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1/3

前編

 頭に強い痛みと衝撃を受けて私の視界は光で染まった。

 よく漫画などで頭にゴツンと硬いものが当たると火花が散る描写があるけれど、あれって本当なんだなとぼんやりした頭で考えながら私はその場に倒れ込んだ。

 太陽の熱で温められたアスファルトが熱い。遠くではセミが鳴いている。


「おい! 大丈夫か? しっかりしろ!」


 私の近くで制服を着た少年が大声を上げて慌てている。

 誰だっけ……

 よく知ってる誰かのような気がしたけれど、思い出せなかった。


 倒れているため地面が近い。

 私の視線の先をソフトボールがコロコロと転がっていく。

 そうか、頭に当たったのはソフトボールだったのか。

 どうりで痛いはずだ。


「誰か! 保健室まで行って先生を呼んで来てくれ! 救急車も!」


 少年が必死な形相で助けを呼んだ。

 救急車?

 ソフトボールが当たったくらいで大げさな……

 目立つのは恥ずかしいから呼ばないでほしい。

 すぐに立ち上がって見せれば安心するだろう。

 そう思って立ち上がろうとしたのだけど……


「あれ?」


 私の身体は痺れて動けず、意識は暗闇へと沈んでいった。


 ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※


 目を覚ますと私はベッドの上に寝かされていた。

 最初に目に映ったのは三十代後半くらいの見知らぬ女性と男性。


「良かった! 目を覚ましたのね!?」

「丸一日寝たきりだったんだぞ!?」


 見知らぬ女性と男性は私の顔を見て安堵の表情を浮かべている。

 心配してくれるのはありがたいのだけど、この二人は誰だ?

 それにここは?


「ここはどこですか?」

「ここは病院よ。救急車で運ばれたの」


 私の質問に女性が答えた。

 あー……私は気を失って救急車で病院に搬送されたのか……


「あの、ご心配おかけしましてすいません。ところでお二人はどちら様でしょうか?」


 私が疑問を口にすると二人はきょとんとした表情で顔を見合わせた。


「寝ぼけてるの? お母さんよ」

「俺はお父さんだ。分かるか?」


 二人は私の両親なのだと説明した。

 しかし、私は二人のことを全く思い出せない。

 それどころか……私は自分の名前すら思い出せず愕然とした。


「ごめんなさい。私……思い出せないんです。二人のことも自分のことも……」


 私が気を失う前……ソフトボールが頭に当たったことはうっすらと覚えている。

 しかし、それ以前のことは全く思い出すことが出来なかった。

 どうして思い出せないのだろう。


「うっ……」


 無理やり思い出そうとすると、頭がズキリと痛んだ。

 頭に手を当てると包帯が巻かれていた。


(ひじり)……お前ひょっとして記憶が……」


 私の父親を名乗る男性が名前を呼んで私の名前が判明した。

 宗方聖(むなかた ひじり)……それが私の名前だった。

 呼ばれてもやはり自分の名前だという実感は湧かない。


 精密検査が行われた結果、私は記憶喪失だと判明した。

 主治医の先生の話によれば脳震盪のやや重い状態で「記憶喪失は一過性のものでそのうち思い出すでしょう」とのことである。

 ずいぶん楽天的な診断だと思ったのだけど、意外とよくあることだそうだ。

 下校中、歩きスマホをしながら歩いていた私の頭に、飛んで来たソフトボールが直撃して脳が揺さぶられ記憶障害を引き起こしたらしい。

 なんとも間抜けな話である。歩きスマホは危険なのでこれからはやらないようにしようと心に誓った。


 先生の話を聞き終わった後、念のために数日入院することとなった。

 私の意識が戻ったことを学校に伝えたようで、担任の先生とソフトボール部の顧問の先生が病院に駆けつけ、記臆喪失を心配されたり、謝られたりしたのだけど自分のことのようには感じられず「ええ」「まあ」「はい」「大丈夫です」と適当に返事をしておいた。

