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万屋ですがなにか。  作者: 狼花
VOLUME Ⅰ
6/53

File five 探し人は意外と身近にいるものです。

 

 

 

 今更そんなことを言われても、俺には受け入れがたいものがある。





★☆





 キッチンでコーヒーを淹れる手が震える。零したらどうしよう。なんでこんなに緊張しているのだ、俺は。


「エリオットぉ、まだぁ?」


 集中していた意識の中に突如として割り込んだその声に、過剰なまでにエリオットは反応してしまった。びくっとした結果、コーヒーをかき混ぜていたスプーンがカップにぶつかって甲高い音を立てる。


「す、すぐ行く」


 うわっ、なんでいつもの通りミルク入れちまったんだ。客に出すコーヒーに最初からミルク入れる奴がいるか。……仕方がない、これはテオの分にしよう。

 盆に五人分のコーヒーを載せてリビングのほうへ戻る。テーブルを挟んで対面式に置かれているソファの一方にはテオが、もう一方には両親に娘という三人が腰かけている。

 カップをそれぞれの前に置いていく。ミルクとシュガーは真ん中に。テオがちらりと目線を上げ、そして渋い顔をする。


「……エリオット、なんで俺のだけ既にミルク入ってるの」

「ごめん、間違えた」


 いいじゃないか、テオはいつもミルク入れてるんだから。ブラック派のエリオットはミルク入りコーヒーがあまり好きではない。


 やれやれと肩をすくめたテオはコーヒーを一口啜り、改めて向かい側の三人を見やる。エリオットはテオの隣に腰を下ろした。


「それで、どういったご用件ですか? オースティン伯爵」



 目の前にいるのは、壮年の貴族の男――。


 ベレスフォード議会でも名のある、オースティン伯爵。

 そしてその夫人と、先日事件に巻き込まれてであった令嬢のリオノーラだ。


 元々エリオットは貴族というものに少なからず偏見を抱いている。偉そうだとか、態度が大きいとか、民衆を見下すだろうとか。それが当てはまる貴族が多いのがこの国の現状であるが、今ここにいるオースティン伯爵は違う。上品で気品にあふれ、しかし臆病ではなく威厳を持っている。誰に対してでも対等に接し、本当に人当たりが良い人だ。それは、彼がこの店に入ってきたときから直感していた。

 だからこそエリオットは緊張したのだ。ただの悪徳貴族であればコーヒーを出して済むのだが、粗相をしたらどうしようという、らしくない心配が襲ってきたのである。


 伯爵もコーヒーを口に運んだ。「美味しい」と微笑んでくれたので、エリオットは安堵である。伯爵はテオに向きなおり、深々と頭を下げてきた。


「先日は、娘のリオノーラを助けていただき、感謝しています」


 その言葉に、隣に並んでいる夫人とリオノーラも頭を下げてきた。……なるほど、リオノーラの髪の色は父親譲りのようだ。碧玉の瞳は、伯爵夫人のものと同じだ。

 テオはにっこりと微笑む。


「大事に至らなくて何よりでした。わざわざ店まで出向いていただいて恐縮です」


 どこでこの男は、こういう対応を身につけているのだろう。


 俯いていたリオノーラがちらっと顔をあげる。エリオットと目が合ったので、少し笑ってみせると、慌てたようにリオノーラはまた俯く。貴族のお嬢さんというのはここまで恥ずかしがり屋なのか。


