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万屋ですがなにか。  作者: 狼花
VOLUME Ⅱ
41/53

File seventeen 結界が壊れると酷いです。

 

 

 

 大惨事だな、これは。





★☆





『――ということがあったわけで』


 通信機から流れてくるヨシュアの声に、エリオットは長いこと沈黙していた。


 彼とは定期的に連絡を取っていた。首都の様子やリオノーラらの様子に変わりがないかと報告を受けていたのだ。警備軍に目立った動きはないとか、ほんの数分で終わる程度のものだった。

 だが今回は少し違った。彼は通話に出たテオにすぐ『エリオットと代わってほしい』と言ったのだ。その時点で嫌な予感がしていたエリオットだが、見事にそれは当たったことになる。


『エリオットさん?』

「……あ、ああ」


 沈黙してしまったエリオットを訝しんだらしく、ヨシュアが呼びかけてくる。


「とりあえず、リオは大丈夫なんだな?」

『ええ、あのイアンという少年が助けに入りましたから』

「そっか、イアンが……」

『最近では時間を作って、なるべく彼女をひとりにさせないようにと配慮しているようです。まあ、学校内での様子はさすがの私も分かりませんが……』


 ――リオノーラが、貴族の令嬢の一部から手をあげられた。


 ヨシュアがエリオットにもたらしたのはそんな情報だった。幸い怪我らしい怪我もなく、イアンの尽力もあって表面上は落ち着いているという。


 二人を頼むと改めて伝えると、「私はあのふたりから敵視されているんですけどね。特に少年のほう」という苦笑が返ってきたが、彼は了承してくれた。ヨシュアが表舞台に出ることはない――それはイアンが担ってくれている。ヨシュアは最悪の事態を防ぐため、裏から手を回し見守るだけだろう。


 通信を切ると、傍にいたテオが心配そうに尋ねてくる。


「リオノーラとイアンに、何かあった?」

「ん……リオが嫌がらせ受けているみたいで。イアンが助けてくれているようだけど」


 確かにリオノーラから、学校の友人の話は聞いたことがない。彼女はひとりでも平気な子だし、なんでもそつなくこなす。少し浮いているだけで平穏な生活をしているのでは――そんな風に思っていた自分を、エリオットは殴りたくなってくる。――平気な訳がないではないか。集団生活の中で浮いてしまって、孤立しているような状況を、年頃の少女が何とも思わないはずがない。


「……俺のせいかな」


 下町に頻繁に赴く貴族の令嬢。その目的が素性の知れない傭兵の男で、しかもオースティン伯爵家の長男だと言う。これは格好の話題になる。

 だからエリオットは自分から伯爵の名を出したこともなければ、リオノーラを妹と断言したこともない。逆に傭兵だと名乗ったこともなかった。だがそれも、あまり効果はなかったか。

 結局エリオットは、伯爵令嬢リオノーラが慕う訳の分からない下町の貧相な男、なのだから。


 テオは否定しなかった。ただ通信機を鞄にしまって呟く。


「傭兵という存在を上流階級者は蔑むけれど、同時に恐れもする。何と言っても傭兵は腕っぷしが強い。一度彼らの逆鱗に触れて剣でも向けられれば、勝ち目がないことを知っているから。だからなおのこと貴族たちは権力を振りかざす。けれどそれも度が過ぎれば、傭兵の怒りに触れる……ぐるぐると、この繰り返しさ」


 恐れながら威張り散らし、権力で抑え込もうとする。なんて、滑稽。


「君はそんな貴族たちの抑止力だったんだと思うよ。君は民衆にも貴族たちにも、『万屋さん』としての人望があった。そんな君を敵に回すのは避けようとして、事を起こさずにいたんだろう」

「けど、俺が首都を離れて箍が外れた……?」

「そうかもね」


 沈黙したエリオットに、テオが首を傾げる。


「首都に戻るかい?」

「……答え分かってるくせに聞くなよ」


 エリオットが苦笑する。こんな中途半端でやめられるわけがない。できることは、なるべく早く源泉の装置を停止させて首都へ戻ること、だけだ。


「大丈夫だよ。君に正式な継承権がないいま、リオノーラは大切なオースティン家の跡取り娘なんだ。大統領からの信頼も厚い伯爵家の娘にそうそう変な真似は出来ない。滅多なことがなければね」