 先生が帰り、父と母も一旦家に帰り、病院に一人残される私。


 私は担任の先生と両親から聞いた話から自分についての情報を整理した。

 名前は宗方聖、高校二年生。兄弟姉妹はおらず一人っ子。

 学校での成績は学年全体の真ん中くらい。

 運動神経は普通で部活には所属していない。

 性格は明るく、友達は多い。

 あれだ、特に特徴のないごく普通の女子高生ってやつだ。

 自分のことなのに、何とも面白みがないなと他人事のように思ってしまう。

 そんなごく普通の記憶を失う以前の私であったが、何故か生徒会で書記をしているらしい。

 生徒会には自分から立候補しないとなれないそうなのだけど、記憶を失う前の私は何を考えてそんな面倒そうな所に所属してしまったのか……

 謎な行動である。


 病院の消灯時間は早い。

 私は寝る前に記憶を思い出す手がかりがないかと思い、担任の先生が持って来てくれた学校に置きっぱなしになっていた自分のカバンを開けた。

 教科書、ノート、筆箱、それにライトノベルとスマホか……

 スマホは液晶画面が割れており、電源も入らない。

 ソフトボールが頭に当たった時に地面に落としてしまい、完全に壊れてしまったそうだ。

 メールやLINEの会話内容を見れば何か思い出すと思ったのだけどこれでは無理である。

 カバンの中の物を一つ一つ確認していたその時だ。

 本の間に挟まっていた何かが床に落ちた。


 それは手紙だった。

 ピンク色の可愛らしい封筒で女の子のものだと人目で分かる。

 いったい誰が書いた手紙だろうか?

 私? それとも?

 中身を確認すると、封筒の中には便箋が一枚入っており短い文章がしたためられていた。


「こ、これは……」


 内容は以下の通りである。


 突然のお手紙ごめんなさい。

 直接会って話したいことがあるので、もしよかったら今日の放課後、校舎裏の桜の木の下に来てもらえないでしょうか?

 待ってます。


 宗方聖


 驚いたことにそれはラブレターであった。

 騙まし討ちの呼び出し、果たし状でないとすれば紛れもないラブレターであった。

 差出人は私。

 記憶を失う前の私は誰かに恋をしていてラブレターを出そうとしていたようだ。

 しかし、封筒と便箋を隅から隅まで見ても相手の名前は書かれていなかった。

 いったい私は誰に渡そうとしていたのだろう?

 私のカバンに入っていたことを考えると、渡せなかったのだろうか?

 その日の夜、私は気になってしまいなかなか寝付けなかった。


 次の日になったけれど、記憶が戻る気配は全くない。

 もちろんラブレターの相手も不明だ。

 私は記臆喪失という以外いたって健康なので、病院内での行動の自由を許可されている。

 とはいえ、病院の建物の中にあるのはコンビニくらいだ。

 自分の病室とコンビニを往復するのも飽きてしまい、入院生活二日目にして私はやることがなくなってしまった。

 今の時間は午後三時ちょっと前。今日は平日で面会時間は午後三時から午後八時までだ。

 母が面会に来ることになっているけれど、まだ少し時間がある。

 私はテレビを見て時間を潰すことにした。

 病室は六人部屋でベッドには各一台のテレビが設置されており、視聴するためにはテレビカードを購入する必要がある。

 私は自動販売機でテレビカードを、コンビニでイヤホンを購入した。


「あ、宗方さん、お友達がお見舞いに来ましたよ」

「友達……」


 買い物が終わり、病室に戻ろうと廊下を歩いていると看護師さんが声をかけてきた。

 お友達と言われても記憶喪失なので、ピンとこない。

 友達は病室に向かったはいいが私の姿が見当たらなかったので、そのまま戻ってくるのを待っているそうだ。

 入れ違いになってしまったらしい。

 待たせるのも悪いので、私は早歩きで自分の病室に向かった。

 病室の前に制服を着た少年一人と少女一人が立っている。

 少年の方は私よりも身長が高く、ツンツンした短い髪の毛をしている。

 三白眼で目つきが悪く、怖そうな印象を受けた。

 少女の方は私と同じくらいの身長で、髪型はツーサイドアップ。

 猫のようにまん丸な目をしており、可愛らしい。

 あれが私の友達だろうか?