「今日はその礼に来ました。娘を救っていただいたご恩を金銭で済ますことを許してください」


 伯爵は袋をテーブルの上に置き、そっとテオの方へ押しやる。ずっしりと重そうな袋。おそらく中は金貨だろう。テオはちらりとそれを見て、困ったように笑う。


「こんなに頂くわけには……」


 もらう気満々だと思うのだが、一応そう言うらしい。すると伯爵は小さく首を振る。


「……実は、ひとつお願いがあるのです。その前金として、多めにお渡ししています」

「お願い?」


 伯爵は少し前に身を乗り出す。――そもそも、貴族が従者も伴わずに家族だけで出かけるなど前代未聞である。それだけ重要なことなのだろう。


「人探しを頼みたいのです」

「人探しですか。どういった人でしょうか」

「息子です」


 そう言ったとき、テオは若干目を見開いた。エリオットは不思議そうにそんなテオの様子を見やる。


「……オースティン伯爵にご子息がいらっしゃる?」


 テオが驚くのも無理はない。オースティン伯爵家の子は、リオノーラただひとりのはずなのだ。男児など存在しない。

 伯爵は沈鬱気に頷く。


「そうです……今年で二十歳。八月が誕生日なので、いまは十九歳でしょう」

「お名前は?」

「ありません」

「は?」


 名前がない、とは。


「あの子が生まれてすぐ、屋敷が火事になりまして。名前はまだつけていなかったのです。私は仕事で屋敷におらず、妻も息子を抱いて逃げようとしたのですが火の手の回りが早く……」


 エリオットは眉をしかめ、慎重に口を挟む。


「亡くなった……のではなく?」

「探し回りましたが、遺体や遺骨はまったく見当たりませんでした。だから、きっと生きていると思ったのです」


 ふうむ、とテオは腕を組んだ。


「火事場漁りという例もありますからね。もし放火であったならば、犯人に連れ去られた可能性もなくはない。二十年前は情勢も不安定でしたし、貴族を狙った犯罪も多かったですから」


 もしくは、誰かに助けられたということも考えられるだろう。しかしそれならば、助け出した後伯爵に接触しなければおかしい。やはり、テオの言う通りなのかもしれない。


「しかし、それならばなぜすぐ政府に捜索を依頼しなかったのです?」

「依頼しました。けれど、取り合ってくれなかった。焼死ということで処理されてしまったのです」


 ありがちだ。人探しはかなりの時間を要する案件である。


「そのあとも何度か警備軍に頼みましたが、結果はいつも同じです。諦めかけていましたが、貴方はこの下町で万屋をやっている。私どもは、貴方に賭けたいのです。娘を救ってくださった貴方に」

