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万屋ですがなにか。  作者: 狼花
VOLUME Ⅱ
44/53

File twenty 共同戦線もいいものです。

 

 

 

 こうなった以上、隠すことはできないな。





★☆





 劇団『エース』と行動を共にするようになって十日あまり。魔物の襲撃もあれど残らず撃退し、ひとりの脱落者も出さず、彼らはネルザ山を越えることができた。そうして見えてきたのが、ベレスフォードの辺境も辺境、ネルザーリの街である。


 エナジーがエネルギーとして使われるようになるまで、世界の資源の大半は石炭だった。ネルザーリはそんな時代に炭鉱の街として栄えた場所で、かつての炭鉱跡がそこかしこに残されている。今ではすっかり寂れてしまったが、そこに住む人も景色も素敵なんですよ――とは、セイラの言である。


 しかしながら、彼らの前に現れたネルザーリの街は、セイラの言葉とはかけ離れたものだった。


「これは……」


 エリオットが眉をしかめる。その隣に立つイザードは辺りを見回した。


「何か臭うな」

「加齢臭じゃない? やだやだ」

「貴様ぁっ」


 鼻をつまむテオの頭をイザードがはたこうとして、見事に空振りをする。この状況でふざける余裕のあるふたりに呆れていると、冗談の通じない代表イシュメルが生真面目に言った。


「火の臭いだな。火事でもあったのか」

「みたいですね」


 眼下に見える小さな集落からは、細く黒い煙があがっている。遠目にも住宅は焦げて倒壊しているように見えるし、地面にもぼこぼこと穴が穿たれている。自然か人為的か、とにかく何か災害があったことは間違いない。

 そのまま山道を下り、ネルザーリの街の入り口にまで近づくと、さらに焦げた匂いは強くなった。鎮火してすぐのようだ。


 ガイアは厳しい顔をしているし、セイラも不安そうだ。テオが「ふむ」と呟いて振り返った。


「いきなり全員で踏み込むのも危険だ。ちょっと様子を見てきますよ。行こう、エリオット」

「お、おう」


 テオのご指名を受けて、エリオットが頷いた。彼でさえ入るのを躊躇するこの惨状の舞台に、テオは颯爽と踏み込んでいく。テオの潔さは、時にエリオットのそれを上回るから驚きだ。


 劇団員とイシュメル、イザードを街の外に残して、ふたりは街に入った。ついてきたチコは鼻をやられたのか、テオの上着のポケットの中で小さくなっている。

 今歩いているのは、元々市場だった大通りだろう。道の両脇にずらっと建物が並んでいるが、どれも半壊以上の有様だ。火事が起こった中心地はこの市場らしく、煙と臭いがかなりきつい。


「ひどいな、こりゃ……何があったらこうなるんだ」

「火事が起こっただけじゃないね。発火はあくまでも二次災害っぽい」

「けど、人間同士の争いだろうが魔物の襲撃だろうが、そんな程度の壊れっぷりじゃないぞ」


 たとえるなら、山のような巨人がふたり取っ組み合いをしたかのような――豪快な壊れっぷりだ。薄気味悪くて、エリオットは無意識に剣を握る。


「それに……人間の気配がない」


 テオが頷いてあたりを見回す。ネルザーリの人口は驚くほど少ないわけではない。それらの人間が死体もなく(・・・・・)一度に消えたというのは、あまりに不自然だ。

 だがふたりの目には、地面に黒々と残る血痕や、武器と呼ぶにはあまりに粗末な槍の穂先などが転がっているのが映っていた。戦いの名残だ。


「まあ、なんかあったんだろうね」

「なんかあったのは見りゃ分かるって」


 市場を抜けた先は円形の広場になっていた。広場の損壊は市場に比べればマシなほうで、敷き詰められた煉瓦やベンチはそのままになっていた。テオとエリオットはそこで足を止めた。


「困ったな。怪我人の治療もあるから、街で休みたかったんだけど」


 テオが頭を掻く。この街の惨状も重大だが、劇団員の傷も重大なのだ。このまま専門的な治療を施すことができずにとんぼ返りするのは、さすがに負担が重い。

 エリオットは広場の先に続く道を見つけ、そこに近づいてみる。どうやらその先は住宅街のようだ。住宅は損壊が少ない。もしかしたらこっちには何かあるかもしれない――そう思ってテオを呼ぼうと振り返った、その瞬間だった。


