File nineteen 赤くなって可愛いですねぇ。
茶化すな!
★☆
悪路を走る警備軍車両の車内で、揺れる音に負けじと機械音が響く。
おやと顔を上げると、ハンドルを握るテオが後部座席に座るエリオットに向けて無造作に何かを放ってきた。咄嗟に受け止めてみると、それはあの通信系魔装具だ。唸りながらぶるぶると小刻みに振動している。
バックミラー越しにテオが微笑んだ。
「定時連絡だ。ヨシュアくんかリオノーラだから、出てあげて」
「お、おう」
エリオットが通話ボタンを押す。それを耳にあてるより先に、通信機から甲高い少女の声が飛び出した。
『お兄様ッ! お兄様は無事ッ!?』
あまりの大音量に通信機を取り落しそうになったエリオットは、慌てて通信機を耳にあてた。それだけで誰が何のために連絡してきたのかが分かった他の面々は、それぞれ苦笑している。
「お、俺は大丈夫だから! 落ちつけリオ……うん、捜索指示が出されているのは知ってる。今のところなんともないから、平気だ。そっちこそ変わりはないか?」
互いの近況を報告し合った後、相手はヨシュアに変わったらしい。こちらとも二言三言交わして、エリオットは通信を切った。隣に座るイシュメルが尋ねる。
「異常はないか?」
「そうみたいです。俺たちの捜索も、行われてはいるがそこまで大々的じゃないらしい」
「ふむ……少々手ぬるい気がするな。大統領は本気で私たちを探す気があるのか……」
イシュメルの言葉に、エリオットは腕を組んだ。
「……信じて、くれているとかは?」
「あの男がか? 一度決めたら信念を曲げない、融通の利かない相手だ。エナジー政策をしているからには、源泉を止めて回る私たちは憎いだろうに」
父親である大統領のことになると少々意固地になるイシュメルだ。けれども、エリオットはきっぱりを首を振った。
「いいえ! 信念を曲げない、頑固な人だからこそ……信じてくれていると思うんです。あの人は傭兵の俺に手を差し伸べてくれた。それに……」
大統領はイシュメルとエルバート、ふたりの息子に確かな愛情を持っているはずだ。それはテオの言からも分かる。ならば、エルバートが守り抜いたテオやイシュメル本人を、きっと信じてくれる。
そう言おうと思って、エリオットは思いとどまった。そんな、何の確証もないことをイシュメルに告げても仕方がない。エリオットの言葉一つでイシュメルの認識が変わるようなら、もっと早くにふたりは和解していたはずだ。
押し黙ったエリオットを見て、イシュメルは笑う。まるで、さもエリオットの考えはお見通しだというように。
「……思えば、私が最後に父に会ったのは三十年も前だ。それだけあれば何かしら変化があるだろう。お前が言うなら、きっとそうだ」
――ああ、これだから。
これだからイシュメルは、大人なのだ。
なんだか少しほっこりした気分になったエリオットの耳に、突如助手席から緊迫したイザードの声が聞こえてきた。
「……おい、人が魔物に襲われているぞ!」
はっとして窓の外を見る。まだ遠いが、大きな土煙が上がっているのが見えた。魔物の大群と、人間の集団が激突している。
「傭兵か?」
イシュメルがエリオットの頭越しに外を見るが、この距離では分からない。いずれにせよ、放っておけないのは確かだ。
テオが勢いよくハンドルを右に切る。ただでさえ悪路だったというのに、道を外れたせいでとんでもない振動が伝わってくる。舌を噛まないように歯を食いしばっていたエリオットだったが、土煙の向こうに一瞬だけ見えたその『旗』に、覚えがあった。
白地の布に、赤で大きく数字の一が書かれている。異国の数え方で、一は「エース」。
シンプルだけれど印象に残るその旗は、数か月前に見たばかりだ。
「……っ、傭兵じゃない! あれは、劇団『エース』だ!」
旅の一座である彼らは、戦いの技術も持ち合わせている。しかし当然ながら傭兵ほどではない。ましてあれだけの魔物の大群が相手では――。
テオがふっと笑みを深くした。
