企む者の真意 【朱里視点】
これまでわかっていたようで、わかることのなかった彼女が成したかったこと。
それが明らかになります。
私が考える彼女の姿を、どうかご覧あれ。
「朱里ちゃん、魏に居る桃香様から書簡が届いたよ・・・」
扉を叩く音と共に聞こえたその言葉に私が顔を上げれば、そこには汗をかいて慌てた様子の雛里ちゃんが立っていた。
「そうなんだ・・・」
けれど私は対照的に、『あぁ、ついに来るべき時が来たんだな』とどこか穏やかな気持ちでその事実を受け入れていた。
「ついに来ちゃったんだね・・・・」
私は雛里ちゃんから受け取り、書簡を開いて内容を軽く確認する。
相変わらずの桃香様の字、そこには自分が到着した翌日、蜀に居る軍師と将の全員集めて会議を行うことが書かれていた。蜀に居る・・・ ううん、おそらくは桃香様を知る者なら誰もが桃香様らしくないと感じるだろう簡潔な書簡。
これまでの桃香様であったなら、この書簡の中はお土産話や魏で行く最中に起こったこと、今回護衛を頼んだ焔耶さんの様子や魏での食事など、日常の些細なことが雑多に書かれていただろう。
それがこれだけ簡潔に、しかも最後に行ったのがいつかもわからないような会議を全ての将を集めて、桃香様御自身からやることを明言したということは、魏で何らかの形で心境の変化があったことは明らかだった。
やっぱり、桃香様が魏に行くのは止めるべきだった。
「読みが甘かったかな・・・」
天の遣い・北郷一刀。
あの曹操さんと魏の将が愛したとされる男の噂を流し、悪く語れば、いずれ向こうから何らかの形で問題を起こしてくれると思っていた。
でも魏は、私が想像していた以上に冷静に対処を行った。
それどころか桃香様を諭したのは完全に想定外であり、そのために護衛も感情的な焔耶さんを付け、諍いが起きやすいようにしたにもかかわらずにだ。
「それとも、あの人たちにとって天の遣いさんはその程度の存在だったのかな?」
実在も怪しく、あの人たちが愛したというのは偽りである可能性もある。
仮にいたとしても、いなくなってもいい情夫のような存在だったのかもしれない。
あの乱世でただの男が私達も思い浮かばなかったような一つの隊を築き上げ、あの策を見破ったなんてありえない。あれらの功績は情夫であることを隠すための、偽りのものだとみるのが妥当なところだろう。
「朱里ちゃん、そのことなんだけど・・・
もし乱世に流れていた全ての功績が本当に天の遣いさんのだったら、どうする?」
少しだけ言いにくそうに雛里ちゃんが口にしたのは、私達が想像していなかった仮定だった。
「もしそうだったら・・・・」
私達はとても見当違いのことをしていたことになる。けど・・・
「そのことを雛里ちゃんは誰から聞いたの?」
「郭嘉さんが・・・・ 私に伝えに来たの。
あの策を破ったのは郭嘉さんなんかじゃなかった。天の遣いさんが魏の人たちを守るためにしたことだったって・・・
でも私達はそんなこと、可能性の一つとして考えなかった。それどころか私達は!」
何かを思い出したのか、肩を震わせて恐怖に怯える雛里ちゃんを私は抱きしめる。
「朱里ちゃん・・・?」
「雛里ちゃんが無事でよかった・・・」
雛里ちゃんの言う通り、私達が彼と彼女たちの関係を見誤っていたというのなら・・・ 彼女たちが噂通りの関係を結び、想いに偽りがないならば、その絆が故にこの策は成功するはずだった。
想い合っているからこそ、何も知らない者が語ることを許すことなど出来る筈がない。
にもかかわらず、魏の軍師の中で苛烈な策を立て、あの乱世で私達が最も恐れていたと言ってもいいあの郭嘉さんが、憎悪の対象である私や雛里ちゃんを前にしてただ言葉を伝えるだけに留めた。
たったそれだけでこれほどの恐怖を雛里ちゃんに残していったところを見る限り、彼女の怒りがどれほどのものかが伝わってくる。
「朱里ちゃん・・・・ もう・・・」
雛里ちゃんの言葉が終わるよりも早く、私は首を振った。
「もうそれは、出来ないよ。
ここまで、来ちゃったから」
もう止まらない、止めることは出来ない。
この結末がどうなろうとも、私がすることは変わらない。