「……こりゃ、余程信頼されちゃったなぁ」


 テオは困ったように頭を掻く。エリオットはコーヒーカップを口元に運ぶ。


「分かっているのは今年で二十歳の男ってだけか。けどそれで探すのは難しくないか? 首都にいるとは限らないし、そもそも生きているのかさえ……」

「いや、ちょっと待って」


 エリオットの言葉をテオが遮った。


「俺に心当たりがある」

「本当に!?」


 伯爵の言葉にテオは頷く。しかしその具体的な人物の名はあげなかった。代わりにテオの口から飛び出したのは質問である。


「ご子息に何か身体的な特徴はありませんでしたか? たとえば、ホクロ」


 伯爵が夫人へと顔を向けると、夫人は思い出したように顔を上げた。


「うなじにホクロがふたつ並んでありました……!」

「なるほど、それは特徴的ですね」


 新生児にホクロはないと思われがちだが、必ずしもそうとは言い切れないのだ。しかしながら、それだけで判断するのも早計のように思える。

 結局テオはそれ以上何も言わず、『何か分かったら連絡する』とだけ告げて伯爵たちを帰してしまった。



 見送りに出ていたエリオットが戻ってくると、テオは珍しく真面目な顔で何か考え込んでいた。エリオットはコーヒーカップを片付けながらテオに言う。


「安請け合いして平気なのか? 条件に当てはまる人間が世界にどれだけいるか分からないんだぞ」

「そりゃそうだけどね」

「じゃあ、心当たりっていうのは……」


 テオは顔を上げ、エリオットを見やる。


「……君は、傭兵に拾われたと言っていたね? ジェイク団長だっけ」

「あ、ああ、そうだけど」

「『エリオット』って名前は、元から君のもの?」

「いや……団長がつけてくれた」

「本当に拾われたの? どこに君は捨てられていたって? その時の状況を聞いたことがある?」

「ちょ、ちょっと待て待て」


 エリオットはテオの矢継ぎ早の質問を抑え、咳ばらいをした。その表情は、悪い予感があるばかりに少々険しい。


「もしかしてテオ……あの伯爵の行方不明の息子が、俺だとか思ってる……?」

「うん」

「即答かよおいっ」


 テオはソファに座り直す。至極真面目な表情だ。


「まあ、断定はまだできないけどさ。もし君だったら……」

「お、俺だったら?」

「君だったら楽なんだけどなあ」

「おい」


 そりゃ楽であろう、依頼された人探しはほんの数秒で終了できるのだから。結局はテオの希望にすぎず、あまり真に受けないほうがいいのかもしれない。


「ただね、一応根拠と呼べるものもあるよ。君と伯爵はどことなく顔のパーツが似ていた……と思うのは思い込みかもしれないけれど、その髪の色」


 テオに指差され、思わずエリオットは自分の髪を触る。黒に近い、色素の濃い色。


「そこまで黒に近い髪色の人間は、ベレスフォードがいくら広いといってもそういない。というのも、黒の髪というのは、今では国交の途絶えた東国人のものだ。オースティン伯爵家は、昔この大陸にやってきた東国人の血を引いていると言われている。伝承レベルの話ではあるけれど、信憑性はあるだろう。その証拠に、オースティン伯爵やあのご令嬢は、君と同じ髪の色をしていた」


 東国。海を隔てた遥か彼方にある、貧しい大地。話によれば魔装具もまだ伝わっていないらしく、相当厳しい生活を送っているのだろう。そのうち魔装具で動く長距離型の船でも開発されれば東国に行けるようになるかもしれないが、現状では『ああ、そんな国もあるな』というのが庶民の認識である。

 とはいっても魔装具以前の時代には長い月日をかけて船でベレスフォードを訪れる東国人たちもいたらしい。テオの言う通り伝承レベルになるほど昔であるが、確かに国交はあったのだ。その頃こちらへやってきた東国人の子孫が、オースティン伯爵。

 そういえばオースティン伯爵は、積極的に生活難に見舞われる国々に対して援助を行おうという働きかけをしている。それは先祖の祖国である東国を思ってのことなのかもしれない。


 テオはおもむろに立ち上がり、エリオットの背後に回った。そして襟を掴み、後ろ髪に隠れたうなじの部分を確認する。エリオットが飛びのく間もなく、テオは彼を解放する。


「……あるね。二つ並んだホクロ」

「っ、でも……!」


 そんなの偶然だろう、と言いかけたその時、玄関が勢いよく開け放たれた。テオとエリオットが驚いてそちらに目線を送ると、そこには先程帰ったはずのリオノーラが立っていた。


「おやおや、どう……」

「お兄様なの!?」


 テオの言葉を遮るように、リオノーラは若干頬を紅潮させて尋ねる。その眼は一心にエリオットを見ている。彼女はエリオットの前まで駆け寄り、もう一度同じ質問をした。


「本当に、お兄様なの!?」

「いやっ……だから、そうと決まったわけじゃないっ」


 あまりの勢いで肉薄されたために返答がしどろもどろになる。するとリオノーラははっと我に返り、恥ずかしそうにもじもじと下を向いた。


「そ、それより、なんでまだこんなところに……?」


 エリオットが問うと、リオノーラはちらりと目線を上げる。


「……喋ってもいい……?」

「? いいけど……」


 質問の意図を理解できないまま頷くと、ぱっとリオノーラは表情を明るくした。今の今まで恥ずかしそうに縮こまっていた少女の笑みとはかけ離れている鮮やかさだ。


「有難うっ。僕ね、ふたりの話が気になったからお父様に言って戻ってきたんだよ」

「……は、はい?」



 そして彼女は豹変した。



「ええと……君、男の子だったの?」

「違うよ! 僕は女だよ、十六歳の!」


 抗議するその姿は、十六歳という年齢からは一人称のこともあって少々幼く見えなくもない――。


「僕、普通の喋り方がこれだから、人前であんま喋っちゃ駄目って言われてたんだ」

「そ、そうなのか」


 唖然としたままのエリオットに向けて、テオが笑う。


「エリオット、駄目だよ可愛い女の子に『男の子なの?』なんて聞いちゃ。いいじゃないの、女の子で『僕』って言っても、可愛らしくて」

「ねー」


 テオの言葉に激しく同意を示すリオノーラ。まずいぞ、このふたりはなんだか波長が合ってしまいそうだ。なにが「ねー」だ、リオノーラはともかくテオまで可愛らしく小首を傾げるな。