「そりゃあ、尚更助けないとね……!」
――劇団には、踊り子セイラがいるのだから。
テオが強くアクセルを踏んだ。一気に加速した車はそのまま魔物の群れめがけて突進していく。その様子に、イザードが顔色を失った。
「お、おいテオ、車を大破させるなよ!?」
「大丈夫大丈夫、半壊くらいにしておくから!」
「全然大丈夫じゃないだろうがぁッ」
イザードの悲鳴の途中で、エリオットはドアを開けて地上に飛び降りた。途端に群がってきた鳥型魔物を、抜剣の勢いで弾き飛ばす。
遅れてイシュメルが車から降りたところで、テオは車体を半回転させてその場を離脱した。旅の間の貴重な足だ、みすみす失う訳にはいかない。
視界の利かない土煙の中を駆けていくと、前方に人影が見えた。数人で背を預けあって剣や魔装具を構えている。見覚えのある、劇団員たちだ。
イシュメルが目線で合図を送る。ふたりは左右から、劇団員たちを取り囲む魔物の背後に奇襲をかけた。一瞬で倒された魔物たちに唖然としている劇団員たちの前にエリオットが駆けつける。
「無事か?」
「お、お前……まさかエリオット?」
「そうだ、首都で一緒にショーをやったよな!」
覚えていてくれたらしい。それなら話は早い。
「みんな久しぶりだ。加勢する、ここは任せてくれ」
「ああ、有難い……! それじゃお言葉に甘えさせてもらうよ」
退避する彼らの背を守るように身構えたエリオットだったが、その耳にとんでもない言葉が聞こえてきた。
「……た、大変だ! 子供たちがいないぞ!」
「はぐれたのか!?」
「セイラがついていたはずだが、これでは……」
セイラの名を聞いた瞬間、思わずエリオットは振り返りかけた。だがイシュメルから警告の声が発せられ、慌てて視線を前に戻す。眼前にまで迫った魔物を、間一髪で剣で振り払った。
それをちらりとみたイシュメルが、ふっと口元に笑みを浮かべた。
「……知り合いか、エリオット?」
「え、ええと、まあ……」
「ふふ。戦闘中に気を逸らすとは、よほどの相手なのだな」
「すっ、すいません!」
傭兵団のころのように叱られて、エリオットは身を竦める。飛び掛かってきた魔物を長剣で無造作に斬ったイシュメルが前に進み出る。
「行け、ここは私が引き受ける。大事なら、必ず守れ」
「……ありがとう、イシュメル!」
エリオットは素早く剣を引き、駆けだす。その背中を追いかけようとする獣型の魔物を、イシュメルが弾き飛ばしてくれた。
しかし探そうにも、この視界の悪さでは難しい。いつどこから敵が来るかもわからない。とにかく名を呼んでみよう――そう思ったとき、エリオットの上着のポケットからチコが頭を出した。
「お前、ついて来ていたのか!? 危ないから顔を出すな……」
ふとそこで妙案が浮かんだ。チコをポケットから出し、掌に乗せて目の前まで持ち上げる。金色の瞳がくるんと輝き、無邪気に首を傾げる姿は、こんな時ではあるが無性に愛らしい。
「チコ、セイラがどこにいるか分からないか? 頼む、探してくれ……!」
チコは承知したとばかりに一声鳴いた。そして地上に降り、駆けだす。エリオットが迷わないようにと、定期的に炎の球を口から吐き出して居場所を教えてくれるのだ。エリオットはぱっと笑みを浮かべた。
「助かる、チコ! 今日は葉野菜、大量に出してやるからなっ!」
「キュウキュウ!」
エリオットは快足を飛ばした。一刻も早くセイラを探し出さなければ――魔物の大群の中心地へ飛び込む恐怖など、彼女の安否が知れない恐怖に比べればちっぽけなものであった。
「キュッ」
前方でチコが声をあげる。顔を上げてもまだ、土煙の向こうの様子は見えない。だがチコには確かに見えているのだ。
不意にチコが大きく身体を膨らませた。そして吐き出されたのは巨大な灼熱だった。あまりに身体の大きさに不釣り合いな火の玉に、「どこから出したんだ」とエリオットはぎょっとする。だがその火の玉は、ほんの数秒ではあるが土煙を振り払う役目を果たした。