自分がどうなるかもわかった上で、この策を成すことを私は選んだのだから。
「だから、雛里ちゃん・・・」
『あとはお願いね』と続けようとしたとき、雛里ちゃんは私の手を強く握った。
「それは聞けないよ、朱里ちゃん」
さっきまで怯えていた筈の雛里ちゃんはもうそこにはなくて、私をまっすぐ見つめてくる目は何かを覚悟しているようだった。
「朱里ちゃんが本当にしたかったことを、私はちゃんとわかってる。
けどね、朱里ちゃん。私にもそれを止めなかった責任はあるから。
それに私は・・・・ 郭嘉さんや朱里ちゃんのようにもう王のことも、この国のことも守りたいなんて思ってない。
私はきっと、桃香様のあの言葉を聞いた時から軍師じゃなくなったのかもしれないね」
軍師としては間違っているとわかっているのだろう雛里ちゃんは自嘲気味に、けれどどこか晴れやかな顔をしていた。
「私がこの怖い世界の中に入れたのは、朱里ちゃんが一緒に居てくれたからだよ。
だから今度は、私の番。
罪も、罰も、全部朱里ちゃんと受け止める。
朱里ちゃんが嫌がっても、私はずっと一緒だよ」
固く握られた手が絶対に離してくれないことを示していて、私は何も言っても聞いてくれないことがよくわかってしまった。
雛里ちゃんがいるから、この後の全てを任せられるのに。それなのに・・・ 雛里ちゃんの心は、私の想像以上に桃香様から離れてしまっていた。
「・・・・雛里ちゃんの馬鹿」
「それは朱里ちゃんもだよ」
お互いの考えがわかるから、ずっと一緒に並んできたから、言葉以上にいろいろなことがわかって、想像することが出来てしまって、泣き笑いをしながら私達はただ互いの手を握り合っていた。
私達の気持ちも、考えも、守りたいことも、きっと何もかもまるで違う。
だけど私達が親友であることだけはどんなことがあっても変わらないんだって、その手の温もりが語っていた。
ついに始まった蜀会議。
桃香様が円卓の中央に座り、向かって右側に愛紗さん、先日荊州から一時的に帰還した鈴々ちゃん、星さんなどの武将が並び、私と雛里ちゃんは桃香様の左へと座る。
何のために集まったかわかっている人たちの表情はどこか険しく、わかっていない人たちは不思議そうに辺りを見渡していた。
蜀内に居る人たちで今ここに居ないのは恋さんと音々音さん、侍女である月さんと詠さん、元々関係者ではない麗羽さん一行。そして、南蛮の美以さん達。
「おい、蒲公英!
恋たちは何故ここに居ない!? 桃香様の直々の招集だぞ!」
「うっさいなー、そんなに叫ばなくてもこの距離だから聞こえるってば。
音々に『音々たちは協力関係に過ぎない。蜀の将になった覚えもなければ、重鎮が揃う会議に出席する必要もない』って突っぱねられたの。
大体天下の飛将軍を無理に引っ張ってくるなんて、たんぽぽに出来るわけないじゃん」
「おい、蒲公英。
そんなこと言ったらあたしたちだって別に協力関係ってだけで蜀の将になったわけじゃねーし、この会議に居る必要ねーだろ?」
「お姉様はちょっと黙ってよっかー」
そんな一部のやり取りを見つつ、桃香様は全員の顔を見渡しているようでした。
これまで見たこともない真剣な表情、これならばこの方は私が望む答えを選んでくださるかもしれない。
「そろそろいいかな?」
桃香様の言葉に皆がそちらを注目し、また驚いていた。
いつもならば桃香様から会議の開始を促すことなどなかった。むしろ、議題などを私達が促さなければ、桃香様も会話に参加して会議が始まらないことも多々あった。
「今日、みんなに集まってもらったのはね。
大陸全土に広まってる天の遣いさんの噂についてのことなの」
そして議題は、私が想像していた通りのものだった。
「噂って何のことだよ、桃香。
大体、天の遣いって沙和たちの想い人で、どっか行っちまったんじゃなかったのかよ?」
「私も翠とほぼ同意見です。
噂とは何のことですか? 姉上」
桃香様は愛紗さんの発言に軽く驚いた様子を見せながらも、返事を頷くだけに留め、星さんの方を見て何かを促しました。
