File three 悪いのは俺ですが、捕まりたくないです。
こいつが表の世界を歩けないのは、複雑かつくだらない事情があったからだということを知った。
★☆
冬は深まり、あと数時間で一年が終わる。
今日が明日になるだけで何も普段と変わりはないのに、人は『節目』を大事にする。年を越すための準備で、年末は大忙しだ。
あちこちの家では大掃除が始まり、市場は年末の買い物に来る客で大混雑。こんなに下町に人が住んでいたのかと驚くくらいだ。
この時期になると、毎年『万屋カーシュナー』も忙しいらしい。テオの談であるから確証はないが、確かにここ数日の依頼は今までとは少し異質である。
何かと言えば――。
「あー、押さないで押さないで。ほら、残り商品はあとちょっとだよぉ、急げー」
「嗾けてどうするんだよっ、てか働け!」
椅子に腰かけて偉そうにしているテオの頭を、思い切りエリオットがはたいた。
そう、年末特売セールの手伝いだ。
普段は老婆が一人で営んでいる青果店なのだが、この時期になると大量の商品を激安で売り出す。そこに客が押し寄せ、とても老婆一人では捌けない盛況ぶりとなるのだ。
テオは昔からこの時期に一日老婆の店の手伝いを依頼されていて、今年も例年のごとく駆り出されたというわけだ。しかし、今年はエリオットがいるせいもあり、テオは店番をエリオットに任せきりにしている。
「何言ってるの、働いてるよ。座りながらやっているだけで」
テオはそう主張するが、やっていることといえば商品を入れる紙袋の口を開けてエリオットに差し出しているだけである。商品を受けとり、テオが差し出す紙袋に詰め、金の勘定をしているのはすべてエリオットだ。
かちんと来たが、この程度で怒ってテオの仕事の手伝いなどできるはずもない。エリオットはテオを無視して黙々と仕事を再開した。
そうしているうちに、特売商品はすべて売り切れとなった。昼を過ぎたばかりだというのに、信じられない繁盛ぶりだった。
「あぁ……終わった……」
エリオットは溜息をひとつ、空になった棚を見やってもう一度溜息をつく。最初はあの棚に山盛りに積まれていた商品はひとつ残らず売れた。それだけエリオットが清算したということである。
「お疲れさま。この間までお金の数え方だって怪しかったのに、すごいテキパキしてたねぇ」
他人事のようにテオが笑う。そう、最初こそ手際が悪かったエリオットだが、テオの応対を見ている間に覚えてしまったのだ。そのせいで、テオは長すぎる休憩を取っていたのである。
「カーシュナーくん、エリオットくん、ありがとう。助かったわ」
店内で別の仕事をしていた店主の老婆が、にこにこと微笑みながらゆっくり歩み寄ってきた。テオもさすがに椅子から立ち上がる。
「おかげで今年も無事に年を越えられそうよ。さ、お昼を用意したから食べて行って」
「ありがとうございます」
テオとエリオットはそう言って、身につけていたエプロンを脱いだ。この昼食が、老婆の依頼の報酬である。現物による報酬も、なかなかいいものだと最近は思う。
店の奥に入ると、小さな木のテーブルの上に所狭しと料理の皿が並んでいた。外気に面していた店舗とは違い、奥に入ると寒さも和らぐ。それに加えて温かみのある料理を目の前にすれば、午前中働きづめだった身体もやっと空腹を思い出すというものだ。
「わぁ、相変わらずお婆ちゃん料理上手」
テオも嬉しそうに椅子に座った。……最近分かってきたが、テオが心底幸せそうな顔をするのは魔装具をいじる時か食事のときだ。
温かいスープの器ではしたなくも手を温めつつ、ふとエリオットはテオを見やる。視線に気づいたらしいテオが、若々しすぎる顔に笑みを浮かべる。
「どうした?」
「いや……みんなあんたのこと、『カーシュナー』って呼ぶんだなって思って」
「ん、まあカーシュナー以外名乗ったことないからね」
「でもカーシュナーって、万屋の先代の名前だって言ってただろ? それでここまで定着してるって、すごいと思って」
テオは小皿にサラダを分け取りながら言う。
「カーシュナーって、あの万屋やってた人の姓なんだけどさ」
「ああ」
「俺、その人の息子って設定だったんだ。だから代替わりしても、俺が『カーシュナー』なのに変わりはないの」
設定ということは、実際に血の繋がりはないということか――。
「……親は?」
下町でひとりで生きる人間に、それを聞いてはいけないのかもしれない。そうした暗黙のルールのようなものをエリオットは感じていたが、聞かずにはいられなかった。
