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万屋ですがなにか。  作者: 狼花
VOLUME Ⅰ
8/53

File six 落し物は場所を選んでください。

 

 

 

 看板の『荒事却下』って消せよ、と思う。





★☆





 思いがけず血縁の存在が明らかになった、その翌日――。

 一日経って少しはエリオットの情緒も安定したし、なんとかオースティン伯爵やリオノーラのことを受け入れられるようになってきた。それでも昨晩よく眠れなかったことに変わりはなく、結局いつものように早朝五時に起きるまで一睡もしなかった。


 朝食の用意をするためにキッチンへ向かうと、後を追うようにテオが起きてきたので驚いた。テオは平気で七時くらいまで惰眠を貪る男なのだ。エリオットが五時に起きるのは傭兵時代からの習慣とはいえ、テオの尋常ではない行動には驚くしかない。

 どうしたんだ、と聞いてみれば「夢を見た」という返答が返ってきた。


「どんな夢?」

「多感な十代のころの夢」

「多感って……」

「ま、馬鹿やったころの夢だよ」


 そのテオの言葉から、後悔や罪悪感のような響きが滲み出ていたため、エリオットはそれ以上聞けなかった。そのまま朝食を作る作業を継続し、ちょこちょことテオが手を出してくる。そして信じられないことに、テオが早く起きてくれたために朝食が早く片付いたのだった。


 そうなると、一日が長くなる。遅く起きるテオを待っていたために片付かなかった食器がさっさと片付くと、そのあとの家事のスタートも速くなる。今日はなかなか自由な時間というのが増えそうだ。


 ところでこの『万屋カーシュナー』には、開店時間や閉店時間がない。勿論定休日もない。『困りごと』というのは時間を選ばずにやってくる、だからいつでもそれに対応できるようにしなければいけない。そういう想いがあってテオは時間を決めていないのか、それとも何も考えていないのか。


 テオが洗い物をしている間に、エリオットは一度に生活系魔装具を稼働させる。洗濯と掃除だ。この生活に慣れてきたせいで、傭兵時代洗濯が手洗いだったのが信じられなくなる。

 洗濯ものを外に干すころには、勝手に掃除してくれる魔装具も仕事を終えている。さて、やっと自由な時間だな。今日はどんな依頼が舞い込んでくるのか。そんなことを考えながら服を干していた裏庭から室内に戻ってみると――。


「やぁ!」


 挨拶なのか、しゅたっと手を挙げる少女がひとり。エリオットはスルーして洗濯籠を脱衣所に持って行き、リビングへ戻りながら呟く。


「……そりゃまた来るとは聞いたけど、聞いたけどな、まさか次の日に来るとか……」

「どうしたのお兄様、僕が来て嬉しい?」

「ああ、まあそういうことでいいよ」


 昨日兄妹関係が判明したばかりのオースティン伯爵家令嬢、リオノーラだ。エリオットが洗濯を干している数分のうちに、どうやら店に遊びに来たらしい。

 この子には戸惑いとかそういったものがないのだろうか。こんなにもあっさり、エリオットのことを兄と呼ぶ――そう思ってから、エリオットは当たり前のことに気付く。彼女にとって『兄がいる』というのは最初から知っている事実だったのだ。両親が必死になって探している、見たことのない兄。血縁の存在など知らなかったエリオット程の衝撃は、なかっただろう。


 テオが他人事のように――いや実際他人事だが――のんびり笑う。


「にしても良いのかな、こんな朝早くからひとりで下町なんかに来て。下町は君が思っているより治安が悪いよ?」

「大丈夫だよ!」

「貴族の子息ともなれば平日は学校とかあると思うんだけど、行かなくていいの?」

「大丈夫だよ!」

「おいそれ大丈夫じゃないだろ!?」


 思わずエリオットが突っ込む。

 教育機関も整っていなければ、そんなところに通わせられる金もない下町の住民と違い、貴族たちは国立の教育機関に通っている。下町の住民でも字の読み書きはできるが、それ以上の高等な知識は持ち合わせていない。魔装具技師なんて肩書きのテオが下町にいるのがおかしいのである。


