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万屋ですがなにか。  作者: 狼花
VOLUME Ⅰ
5/53

File four 誘拐で身代金要求とかベタですね。

 

 

 

 あんたは、何を隠しているんだ。





★☆





「見っけ」


 二階建て住宅に取りつけられた外階段の裏に、蹲っている小さな影がある。階段に手をかけながらそこを覗き込んでみれば、その影はこちらを振り向いた。


「……エリオットおにいちゃん……」


 まだ五歳か六歳かという男の子だった。怖かったのか寂しかったのか、目元には涙が浮かんでいる。エリオットはにっこりと笑って見せる。


「お前の兄ちゃん、心配してるぞ?」

「……知らないもんっ、兄ちゃんが悪いっ」


 ここでまだ意地を張るとはなかなかたいしたものだ。エリオットは男の子のすぐ傍にしゃがみこみ、その頭に手を置いてやる。


「ああ、兄ちゃんはお前に酷いこと言ったかもしれない。でも、それで家出して家族に心配かけたお前も悪い」


 エリオットがそう諭したとき、ばたばたと十代半ばに見える少年が駆けつけてきた。冬だというのに汗をかいているが、どちらかといえばそれは冷や汗と呼ぶべきものだった。少年は男の子の姿を見つけ、目を輝かせた。


「コリン!」

「兄ちゃん……」


 コリンの兄は弟を抱きしめ、その無事を念入りに確認する。


「怪我ないか!? ごめんよ、兄ちゃんが悪かったよ。だからあんま心配させないでくれ」


 安堵したためか目に涙が浮かんでいる兄を見て、コリンもこらえていた涙が一気に流れ始めた。兄にしがみついてわんわんと泣く。エリオットは苦笑を浮かべてその様子を見守っていた。


 ひょんなことから起こった些細な兄弟喧嘩。弟が家出と称して飛び出していき、最初こそ知らぬふりをしていた兄もさすがに心配になった。そのため、万屋カーシュナーであるテオとエリオットに弟の捜索を頼み込んだのである。

 そうして半日近く探し回った結果、家出少年コリンは下町の路地で迷い、動けなくなっていたところをエリオットが発見したのであった。


 泣きじゃくるコリンを背負った兄と一緒に、エリオットはふたりの家まで戻る。この下町で庭を持っている家などそうないのだが、珍しいことにコリンの家には小さいながら庭と呼べるスペースがある。そこに出してある一人掛けの椅子には、テオがゆったりと腰かけていた。それを見るなりエリオットは眉間に皺を寄せた。


「……何してるんだよ」

「ん? 座ってる」

「なんでのんびりくつろいでるんだって聞いてるの!」

「だって、もしかしたらコリンくんが帰ってくるかもしれないでしょ? そうなって入れ違いになるのは嫌じゃない」


 ははは、と笑うテオの頭を一発はたいておいて、エリオットはコリンとその兄の少年に向きなおる。兄が嬉しそうにエリオットを見上げる。


「ありがとう、エリオット! 迷惑かけてごめんな」

「無事に見つかってよかったよ。ま、兄弟仲良くなるべく喧嘩しないようにな」


 無難なことしか言えない自分がもどかしいのだが、精一杯そう言ってやるとコリンの兄も苦笑する。この年頃の兄弟に喧嘩するなというのは無理がある。

 子供のお小遣い程度――実際小遣いだろうが――の銅貨を受けとり、テオとエリオットは歩き出す。もう日は傾いていて、気温もどんどん低くなっていく。テオがコートのポケットに手を突っ込みながら言う。


「にしても働き者だねぇ、君は。一日で三つの依頼を終えるとか最高記録だよ」

「普段どれだけあんたは怠惰なんだよ」

「一日ふたつが限界だと思ってたから」


 のほほんとテオが言う横で、エリオットは溜息をつく。昼にふたつ目の依頼で外に出ていたテオとエリオットだったが、そこであの少年から弟捜索の依頼を受けたのだ。それから日が暮れるまでコリンを探し回っていた。