テオはにっこりと微笑む。
「君と同じだよ」
「え……?」
「気付いたら、親なんていなかった」
葉野菜をフォークで刺す。
「俺にとってカーシュナーは、君にとっての傭兵の団長と同じような存在だよ」
エリオットが団長に拾われたように。
テオも、カーシュナーに拾われたのか。
そのような言い方をするということは、もうカーシュナーは死んでいる――。
「……だから、手を貸してくれたのか? 俺が魔物を倒してくれって言ったとき」
「違うよ。言ったでしょ、俺は気まぐれなの」
相手の目を見ずに言う言葉。それはきっと、本心ではない。
同情か、共感か。それはともあれ、テオがエリオットの事情に自分の過去を重ねたのはまず間違いないのかもしれない。
テオは束の間止めていた手をあげ、フォークに刺したサラダを口の中に放り込んだ。これで話は終わりだとばかりに声音が変化する。
「早く食べないと、折角の料理が冷めちゃうよ?」
「あ、ああ、そうだな」
エリオットは頷き、慌ててスープを口に運んだ。その瞬間、あまりの熱さに飛び上がる。
「熱ッ」
「あはは、子供みたいだよエリオット」
「う、うるさいっ」
★☆
「ありがとうね」
仕事を終え、昼食も平らげたテオとエリオットは、老婆に見送られて店を出た。静かに雪が空から舞い降りており、いつも雪が降ると音が一切なくなったように思うのに、今日という日は音で溢れている。午後を回っても市場の活気は衰えず、楽しそうにはしゃぐ子供たちがたくさんいる。
「なあテオ、ちょっと市場見て行かないか?」
エリオットがそう言うと、テオはあからさまに嫌な顔をして振り返った。
「寒いから嫌だよ」
「けど、もう三日くらいこんな風に仕事で駆り出されて、全然年末を満喫してないじゃないか。せめて今日くらい」
「君、実は年間行事とか大切にする人なんだね。というより、年末は満喫するものじゃないよ?」
「年越しの準備をする期間だ、とか言ったら殴るから」
年越しの準備は殆どエリオットがひとりでやったのだ。店の片付けから何まで、全部。
テオは溜息をつき、コートのポケットに手を突っ込んだ。
「まあ、たまには良いけどさ。ただし、俺のこと『テオ』って呼ぶのはやめてね?」
「あ……そうだったっけ。ていうか、じゃあなんて呼べばいいんだよ?」
「ん? それじゃ……『店長』で」
「嫌だ」
「えー、なんでよ事実じゃん、バイト君」
「バイト君やめろ!」
もう絶対外でこいつの名前は呼ばない、とエリオットは固く決意した。しかし、この男の秘密保持力には恐れ入る。
「……本当に本名誰にも教えてないんだな」
「身近な人だと、君ともうひとりくらいしか知らないよ」
エリオットは瞬きする。エリオットの他に『もうひとり』、テオが信頼して名を打ち明けた人物がいるのか。そちらのほうが意外である。
テオは苦笑を浮かべた。
「というより、名前を隠す前からの知り合いってだけだけどね」
「そんな人いたのか!?」
「予想以上にリアクションが大きくて心外なんだけど、君は俺をなんだと思ってるの?」
「いや、絶対人付き合いとか大切にしない人間だと思っていた」
「別に大切にはしてないよ、あっちが構ってくるだけで」
二人は並んで歩きながら、市場に並べられた多くの惣菜品を見ていく。目移りしているエリオットの肩を、ぽんぽんとテオが叩く。
「いい、見るだけだからね?」
「俺は子供かっ、あんたはどこの母親だよ」
「高いんだから買わないよ?」
「ねだってないからっ」
というか食をケチるな、とエリオットは思う。節約できるところは日常生活にたくさんある、だから生きるために必要な「食」と「睡眠」だけは削るな、というのが傭兵時代からの持論だったりする。
――まあ、本当に生きるためなら必要最低限のものを食べればいいだけで、別に特別美味しいものを食べる必要もないじゃないか、という反論が来るのは分かっている。
それでも一年に一度くらいは――と思ってもバチは当たらないのでは。
「あー……お蕎麦食べたい」
「オソバ? なんだそれ」
「知らないの? 東国のほうじゃ、年を越えるときにお蕎麦食べるんだよ」
「いや、だからオソバって何?」
オソバが食べ物であることは分かったが、その形状や味がまったく想像できない。テオは少し考え込んでから、ざっくりと答えた。
「パスタの味が違うやつ」
「悪い、全然分からん」
とりあえず細長いんですね。