 リオノーラは威張るように腕を組んで見せる。


「ほんとに大丈夫だもん。今日、学校は創立記念日でお休みなんだ」

「……せっかくの休日を、何もこんなところで潰さなくてもいいと思うんだけど」

「お兄様に会いたかったんだよ」


 断言したリオノーラに、エリオットは何とも言えずに沈黙する。テオは攻撃系魔装具を布で磨きながら微笑む。


「リオノーラはお兄ちゃんが好きなんだねぇ」

「うん! 僕を助けてくれた時のお兄様、カッコよかったから!」

「ああ、なるほど。確かに傭兵が扱う剣技って綺麗だよね。警備軍が使う剣技よりもより実戦向きで、だからこそ無駄がなく俊敏に見える」


 なんだか妙に詳しげなテオであるが、まあ彼はイザード経由で警備軍のことを知っているのだろう。テオが現在二十五歳だというから、二十年前の警備軍の戦闘スタイルも覚えているかもしれない。

 やれやれと肩をすくめると、リオノーラと目が合う。リオノーラがにっこりと笑ってきたので、エリオットも苦く笑ったのだった。


「お兄様たち、お仕事ないの?」


 仕事ないの、の一言はまるで『無職なの?』と聞かれているようでちょっと傷つく。


「依頼人が来なければ俺たちは動かないよ。自分から首を突っ込んでいくのは、万屋の在り方として違う」


 そんな押し売りまがいのことをテオはしないのだ。


「でも、それだとあんまり稼げなくない?」


 痛いところを突かれた。エリオットがなんとも言い返せなくなったところで、玄関がノックされた。このときばかりは来客に救われた。

 エリオットが玄関を開けると、ひとりの男性が肩を小さくして佇んでいた。「うわぁ、見るからに落ち込んでる」と内心思ったエリオットだったが、それは無論隠す。


「ご依頼ですか?」

「は、はい……」


 三十代に見える、ちょっとパッとしない中年男性は、そう頷いたのだった。





「落し物探しですか」


 ソファに座った男性に、テオがそう確認する。落ち着かない様子の男性は、エリオットが淹れたコーヒーのカップを持つ手を震えさせながら「はい」と答えた。そんなに緊張するものだろうか。

 エリオットの隣にちょこんと座るリオノーラは、最初に会った時のように俯いて沈黙している。人前ではこうして『極度の恥ずかしがりや』を演じているのだろう。


「落としたというか、置き忘れたというべきなのですが……そ、その、カメラを」

「カメラ?」

「は、はい。私は写真家なんです……」


 撮影系魔装具だ。エナジーを扱うことで写真や動画をより容易に撮影できるようになったし、写真は印刷も簡単になった。


「ふ、風景を撮影して回っているんです……魔装具のカメラじゃなくて、フイルムのカメラで」

「フイルムで、ですか。それはまたレトロですね」


 魔装具が登場するまでは、フイルムに光を投影することで撮影する写真が一般的だった。今となっては衰退してしまったが、昔ながらの写真家はまだフイルムカメラを使用している。確かにその方が味があるというものだ。


 テオは足を組む。


「置き忘れたということは場所が分かっているということですね。それで取りに行かないということは、危険な場所ということですかね?」


 その言葉を聞いて写真家の男性もびくっとしたようだが、エリオットも違う意味で身体を硬直させた。

 ――ちょっと待て、『危険な場所』?


「そ、そうなんです。実は、首都の外の平原でして……」

「しゅ、首都の外……なんでまたそんなところに」


 エリオットの声まで震えてしまう。嫌な予感しかしない。


「よ、よく出かけるんです。あの自然いっぱいの風景は何枚写真に収めたって足りませんから……で、でも、帰りに魔物に襲われてしまって、慌てて逃げたときにカメラを落としてしまって……」


 平原には魔物が大量にいるのだからひとりで出歩くなど自殺行為である。まあ、長年写真を撮って生きてきたらしいから、慣れていたのかもしれないが。

 そこで、黙っていたテオが口を開いた。


「……表の看板にも書いてありましたが、うちは荒事をお断りしておりま」


 お約束の言葉を口に出しかけたテオの頭を、スパコンとエリオットがはたいた。何でか、先程コーヒーを運んできた盆で、である。それはそれは良い音がして、テオもさすがに頭を抑えてうずくまる。