そして見えた――煙の向こう、大勢の子供たちを守りながら剣を構える、金髪の少女の姿。
それだけ確認できれば十分だった。
剣を逆手に持ち直し、思い切りよくそれを投じる。本来エリオットの扱う長剣は投擲することなどないが、非常事態だ。
投じられた剣は真っ直ぐに飛ぶ。そして、今まさにセイラに襲い掛かろうとした魔物を串刺しにした。あまりの神業に言葉を失ったセイラの下に、いち早くチコが駆けつける。戦う万屋のリス型マスコットは火を吐き出し、近づこうとする魔物たちを退けさせた。戦況をよく理解している、賢い子だ。
そうしている間にエリオットは自分の剣を魔物から引き抜いた。それを見たセイラがあっと声をあげる。
「エリオット!」
「セイラ、久しぶり。無事だな?」
落ち着き払ったエリオットの様子に、セイラがこくこくと頷く。
彼女が構えているのは武器としての剣ではなく、剣舞用の儀礼剣だった。もう既に子供たちを守って何匹もの魔物を斬ったであろう剣は血に染まり、それを握るセイラの右腕は小刻みに震えていた。
怖かっただろう――いくら戦いに慣れているとはいえ、これだけの魔物の大群はエリオットも初めて見たのだから。
「……もう大丈夫。絶対、守る」
それだけ言って剣を構え、背後にセイラたちを庇う。するとセイラがエリオットの隣に駆けてきた。驚いてそちらを見やると、彼女は気丈にも剣を握って微笑んだ。
セイラにも責任があるのだ。劇団の子供たちを守るという、重大な責任が。エリオットが口を出すことではない。
けれど、共に戦うのならばなおのこと――自分が背中を預かる相手を、死なせたりしない。
周りが静かになってきた。そう思って顔を上げると、あの土煙はだいぶ薄くなっていた。周囲には魔物の屍が積み上がり、血と死の臭いが漂っている。だが、もう襲ってくる魔物はいないようだ。
振り返ると、少し離れた岩の陰に隠れていた子供たちが、元気な姿を見せてくれた。とりあえずほっと息を吐くと、すぐ横で硬質の音がする。セイラが剣を落とした音だ。
彼女の綺麗な金髪も埃でくすんで、服も汚れている。肌にも血や泥が跳ねていた。年頃の女性にはきついだろう――なんてことを思っていると、セイラとばっちり目が合う。我に返ったエリオットが、剣の血を振り払って鞘に納めながら尋ねた。
「怪我はない?」
セイラは答えなかった。ただそのアメジストのような紫の瞳が潤み、みるみるうちに涙があふれてきた。そして涙の滴が零れ落ちる。
さすがにぎょっとしてエリオットはセイラの傍へ駆けつけた。
「ど、どうした? ほんとに怪我……」
していないのか、と問おうとしてエリオットは硬直した。セイラが勢いよくエリオットに抱き着いてきたからだ。あまりのことに目を白黒させているエリオットなどお構いなしに、セイラは涙でくぐもった声でこう安堵の声を漏らした。
「……もう、駄目かと思いましたぁ……!」
セイラの涙は、安堵の涙か。
それを理解したエリオットは動揺を収め、壊れ物に触れるかのようにそっと、彼女の金色の髪を撫でた。
★☆
「おうおう、おめぇらか! ありがてぇ、助かったぜ!」
こういう集団の長というのは、どうしてみんな揃って大柄な偉丈夫なのか。
劇団『エース』の団長ガイアに会って最初のエリオットの感想は、それであった。肥えているだけのイザードとは違って筋骨たくましく、骨太なその姿はどこかジェイク団長を彷彿とさせる。ガイアは舞台に立つことはなく、ショーの指揮を執ったり生活を支えたりといった支配人の役割をしているそうだ。
エリオットがガイアと会うのは、首都コーウェン以来二度目である。ガイアのほうも、以前一度団員の代理で舞台に立ってくれたエリオットを覚えていてくれた。
「エリオットおめぇ、万屋じゃなかったのか?」
「万屋ですよ。元は傭兵だったんですけど」
「ほう、道理で腕っぷしが強いわけだ! いやさ、俺も昔は傭兵だったのよ。腕壊して戦えなくなってからは旅芸人だけどな」