「そうだな……」


 無理矢理にでもそう納得しておくためにエリオットは頷いた。その「滅多なこと」が恐ろしいのだが、考えても仕方がない。イアンとヨシュア、伯爵、そしてリオノーラ本人に任せる以外にないのだ。


 と、部屋の扉が開いた。テオとエリオットが同時にそちらへ目を向けると、大荷物を抱えたイザードとイシュメル、そして荷物の袋の中に潜り込んでいるチコが入ってきた。ふたりともほぼ同じ重さの荷物を持っているが、イシュメルは片腕なのだ。それで涼しい顔をしているのだから、見目にそぐわぬ膂力に舌を巻く。

 テオがにっこりと笑って椅子から立ち上がった。


「おかえり、ご苦労様ー」

「……ったく、なんで私とイシュメルが買い出しに行かにゃならんのだ」

「なんでって、物資補給の買い出しじゃんけんで二人が負けたからだよ?」

「若者が行け、若者が!」


 噛みつくイザードの声に耳を塞いでいるテオの横で、エリオットはイシュメルから「すいません、ありがとうございます」と言いつつ荷物を受け取ってテーブルに並べていく。


 一行は現在、ベレスフォード共和国中央部の街マレイに来ていた。首都ほどではないがここも大きな都市で、中央部における中心都市として栄えている。今まで閑静な村ばかりを巡ってきたので、久々の巨大都市だ。それに珍しく昼の間に到着したので、早々に宿を取って休むことにしたのである。

 そうしてまず行ったのは必要物資の補給だった。食料や水、消耗品の買い出しだが、テオはここぞとばかりに買い込むつもりらしかった。予想以上に車内生活が多いので、少しでも車中を快適に過ごしたいらしい。必然的に大荷物になるということは想像できたのだが、誰ともなく「じゃんけん」することを提案していたのだった。

 という訳で、じゃんけんで負けたイザードとイシュメルがチコを伴って買い出しに行き、勝利したテオとエリオットはしばし休憩していた。


 金には余裕があるので、これだけのまとめ買いをしても財布に影響はない。テオは下町を出る際に万屋の全財産を持って来ていたし、餞別のつもりだったのがイザードも金を車に積んでくれていた。そこで初めて知ったのだが、これまでテオが溜めこんでいた報酬金の額はとんでもないもので、布製の袋から金貨がざくざく出てきたときには、あわやエリオットは卒倒するところであった。


「よしよし、これで当分の間の食料は大丈夫そうだね。で、チコはどうだった?」


 荷物の袋から飛び出してきたチコを見ながら、テオが尋ねる。なぜわざわざイザードがチコを連れて買い出しに行ったのかといえば、源泉の場所をチコに調べてもらうためだ。大体の方角が分かっていれば、すぐに源泉を探すことができる。