 その様子に呆然としていた写真家だったが、勇気を振り絞ったように震える声で訴える。


「そ、その看板は見てます。で、でも、私にとってあのカメラは人生そのものなんです。だから、どうか……!」


 テオがちらりとエリオットの方を見る。エリオットが無言でいると、テオは溜息をついて、彼の後ろにある本棚を指差した。


「……エリオット、そこの本棚に平原の地図があるから、出して」





 写真家からカメラを置いてきしまった場所を聞き取り、ひとまず彼は帰らせた。どれくらい時間がかかるか分からなかったので、今日取りに行って明日返すということにしたのである。


「一緒に行きたい!」


 リオノーラがそう申し出る。剣を手に取ったエリオットは渋い顔をして首を振った。


「言うとは思っていたが、リオノーラは待ってろ」

「リオって呼んでって言ったでしょ?」

「……リオはここで待ってろ」

「やだ」

「おい」


 てっきり『リオと呼べば言うこと聞く』のかと思っていた――わけではないのだが、予想以上の速さでエリオットの指示は拒否された。


「まあまあ、ひとり留守番させるのもちょっと心配じゃない?」


 魔装具のバングルを腕に嵌めながらテオが無責任に言う。


「平原に出るんだから危ないだろう。守りながら戦えるかどうかは……」

「やだなぁ、そこはお兄ちゃんが妹守らなきゃ駄目でしょ?」


 テオはそう言って振り返って笑う。


「ほんとのところ、心配しなくていいよ。俺の結界系魔装具、ちょっとやそっとじゃ壊れないから。リオノーラひとりくらいの身の安全は保障できるよ」


 その余計な言葉のせいで、リオノーラの同行は決定されたのであった。リオノーラが嬉しがっている様子は、まるで遊びに行くかのように軽い。

 テオは地図につけた印を見て「うーん」と唸る。


「徒歩で行くにはちょっと距離があるなぁ。車出したほうがいいね」

「そういえばテオ、あんたの車ってどこにあるんだ?」


 確か前に廃棄されかけていた車を拾ったとかなんとか言っていたが、エリオットはこの一か月一度だってテオの車を見たことがない。下町のどこかに停めているのだろうかと思っていたのだが、テオは「あはは」と笑う。


「首都の外」

「……は!?」





★☆





 以前使った抜け穴を通って首都を出て、外壁に沿ってテオは南へと移動していく。たいして歩かないうちに彼は立ち止まり、地面に屈みこんだ。エリオットが上から覗いてみると、テオの足元にごく普通の黒い杭が刺さっていた。草の背丈も高いし、パッと見ただけでは杭の存在に気付けないだろう。

 テオはそれに手をかけ、勢いよく引き抜いた。そのとき一瞬だけ、眩い光が目に突き刺さった。リオノーラはエリオットの後ろに隠れ、エリオットも軽く眉をしかめる。


 さて、一昔前に『車』といえば、それは馬車や人力車を指したものである。しかし昨今ではエナジーを燃料としたエンジン付きの四輪駆動車が一般化してきた。勿論これもエナジーで動くからには魔装具の一種であるのだが、『車』の一言で話は通じる。上流階級の人間は権威の証として高い車を所有していることもあるが、決して庶民が手を出せない代物ではない。燃料が無限に手に入る夢の機関であるし、コンテナさえなんとかしてしまえば比較的魔装具というのは安価なのである。


 光はあっという間に収束した。先程まで何もなかったはずのその場所に、古い型の白の車が停められている。エリオットはそれを見て目を見張った。


「な、何が起きた?」

「結界系魔装具の一種だよ。この杭を核として、車を防御かつ人に発見されないように隠すための結界を張っていたんだ」

「それもまた、テオのお手製なのか?」


 掌の中で杭を回しながら頷くテオを見て、リオノーラが驚いたようにテオを見上げた。


「テオって、魔装具作れるの!?」

「さすがに作ることはできないよ。俺にできるのは改造と修理だけ。そんなことより乗った乗った」


 テオに促され、エリオットとリオノーラは慌てて車の中に入ったのであった。



 ――そういうわけで、テオが運転し、助手席にエリオット、後部座席にリオノーラという配置で車を発進させたのはいいのだが。


「ちょっ……ゆ、揺れすぎだろ、これ……!」


 そのエリオットの言葉も、強い振動のせいで震えて聞こえる。テオはハンドルを握りながら笑う。


「あはは、黙ってないと舌噛むかもよ?」


 車の状態は至極良好だった。魔装具マニアとでも言うべきテオがメンテナンスを怠っていたとは思えないので、その点は安心できる。おまけに彼の運転技術もまったく問題なしだ。