 ぐらり、と世界が揺れた。まるで貧血のような感覚。

 足を踏ん張って、倒れこむことだけは防いだ。しかし身体のあちこちから力という力が抜け、立っていることも辛い。

 急に身体が軽くなったのは、テオが支えてくれたからだ。そこでようやく、無意識に閉じていた目をそっと開ける。もう地面は揺れておらず、力も戻っていた。


「うっ……」

「大丈夫?」

「あ、ああ……すまん」


 エリオットを支え起こしたテオは、険しい表情で空を見上げた。


「いま……すごい濃度のエナジーが……」


 エナジーと聞いて、エリオットは己の胸に手を当てた。――心臓が、早鐘を打つように拍動を繰り返している。生唾を飲み込んで息を吐き出し、心を落ち着けようとするけれどもうまくいかなかった。

 もしかしたら自分は、魔物化してしまうのではないか。その恐怖が頭の中を支配している。いや、自分だけではない。イザードやイシュメルも、首都に残るリオノーラやイアンも、劇団のみんなも――もしかしたら。


 くいっとエリオットの腕をテオが引いた。驚いて顔を上げると、いつの間にか広場に多数の人間がいた。だが取り囲むという様子ではなく、遠巻きにテオとエリオットを見つめているだけ。その視線が何とも言えない不気味さを伴っていて、ぞくりとエリオットの背筋に悪寒が奔った。


「人、いたね」

「けど、ものすごく警戒されてるぞ」


 敵意は感じないが、歓迎されていないのは確かだ。

 するとひとりの老人が杖をつきながら、おぼつかない足取りでふたりの前にやってきた。その様子をなんと言ったらいいのか――憔悴しきっているように見えた。


「……お前さんたち、旅の者か?」


 陰気な老人の声とは対照的に、テオはにっこりと笑みを見せた。


「劇団『エース』ですよ。毎年この時期に来ていたでしょう?」

「劇団か……せっかく来てくれたのにすまんの。今すぐここから立ち去ったほうがいい」

「どうして?」

「この街は呪われておるのだ」


 その言葉にテオとエリオットは顔を見合わせる。周囲の人間たちもまた、怯えたように身を寄せ合っていた。


「それは、この壊れ具合と関係が?」


 エリオットの問いに老人は頷き、息を吐き出した。


「信じないかもしれないが――この街では、人が魔物になるのだ」


 テオとエリオットの間に衝撃が奔った。信じないどころか、ふたり以上に人の魔物化を知る者はいない。テオは笑みを収め、低い声で呟いた。


「……その話、詳しく聞かせてください」





 ネルザーリの住民は、街の大きな集会場に身を寄せ合って暮らしていた。いつ何が起こるか分からないので、集まって生活しているらしい。

 テオが言うには、まだ街の中は濃いエナジーが充満しているために、病人などを入れると危険だそうだ。なので劇団『エース』は街の外に待機してもらって、イシュメルとイザード、ガイア、そしてついていくと言って聞かなかったセイラのみを呼び寄せた。


 老人は、ネルザーリの町長ウォードといった。集会場の中にある会議室に通してくれて、ウォードと六人は向き合う。七人も室内にいるというのに、緊迫した雰囲気にみな息をつめていて、息遣いさえ聞き取れない。


「人間が、魔物になる……?」


 セイラが信じられないといった表情で呟く。その隣のガイアも険しい顔で太い腕を組んでいた。


「一人目は半年前だった。畑をやっている若い奴が急に倒れて、三日後に化け物になった」


 ウォードは机の上に乗せた指を組んで語る。


「結界の中に魔物が出たんだ、そりゃあ大騒ぎになった。戦える奴もいなくて、何人も殺されたよ。街の住人みんなで魔物を倒すと……そいつは、人間の姿になったんだ」

「……」

「魔物になったとはいえ、我々は同郷の仲間を殺してしまったんだ。呪われていると言って街を離れた者もいた」


 それでも大半の住人がネルザーリに留まっているのは、民間人の足だけでネルザ山を越えるのが難しいからだ。どこに逃げることもできず、ただ怯えている。辺境の街には首都への連絡手段などなく、助けを求めることもできなかった。