「……ほんとに大丈夫なのかよ、ひとりでふらふら出歩いて」

「うん、僕よくひとりでお出かけするもん」

「それで誘拐されてちゃ意味ないと思うけど?」

「こ、この間のは油断してただけだし!」


 常に緊張していれば誘拐されないのだろうか。護身術を身につけているようにはとても思えないのだが。


「それより、本当に僕のお兄様なの?」

「わ、分からないよ、そんなこと……」

「僕ね、お兄様を助けられなかったってずっと後悔して、今も必死で探そうとしているお父様とお母様を見てきたんだ。だから、安心させてあげたいの。いいでしょ、お兄様になって!」

「そういう問題じゃないだろ!?」


 困ったようにテオの方へ目線を向けると、テオは軽く腕を組んだ。


「丁度良く彼女が来てくれたから、君と彼女の間に血縁関係があるかどうかは、俺が調べてあげることができるよ」

「ほ、ほんとに……?」

「うん。まあ、遺伝子ってのを見るんだけどさ」


 そんな魔装具もあるのか、と感心したエリオットだったが、もしかしたらあの妙な魔術かもしれない。あれはなんだったのだろう――魔装具を通したエナジーを使わずに剣の刃を粉砕した、あれは。今更もう、聞くに聞けない雰囲気だ。


 テオはリオノーラの前で中腰になって彼女と目線を合わせた。――こうしてみると、テオも意外と背が高い。エリオットより指二本分ほど低いくらいだ。


「髪の毛、一本もらってもいい?」

「ん? いいよ」


 リオノーラは躊躇なく長い後ろ髪を一本引き抜き、テオに差し出す。「ありがとう」と受け取ったテオはおもむろに手を伸ばし、エリオットの髪をつまむ。

 ぶちっ、と音がするほど。


「いったぁッ!?」

「あ、痛かった?」

「痛かったすっごく痛かったいまそう言っただろう! ……ってあんた、何本抜いてるんだよっ!?」

「えぇと……わ、六本だ。君の髪って細いねぇ……はい、五本返すよ」

「返されても困る!」


 ご丁寧に返却された髪の毛を、そのままくずカゴに払い落とす。それから溜息をつき、コートかけにかかっていた黒のコートを羽織った。テオが目を丸くする。


「お出かけかい?」

「ああ……ちょっと、知り合いのところに」

「なに、首都に君の知り合いなんていたの?」

「いたんだよ、実はな」


 腰帯にしっかり剣を佩き、その上からコートのボタンを留めていく。


「テオのやり方で血縁関係が分かっても、はいそうですかって受け入れるのは俺には難しい……俺自身が納得したいんだ。だから、事情を知っていそうな人のところに行ってくる」


 ジェイク傭兵団は壊滅した。しかし、エリオットが交流があったのは彼らだけではない。ひとりだけ、心当たりがあったのだ。


「僕も、一緒に行っちゃだめ?」

「……だめだ、ここで待っていてくれ」


 エリオットはリオノーラの申し出を却下し、ひとり寒空の下へ出て行く。閉じられた扉を不安そうに見つめるリオノーラの肩を、テオが叩く。


「彼の生まれがどうでもね、今の彼は傭兵なんだ。傭兵の世界に傭兵以外が入り込むのは、仲間意識の強い彼らには不快なことだろう。それに……今はエリオットも、ひとりになりたいのかもしれない」

「……分かった。ここで待ってる」


 テオは微笑んで頷く。


「さて、ココアでも淹れてあげるよ。庶民の味は口に合わないかもしれないけどね」

「そんなことないよ、ココア大好き」

「そう? そりゃ良かった」


 リオノーラも笑って、ソファにストンと腰を下ろしたのだった。





★☆





 雪を踏みしめ、路地を抜けていく。まだ雪解けの光は遠く、寒さが厳しい。深々と降る静かな雪が周りの音をすべて吸収していくが、それでなくともエリオットに周囲の音は聞こえなかった。

 どうしたらいい。どうしたらいい。

 両親に捨てられ、孤児になった。それをジェイク団長に拾われ、育てられた。後悔なんてない、団長と仲間たちには感謝でいっぱいだ。あの人たちこそ家族だった。

 だというのに、ここにきて、二十年間積み上げてきた時間が根底から崩されようとしているのかもしれない。自分の人生の否定。絶対的に信頼していた団長への疑念。


 実の親と妹――もし本当にそうなら、俺はこの先どうしたらいい?