 でも話しかけて間違っていたら恥ずかしいななんて思っていると、私に気づいた少女が手を広げて近寄って来た。

 どうやら、友達で間違いないらしい。


「ひっじりーん! 心配したんだよー!?」

「ふぁ!?」


 少女はそう言って私に抱きつき、強い力で拘束した。

 突然のことに驚き、私は硬直してしまう。


「おい、月森(つきもり)ここは病院だぞ。少し静かにしろよ」


 少年が抱きついている少女を私からグイ~と引き剥がす。

 少女からしたら私は友達なのだろうけれど、記憶喪失中の私は知らない人にいきなり抱きつかれたに等しい。

 私はどうすればいいのか分からず、対応に困っていたので少年が引き離してくれて正直助かった。


「何よー? 私とひじりんの邪魔をしないでよ。空野(そらの)もハグしたかったとか?」

「は? うっせ。そんな訳ねーだろ」


 少年は半眼で呆れたように言った。

 この少年、どこかで見たような……

 あ、そうか。頭にソフトボールが当たって倒れている時に、私に声をかけていた少年だ。

 私は今更ながら気づくのであった。


「男の嫉妬ほど見苦しいものはないわー」

「俺は聖が迷惑そうにしてたから引き離しただけだ」

「迷惑な訳ないじゃない。私とひじりんは親友なんだから」

「親友だと思ってるのはお前だけかもな」


 二人のやり取りを呆然と眺めながら、さっき抱きつかれた時どのように行動すれば正解だったのか考えていた。

 記憶を失っていなければ……

 本当の私ならどうしていただろうか……


「むっかー!ひじりんに聞いてハッキリさせよう。ひじりん、私達親友だよね?抱きつかれても迷惑じゃないよね?」

「えっ?」


 突然、話を振られてどう答えたらいいのか分からず、言葉に窮してしまう。

 記臆喪失中の私に聞かれても困る。


「ごめん、記臆喪失で二人が誰なのか分からない。嫌ではないけど、抱きつかれてちょっとびっくりした」


 私が記臆喪失なのだと説明すると二人とも驚いていた。


「おばさんから聖が記臆喪失って聞いてたけど、記憶はまだ戻ってなかったか……」

「空野はひじりんが記臆喪失って知ってたんだ? どうして私に教えないのよ!」

「脳震盪による一過性の記臆喪失って聞いてたから一晩経ったら記憶が戻ってるかもと思ったんだよ」

「報告、連絡、相談は常識でしょ!」

「どこの社会人だよっていう」

「ムキーッ!」


 ツーサイドアップの少女が少年の腹をポスポスと殴るのだけど、少年の方はというと少女の細い腕で殴られた程度ではビクともしないのか平然としている。

 一見、少年は怖そうに見えるので怒りだしたりしないだろうかと思ってヒヤヒヤしてしまう。


「ん? ああ、こいつはいつもこんなんだから気にするな」

「そうなんだ」


 私の視線に気づいた少年が言った。

 二人は親しい関係でじゃれているだけのようだ。


「聖、頭のその包帯……大丈夫か?」

「うん、たんこぶが出来ただけみたい」


 私がそう言うと少年は安堵の表情を浮かべた。


「自己紹介しないとな。俺達は聖の小学校の時からの幼馴染で、俺の名前は空野彼方(そらの かなた)。それでこっちは――」

「私は月森都(つきもり みやこ)。ひじりんの親友だよ!」

「は、初めまして、宗方聖です」


 条件反射で私も自己紹介すると二人は「知ってる」と言って笑った。


「空野君、月森さん、二人ともせっかくお見舞いに来てくれたのにごめんね。早く記憶が戻ると良いんだけど」

「ひじりん、月森さんなんて他人行儀な言い方はよしてよー」


 月森さんは不満そうに頬を膨らませている。


「えと、私は月森さんのことを何て呼んでたのかな?」

「ミャコちゃんって呼んでたよ」

「ミ、ミャコちゃん……」

「うん。よろしい」


 月森さんは満足そうにうんうんと頷いている。

 ミャコちゃんか……口にしてみるとすんなりと馴染んだ。

 脳が覚えていなくても口の筋肉が動かし方を覚えているせいかもしれない。

 これが友達というものか……すこし気恥ずかしい。


「空野君の方も呼び方違ったのかな?」

「聖は俺のことを彼方って呼んでたな」


 記憶を失う前、私は空野君の名前を呼び捨てにしていたのか。

 男子の名前を呼び捨てにするほど仲が良かったのか、それとも幼馴染なら普通なのだろうか。

 一瞬、宛先不明のラブレターのことが頭をよぎった。

 もしかして、空野君が?