「それから半年、魔物になったのは五人。五人目を倒したのは……ついさっきだ。まだ小さい、女の子でなぁ……」


 ウォードの声に涙が滲み、彼は俯いた。ぽたぽたと机に雫が落ちるのがエリオットの目に映る。

 黙祷するかのように目を閉じていたテオは顔を上げ、顎をつまんだ。


「半年前……首都で魔物化が起こるよりも先に、こんな場所で……?」

「おめぇら、心当たりがあるのか?」


 ガイアに問われて、エリオットが頷いた。


「心当たりも何も、俺たちはそれを食い止めるために首都を出たんです」


 ガイアとセイラ、ウォードが驚いたように身を乗り出す。だがテオは何やら考え込んでいるので、代わりにイザードが説明役を買って出た。


「そもそも魔物っていうのは、自然界の動植物が大量のエナジーを浴びて突然変異した存在だ。人間だって例外じゃない」

「じゃあ……人間の魔物化は、起こるべくして起こったってことですか?」


 セイラの顔は若干青褪めている。彼女もきっと、エリオットと同じような恐怖に駆られているのだ。


「そうだ。が、人間のエナジーへの耐性ってのは他の動植物より遥かに高い。だからそう簡単に魔物化などしない」

「けど今、この国のエナジー濃度はとんでもなく高い。誰かが人為的に操作しているからだ。それを鎮めるために、俺たちは旅をしている」


 エリオットの言葉を最後に、室内に沈黙が舞い降りる。それを破ったのは、ようやく顔を上げたテオだ。


「じっとしていても仕方ない。源泉を探そう。根本的に解決しないと、これはまずそうだ」


 テオは室内の人間たちを見回した。


「俺が行ってくるから、みんなは街の警備をお願い」

「は?」


 思わずエリオットが素っ頓狂な声をあげる。テオが一人で行くというのか。街に戦力を残すのは当然の措置だとしても、エリオットすら伴わないとは。

 テオは苦く笑った。


「エリオットくん、結構間抜けな顔してるよ」

「間抜けって言うな。何を考えているんだ、俺も行くぞ」

「……けど、君の身体は着実に衰弱している」

「あんたに付き合っていたら身がもたないってことくらい、最初から分かってたさ」

「俺が言いたいのはそういうことじゃなくてね」

「分かってるよ、そのくらい」


 珍しく冗談の通じないテオに、やれやれとエリオットは肩をすくめる。


「ここまで来て置いてけぼりは御免だって言ってるの」

「でも」

「ああもう、面倒臭い。イザード、イシュメル、ここは頼む。ほら、行くぞテオ」

「あ、ちょっと!」


 すたすたと部屋を出ていくエリオットを、テオが慌てて追いかける。いつもの立場が逆転しているふたりを見送って、イザードが肩をすくめる。


「珍しいな、エリオットがテオを押しのけるとは」

「ああ……だが、だいぶエリオットの顔色も悪かったな……」


 イシュメルの言葉に、それまで黙っていたセイラが急に立ち上がった。ぎょっとする男たちをよそに、セイラもまた外に飛び出していく。それを見てガイアが頭を掻いた。


「おい、セイラ……ったく、しかたねぇな」


 そうしてガイアもセイラを追いかける。残されたイザードとイシュメル、町長ウォードは顔を見合わせ、彼らもまた仕方なく外へ出たのだった。





 集会場の外に出ると、テオも腹を括ったらしい。もう何も言わずに、ポケットからチコを出す。けれどもぐったりして鳴き声ひとつあげないチコの様子に、テオは首を振った。


「だめだ、チコも相当エナジーにやられている。地道に歩いて探すしかないね」

「地道に、か……けど、周りの山はだいぶ深そうだな」


 ネルザーリは山間に作られた街だ。見渡す限り山ばかりで、正直どこにエナジーの源泉があるのかはさっぱり分からない。

 勇んで飛び出したはいいがあっという間に行き詰ったエリオットに、テオが苦笑した。


「チコほどじゃないけど、俺もエナジーの流れは追える。こっちだ、行こう」

「ほんとに何でもアリだな、あんたって」


 毎度のことながらテオの能力には恐れ入る。この男に不可能なことは水泳だけなのではないかとすら思えてくる。エナジーの流れを読んだり魔装具を作ったりするより、泳ぐ方が簡単な気がするけどなあ、と内心で思いながらテオを追って歩き出すと、背後でバンと集会場の扉が開け放たれた。