 問題は道路だった。

 それまでは馬や人の足で踏み固められた土の地面が広がっていたのだが、車が普及してから政府はそれをきちんと整備し、舗装した。そのため首都の外の道路も快適に走れるのだが、今回写真家のカメラの所在地は、一般道を遥かに外れた辺境地区にあった。そのため最初こそ道路を走行していたこの車も途中で道を外れ、この傾斜が激しく石が大量に点在する非常に不安定な大地を疾走することになったのだった。


 後部座席ではリオノーラが、助手席の背もたれに腕を回して、前に身を乗り出す形でしがみついている。エリオットはぐったりとして目を閉じる。


「……な、なんか気持ち悪……」

「おやおや、車酔いかい?」

「そ、そうなのかな……?」

「ああ、君は車に乗るの初めてなのか」


 テオの言う通り、エリオットは車に乗るのが初めてだ。なのでこれが話に聞く『車酔い』なのかはエリオットに判断できないが、おそらくそうなのだろう。

 リオノーラが首を傾げる。


「お兄様は、世界中旅してたんだよね? 何で移動していたの?」

「殆ど徒歩か、時々馬だな」

「え、すごい、馬って乗れるんだ!?」


 まずそこからか、とエリオットは溜息をついた。一昔前まで、馬に乗って移動するのが主流だったのだが、時代の変遷というのは残酷なものである。


 悪路を走ること十五分。今まで草ばかりだった平原に突如として樹木が現れた。草原のところどころにいくつかぽつんと存在する樹林があるのだ。写真家に教えられた場所は確かにこの樹林の奥だ。たいした規模の樹林ではないので、すぐ見つかるだろう。

 車を樹林の外に停めたテオは、エンジンを切って外に出る。息を吐き出したエリオットも、ふらふらとそれに倣う。テオは後部座席を開けて、リオノーラに微笑みかける。


「さて、ここから先は危険だから、リオノーラは車内で待っててくれる?」

「え!? ひ、ひとりで待つの?」


 ついて行く気満々だったらしいリオノーラは、急に不安そうに身をすくめた。不安であろう、この平原のど真ん中に放置された車の中でひとり待っていろというのだから。勿論魔物だって出る。