がははは、と豪快にガイアが笑う。成程、屈強な見目である。腕を壊したと言っていたが、大剣を振り回して魔物を薙ぎ倒していた姿は、まだまだ現役だろう。
「で、おめぇら、こんなところで何してんだ?」
「その……仕事で。ネルザーリの街に行く途中なんです」
「ネルザーリか。ま、そりゃそうだわな、この近辺に人里はそこしかねぇ」
ネルザーリはベレスフォード北部にそびえるネルザ山を越えた先にある小さな街だ。車で行けば大した距離ではないが、徒歩でとなるとかなりの日数がかかる。余程の理由がなければ行こうとは思わない、廃れた場所だ。
ガイアは不意に太い腕を組み、エリオットをじろじろと眺めまわす。遠慮のない視線にたじろいでいると、ガイアはやがて口を開いた。
「なあ、これは依頼じゃなくて『お願い』なんだが」
「お願い?」
「俺たちの目的地もネルザーリだ。どうだ、街まで一緒に行かねぇか」
やはりそうきたか――とエリオットは内心苦笑する。万屋が一度にふたつの依頼を掛け持ちしないのは、ガイアも知っていることだ。だからこその『お願い』。物は言いようだが、一方的なやりとりである依頼とは違って、お願いは相互利益になる。
「最近はどうもおかしくてな、今までなんともなかったところに魔物がうようよしてやがる。どうにか対処しては来たがそろそろ限界だ。怪我人も多いし、到底山を越えてネルザーリまでは持ちこたえられん。そこでだ、おめぇらみたいに腕の立つ奴に護衛してもらいたいってわけよ」
その見返りとして、劇団『エース』は食料と寝床を提供する。それがお願いの内容だった。度重なる戦いで劇団員たちも傷つき、士気も下がっている。それは外から見ただけでもエリオットには分かった。怪我人や女子供を守りながら、どこから現れるともしれない魔物に備えるのは、その手のプロであるエリオットやイシュメルでもかなりの恐怖だ。そこへ腕の立つ者が四人も護衛に就けばいくらか気も楽になろう――そうすることで彼らを守れるのなら、お安い御用だ。
一応後ろにいるテオに目線は送ったが、彼はにっこりと微笑んだ。是の回答を得て、万屋カーシュナーはネルザーリの街へ到着するまでの約十日間、劇団『エース』の護衛を引き受けたのである。
傭兵最盛期――つまり魔装具がまだ存在しなかった頃、傭兵の大きな仕事はふたつだった。依頼された魔物を倒すか、一般人が街から街へ移動する際の護衛をするか、である。魔装具の登場によって護衛依頼は激減したものの、完全に頼まれなくなったわけではない。エリオットは何度も護衛任務をこなしたし、イシュメルに至っては数えきれないほどにその経験がある。
護衛するうえで大切なのは勿論、依頼主たちを守って魔物を倒すことだ。しかしそれ以前に、接近する魔物をいち早く発見するということが重要になってくる。だから警戒は怠ってはいけない。少なくともジェイク傭兵団では、『襲撃があったら戦う』だけの護衛を護衛とは呼ばなかった。
四人の役割分担は簡単にイシュメルが決めてくれた。まず重傷者は警備軍車両に乗せ、イザードの運転で安全に運ぶ。テオはその他の怪我人や病人の面倒を見る。そしてエリオットとイシュメルは隊列の左右側面に控え、襲撃に備えるという形だ。イシュメルによる組織的な動きに、エリオットは思わず懐かしさを覚えた。いつもイシュメルの指示に従って動き、その先頭には団長ジェイクが立っていてくれたのだ。今回先頭に立つのはガイアであるが、ガイアの貫録もジェイクのそれに劣らない。
夜間の警備も、エリオットとイシュメルを中心に四人で交代しながら行う。夜中に見張りを立てるなんていうことも久しぶりだったが、感覚は身体が覚えている。陣の中央に設置された物見台に上がって、周囲を警戒する。見渡す限りが闇一色ではあるが、何か起これば必ず分かる。エリオットは幼いころからそう鍛えられてきたのだ。
それにしても夜は冷える。光源系魔装具は手元に置いているが、これは火と違ってまったく暖が取れない。毛布を体に巻き付けて、狭い高床に縮こまって座る。風さえ吹かなければと思うのだが、こういう日に限って夜風が冷たい。