 驚いて振り返ると、飛び出してきたのはセイラだった。


「セイラ……!」

「あ、あの! 待って、ください」


 セイラはエリオットの下に駆け寄り、両手を掴んだ。僅かに頬に赤みが差したエリオットだったが、彼女は眼前のエリオットではなく、その後ろにいるテオを見ていた。


「カーシュナーさん。……あ、えっと、テオさん?」

「テオでいいよ。どうしたの?」

「エリオットは、どこか悪いんですか?」


 それをエリオット本人に聞かなかったのは、エリオットではまともに答えないと思ったからだろうか。

 余計なこと言うなよ、とテオに無言の圧力をかける。テオは困ったように頭を掻いた。


「うーん……ちみっと、ね」


 程度がどうであれ肯定したテオの様子に、セイラはエリオットの手を掴む指に力を込めた。エリオットが微笑んだ。


「大丈夫だよ、セイラ。いまは何ともないから……」

「――わ、私も一緒に行かせてくださいっ」

「おいおい」


 華麗にエリオットの言をスルーして、セイラが頼み込む。そこでようやくセイラはエリオットを見上げた。


「お願いしますっ。お荷物にはならないようにしますから……!」

「それなら、俺も行かせてくれぃ」


 遅れて集会場から出てきたガイアに、「ガイア団長まで」とエリオットが溜息をつく。


「何が起きてるのか詳しく知りてぇしな。劇団員の面倒は劇団員が見る。それで良いだろ?」


 表情を輝かせたセイラと、行く気満々のガイアの様子に、テオもエリオットも反対できなかった。改めてイザードとイシュメルに留守を頼んで、四人はネルザ山に踏み込んで行った。





★☆





 エナジーの流れを辿って歩くテオを先頭に、エリオット、セイラ、ガイアという並びで山道を歩く。否、山道ではなく獣道と呼ぶべきものだった。草を掻き分けて歩くテオと同じ場所を進みながら、エリオットは後続の二人が歩きやすいように足場を整えていく。

 そんなことをしながら、エリオットはこれまでに起こったことをすべて語って聞かせた。人の魔物化や魔砲、その背後にいるレナードやキースリーの存在。話しているエリオット本人が薄気味悪くなってしまって、体力の消耗も体温の上昇も気にならなかった。


「……なるほどなぁ。それでおめぇらは、エナジーの源泉とやらを叩いて回っていたってわけか」

「この国のどこで誰が魔物化してもおかしくないんですね……そうまでして完成させた魔砲を、何に使うんでしょう」


 セイラの疑問ももっともだが、その意図はテオにも掴めていない。ただ――テオにしてみれば、そんなことは「些細なこと」なのだそうだ。彼にとっては人間の魔物化の阻止というのが絶対的な使命であって、そこにどんな考えがあろうが関係ない。

 そうは言っても、いつまでも無視しているわけにもいかない。近いうちに知ることになるだろう。


「もうすぐ源泉巡りも終わるのか?」

「はい、あと数か所で」

「そうしたらいよいよ首都に乗り込むのか。おもしれぇ」


 にやりと危険な笑みを見せたガイアに、セイラが「面白くないです」と渋い顔をする。どうにもそのやりとりが、かつてのジェイク団長と自分のやり取りのように見えてしまって、エリオットはひとり苦笑する。ジェイクが物事に首を突っ込む価値基準は『面白いかどうか』だったので、同じようなガイアには既視感を抱かずにはいられない。それを宥めるセイラも、随分と苦労しているんだな――なんて思う。

 すると先を行くテオが後方を振り返った。


「あったよ」


 山の斜面に突如現れたエナジーの源泉。ぽっかりと地面に開いた穴から淡い緑の光が噴き出している。そしてその周りに設置された無機質な機械。見慣れた光景だ。

 しかしまだ山に入ってから数十分しか経っていない。半日くらいはかかる心づもりでいたというのに、いささか拍子抜けだ。


「こんなに街に近ければ、影響も出やすいよな」


 斜面の途中なので安定して立てる場所などなく、傾斜に足を踏ん張って立つしかない。

 装置の前に立ってパネルやボタン操作を始めたテオだったが、いつもなら滑らかなはずの手が今日はあまり動かない。


「それもあると思うけど……この源泉はちょっと妙だ」

「妙?」

「一定の間隔で、大量のエナジーが噴出されるように設定されているんだよ」


 言葉の意味は理解できるが、テオの言わんとすることが分からずに首を傾げてしまう。テオは操作をやめて振り返ると、装置にもたれて腕を組んだ。


「首都コーウェンはベレスフォードの国都で、人口の最も多い街だ。それに比例して、魔装具によるエナジー消費も膨大。ここ数年は魔砲の開発を行っていたんだろうから、それはさらに増している」