 だがイザードは肩をすくめた。


「さっぱりだ。キュウキュウ鳴くからついて行ってみれば八百屋だったり総菜屋だったり。エナジーの気配より食欲が勝ったようだったぞ」

「え、お前腹減ってるのかよ。いつもあんなに食べているじゃないか」


 妙にずれた指摘をしたエリオットに、チコはキュウと鳴いてみせる。テオは源泉の地図を広げて首をひねる。


「確かにこの街の周辺にあるはずなんだけどね……」


 不自然に沈黙したテオに、イシュメルが尋ねた。


「何か気になることでもあるのか?」

「いえ……なんだか妙な感じがするんですよ」

「妙とは?」

「街に入った時から思っていたんですが、街全体の空気が重いんです」


 荷物を仕分ける手を止めて、エリオットが眉をしかめる。


「それってつまり、どういうことだ?」

「エナジー濃度が濃いんだよ。この街の結界の内側に、大量のエナジーが閉じ込められているように」


 テオはエナジーの気配まで感じることができるのか。エリオットはそんなことを思ったが、重要なのはそこではない。


「それはまずい状況なんじゃないか……?」

「そうだね、そろそろ人体に影響が出てもおかしくないかもしれない。特に若者や老人なんかは、免疫が低いから要注意だ」

「チコが源泉の場所を特定できなかったのは、濃いエナジーで感覚が狂ったからかな」


 イシュメルの呟きにもテオは頷いた。


「街の外、すぐ近くに源泉があるのは間違いないだろうね。そしてそれはとんでもない出力で稼働している……」

「テオ、探しに行こう」


 エリオットが強い口調でそう提案した。高濃度のエナジーによる体調不良くらいなら可愛いものだが、魔物化が発生したらそれでは済まない。もうあんな風に魔物になった人を見るのは嫌だし、それを止めるために剣を抜くのも嫌だ。

 テオも同意見のようですぐに立ち上がる。ちょろちょろと駆けまわっていたチコを掌で掬い上げて自分の肩に乗せ、イザードとイシュメルを見やる。


「それじゃ俺たち出かけてくるから、今度はふたりが留守番よろしく」

「気を付けてな」


 イシュメルの言葉に見送られて、ふたりは部屋を出た。階段を使って一階に降り、宿の玄関を出ると、強い日差しが頭上から襲い掛かってくる。まだ午後も早い時間だ、余裕はある。源泉の位置を特定し、あわよくば機能停止させてしまえば、それが一番楽だろう。


 この街の往来は、どことなく下町に似ている。そんなことを思いつつ歩きながら、エリオットは半歩ほど先を歩くテオの背中を見やった。人通りが多いから、肩を並べて歩けないのだ。


「なあ、これまでがむしゃらに進んできたが、半分くらいの源泉は止めたのか?」

「そうだね……あの地図に書かれているのですべてなら、折り返し地点は過ぎたと思うよ」


 テオは振り返り、歩調を落とした。それを見てエリオットが隣に並ぶ。


「そろそろちゃんと推測したほうが良いかもしれない。魔砲を何に使うつもりなのか」

「何に……か」


 首都を出るときは「キースリーの目的なんてどうでもいい」と言っていたテオだったが、ここに来てさすがに思考を巡らせはじめたようだ。いや――知らないだけで、テオはずっと考えていたのだろう。

 エリオットは考えるのは苦手だし、剣を振るうことくらいしか能がない。家事スキルはこんな時には役に立たないのだ。専門知識を持つテオにしか考えられないことかもしれないが、それでも聞いて、理解して、口を挟むことはできる。テオは他人に自分の考えを説明して、それから納得している節もあるから、聞き役に徹するべきか。


「まあ、今の状況じゃ推測できることなんてたかが知れているけれど……そもそも当初の予定では、大統領の指示で魔砲の開発が始まったわけだ。その時は紛れもなく、戦争に使うためだった」

「けどカーシュナーの魔物化を知って、大統領は開発を中止させた」

「うん。それをキースリーが水面下で引き継いだということは、戦争をしたいのか、それとも別の目的に使うつもりなのか……」


 あれ以来、首都で魔砲が稼働したという話はヨシュアからも聞かない。テオによってエナジーの源泉が次々と停止しているために、動力が足りないのだろう。もしくは、もう試運転の必要はないということか。


「そもそも何の戦争をするつもりだ? レナードは研究資源の拡大とか言ってたけど、エナジーはベレスフォード国内で十分すぎるほどある。大体、無理があるよな……さすがに魔砲ひとつで他国を制圧できるわけがないし、そうなれば軍隊が必要になる。けど、ベレスフォードの戦力を動かすには大統領の許可が必要だし」

「戦争じゃないとしたら?」

「その場合は、魔砲は兵器ではないのかもしれない。もっと別の役割があるのかも……いや、分からないな」


 テオは悶々と考えている。エリオットは眉をしかめ、呟いた。


「……兵力のあてがあるのかな」


 貴族であるキースリーには、彼個人の部下という集団を所有している。いわゆる私兵団という存在だ。だがその数もたかがしれているし、たいした戦力ではない。

 では何か。


「傭兵、もしくは警備軍の買収。どちらかかな」

「傭兵は……まあ、生活に困窮している奴が多いから、分からないでもない。でも警備軍は? 買収したにしても、大統領がそれを見逃すとは……」

「大統領がいなくなってしまえばいいんじゃない?」


 あっさり断言したテオに、エリオットの背筋に悪寒がはしった。


「大統領がいなくなれば、その権限は間違いなく補佐官のキースリーに移るだろう。そうなればやりたい放題だ。イザードが前に『キースリーにそんな肝はないと思っていた』と言っていたけど、俺もそれは同感だった。彼は謹厳実直な人だと思われているし、だからこその信頼がある。今まで、必死にその地位を築いてきたんだろうね」