少し離れた場所にはいくつものテントが張られて、みな休んでいる。普段ならば劇団員たちが見張りをするために歩き回っているのだろうが、今日はその光源も少ない。滅多にないほどの激戦だったのだ、今日くらいはしっかり休んでもらわなければ。
視線を闇の向こうへ戻す。闇の中で動く影はないか。妙な音はしないか。嫌な風が吹いていないか――あまり根を詰めれば逆に視野が狭くなる。眠らない程度にリラックスしているのが一番だ。次にテオと交代するまで、まだまだ時間はある。――というより、あの男は果たして真夜中にきちんと起きてきてくれるのか。下手をしたら数時間ここにいることも覚悟しなければならないかもしれない。
と、下方から何か小さな物音がした。十分ほど前に自分が登ってきた梯子を、誰かが登ってきているのだ。そして振り返ると同時に現れた、金色の髪。恐る恐る段上のエリオットの様子を伺う姿は、なんというか――愛らしい。
「セイラ」
呼びかけると、彼女は赤面しながら床の上まで登ってきた。腰に巻いた帯に光源系魔装具をぶら下げており、彼女が動くたびに軽やかな音をたてる。セイラはちょこんとエリオットの隣に座った。この物見台の上だと、二人座ってしまうと方向転換すら難しい。
「あ、あの、お邪魔ではないですか……?」
「全然。こんな真夜中にどうしたんだ?」
「寒いですから、あったかいお茶をと思って」
「あ……ありがとう」
彼女は帯に水筒まで括りつけていた。夜遅くまで起きていて茶を淹れてくれた。その手間をセイラがかけてくれたことが、どうしてかこんなにも嬉しい。
水筒からカップにお茶を注いでもらってそれを受け取ると、セイラがくすりと微笑んだ。
「――というのは、半分口実で」
「え?」
「昼間バタバタしていて、あんまりお話しできなかったから……」
自分から言っておきながらまた赤面するセイラの様子に、こっちまで恥ずかしくなってきた。確かに昼間は、主に怪我人の手当てに駆り出されていて話をするどころではなかった。本当は、なんだってエリオットがこんな場所にいるのかを知りたかったはずなのに。
しかし、いざ話をと思うと話題が浮かんでこないものである。それはセイラも同じらしく、ずっと俯いている。何か話題を振らなければ――と、エリオットは心に浮かんだことを素直に口に出した。
「ずっと考えてたんだ……その、来年またセイラに会えたらどこに行こう、何の話をしようって。色々用意していたはずなのに、いま俺、頭の中真っ白だ」
また一年後に会おう――そう言って別れたというのに、まだたった数か月しか経っていないのだ。これは拍子抜けというものだろう。セイラは「私もです」と微笑んだ。
「公演を終えるたびに、それだけ首都に帰る日が近付いているって思うとすごく頑張れたんです。昼間の魔物も、きっと生き抜けば……エリオットに会える日が、また近づくって」
僅かに声が震えたのは、あの恐怖を思い出したためだろう。温かい茶の湯気を顎に受けながら、エリオットはセイラを見る。セイラは気丈に笑顔を見せた。
「そうしたら、本当にエリオットが来てくれたんですもの。夢みたいでした。……助けてくれて、有難う御座いました」
彼女は床に手をつき、深々と頭を下げた。良く知っている――傭兵たちの間で最上級の敬意を表す礼の仕方だ。いつもするばかりだったそれを自分に向けられて、エリオットはややまごついてしまった。慌てて彼女の顔を上げさせる。
「あれだけの魔物に囲まれていながら、ひとりで大勢の子供たちを庇ったセイラはすごいよ。俺だったら到底できない」
本当に、セイラはすごいと思う――戦場で守らなければならない相手がいるのは、正直言って重荷だ。だがセイラは一人も見捨てず、全員を守った。勿論エリオットならば包囲される前に対処できたかもしれないが、それでもあそこまで粘ったのはセイラの執念だ。