「ああ」

「この場合カーシュナーは例外として、首都で人が魔物化したのはつい数か月前だ。で、ネルザーリでは半年も前。どうして首都から遠く離れて、魔装具の使用も少ないはずのこんな街で、首都より先に魔物化が起こったのか?」


 それは確かにおかしな話だ。ネルザーリの街を見たところ、結界系魔装具以外の魔装具はあまり見受けられなかったし、この街の人々だけエナジーの耐性が低いと考えるのも無理がある。本当なら、最も魔物化しにくい場所だろうに。


「……もしかして、その装置?」


 エリオットが問うと、テオは頷いて背後の装置を手で軽く叩く。


「そう。ネルザーリはきっと、『どれだけのエナジーを体内に取り込んだら魔物化するのか』ということを調べるために……実験場にされていたんだと思う」


 実験場、という残酷な響きにみな沈黙する。テオはくるりと装置に向き直って操作を再開しつつ、独り言のように呟いた。


「魔装具を棄ててしまえば魔物化なんて起こらず、大気中のエナジー濃度も元に戻るだろう。けど、今の時代にもうそれは無理なことだ……根本的な解決はできないまま、悪あがきみたいな抵抗をするしか方法はない……どうにか、しないと」


 焦りの声ではなかった。だが、かなり焦っているのだろうとはエリオットにも伝わる。魔装具を開発した第一人者として、魔装具が世界に害をなすことをテオが見過ごせるわけがない。けれども、その手助けをするための案がひとつも頭に浮かばないことが、エリオットには腹立たしい。テオほどでなくとも専門知識のひとつやふたつがあれば、多少はテオとともに考え込むことができたかもしれないのに。


 その時、エリオットの耳に草木が擦れる微かな音が届いた。はっとして振り返ると、ガイアも気づいたようだ。作業中のテオとセイラを庇うようにふたりで前に進み出る。


「魔物のお出ましだな」


 さすが元傭兵というだけあって、ガイアは落ち着いている。幅の広い大剣を肩に担いで、見事な威圧感だ。

 茂みの奥から現れたのは、狼のような獣の魔物。それは数日前、劇団『エース』を襲撃した魔物の大群の大半を占めていた種類だ。


「あの時の襲撃は、ここのエナジーの乱れのせいだったみたいですね」

「そりゃちと可哀相だが、やるしかあるめぇ」

「はい。……セイラ、悪いがテオを頼む」

「分かりました!」


 セイラも儀礼剣片手に身構える。こんな状況で嬉しそうなのは、エリオットに戦力として数えてもらえたからだろうか。作業を中断できないテオは「ごめんね、すぐ終わらせる」と言って手を速めた。


「行くぞ」


 ガイアの合図でエリオットが飛び出す。足場の悪い斜面であることなど忘れているかのように軽快な斬撃だ。対するガイアは剣を振り回す力技。自然とガイアはセイラとテオを守る位置に陣取り、実際に魔物を斬り捨てるのは移動の利くエリオットということになった。

 木々の隙間を縫って神出鬼没に魔物を斬るエリオットの存在は、魔物以上に恐ろしいかもしれない。山の地形さえ己の武器とするエリオットには、天性の戦いの才能がある。こういう戦いにくい場所でこそ、それは真価を発揮していた。


 テオを襲おうとする魔物はすべてガイアが薙ぎ払っているため、セイラは剣を構えながら周囲を警戒している。背後に回り込む知恵のある魔物も存在するのだ。しかしテオは一切の雑念を取り払って作業に集中している。その神経もまただいぶ図太い。

 すると、テオのすぐ横にある計器が音を発した。その音の正体を、テオは第六感のようなもので理解した。彼ははっとして顔を上げ、叫んだ。


「……まずい! エリオット、戻れッ」


 叫んだ瞬間、源泉から緑の光が立ち上った。たとえるならば間欠泉のような――美しく、毒を孕む光の柱。

 テオの言った、『定期的なエナジーの噴出』だ。作業が間に合わなかったらしい。


 魔物が突如、この世のものならぬ咆哮をあげた。強いエナジーで暴走している。ガイアが舌打ちして、一瞬動きの鈍った魔物たちをここぞとばかりに両断する。

 そんなガイアの傍に、どさっと何かが落下した。目線だけそちらに送ると、跳躍の途中で失速してしまったエリオットが、受け身を取り損なっていた。ガイアはエリオットの前に立ち、剣を構える。