 いま、首都コーウェンでは何が起きているのだろう。得体のしれないものへの恐怖が、エリオットの心に広がる。この国は、そんなにきな臭い国だったのか。


「……推測はここまでにしよう。仮説はいくらでも立てられるけど、同時に偏見も生む」


 テオはそう話を打ち切った。頷きつつ、エリオットは思う。

 大統領がいなくなる――十中八九、殺されるということだ。クーデターが起こったところで大統領の権威は揺るぎそうにないし、殺害という手段がもっとも手っ取り早いはずだ。彼はもう老齢。急な病で死んだと言っても、疑う者はいないはず――。


 イシュメルと大統領を再会させてやりたい。エリオットはどこかでそんなことを思っていた。絶縁しているのはエリオットとて承知しているが、それでも血縁は血縁。エルバート・カーシュナーを失った大統領に、せめてイシュメルと会ってもらいたい。そうなれば、何か変わるのではないかと。

 だから、大統領に死んでもらいたくはない。



「キュウ」


 街の結界を出ると、チコが急に鳴いた。テオの肩から下りて、一目散に駆けていく。源泉の場所が分かったようだ。やはり街の中はエナジーに満ちていて、チコの感覚を狂わせていたのだろう。


 街道を少し外れると、辺り一帯は背の高い草木で覆われていた。明らかに人の手は入っておらず、自然豊かといえば聞こえはいいが見た目はよろしくない。

 どうして人間は、自然と生きる選択肢を作れなかったのだろう。今更言っても仕方がないだろうが、そう思わずにはいられない。


 エリオットの腰のあたりまで伸びきった叢を、泳ぐかのように進んでいく。と、エリオットの肩にチコが駆けあがってきた。


「どうしたの?」


 後ろにいるテオが尋ねる。前方をじっと見据えていたエリオットが、はっとして身構えた。


「……誰かいる」


 叢の向こうに、蠢く黒い影がひとつ。目を凝らしてみれば、それは黒いマントを着込んだ人間だった。そのすぐ傍にある無機質な機械は、エリオットらが見慣れたエナジーの源泉の制御装置。

 テオが頷いたのを見て、エリオットは前に進み出た。まだだいぶ距離はあるが、気配を読むことに長けていれば気付く距離だ。相手は相当油断しているということになる。


「そこで何をしている!?」


 自分が言えたことではないなと、言いながらエリオットは内心で呆れる。だがそんなことは表情に表さず、真面目そのものだ。

 黒づくめの人間は驚いたようにこちらを振り返った。エリオットも油断なく歩を進め、その後ろでテオもいつでも魔装具を作動できるように構えている。


「ちっ!」


 黒づくめは舌打ちすると、背後にあった装置のパネルを押した。目を見張ってエリオットが駆けだそうとした瞬間、轟音が響いた。ガラス窓が砕けて割れたかのような衝撃音だった。


「な、にッ……!?」


 鼓膜が破れそうに感じる、音の嵐。思わずエリオットが片耳を塞いでしまった瞬間、目の前で光が炸裂した。

 それと同時に、エリオットの意識が吹き飛ばされた。





★☆





「……エリオット!」


 そんな声と共に身体を揺さぶられている感覚に気付き、エリオットはうっすらと目を開けた。まず視界に飛び込んできたのは、テオの安堵の表情だ。


「気が付いたね」

「テオ? ……()っ……」


 後頭部にずきりとはしる痛みに、エリオットは眉をしかめた。草の上に膝をついたテオに支え起こされていたエリオットは、軽く頭を振って顔をあげる。


「何があったんだ?」

「急激に周囲のエナジー濃度が高くなったから、それに当てられて気絶していたんだ」

「気絶……? 俺が?」

「ほんの二分くらいだけどね」


 立ち上がると、傍にはエナジーの源泉があった。装置は停止されており、おそらくエリオットが気を失っている短い間にテオが措置を取ったのだろう。あの黒づくめの人間は逃げたのか、周囲に姿はない。