 テオも一応面倒見の良い方であるが、エリオットの比ではない。万屋として働き、下町で生活するようになって一か月。もう今となってはみなエリオットのことを歓迎してくれるし、日常のこまごまとした問題ごとはテオではなくエリオットに直接頼むという人も出ている。それほどまでにエリオットは面倒見の良い兄貴分として慕われていたのだ。


「君って子供に好かれやすい体質なのかもね」

「どうかな……まあ、傭兵団いたときは俺より年下いなかったからさ。好きだよ年下の相手するのって」

「なるほど。……ところで君、覚えてる? 俺が最初に言ったこと」


 エリオットはきょとんとして瞬きをする。なんだっけ、と首を捻ると、テオが答える。


「君が必要最低限の生活を送れるようになるまで、衣食住を提供するって」

「あ、ああ……」


 少しぎくりとした。――その質問をされることを、無意識のうちにエリオットは避けていたかもしれない。


「君の順応能力には恐れ入る。魔装具の扱いも上手くなったし、そもそも生活能力は俺より高い。路上に放り出しても君は生きていけそうだけどね」

「……」

「傭兵に戻る、という手もあるんじゃない?」


 テオの言うことは充分理解できる。しかし、どこかでそれを否定したい気もする。

 つまるところ――。


「……も、もう少し……あの店にいさせてはくれないか」


 端的に言えば、居心地が良い。けれどそれを素直に言葉にするのは癪だった。

 テオは愉快そうに微笑む。


「君がそう思っているなら構わないよ。ただ、俺と出会ったばかりに君の人生捻じ曲げるのが気に食わないだけで」

「……あんた、そういうの気にするタイプだったのか」

「意外でしょ?」

「自分で言った途端に感動薄れた」


 顔を背けると、くすくすと笑うテオの声だけが耳に入る。


「……まあ、君がいなくなったらまた静かになっちゃうし」

「は……?」

「何より、うちの稼ぎはほぼ君のおかげだしね! 手放すと俺の生活が」



 どうせそんなことだろうと思ったよ。

 一瞬でもいいこと言ってくれたと思ったエリオットの負けである。





★☆





「……だから、今日はホワイトでいいだろ?」

「いやあ、でもせっかくだしさあ、ちょっと豪華めに行こうよ」

「なんのせっかく……?」

「遠出したという『せっかく』」

「アホか理由にもならん」


 肉屋の前で立ち止まって議論する男二人。


 コリンたちの家が比較的『繁華街』に近かったこともあり、テオとエリオットは少し足を延ばしてその場所を訪れていた。

 一般観光客が、首都コーウェンの城門をくぐって最初に到達する場所。それが繁華街だ。平民だけでなく貴族たちも時に足を運ぶほど充実した商店や飲食店が並び、さすが世界に誇る文明の国という様相である。が、下町に住む人間からすれば『無駄と無駄の街』という印象しかなく、あまり寄りつかない場所だ。買い物であれば下町の市場で事足りるし、本当に「どうしても」という時にだけここに訪れる、その程度でしかない。何より物価が高い。


 またイザードに見つかったらどうするんだ、とテオに聞いてみれば『正体隠そうとしてこそこそしているほうが怪しくない?』と反論され、彼は堂々と歩いている。人通りも下町の市場の比ではないので、誰もテオに目を止めない。


 そしてぶらぶらと歩きながら、今日の夕飯の買い出しでもしようということになり、『今日は寒いからシチューにしよう』というところまで意見が一致したのは良いのだが――。



「俺さぁ、ホワイトシチューのミルクっぽい感じ苦手なんだよね」

「……分かった、百歩譲ってビーフシチューにしよう。が、肉は豚肉ってことで」

「ちょっと、それビーフシチューじゃないよ!?」

「大体、牛肉買う余裕があるわけ……」


 エリオットは言いながら、商品ケースに入っている牛肉についている値札を見る。二秒ほどそこに書かれた数字を見て固まり、勢いよくテオを振り返る。


「……んな余裕あるわけないだろ!?」

「あ、めっちゃ高いねお肉。さすが繁華街」


 テオも同じように値段を見て「うーん」と腕を組む。食にケチをつけるな、という持論は、家計を握るようになってから少々ひっこめ気味である。いくらなんでもこの値段は家計を圧迫する。諦めてくれ、と心の中で願いつつも、エリオットの嘆願はテオの爽やかな笑顔の前にあっさり打ち砕かれることになる。