ほとんど城内に引き籠り、兵の調練や仕事だけをして過ごしていた愛紗さんや翠さんに情報がいかないことはわかりきっていたし、紫苑さんからの余計な入れ知恵を避けるためにわざと遠ざけてきた効果はあったようですね。
「蜀内で関わりがなかった彼の噂は、ほぼ無に等しい。
ましてや各地から来ていた商人からもたらされる彼の噂は、同一人物とは思えぬほど噂からはかけ離れているのだから無理もあるまい。
私が調べ上げ、まとめた噂の内容はこれに書いてある」
星さんが取り出したのは一本の書簡、それを円卓の中央で全員に見せるように開いていく。
内容に顔をしかめる愛紗さん、不思議そうに首を傾げる鈴々ちゃんと翠さん、内容を知っていたのか目を背ける蒲公英さん、事態を静観する紫苑さんと桔梗さん、そして星さん。ただ一人、苛々としながら書簡を見ているのは焔耶さんだけ。何かを言いそうになりつつも、桃香様の前だから我慢しているのが透けて見え、魏に行く前からあまり変化は見られませんでした。
「紫苑さん、桔梗さんはこの件について、何かある?」
「知ってはおったが、所詮は噂。
真偽の定かなど、確認しようもないのでのぅ。それに・・・ 儂らは噂の者に会ったことがないのでな」
「私もこれといってありません」
お二人の答えも想像通り。
桔梗さんは『我関せず』の姿勢を崩すことなく、この一年を自由に過ごしていたのはわかっていたし、私達としても策に口出しもしようとしない面は助かってすらいた。紫苑さんは止めに入ることが目に見えていたからこそ、確かな人材が必要かつ桃香様から最も遠い所に居てもらった。
けれど、桃香様はもう誰が行動していたかはわかっている筈。それならば・・・
「桃香様、前置きはもう結構です」
これ以上、話し合いは不要。
原因探究など無意味であり、話し合うことなど何もない。
必要なのは私への追及だけの筈。
「朱里・・・?」
不思議そうな顔をする人たちを置き去りにして、何を話しているかを理解している一の表情は険しくなっていきます。その中でただ一人私のことを気にかける雛里ちゃんと、何かを覚悟した表情の桃香様はまっすぐに私を見ていました。
「朱里ちゃん・・・ あなたはこの策で一体何をしたかったというの?」
紫苑さんの言葉を聞きながらも、私はただ桃香様だけを見ていました。
桃香様、あなたは私を嫌ってください。
どうか私を、許さないでください。
「桃香様を玉座から降ろすためです」
「何だと?!
朱里! それは一体どういうこと・・・!!」
「黙らんか、阿呆。
朱里の話はまだ始まってすらおらん。話の腰を折るでない」
「ですが! 桔梗様!!」
「儂は、黙れといったぞ?」
私の発言に怒りを露わにする焔耶さん、そしてそれを止めるのは桔梗さん。けれどそれは当然であり、想定内。
「朱里、何故だ?
姉上を玉座から降ろし、お前は何がしたかったというんだ?」
冷静に問うてくる愛紗さんは想定外、けれどある意味で今後を任せていける方がいることは私にとって幸運なのかもしれません。
愛紗さん、今のあなたならば桃香様を支えてくださることでしょう。
けれど、その問いは少々間違っています。
「桃香様を玉座から降ろすことが目的であり、私はそのためだけに今回の策を実行に移しました」
「それはどういう・・・・」
「考えても見てください。愛紗さん。
現状を見れば、二国がどう立ち向かっても魏に勝てる要素などありません。
技術力も、経済力も、民からの信頼も、全ては魏が握っているに等しいんですから」
ここにいる誰もが、私の言葉を聞いていることしか出来ない。
出来るわけがない。わかるわけがない。
だって私がしていた行為は、まるであの敗戦を掻き消したかったかのように見えていただろうから。
『魏に勝利する』などという、現実味のないことを目的としていたように見えるように行動してきたのだから。
「もし仮にこの噂によって怒りを抱き、魏が攻め込んできても、私達は負けていたことでしょう。魏が私達を殺さないという保証もありませんしね」
私はおかしくもないのに、笑う。
私は軍師、勝率のない戦はしない。
だから私はこの策で、戦なんて起こす気はなかった。
「けれど、その噂の発生源であり、この策の中心人物たる者を差し出せばどうでしょう?