 テオを振り返ると、彼は街の方向へ視線を送っていた。


「エナジー濃度が高くなったって、何が起きたんだ?」

「それが俺にもさっぱり……濃度も今は落ち着いて、変わりはない気がするんだけど」


 その時、ふたりの頭上を巨大な影が飛び越していった。はっとして姿勢を低くする。有翼の魔物だ。真っ直ぐに街の方向へ向かっている。

 まだ頭痛が収まらないエリオットは気付かれずに済んで良かったと胸をなでおろしていたが、その隣でテオは大きく目を見張った。


「ちょっと待って。……なんであの魔物、街に(・・)向かって(・・・・)るの……!?」

「なんでって……?」

「街の結界を、とっくに飛び越してるんだよ!」


 街は丸ごと結界系魔装具による見えざる壁に守られ、魔物は街の中に入ることはできない。


 ――ならば、魔物が結界を物ともせずに侵入できるのは、何を意味するのか?


「……! 結界が、消えた!?」


 エリオットが理解すると同時に、テオが街へ向けて駆け出す。相変わらず俊足を飛ばすテオを見失わないように必死で追いかけつつ、気絶する前に聞いた轟音の正体はそれだったのかと、エリオットは今更に気づいていた。あの黒づくめの人間がどのようにしたのかは知らないが、とにかく強いエナジーで結界系魔装具が異常を来したのだ。あるいはそれが狙いだったか。



 街は大混乱に陥っていた。『街にいれば絶対安全』という常識が一気に崩れたのだ。突如姿を見せた魔物たちに驚愕し、なすすべもなく逃げ惑い、襲われては力尽きていく。

 それはまさに、地獄絵図だった。


 すぐ傍を徘徊している獣型の魔物をエリオットが斬り捨てている間に、テオは怪我をして動けなくなっている男性の治療にあたる。だがこの惨状では焼け石に水である。魔物は次から次へと押し寄せ、犠牲者が増えていく。

 するとテオがぱっと立ち上がった。


「イザード、イシュメルさん!」


 その声にエリオットも振り返る。それぞれ武器を構えたふたりがこちらに駆け寄ってきていた。すでに交戦していたのか、イシュメルの剣には赤いものがついている。


「いったい何があったんだ、なぜ街中に魔物が!?」

「妙な奴がいてね、何か細工をしたらしい。結界が消えたんだ」


 イザードとテオが話しているのを聞きながらも、傭兵ふたりは波のように襲ってくる魔物を蹴散らしていた。いまいるのは街の入り口、有翼の魔物でなければここを通るしか街には入れない。中に入ってしまった魔物は仕方ないとしても、これ以上街中に入れない努力はできる。その代わりに襲撃が一転に集中するためエリオットとイシュメルの負担が跳ね上がるが、このふたりにはどうということはない。


「入り口はエリオットとイシュメルに任せるにしても、これじゃ埒が明かんぞ」

「結界の再構築が何よりもまず必要だ。場所さえ分かれば……」

「――そ、そこにおられるのは、まさかイザード隊長ッ!?」


 聞き覚えのない声が響き、一斉に振り返る。市街地のほうから駆けてきた十人ほどの集団――それを見て、イザードとテオが苦い顔をした。


「げっ、警備軍……」

「なんなのその残念そうな声。直属の可愛い部下でしょ?」


 そうからかうテオも心から歓迎している顔ではない。

 彼らはこのマレイの街に駐屯している、警備軍治安維持隊の一隊だった。つまりイザードの直接の部下たちだ。もちろんイザードの顔は、誰もが知っている。それに、人事を決めているのはイザード本人だ。彼はマレイに派遣した部隊の責任者を把握していた。