「ま、一年に一度のご褒美だよ」

「年明けたばっかだっつの!」


 年が明けて数日しか経っていないというのに、『一年に一度』を使っていいものなのか。


「お客さん、後ろ詰まってるんで早く決めてもらっていいっすかねぇ」


 肉屋の店主の声でエリオットははっと我に返った。


「す、すいませんっ。……え、ええと、先月の収入があれだから、うーん買っても大丈夫そう……?」

「家計簿つけてるとかどこの奥様ですかエリオットくん」

「ちょっと黙ってろ。――うん、やっぱ豚肉で!」

「嘘でしょぉ!?」

「ホワイトシチューのミルクっぽさが嫌なら、別に肉はなんでもいいんだろ」

「そうともいうけど、そうじゃないでしょうよぉ」

「どっちだよ」


 話が降り出しに戻りかけ、エリオットが溜息をつく。これはエリオットが折れるしかないのだろうかと諦めかけたその時。



「人攫いだ!」



 わっとその声が上がり、テオとエリオットが同時に振り返る。人混みを掻き分け、何者かが一瞬のうちに駆け去っていく。本当に一瞬のことで、エリオットも目で追えなかった。


「人攫い!?」

「よくあるよ、貴族の子息や令嬢を誘拐して身代金要求とかね」


 テオはそう言うなり急に駆けだした。ぎょっとしたエリオットも慌てて追いかける。


「ちょっ、なんで追いかけるんだ!?」

「いま誘拐されてたの、オースティン伯爵家のご令嬢だ」

「知り合いなの?」

「いや。でもほら、貴族に恩を売っておくと何かと便利じゃん?」


 ……いや、『便利じゃん』って。


「――て、ちょっと待て、テオあんた、魔装具は!?」

「ん、光源系魔装具なら常備してるよ。暗いと危ないし」

「じゃなくて、攻撃系だよ!」

「持ってないけど?」

「持ってないけど、じゃねぇよ! もし乱闘になったらどうやって」

「やだなあ、それは君の仕事でしょ?」

「こんな往来のど真ん中に剣持参で来てるわけないだろっ」


 そう、テオもエリオットも素手なのであった。


「なんとかなるなる」

「人任せっていいよな!」


 エリオットは渋い顔をしつつ、先を行く人攫いを追いかけた。やっとそこで、人攫いの男に抱きかかえられている少女の姿が視認できたのだった。





 人攫いはテオとエリオットの追跡に気付いた様子もなく、繁華街の外れにある貸倉庫へとやってきた。その物々しい雰囲気を見て「鉄板だねこれは」とテオが笑うがそれを無視する。

 倉庫群の奥へと入っていく人攫いの姿を、塀の陰から覗き見る。テオはエリオットを振り返った。


「いいかいエリオット、これは時間との勝負だ」

「そうだな」


 早くしないと誘拐された少女の身に危険が及ぶかもしれない。


「早くしないと警備軍が来ちゃって手柄取られちゃうから」

「おい」


 というか、普通に考えればこれは警備軍の仕事であって一般人であるふたりが動くことではないのだが。珍しくやる気を見せたテオのその意気を殺すこともないだろう。


「それとね。感情に任せて動かないようにね」

「え?」

「最優先すべきは、ご令嬢の身の安全だから」


 何やら含みのある言葉を残し、テオは悠々と敷地の中へ入っていく。エリオットは怪訝に思いながらも、テオを追いかける。


 広い敷地の中に、整然と巨大な規模の倉庫が四棟ずつ三列並んでいる。使われているところもあるが、どうやら空き倉庫のほうが多いようだ。確かにここまで繁華街から離れていれば、使い勝手は悪いだろう。格好の隠れ家だ。

