の頭に触れた。


「こ、これは……大変だ!」

「ええっ? どこかおかしいかな?」

「すごい撫でやすい頭の形をしている!」

「あはは、何それ。もう、驚かせないでよ」

「うん。おかしなところはないから安心しろ」


 たんこぶが引っ込まないままだったらどうしようと心配していたのだけど、空野君から頭の形が元に戻っているというお墨付きをもらって私は安堵した。

 空野君の眼つきは鋭くて怖い印象を受けるのだけど、私の頭を撫でている時の表情はとても穏やかで優しい表情だ。

 その表情で見つめられると私は胸がドキドキしてしまう。


「あれー? イチャイチャしちゃってー。私もいるんだけどお邪魔だったかしらー?」


 月森さんがニヤニヤ笑ってはやし立て、私はハッと我に帰る。


「そ、そんなことないよ。頭の形をチェックしてもらってただけだし」

「ふーん、どれどれ。私もひじりんの品質管理に協力させてもらおうか」

「品質管理って私は商品か!」


 ふざけながら月森さんは私の頭を撫でた。


「しゅごい! 撫でやすい頭の形をしている!」

「ミャコちゃん、お前もか!」


 二人は記憶が戻る手助けになればと私の好きなお菓子を買ってきてくれて一緒に食べた。

 お菓子を食べながら二人は私の子供の頃の思い出を話して聞かせてくれた。

 記憶は思い出せなかったけれど、思い出を話す二人の表情は終始笑顔で私のことを大好きなのがよく分かった。


「そういえば」

「ん?」


 今朝見た夢の話をすると、二人は確かにそんなこともあったと答えて、記憶が戻ってきたんじゃないかと喜んだ。

 アルバムを見た効果があったのではないかということになり、今度自分の家にあるアルバムを持ってきてくれることになった。


 それから二人は毎日お見舞いにきてくれて、約束どおりアルバムを持ってきて見せてくれた。

 私の好きな漫画を持ってきてくれたり、スマホにダウンロードした曲を聴かせてくれたりした。

 二人が色々と手を尽くしてくれたのだけど記憶は戻らず、数日の入院生活を経て私は退院した。

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