「ひ、久しぶりだなぁ、ゲランじゃないか」


 明らかにぎこちないイザードの挨拶に、ゲランという壮年男性は困惑した顔を見せた。


「どうしてこんなところに……! いま大統領から、隊長の捜索の指示が出ているんですよ!?」


 その言葉にテオが腕を組んだ。


「ついに追手がかかったか……」

「しかし大統領からの指示ということは、あくまで事情聴取だろうな。脱走犯として拘束するということではなさそうだ」

「大統領もつくづく寛大だねぇ。逮捕状でも良さそうなものだけど」


 悠々と会話を交わすふたりに、ゲランは訳も分からず沈黙している。イザードは軽く空咳をしてゲランとその部下たちを見据えた。


「私がここにいる理由を話すと長くなる。いまはとにかく、街の防衛にあたれ! 住民の避難と治療を最優先に行動しろ」

「はっ! イザード隊長、ぜひとも指揮をお願いしますッ!」

「なんだと……!?」


 ゲランの熱い言葉にイザードも困り果てる。これでもイザードは職務放棄の脱走兵で、追われる身なのだ。ここでそんなことをするわけにいかなかったのだが、この非常事態にゲランが指示を仰ぎたくなる気持ちも分からないでもない。

 テオが頷いたので、イザードは溜息と共に迷いを吐き出した。


「……分かった。おい、誰かこの男を結界系魔装具の場所まで案内しろ。こいつは魔装具技師だ、結界の修理をしている間の護衛を任せる」


 イザードの指示に従ってひとりの隊員が進み出て、「よろしく」と微笑むテオと共に街の奥へ駆けだしていく。テオに護衛など必要ないだろうが、さすがに魔装具をいじるときのテオは無防備だ。


「街の入り口はお前らに任せるぞ、エリオット、イシュメル! 結界が修復されるまで戦線の維持を頼む」

「言われなくとも」


 イシュメルがさらりと答える。


「残りは私と共に街の中の魔物討伐にあたる! 空からの襲撃もあるぞ、用心しろ!」

「はっ!」


 銃を構えたイザードを先頭に、隊員たちが駆け出していく。それを見送ったイシュメルが微笑んだ。


「随分と様になっているな」

「……俺、イザードが仕事しているの初めて見たかも……」


 そういえばイザードって偉い人だったんだよなあ、と今更エリオットは思い出した。イシュメルは左手に持つ剣を握り直した。


「さて、気合の入れどころだぞ、エリオット」

「はい……!」


 ひとまずは、テオが結界を修復するまで街の城門を死守する。それがふたりの重大な任務だった。

 どこにいたのかと思うほど、大量の魔物が押し寄せてくる。それらをすべて打ち倒すと、城門は死屍累々といった様子になった。死臭が漂い、魔物の死体と鮮血が積み重なる。放置しておけば疫病が発生しかねないのであとで焼き払わなければならないだろう。慣れているはずのエリオットでも思わずむせ返るほどの強い血の匂いだ。


 飛び掛かってきた魔物を一刀両断したところで、エリオットは街の外の平原を見やった。相変わらず魔物はそこにいるが、唸っているだけで近づいて来ようとしない。勢いよく飛び掛かる魔物もいたが、空中で何かにぶつかって落下している。

 それを見てエリオットは振り返り、イシュメルに声をかけた。


「結界が直ったみたいです!」

「この短時間でか……さすがだな、テオは」


 剣の血を振り落してから辺りを見回す。周囲に魔物はいないようだ。


「我々も街の中へ移動しよう。住民救護はイザードに任せればいい、とにかくすべての魔物を討伐せねばな」

「そうですね、急ぎましょう」


 街中を駆けまわりつつ、徘徊する魔物を倒していく。イザードやテオの迅速な行動で被害は最小限かつ短期間なものであったが、それでも死傷者は大勢出てしまった。

 造られた安全を当然のものとして享受した甘えなのか――人々は魔装具を失うとまともに生きることができない。大人たちの大半は魔装具のない時代を経験しているというのに、その当時の経験がまったく生かされていないのだ。路上のあちこちに怪我をして蹲っている住民がいて、警備軍や町医者が治療にあたっている姿を見ながら、エリオットは息を吐き出す。


 たった二十年でここまで生活に浸透した『魔装具』という代物に、エリオットは寒気を覚えずにはいられなかった。

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