「おいっ、大丈夫か!?」

「だ、大丈夫……です」


 いつもなら跳ね起きるはず――いや、そもそも落下などしない――だというのに、エリオットは地面に腕をついて起き上がるのが精いっぱいになっていた。エナジーの噴出が行われた瞬間、体中からすべての力が抜けたのだ。いまじわじわと力は戻っているが、それでもしばし身動きが取れない。


「……くっ、そ……!」


 エリオットは歯を食いしばって唸る。するとすぐ横に何者かが立つ。驚いて顔を上げると、それはセイラだった。


「セイラ……!」

「私は大丈夫……です! 任せてください」


 セイラはそう言って、襲ってきた魔物を臆することなく迎撃した。斬るというよりも突く武器である儀礼剣である。セイラの儀礼剣は深々と魔物を貫き通した。


「甘く見てもらっちゃ困る、セイラの腕はなかなかだぜ?」


 ガイアがにっと笑い、エリオットも納得する。彼は剣を手に再び立ち上がり、セイラの隣に肩を並べた。そうして倒した魔物が、最後の一匹だった。





★☆





 留守を預かっていたイザードとイシュメルは、じっとしているのも性に合わなかったのでぐるりと街を一周していた。市場の損壊具合はひどいが、住宅地や街の中枢機関は無事だ。しかし警備軍の治安維持隊が派遣すらされていないこの現状に、イザードは情けなくなるばかりである。

 また集会場に戻ってきたとき、市場のほうからこちらへ向かってくる人影が見えた。一目でそれが山に入ったテオたちだと気付いたふたりだったが、すぐに驚きで目を見張った。


 ガイアがエリオットを背負っていたのだ。すぐ横に寄り添うセイラが、心配そうに垂れたエリオットの手を握っている。その反対側を歩くテオの表情は、どこか思いつめたように険しい。

 イザードとイシュメルが駆け寄ると、ガイアはその場にしゃがんでエリオットを下ろした。イシュメルがエリオットを受け取ったが、眠っているのか彼はぴくりともしない。イザードがテオを見た。


「テオ、源泉はどうした? 何かにやられたのか?」

「装置は機能停止した。エリオットにも怪我はないよ。……少し、エリオットを休ませてあげてください」


 イシュメルが頷いて、エリオットを負ぶって立ち上がる。セイラが同行を申し出て、ふたりはそのまま集会場へと向かった。

 その背中を見送りながら、イザードが眉をひそめる。


「……今の様子は、エルバートに似ていたな。エリオットも、もしかして……?」

「うん。……このまま戦いを続ければ、必ず魔物化する」


 テオは落ち着かないように、靴で地面の砂を集めては広げることを繰り返している。拗ねた子供のような仕草だ。


「俺のミスだ。兆候はずっと前から出ていたのに……殴ってでも止めるんだった」

「そいつぁどうかな。あいつのことだ、殴られたくらいで諦めないだろうよ」


 ガイアの言い分はもっともだった。

 厄介なのは、症状を緩和させる術は何一つないということだ。衰弱した身体を元に戻す方法はただひとつ。強制的に魔物化させて、体内のエナジーをリセットするということ。魔物化したエリオットを、テオたちが倒さなければいけない。


 そんな覚悟、テオにはできなかった。口では何とでも言えるが、それでもテオは覚悟などしたくなかったのだ。できれば現実にならなければいいと願って、先延ばしにした結果がこれだ。


 黙ったテオの肩を、イザードが軽く叩いた。


「お前がやる必要はない。戦うなら俺がやるし、イシュメルもやる。お前はもう、誰も斬るな」

「……イザード」


 こういう時ばかり優しいイザードの言葉が、嬉しかった。

 けれど駄目だ。そんな言葉に、甘えてばかりでは。


「俺は――」


 口を開いたその時、何かが振動する小さな音が響いた。それはテオの持つ通信機だ。上着のポケットからそれを取り出し、通話ボタンを押す。


「はい、もしもし?」

『ティリット、大変なことが起こりました』


 相手はヨシュアだ。通信機から洩れる僅かな声を聞き取ろうと、イザードもガイアも聞き耳を立てている。


「どうしたの?」

『大統領府が大量の傭兵たちに襲撃され、大統領が行方不明になっています。首都も封鎖され、身動きが取れない状況にあります』

「クーデター……」


 ついに――



『主導者は、補佐官キースリーです』



 ――黒幕が、舞台に現れた。

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