 人攫いが曲がって行った、右から二棟めと三棟目の間を抜ける。二列目の二棟めのシャッターが、少しだけ開いているのが見えた。間違いなくここに入ったのだろう。


 テオはその倉庫の傍に歩み寄り、ポケットから常備しているという光源系魔装具を取り出す。細長いペンのような形で、先端が光るようになっている。すっかり日は落ちてきて、辺りは薄暗い。倉庫の中も真っ暗のようだ。テオは魔装具を光らせると、それをシャッターの隙間から中に放り込んだ。


 人の声がする。複数人いるのか。外に出てくる気配がして、テオとエリオットは倉庫の陰に身を隠した。

 ほどなくして、シャッターを潜り抜けて男が外に出てきた。テオの目配せを受けて、エリオットが飛び出す。


「っ、こいつ!」


 男が即座に反応したが、エリオットのほうが数段速かった。回し蹴りが炸裂し、男は向かいの倉庫の壁に叩きつけられて昏倒する。

 ふう、と息をついて改めて男を見やったエリオットが、大きく目を見開いた。


「なっ……剣!?」


 今しがたエリオットが蹴り飛ばした男は、腰に剣を帯びていたのだ。つまり、傭兵である。


「細かいことはあとだ。エリオット、その剣借りておきな」


 テオの指示が飛び、呆然としたまま男から剣を抜き取る。とりあえずこれでまともな戦いができるだろう。その間にもテオはシャッターに手をかけ、勢いよく上へ押しあげる。


 倉庫の中に一気に夕陽が差し込んだ。倉庫の奥に、数名の男がいる。彼らはみな一様に剣を持っていた。そんな男たちの後ろに、猿轡をかまされ手足を拘束された少女がいる。その眼には若干の涙が浮かんでいるようだ。


「な、なんだお前ら!?」

「んー、通りすがりの正義の味方かな」

「クサいこと言ってんじゃねえよ」


 エリオットがテオの頭をはたくと、主犯格らしい男が驚いたように一歩進み出た。


「お前、エリオットか!? ジェイク団長のとこの」

「……! ケント、か」


 エリオットが苦い顔になる。テオは今の会話ですべて察したようだ。

 ひとくくりに傭兵といっても、傭兵たちは基本的にひとりで行動しない。複数人が集まって『傭兵団』となり、団で行動するのだ。魔物を狩るという命の取引の中、ひとりよりは集団行動のほうがリスクが低いからだ。

 エリオットは団長ジェイクに従う人間。対するケントもまた、別の団に所属していた人間。所属が違えど同じ傭兵だったし、交流があったのだ。


「お前、何をしてんだ。こんなところで」


 ケントの言葉にエリオットは小さく答える。


「団長は死んで、団は壊滅した。今は、この人のところで世話になっている」

「……はッ! ついに剣を捨てて魔装具の世界に堕ちたのか、エリオット! そうだな、お前は昔から器用で思考も柔軟な奴だった。剣に執着がなかったお前なら、魔装具と一緒に生きていけるだろうよ!」


 エリオットは無言を貫いた。言い返す言葉が見当たらなかったというのもある。剣に執着がなかったというのは心外であるが、そう言われてもおかしくないというのも自分で理解している。

 ただ、無性に悔しい。


「だがな、俺たちはそうもいかねぇんだ! その日食いつなぐのが精いっぱい、他の団員も次々と死んでいく! だからまとまった金が必要なんだ」

「身代金目当てか……でも、そんなの理由にならない!」

「綺麗ごとなんざ聞きたくないね!」 

「はいはい、ふたりとも落ち着いて」


 テオが間に割って入った。エリオットを庇うように後退しながら、彼はケントを見やる。


「君の生き方に口を出すつもりはない、けれど言えることがひとつある。確かに今、傭兵が生きにくい世界だ。だけどね、君がこんな事件を起こしたということが明るみに出れば、政府は傭兵の存在を危険視するだろう。傭兵たちの生きる世界を、君自身が、より狭くしてしまう恐れがあるんじゃないかな?」