「傭兵として世界練り歩いてたってのに、お蕎麦知らないの?」
「別に観光で行ってたわけじゃないし、しかも陸続きで行けるとこしか行ってないし」
「え、じゃあ君たち何してたの?」
「仕事だよっ」
各地を巡って魔物を討伐する。それが人のためになると信じ、戦い続けてきたのだ。否定されてはたまらない。
「よし、帰ろう」
「まだ五十メートルも歩いていないんですが」
「五十メートルも家から遠ざかったんだよ、帰ろうよ」
「どっちが子供だよ」
「だって、早くしないと見つかるんだもん」
「見つかる? 誰に……」
エリオットが足を止めた瞬間。
『テェェオォォオオオオ――!』
およそ人とは思えぬ奇声が、市場に響き渡った。ある者はびくりと跳ね上がり、ある者はその大音量に耳を塞ぎ、ある者は慌てて逃げ出す始末である。
そんな中、テオはやれやれと頭を抱えて溜息をついていた。
「あらら、噂をすればなんとやら……」
「え、え? もしかしてあれが、お前の名前知ってる知り合い……?」
「そういうこと」
市場を一直線にこちらへ向かって駆けてくるのは、中年の男。きっちりと着込んだ固い制服は、この真冬にそれでは寒いだろうと思うほどであるが、なぜか尋常でない汗を掻いている――。
「……って、ありゃ警備軍じゃないかっ!?」
「うん、そうだよ」
「そうだよじゃねぇよ、あんた政府に睨まれてるのか!?」
警備軍は、このベレスフォード政府が組織する軍隊である。現在は中立国であるが、仮に戦争が起これば戦場に行くのは彼らである。一昔前までは鉄器や銃器を扱っていたこともあり、今なお身体能力の高い面々が集まっている。魔装具の扱いも、勿論慣れたものである。
「警備軍って言っても、色々部署があってね。実戦経験を積む部隊もあれば、市街の見回りをする下っ端部隊もあるんだよ。あのおじさんは個人的に俺に目をつけているだけだから、大したことないよ」
「いや、なんでそんなあっさり言うんだよ」
真冬なのに汗びっしょりな中年の警備軍のおじさん――彼は驚くべき速さで、テオとエリオットの元まで駆けてきた。汗を掻いているのは、少しばかり中年太りをしているせいか。警備軍の軍帽からはみ出た茶髪を鬱陶しげに払いながら、その警備軍人はテオに凄みをかける。息切れしていて威厳も何もないが。
「やっと見つけたぞテオぉ……今更私が何を言いたいかを言うまでもないな……?」
「うん、分かってるけどさ。ひとつ聞いておきたいことがある」
「なんだ……」
「また太ったでしょ、イザード。体重幾つだよ?」
それは聞いちゃまずいんじゃないかなぁ……とエリオットが口に出すまでもなく。
地の底からマグマが吹き上がってくるような威圧感。と共に放たれた怒声。
「太ってないぞォォ!」
そっちかよ、と思ったのも言うまでもない。
「テオッ、今日という今日はとっ捕まえてこの書類にサインを書かせてやるッ」
「あー、やだやだ。しつこい男は嫌われますよー……あ、だから四十過ぎても結婚できないんだね」
「貴様ァ、私が体重よりも気にしていることをッ」
「体重落とさないと結婚できないよ」
「やかましいわっ」
イザードという男が走ってくる。テオはエリオットの手を掴むと、身を翻して駆け出した。訳も分からず、エリオットは慌ててテオと並走する。人混みをすり抜けていくテオを何とか追いながら、エリオットは叫ぶ。
「おいっ、何がどうなってるんだ?」
「理由はあとあと。……あ、そうだエリオット、ちょっとフード被って」
「は?」
先行するテオがコートのフードを被った。なんとなく理由を察し、エリオットもフードで顔を隠す。
「とりあえず適当にあの人と追いかけっこして、店に帰って来てくれればいいから」
「……ったく、なんで俺がそんなことをっ」
さりげなくテオは道を逸れ、路地に身を隠した。そのままエリオットは直進する。イザードは、路地に逃げ込んだテオには気付かずにエリオットを追いかけていく。
分かれ道。右に行けば店に帰れるが、エリオットは左に曲がった。テオが店に戻るまでの時間を確保しなければならない。それに、フードが取れてしまえば一貫の終わりだ。テオの薄い茶色の髪と違ってエリオットは色素の強いほぼ黒色の髪であるからだ。背丈が同じくらいであることと、コートの色が似ていたために成せる「すり替え」だ。
直線で障害物のない細い路地。両側に住宅が立ち並び、その間を駆け抜けていく。
「待てぇええぃ!」