あるいは、魏の庇護を受けている劉協様が『曹操討伐』を許可していたら?」
会議場は静まり返り、それでも桃香様は私から目を逸らさないでいてくださる。
あなたを変えたのは、誰なんでしょう?
あなたを強くしてくださったのは、魏の誰だったんですか?
あぁ、間違っているとわかっていても、私はその方に感謝を告げたいのです。
「責任はそちらへと行き、国としても桃香様が王をやめる程度で済むでしょう。
もし、戦にならなくとも私を罰することが出来れば、また重鎮である私を自らの手で罰することを決断できたのなら・・・・」
「王としての示しもつく、ってか」
吐き捨てるように私の言葉を継いだ翠さんの目は厳しく、私に対して激しい怒りを向けていることがよくわかりました。
「つまり、朱里。
お前は桃香のために、民も、劉協様も殺そうとしたってか?」
「はい、そうです」
「『はい、そうです』じゃねよ!!
お前、自分が何をやろうとしたのかわかってんのか!?
たったそれだけのために、乱世が終わって、ようやく出来た三国の繋がりをぶっ壊そうとしたんだぞ?!」
今にでも私へと掴みかかってきそうな翠さんに対しても、私は特に何の感情も抱くことはありませんでした。
「だから、何ですか?」
「・・・・テメェ!!」
「フフッ、よくわかったぞ。朱里」
蒲公英さんが翠さんを止め、他の誰もが動かない中で星さんの笑い声が響く。
私と雛里ちゃんでは動きが読めなかった、何をしていたかもよくわからない人。
「お前は、民が嫌いなのだな」
私を指差し、今の話と繋がりの読めない言葉を言い放つ。
空気を読むことを得意としているというのに、空気を壊すことも、断ち切ることもしてしまう。この人は、本当に掴めない。
「民を使い潰すようなこれまでの策もそうだが、先程言った策の中でもっとも被害を受けるのは民だろう。
戦場となれば土地は荒れ、人は死に、噂を流した者たちとなれば魏の民から良くは思われまい。
実のところ、天の遣いの噂の真偽もどちらでもよかったのではないか?
乱を起こすネタになるのであれば何でもよく、その中でも効率が良さそうだったのが彼の噂というだけだった・・・
だろう? 小さき軍師たちよ」
「・・・・普段は変革を嫌い、日々の生活を送れればいいと言いながら、いざ生活に支障をきたせば不平を漏らして剣をとる。
乱世では自ら賊に落ちぶれ、乱世が終われば何の罪もない振りをした民となり、求めるばかり」
どうして・・・ どうして、どうして!
努力する者たちばかりが、変革を起こした者たちばかりが、多くの重圧に耐えなければならないのだろう。
女学院から『民を守りたい』と飛び出したはずの私は、乱世の中で民の真実を見た。
いつしか『守りたい』という思いは消え失せ、私達を救ってくれた桃香様の望みを叶えることこそが夢となっていた。
「桃香様が王でなくなることを望むのなら、私は全てを持って桃香様のために策を練り、実行に移します。
それも不可能であるというのなら、何を犠牲にしてでも桃香様を『王』とします」
たとえ、その犠牲が自分自身だったとしても。
「だから、桃香様。
あなたが私を裁いてください。
王として私を裁き、三国へとあなたが蜀の王であることを示してください。
それが私に出来る、あなたへの最後の奉公です」
朱里に対して私は、蜀の薄暗い所を一点に背負っているように感じました。
反董卓連合の時も彼女は真実を知りながらも功績をとることを選び、自分の策でどれほどの犠牲が出るかもわかっていた筈です。
どんな状況であっても桃香のために策を考え続け、忠誠を尽くす。
周りに何と言われても、朱里が守りたかったのは他の誰でもない桃香自身ではないかと感じました。