 こんな場面でも、テオは堂々としている。


「自分たちが生きられれば良い。それはとんでもなく驕り高いことではないのかな」

「じゃあ、どうしろって言うんだッ!」

「さあ……それは、俺が決めることじゃない」


 テオの言葉の半ばで、ケントが剣を抜いた。そして鞘ばしる勢いそのまま、テオの首を斬りおとす軌道で剣を横に薙いだ。


「テオッ!」


 エリオットが叫ぶが、テオはひょいっと後ろへ身体を反らしてその一撃を回避する。――テオの身のこなしを見るのは二度目であるが、イザードの話もある。こいつはかなり手練れだ。


 テオが飛びのくのと同時にエリオットが剣を抜く。それを見てテオは素早くその場を脱する。テオはケントの傍を駆け抜け、従うふたりの攻撃も回避した。そうして向かったのは、拘束されている少女のもとだ。

 傭兵ふたりがテオを追いかけようとしたが、その寸前にエリオットが割り込んだ。テオと少女を守るように身構える。


 人間相手に剣を抜くのは初めてではない。傭兵同士でもあったことだが、それはすべて『試合』や『稽古』だった。こんな風に、敵対するのは初めてだ――。


(でも、手を抜ける相手じゃない)


 斬りこんでくる傭兵の一閃を、エリオットは真正面から受け止めた。押し返したところでもうひとりが突進してきたので、それを避ける。そしてすり抜けざまに剣の峰で相手の背をしたたかに叩いた。

 激痛で昏倒した相手には目もくれず、エリオットはもうひとりもあっさりと打ち倒す。ほんの数秒の出来事であり、エリオットがいかに剣術に秀でているかが分かる。


 仲間があっさり倒されたのを見て奥歯を噛みしめたケントが、ゆっくりと前へ進み出てくる。エリオットも緊張しつつ、腰を落とす。



 そうしている間にもテオは少女の手枷と足枷を外し、猿轡を外してやった。恐怖で震えている少女に、場違いなほど優しい笑みを向ける。


「大丈夫だからね」


 少女は無言で二度うなずく。テオは視線をエリオットへと戻した。そしてゆっくりと、胸ポケットから眼鏡を取り出す。


 エリオットとケントの剣が交わり、音高く火花をあげる。エリオットの身のこなしは素晴らしかったが、エリオットは自分が劣勢であるということに気付いていた。

 テオと生活するようになって一か月。その間まともに剣を抜いたことはなかった。剣士にとってこのブランクというのは相当なもので、傭兵であったころ勝てたはずのケントを相手に、苦戦する始末だ。


「動きが鈍いぞエリオット! 分かっただろう、魔装具は人を弱くするんだッ!」


 ケント得意の連撃が叩き込まれる。エリオットが顔をしかめてそれを凌ぐが、体幹がぶれていく。


「っく!」


 強烈な一撃が叩きこまれ、エリオットがよろめいた。そこに、ケントが付け込む――。



『――crush』



 突如、不思議な響きの言葉が耳に鮮明に入ってきた。


「……え」


 キン、と空気が張りつめる音がした。エリオットの目の前に、ぱらぱらと何かが降り落ちてくる。視線を少し上にあげると、いままさにエリオットを斬ろうとしていたケントの剣の刃が、まるで紙屑のような破片となって地面に落ちてしまったのだ。