 エリオットは繁華街へ出てきた。相変わらず賑やかな人混みを縫うようにすり抜け、古ぼけた一軒の店舗の中に入る。看板も何もない、完全な廃屋である。

 しかし店内には人がいた。人だけではない。壁という壁に展示された剣や槍といった鉄器。一昔前には確かにみなが持っていた、しかし今では完全に『時代遅れ』と蔑まれる武器たちだ。

 ここは傭兵を相手に鉄器を売る店だ。


 店内にいたのは白髪の人間だ。見事なまでに背筋はぴんと伸び威厳のある居住まいは、老人のものではなかった。そう、彼は昔から白い髪だったのだ。その白い髪を、高く結い上げた様はまるで武人のようだ。


「スペンサー。お久しぶりです」


 声をかけると、その男、スペンサーは顔をあげた。エリオットを見るとその険しい表情がふっと和む。


「お前、生きていたのか」

「昔から悪運が強いの、知っているでしょ」


 スペンサーはこの首都コーウェンで唯一、傭兵が扱う武具を販売している。つまりここに傭兵たちが自然と集うわけで、彼はこの街にいながら各地の傭兵の状況を逐一把握できているのだ。

 だからスペンサーは知っている。ジェイク傭兵団が壊滅したことを。


「ジェイクたちのことは残念だったが……お前は生き延びられた。そのことは幸運に思わねばならんな」


 勿論そうだ、いつ命を落とすか分からない毎日を傭兵は過ごしている。生き残ったもの勝ちであるし、元は傭兵だったスペンサーにもそのことは分かっている。


「……そうですね。スペンサー、ひとつ聞きたいことがあるんです」

「なんだ、生死も分からぬ状態だったお前がひょっこり現れたかと思えば、用事があったから来ただけか」

「すいません、挨拶に来るの遅れて」

「まあいい、それで聞きたいこととは?」

「……ジェイク団長が、俺を拾った時のことを」


 スペンサーなら知っているはずなのだ。何を隠そう、彼はジェイクの兄である。

 兄弟仲のよかったスペンサーとジェイクは頻繁に会っていたし、エリオットもよくジェイクに連れられてこの店を訪れていた。スペンサーなら、ジェイクからその時のことを聞いているはずだ。


「エリオット……今頃になってやっとそのことに疑問を持ったのか?」

「は?」


 思わぬ反応が返ってきて、エリオットは素っ頓狂な声を出す。スペンサーは呆れたように溜息をつく。


「お前から聞いて来れば真実を話そうとジェイクと決めていたというのに、お前はすっかりジェイクの言葉を鵜呑みにした。お気楽な奴だよ」

「なっ、ちょっ……!? じゃ、じゃあ聞かされていたことは全部嘘ってことですか!?」

「全部じゃないがな」


 つまり一部分は嘘、と。


「お前は首都の下町に捨てられていたと教えたと思うが、厳密には違う。首都で騒ぎを起こした夜盗どもが、お前を連れていたんだ」

「や、夜盗……」

「その夜盗をジェイクが潰して、赤ん坊だったお前を引き取った。夜盗に聞けば、それはさる大貴族の館から盗み出した赤ん坊だという。その大貴族というのが一体誰なのかは分からなかったが、一度拾い上げてしまったからにはもう捨てられない。だが俺たちは傭兵だ、貴族出身の人間は仲間内でも嫌われやすい。だから黙っていたのだ、お前にも、他の仲間たちにも」


 火事場漁りの夜盗に連れ去られかけたエリオットを、ジェイクが助けてくれたのか。『エリオット』と名付け、ここまで育ててくれた。実は貴族の子であるということなど、告げることなく――。