 テオは車を守っていた結界系魔装具らしき杭をリオノーラに渡した。


「それを持っていて。君が持っているだけで車の周りに結界が形成されるんだ。魔物が来ても、絶対君は安全だ」

「で、でもぉ……別に魔物に見つからないってわけじゃないんだよね?」

「うん、むしろ目立つから魔物に見つかりやすいだろうね」

「そんなぁ」


 今更になってリオノーラはついてきたことに後悔したかもしれない。テオは相変わらず楽観的だ。


「大丈夫だよ、この樹林はたいした規模じゃなさそうだし、すぐ戻ってくるから」

「……う、うん。や、約束だからね? 早く戻って来てね?」


 テオは頷き、後部座席の扉を閉める。離れた場所でそのやり取りを見ていたエリオットに、テオは視線を向ける。


「車酔いは平気、エリオット?」

「地面に足がついたら治った」

「極端だねぇ……じゃ、行こうか」


 テオとエリオットは連れだって樹林へと足を踏み入れる。途中エリオットは後ろを振り返り、樹海の入り口にポツンと停車している車に視線を送る。テオが微笑んだ。


「心配? リオノーラのこと」

「そ、そりゃあ……あの子に何かあったら、オースティン伯爵に申し訳が立たないから」


 申し訳も何も、伯爵は実の父であるということはエリオットにも分かっているのだ。それでもまだぎこちない。いつかリオノーラと一緒に父と呼べるようになるだろうか。


 とりあえず今は、あまり考えたくない。

 話を逸らそう。


「……テオ。あんたって、誰に武芸を習ったんだ?」

「なんだい、急に? 習ったなんて言ったっけ?」

「たまに身軽ってだけで魔物と渡り合う悪運の強い奴がいるけど、テオの身のこなしはきちんと訓練されたものだ。誰に教わったんだろうって、前から思っていたんだよ」


 テオはエリオットが話題をすり替えたことに当然気付いていただろうが、そのことは何も言わずに話を合わせてくれた。


「さすがよく見ているね。……イザードが昔、教えてくれたんだよ」

「え、あのイザードが!?」

「そう、信じられないでしょ? あれでも十五年くらい前のイザードは痩せていたんだよ。今のあの体型は『ザ・中年太り』だからね。結婚もしてないっていうのに」

「いや、まあそこも驚きだけど……」


 イザードもやはり警備軍の一員だ。テオに武芸を教えるくらいの実力は持っているらしい。もっとも、その武芸を持ち前の運動神経とセンスで実戦レベルまで昇華したのは、間違いなくテオ本人であろう。


「先代カーシュナーに教わったのかと思っていたよ」

「ああ、無理無理。彼はひどい運動音痴でね」


 テオはけらけらと笑っている。思い出し笑いだ。テオもそんな風に笑うのだなとエリオットは妙な感想を抱いた。



 そこまで背の高い木々はなく、日差しも差し込んで気持ちのよい樹林だった。しかしだからといってハイキングコースになっているわけでもなく、足場の悪い道とも言えない道を歩いていく。エリオットが先導して足場を確保していき、『不便な土地だと頼りになるねぇ』とか言いながらテオもついてくる。


「テオ、あれ」


 先を行くエリオットが立ち止まり、テオがその隣に並ぶ。そこは開けた空間となっており、中央には泉があった。滾々(こんこん)と湧き出るその水は非常に透明度が高く、どことなく淡い緑に光っているようにさえ見えた。


「綺麗だな……」

「首都の近くに、まだこんな場所があったんだね。写真に収めたいと思うのも無理はないかな」


 テオはきょろきょろとあたりを見回し、傍の木の枝に引っかかっているカメラを発見した。いとも簡単に依頼品を見つけたテオは、それをひょいと取り上げる。エリオットはそれを見ながら尋ねる。


「こんな場所、って?」

「ちょっと水が緑色に見えるでしょ。これは、水にエナジーが溶けているからそう見えるんだ」

「え!? じゃあ、エナジーの源泉なのか……!?」

「厳密には違うけど、似たようなものだね。エナジーが緑色に見えるってことは、濃度が高いってことだから。だからここは自然豊かなんだよ」


 へぇ、とエリオットは目を輝かせた。元来好奇心は旺盛な性質である。世界中を旅していても、エナジーを生み出す『エナジーの源泉』にはお目にかかったことがなかった。こうして見ることができるなんて、と少々感激しているのである。

 泉の傍に近づいてしげしげとそれを眺めているエリオットに、テオが声を投げかけた。


「長いことここにいると、危ないよ」

「そうなのか? エナジーって身体に害はないって聞いてたんだけど……」

「……政府の発表をあまり鵜呑みにしないほうがいい」


 その深刻な響きに、思わずエリオットは振り返る。テオは腰に片手をあて、あらぬ方を見ていた。


「魔物というのは、動植物が高濃度のエナジーを浴びて変異したものだ。なら、どうして人間はそうならないと言える?」

「テオ……」


 声をかけると、テオはようやくエリオットと視線を合わせた。そしていつものように、にっこりと笑う。


「――なんてね。さて、依頼品は回収したから戻ろうよ、エリオット。リオノーラが心細いだろうよ」

「あ、ああ……」


 来た道を戻っていくテオの後を、エリオットは追いかける。

 テオの背中を見て思う――もしかしたら彼は、政府側の人間だったのではないかと。政府が隠したと思われる情報を、テオは持っている。しかし、ならばなぜ? なぜテオは政府に属し、そして今下町で万屋などをしているのか。