 いや、でもまさかね……


「か、彼方……ごめん、男子を呼び捨てにするのはまだちょっと抵抗が……空野君のままでいいかな?」

「何か調子狂うな」


 空野君は苦笑して肩をすくめ、空野君と呼ぶのを了承してくれた。

 私たちが自己紹介を終えると、しばらくして母が面会にやって来た。


「あらー、二人とも聖のお見舞いに来てくれたのね。ありがとう。ところで二人とも学校は?」

「サボった」

「学校よりもひじりんのほうが大事だよ!」


 二人は学校をサボったというのに全く悪びれた様子がない。

 私の母も「あらあら、悪い子達ねぇ」なんて言って笑っている。

 もしかしたら、普段からよくサボっているのかもしれない。


「その様子じゃ、まだ記憶は戻ってないみたいね。家からアルバムを持ってきたわよ」


 母はそう言って私にアルバムを渡した。

 主治医の先生から自分の過去のアルバムを見ることで脳を刺激して記憶を思い出す手助けになると言われて持ってきてくれたのだ。


「じゃあ、私は仕事に行ってくるから」

「え? 来たばかりなのにもう行くの?」

「急な仕事が入っちゃったのよ。ごめんね。二人とも聖をよろしく」


 面会に来て早々に母は仕事場に向かってしまった。

 両親のことはまだよく知らないが、何だか忙しいようである。

 病室に残される私達。

 私の幼少期の写真が貼られたアルバムを囲んで騒々しく雑談していたら看護師さんに「他の患者さんに迷惑がかかるので静かにお願いします」と注意されてしまった。


 病室に入院している他の患者さんに「ごめんなさい」と謝った後、私達は迷惑にならないように病院内のコンビニ前にあるイートインスペースに移動することにした。

 テーブル席に荷物を置いて場所を確保した後、飲み物やお菓子を買うためにコンビニに入った。


 さて、私は何を買おうか……

 たくさんの種類のソフトドリンクを前にして悩んでいると空野君が声をかけてきた。


「何を悩んでるんだ?」

「これだけたくさんの種類があるとどれを選択すればいいのか迷う。例えば、ミルクティーにしても何故かこのコンビニは紅茶物語と午後のお茶会の二種類があって私の好みはどっちなのか分からない」

「そういうことか。記憶喪失って面倒だな。聖の好きなミルクティーは紅茶物語だぞ」


 そう言って空野君は紅茶物語のペットボトルを手にとって私に渡した。


「あ、ありがとう。じゃあ、きのこ王国とたけのこ王国だったら私はどっち派なのかな?」

「聖はたけのこ派だな。ちなみに俺はきのこ派だ」


 そう言って空野君はたけのこ王国の箱を私に渡し、自分はきのこ王国の箱を手に取った。


 ちなみにきのこ王国、たけのこ王国とはチョコレートがコーティングされたビスケット菓子で、クラッカーをベースにした「きのこ王国」、クッキーをベースにした「たけのこ王国」のことである。

 好みによってきのこ派とたけのこ派に派閥が分かれ、派閥間で戦争が起こっているとか起こっていないとか。

 どうでもいい情報は覚えているのに、自分の好みを覚えていない記憶領域にうんざりする。


「聖の味の好みなら大体分かるから分からないことがあったら遠慮せずに聞いてくれ」

「ありがとう。それにしても自分よりも自分のことに詳しい人がいるって変な感じ」

「まあ、幼馴染だからな。そういやもう一人の幼馴染はどこに行ったかな?」


 店内を見渡すともう一人の幼馴染こと月森都さんはすぐに見つかり、お菓子を手に持ってやって来た。


「ひじりーん、パッキー納豆味だって! おいしそう!」


 月森さんは新商品のパッキー納豆味をチョイスしたようだ。

 ちなみにパッキーとはスティック状のクラッカーのお菓子のことである。


「あいつの好みは俺にもよく分からん」

「ははは……」


 人の好みはそれぞれなので、私達は月森さんに何も言わずにおいた。

 レジで飲料とお菓子を購入した後、私達はイートインスペースのテーブル席に戻り、再びアルバムを広げて雑談を始めた。

 アルバムには私の生まれてからの写真が貼られており、ページをめくるごとにだんだんと成長していった。

 赤ん坊の私、母に抱かれる私、家族の集合写真、幼稚園の入学式、旅行、運動会に遠足。

 どの写真を見ても私の記憶が復元されることはなかった。


「あ、これ私だ。空野もいる」

「どれだ?」


 月森さんが小学校に入学したばかりの頃の私の写真を指差した。

 写真には三人の子どもが写っている。

 私と月森さんと空野君だ。

 ぼーっとした表情の私の両側に二人がいて、月森さんは元気いっぱいといった感じの笑顔で、空野君はカメラから目をそらしている。

 幼馴染だっていう話は本当なんだなと写真を見てあらためて思った。

 この二人といると全然緊張しないし、話していて楽しい。


「私達って昔から一緒なんだね。空野君、両手に花じゃん。私達のどっちかと付き合ってたりしないの?」


 私は冗談で言ってみたのだけど……

 いや、宛先不明のラブレターの件が気になり、その場の勢いで口にしてしまったのだ。


「「…………」」


 さっきまで和気藹々と話していたのに二人は神妙な顔になり、突然黙りこんでしまった。


「え? 二人ともどうしたの?」


 いきなり気まずい雰囲気になってしまい、自分が地雷を踏んでしまったことに気づいた。


「ひじりん、あのね――」

「月森、どうせそのうち分かることだから俺から言うよ」


 月森さんの言葉を空野君が手を上げて制止する。

 空野君は悲しそうな、そしてばつが悪いといった表情でゆっくりと静かに言葉を続けた。


「俺は……聖に告白して振られたんだよ」

「えっ?」


 空野君が告げた衝撃の事実に私は動揺を隠せなかった。

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