今思い出すだけでもヒヤヒヤする。あと少しエリオットが駆けつけるのが遅かったら、どうなっていたかと。
セイラは照れたように頬を赤らめた。
「ありがとうございます……えと、エリオットはどうしてここに? 万屋さんのお仕事ですか?」
今更な質問だったが、そういえばガイア以外にそれを説明していなかったことをエリオットは思い出す。とはいえガイアにも、魔砲がどうのエナジーの源泉がどうのは告げていない。巻き込むのは本意ではないからだ。
「うん、ちょっとした仕事」
「危ないこと……ですか?」
穿ったセイラの言葉に、エリオットは思わず目を丸くしてしまった。
「なんでそう思う?」
「車の中、お荷物いっぱいでしたから……長い旅なんでしょう?」
「そういうことか。よく見てるんだな」
微笑むと、セイラはそれを図星と受け取ったようだ。途端に心配そうな顔になる彼女を宥めて、エリオットは茶をすする。
「本当は、誰に依頼された仕事でもないんだ。けど、俺たちがやらなきゃいけないことだ。危険と言えば危険かもしれないけど、ぴんぴんしているから平気だよ」
自分たちは追われる身だ。そう長いこと劇団『エース』と行動を共にすることはできない。ネルザーリの街に到着したら早々に別れることになるだろう。
最近魔物が増えているというガイアの言は真実だろう。源泉の活発化に伴い、魔物の数も増大している。共にいれば確かにセイラたちを守れるかもしれないが、それではいつまでたっても解決しない。
根本的に、源泉の異常を止めなければ。それができるのは自分たちだけなのだ。
セイラはそれ以上仕事について聞いては来なかった。代わりに、自分がここまで経験してきたことをぽつぽつと話してくれる。彼女が口を閉ざせば、次はエリオットが語る番だ。話すことはたくさんあった。地域の体育大会やら料理コンテストやら、妙な催しに付き合わされたこと。死んだと思っていたイシュメルに再会できたこと。楽しそうにそれを聞きながらセイラも語る。見たこともない花を見つけたこと、興行の最中で起こったちょっとしたハプニング、団長ガイアの武勇伝――最初に話題がなくて困っていたことなどなかったかのように、ふたりの間に話題が絶えることはなかった。
それでもエリオットは見張りの目を怠ることなく――長いと思っていた夜の時間は、あっけなく過ぎて行ったのだった。
エリオットが心配するまでもなく、テオは眠い目をこすりながらちゃんと起きてきた。見張りを交代するために物見台の梯子を上がり、頂上に顔を出す。そこでテオは「おや」と目を丸くした。
エリオットがひとりで座っているには、少々シルエットが大きすぎる。よくよく目を凝らしてみれば、エリオットの肩に頭を預けて誰かが寄り添っているのだ。毛布ですっぽりと覆われたその人間の金髪が僅かにテオにも見て取れる。
エリオットは肩越しに振り返り、「静かに」と人差し指を口元にあてた。テオが梯子を上りきると、エリオットはゆっくり眠るセイラを抱き起した。
「特に異常はなし。魔物の気配もないが、警戒は怠るなよ」
「ああ、うん……で、その状況についての報告はなしかい?」
セイラを背負ったエリオットは苦く笑う。
「ふたりで話してたら、途中でセイラが寝ちゃって身動きできなかっただけだ。じゃ、俺は休ませてもらう」
「はいはい、おやすみ」
セイラを落とさないように――否、起こさないように慎重にエリオットは梯子を下りていく。見事な安定感だ。それを見送ったテオは苦笑し、今の今までエリオットが座っていた場所に同じように腰を下ろした。
「すっかり恋人同士みたいだなぁ……」
そのくせ、互いに気持ちを伝えあったことはなさそうだ。見ていてばればれで、それだけに歯がゆい。ただまあ、エリオットにもそういう人ができたのだということは素直に喜ぶべきか。テオよりさらに、女っ気のない世界で生活していたのだから奥手なのも仕方がない。それに、それくらい大事にしたいという気持ちもあるのだろう。
「面白いふたりだ……あー、寒いっ」