 それがジェイクの気遣いだったのだろう。


「まあ……傭兵に拾われたばっかりに、傭兵以外の道を示してやれなかったのが、申し訳ないことではあるな」

「……」

「ジェイクは言っていたぞ。『エリオットが二十歳になったら真実を伝え、その先の生き方は本人に任せたい』と。……だから、お前がどう生きるかは、お前次第だ。ジェイクの代わりに、俺が聞き届けてやろう」


 世間話のような軽さで語られた重大な真実だったが、むしろその方がエリオットには有難かった。重々しく告げられるよりも精神的な負担が軽かったのだ。

 何も変わらない。エリオットは『実は貴族の子』であっただけだ。傭兵として生きてきた二十年は変わらない。


 もう間違いないだろう。オースティン伯爵は、エリオットの父だ。


「……生まれがなんだろうが関係ないですよ。団長は俺を助けてくれて、俺に『エリオット』って名前をくれた。だから俺は、生きてこられたんだ。そしてこれからも……『エリオット』のままです」


 そう微笑むと、スペンサーも「そうだな」と頷いてくれた。


「でも、ちょっと変わったところもあるんです。これからは自分が生き残るためだけじゃなくて、みんなで生きるための手助けがしたいって思う。俺を助けてくれたみんなのために」


 それは紛れもなく、本心だった。


「だから俺は……戦いを続けます。これまでとは違う形になるかもしれないけれど、団のみんなと一緒に。俺の心は、傭兵だから」





『万屋カーシュナー』の看板を横目に、エリオットは店の玄関を開けた。室内は空調系魔装具が利いていて温かい。どうして下町だというのに、ここまでこの店は魔装具が充実しているのだろう。いや、テオのおかげなのだろうとは思うのだが。


「やあ。お帰り」


 テオはソファに座り、机に数枚の紙を広げている状態で出迎えた。対面して座るリオノーラも、ぱっと表情を明るくする。


「こっちおいで、エリオット」


 おいで、とはまるで子供を呼ぶような言い回しだ。エリオットが大人しくテオの横に行くと、テオは紙を指差した。


「ほら」


 紙はびっしりと流暢な筆遣いの数字と文字で埋め尽くされていた。まったく理解できない、理解したくもない文字の羅列。エリオットが眉をしかめる。


「……なにこれ」

「君とリオノーラの遺伝子の照合結果。最初の方はすっ飛ばして、見てほしいのはこれ」


 ……まさか、手作業でその照合をしたのか!? この計算式で導き出したというのか。

 紙の一番下にある数字は『九十九.九七』。


「兄妹判定ってのはね、『可能性が高いか低いか』ってことくらいしか分からないから断定はしにくいものなんだ。実際のところは親子判定が望ましかったんだけど、兄妹判定でもこれだけの数値が出た。ほぼ百パーセントの確率で、君たち二人は両親が同じだ」



 ――もう、受け入れるしかない。





★☆





 その翌日、万屋に再びオースティン伯爵と夫人、リオノーラが訪れた。そしてテオの口からエリオットとリオノーラが兄妹であること、よって伯爵家の子息であるということが告げられた。伯爵は驚いたようにエリオットを見つめたが、当のエリオットが微妙な顔をしているので声をかけようにもうまい言葉が出てこないといった様子であった。

 しかし、黙っているわけにもいかない。伯爵がゆっくりとエリオットに向けて口を開いたのだ。


「君の名を……聞いてもいいかな」


 その下から出る態度に、やはり息子と分かっても遠慮があるということが見て取れる。


「エリオット、です」

「エリオットか……良い名だ。その名は、誰が?」

「俺の命を救って、共に生きて、俺を守って死んでしまった人が」


 エリオットは静かに息を吐き出し、目線をあげる。真っ直ぐに伯爵を見つめた。

 逃げる、というつもりは更々ない。向き合わなければならない、とエリオットは決めていた。一夜まるまる使って考えていたのだ。


「俺は、傭兵に拾われて傭兵となりました。貴族とは対極に立つ存在だ。今更貴族になれと言われても無理です。なりたくもない」

「お兄様」


 リオノーラが何か言いかけたのを、伯爵が制する。


「正直、貴方の息子であると言われても実感はないし、息子として接することはできないかもしれないんですが……」

「そんなことはどうでもいい……ただ、生きていてくれて良かった……」


 若干くぐもったその声に、エリオットは驚いたように目を見開く。伯爵の目にうっすらと浮かぶ涙。実感がないのは伯爵だって同じはずなのだ。それでも伯爵は、エリオットを見て涙する。