 何が、起こった――。


 疑問はあったが、エリオットはすかさず蹴りを繰り出した。エリオット以上に驚いていたケントは腹に一撃を喰らい、床に倒れ込む。

 エリオットは剣を鞘に収め、振り返る。地面に膝をついているテオは、初めて会った日にかけていた眼鏡をかけていた。エリオットと目が合い、テオはにっこりと笑う。


「間一髪、だったね?」

「……あんた……いま、何をした」


 テオの不思議な言葉。そして起こった、刃が砕けるという不可思議な事態。魔装具による魔術だとしても、何かそれとは違った気がする。

 例えるならば――エナジーを使っていなかった、ような。

 そうだ。攻撃系魔装具を扱えば必ず魔方陣が構築される。その気配が、エリオットには全く感じられなかったのだ。


「この眼鏡、俺が改造した魔装具でね。持っていたのを忘れてたよ」

「それはただの眼鏡だと言っていなかったか」

「……」


 相変わらずテオは、その赤い瞳に底知れぬ何かを隠したまま微笑んでいる。ただ、今のエリオットの問いに応えなかったところに、これ以上のはぐらかしは無駄と悟ったのだろうか。

 沈黙が舞い降りる。

 と、そこで少女が小さくくしゃみをした。そこでテオとエリオットは我に返る。エリオットが少女の傍に膝をつく。その隙にテオは眼鏡を外した。


「すまない。……大丈夫だったか?」

「……平気」


 少女は俯きつつ、小さく呟く。黒に近いほど色素の強い髪の色は、エリオットとほぼ同じだ。珍しいな、俺以外にもここまで色素の強い髪の人間がいるのかとエリオットは思わず思ってしまう。ふわふわと緩やかな髪が、背の半ばほどまで伸びている。


「外に出ようか」


 テオもそう言って歩き出す。エリオットが付き添って倉庫の外に出ると、こちらへ駆けてくる影がある。テオが「おっ」と嬉しそうに声をあげる。


「イザードじゃないか。たまには良いところに来るね」

「なっ、テオ!? お前、なぜここに!?」

「そんなことはどうでもいいでしょ。こちら、オースティン伯爵家のご令嬢だ。誘拐犯は倉庫の中にいる。さっさと連行して、彼女を屋敷へお返ししてあげてほしいな」

「お、おう?」


 テオの指示に、イザードはきょとんとしながらも従った。イザードが連れてきた警備軍たちが倉庫の中に入り、昏倒しているケントたちを連行していく。


「あ、のぉ」


 くいっと袖を弱い力で引っ張られ、エリオットは振り返る。少女が手を伸ばしていたのだ。

 こうやって日の光の下で見てみると、年齢は十代後半らしい。ふっと意を決したかのようにあげた表情は、驚くほど美しい。


「あ……あ、ありがとっ」


 少々潤んだ瞳をしていたが、それは恐怖というより恥ずかしさゆえのような気がした。しかし、上流階級の娘にしてはどこか言動がいちいち庶民くさくて、幼い。


「わ、わたし……リオノーラ。今度、お礼、したいっ」

「お礼なんていいのに……俺たちは下町の万屋カーシュナーだ。訪ねてみてくれ」

「万屋……うん、分かった」


 少女リオノーラが微笑んで頷く。そうして彼女が警備軍とともに去っていくのと入れ替わりに、大層不満げなイザードが現れた。ちらりとテオを見ていう。


「……今回ばかりはお手柄だった。感謝するぞ、テオ、エリオット」

「いえいえどうも」

「だがしかし! 今回のことと不法営業のことは別だ、後日覚悟しておけよ」


 そう言い残して、事後処理があるからとふたりは倉庫を追い出された。テオはやれやれと溜息をついた。


「完全なタダ働きだなぁ」

「……そうだな」

「ってことで、今日の夕飯はビーフシチューにしようか」

「そうだな。……って、なんで!?」

「あ、いま『そうだな』って言ったね? 一度言った言葉には責任もつものだよエリオット。ってことで商店街に戻ろうか」

「なんであんたはこういう時だけ行動的なんだ!」



 いつも通りに流されて、結局あの不思議な魔術について聞くことはできなかった。

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