 何も話してくれないのは、信頼されていないのか、それとも口にも出したくないことなのか。

 イザードならば何か知っているのかもしれないが、わざわざ追い回されに行くというのもおかしな話だ。



 樹林の出口まで戻り、小さく車が見えてくる。何事もなかったようだ、降りたときと同じようにそこにある。

 と、その瞬間エリオットのすぐ傍を凄まじい勢いで何かがすり抜けて行った。はっとして身構えると、それは巨大な蛇の魔物である。蛇は地面を這い、一直線に車へと突進していく。


「っ、なにっ」


 エリオットがすぐさま剣を抜き、駆けだす。テオも攻撃系魔装具を使う準備に入る。

 勿論、カメラを回収して何事もなく首都まで帰ることができるとははなから思っていなかった。


 蛇はその巨体を持ち上げ、車へ体当たりを仕掛ける。だが、車体に触れる寸前に透明な壁が出現し、体当たりを防いだ。テオの結界だ、確かに凄まじい強度だ。

 しかしながら、それでも車内にいるリオノーラの恐怖は半端なものではないだろう。いくら自分に害は及ばないと言っても、すぐ目の前に魔物がいて襲い掛かってきているのだから。車内から「ひゃあああぁっ」とくぐもった悲鳴が響く。


 暴れる蛇の魔物には、その巨大さも相まってエリオットも迂闊に近づくことができない。エリオットは後方にいるテオに叫んだ。


「テオっ、一撃くれ!」

「そうしたいのはやまやまなんだけど、この距離だと魔物もろとも車まで吹っ飛ばしちゃいそうなんだよね」

「おいそれ結界の意味ないじゃないか!?」

「俺の作った結界だから、俺の魔術だけは通しちゃうんだよねぇ。だからほら、車から魔物引っぺがして」


 そんな結界あるのか、と疑問には思ったがそれは後である。要するにエリオットが魔物を引きつけて移動させればいいだけの話だ。


 とぐろを巻く蛇に素早く斬撃を食らわせる。大したダメージでもなかろうが、蛇はエリオットの方を向いた。そうして攻撃対象を車からエリオットにしたらしく、一気にこちらへ接近してくる。後方に飛び退りながら、エリオットは魔物を車体から遠ざけていく。

 豪速の噛みつき攻撃。剣で振り払ったが、あまりの勢いにエリオットもよろめく。どこにいたのだ、こんな巨大な蛇。以前傭兵団を壊滅させたミミズ型のものよりは小さいが、それでも蛇にしては規格外の大きさである。


 また地面からの噛みつき。咄嗟に左腕で首を庇うと、僅かながら服ごと肌を噛み裂かれた。たいした傷ではない、コートのおかげで血が滲んだくらいだ。


 エリオットに攻撃したその隙を狙い、テオの魔術が発動する。火球がいくつも飛来し、蛇が怯む。その瞬間にエリオットの剣が一閃された。

 胴体と頭部を真っ二つにされた魔物が地面に横転する。一撃必殺はエリオットの十八番だ、この手の魔物の急所は熟知している。


「大丈夫かい?」


 悠々と歩いてきたテオの問いに頷き、エリオットは剣を鞘に収める。テオがエリオットの腕の傷にハンカチを当てて応急処置をしてくれる。


「治癒系魔装具を持ってこなかったから、店まで我慢してね」

「ああ、大丈夫だ。こんな傷は慣れているからな」


 エリオットはそう笑い、車へと戻る。すると後部座席からリオノーラが飛び出してきて、エリオットにしがみついた。


「うわぁん、お兄様ぁ!」

「おっ……と。あー、よしよし、もう平気だよ」

「お兄様格好良すぎ! 僕、惚れちゃうよ! てかもう惚れちゃってるけど!」

「は、はい?」


 てっきり魔物を怖がって抱き着いて来たのかと思ったら、逆に興奮していたらしい。エリオットは溜息をつき、リオノーラを後部座席に押し戻す。そして自分は助手席に乗り込んだ。運転席のテオがエンジンをかける。


「それじゃ帰りますかね」

「……またあの悪路かよ。もう車の遠出は嫌だな……」

「あ、エリオット、嫌だって言ったね? じゃあ金輪際、荒事系の依頼は却下ってことで……」

「それはないから」


 即答するとテオは肩を竦め、車を発進させたのだった。

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