 そのくらい、必死に探してくれていた――。


「君は君のままで生きてくれ。君の生き方を強制するつもりはない。だが……たまには、様子を見に来てもいいかな?」


 頷かない、わけがない。





「これからは、堂々とお兄様って呼んでいいよね?」


 帰り際、リオノーラがそうエリオットに尋ねる。店の外で車の見送りに立っていたエリオットは、ズボンのポケットに手を突っ込んで苦い顔をする。


「……もう少し何か呼び方ないのかよ」

「じゃ、兄貴」

「どこでそんなの覚えた!?」


 貴族のご令嬢の言葉じゃないから。


「やっぱりエリオットお兄様でいいでしょ? 次からは僕のこと、リオって呼んでね!」

「次から……?」

「僕、また遊びに来るから! よろしくね、お兄様っ」


 リオノーラは嬉しそうに笑って、白の車に乗り込んでいく。軽やかな足取りはまるで妖精のようにふわふわとしていて、なんとも可愛らしい。

 あれが、自分の妹か――。

 妹などが自分に存在するなど、昨日までは一度だって考えたことがなかったのに。おかしなものである。


「気分はどう?」


 走り去る白の車を見つめているエリオットに、テオが声をかける。エリオットは首を捻り、苦く笑った。


「……複雑な気分だ」

「まあ、そうだろうね」

「テオ、あんたいつから俺があの人たちの子供じゃないかって思ってたんだ?」


 いつもならきっと答えてくれないであろう質問だったが、このときばかりはテオもまともに答えてくれた。


「君がこの店の前で倒れていた時に、オースティン伯爵の血族だろうかとは思ったよ。その髪の色で」

「なんだよ……そんな前から考えてたのか。じゃあ、この間リオノーラを助けたのは……」

「君と伯爵とが近づくきっかけになればいいなと思っていた」


 すべてテオの掌の上か。

 テオは白い息を吐き出す。


「真面目な話、血の繋がりというのは切っても切れない特別なものだから。失ったら二度と手に入らない。……君が嫌でも、血縁がいるというのは幸せなことだよ」


 エリオットは沈黙する。それから俯いた。


「……俺は、親に捨てられたんだと団長に教えられたんだ」

「うん」

「それは俺を気遣って団長がついた嘘だった。でも俺は、つい昨日まで、俺を捨てた両親のことが憎くて仕方なかったんだ。親が子を、友が友を見捨て、救いの手を互いに差し伸べようとはしないこの国が、俺は大嫌いだった」


 だから、自分に手を差し伸べてくれたジェイク団長だけを信じた。彼の傍に集う傭兵団員だけを家族だと定めた。

 ジェイクだけだと思っていた。だというのに、テオは同じようにエリオットに手を差し伸べてくれた。


「けど、下町に住んでみて分かったよ。俺の考えは根拠のない偏見だったんだ。だって……下町の人は、みんな助け合ってその日を生きている」

「うん」

「捨てたもんじゃ、ないのかなって……」


 ああ、まずい。俺、泣いている。


「……いつか会ったら、親に言ってやろうと思ってた言葉がたくさんあったんだ。でも、言えなかった……あの人たちに、そんなこと、言えなかったよ……」

「うん。……そうだね」


 テオに背を向けて、零れそうになる涙を手の甲で拭う。テオは優しく相槌を打つだけ、それが有難い。

 息を吐き出し、振り返る。



「……って」



 ――涙は、一瞬で乾いた。


「なにコーヒー飲んでくつろいでんだあんたッ!」

「え?」


 玄関脇のちょっとした段差に腰をおろし、両手でカップを包みこむようにしてテオはお茶をしていたのである。


「人がちょっとしんみりしている背後でッ!」

「いやぁ、あはは、なんか長い話になりそうだったから」


 一瞬でもその優しい言葉が胸に響いたなんて思った自分が馬鹿だった。テオはいつでも、やっぱりテオだ。

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