呪詛のような追っ手の声が迫ってくる。――驚いた、かなり加速しているのだがイザードは食らいついてくる。見た目で判断してはいけないのかもしれない。
大体、なぜテオは警備軍などに追われるのだ。彼が『表の世界を歩けない』とか言って城門を使えなかったのは間違いなくこのせいなのだが、「何をやらかしたんだ」と不思議で仕方がない。
再び分岐点。右の角にゴミのバケツが置かれていた。仕方ない、と舌打ちしつつ、エリオットは駆け抜け様にそれを蹴り倒した。横倒しになったバケツはイザードに向かって転がっていき、一際派手な音が後方で響く。
もう追ってこないだろうか――と少し速度を落とした瞬間。
「その程度で足止めのつもりかテオぉっ」
豪速で角を曲がってきた。素晴らしいコーナリングである。
「まじかよあのおっさん」
エリオットは困ったように呟き、また前を向いて駆け出す。
下町は細い路地と曲がり角が多い。そのため、素早く角を曲がって行けばそのうちイザードはエリオットの姿を見失うはずだった。しかしながらイザードは追ってくる。一向に速度は落ちないし、持久力もある。とんでもない親父だ。
何度目かに角を曲がる。すると、いきなりエリオットの目の前に透明な壁が立ちはだかった。まるで硝子のようなそれは明らかに結界系魔装具で創り出したものである。
「……ぜぇ……ぜぇ……わ、私としたことが、騙されていたとは……」
やはり息切れの激しいイザードが、ゆっくりとエリオットのもとへ歩み寄ってくる。逃げ場のないエリオットは顔を見せないように背中を向けたままだが、頬を汗がひとつ伝った。
「お前、テオではないな……?」
「……」
「テオはそんな馬鹿正直に路地を逃げるなんてしない。とっくに住宅の塀を飛び越えているはずだ」
……嘘だろ、この壁二メートルはあるぞ?
「それに、あいつは魔装具で行く手を塞いでも全部すり抜けていくからな。お前にはそこまでの技術がなさそうだ」
結界系魔装具をすり抜ける――魔物の剛腕でも破れぬ結界を、テオは破壊できるのか。そういう魔装具でもあるのだろうか。
何にせよ、もう囮は無理のようだ。
フードを下ろすと、イザードが怪訝そうな顔をする。
「……見ない顔だな。誰だ?」
「エリオット。万屋の居候だ」
「つまりバイトか」
「バイトじゃないっ」
一度だってテオから給料をもらったことがないのに、バイトなどと呼ばれてたまるか。
「ならお前は、なぜテオを私が追いかけまわすか知らないわけだな」
「ああ、知らないよ。なんでなんだ?」
「それはだな、奴が万屋なんぞをやっているからだっ!」
「は?」
イザードはエリオットの行く手を阻んでいた結界を消すと、こちらへ歩み寄ってくる。
「いいか、この街で店舗を持って商売するには、政府の許可を取らねばならん。それは下町でも変わらん規則だ」
「ああ……」
「だが奴は、その許可を取っていないにも関わらず、『万屋カーシュナー』という看板を掲げて営業している! これは重大な違法商売だ」
沈黙が舞い降りた。それはエリオットが、イザードの言葉を正しく理解するのに費やされた数秒であった。そして、理解してからのエリオットは顔色を変えた。
「……は、はあっ!? なんで!?」
「そんなもんは私が聞きたいのだ!」
「あいつどこまで手を抜いてるんだよ……!」
「まあ大方の理由は推測できる。奴が専門でやっている魔装具の修理は違法だ。それで食っている奴としては、そんな商売の許可を取れるはずもない」
ああなるほど、と思ったものの、どこまでテオは法律やルールに背を向けるつもりなのだろう。下町の人間に普通に受け入れられていたから、てっきり商売として成立しているのだと思っていたら、そうではなかったのか。
しかし、このイザードはそこまで分かっていながら、どうしてテオの摘発に乗り出さず、あくまでも「書類を提出しろ」と迫るのだろう。普通そこは「逮捕」になるのではないだろうか。
「まあ今日は勘弁してやるが、お前は不法営業店のバイトだ。次会った時は容赦なくとっ捕まえるから、覚悟しておけ。ついでに、どうせ破り捨てられるだろうがこの書類もテオに渡せ!」
「あ、ああ……」
「――そういえばお前は、テオの名を知っているのだな」
書類の入った封筒を押し付けられたとき、ふと思い出したように尋ねられたその言葉に、エリオットは頷く。イザードは顎をつまんでエリオットを見やる。
「……あいつも、だいぶマシにはなってきたようだな」
「えっと、あんたこそ、テオとどういう知り合い……?」
エリオットが尋ねると、イザードは心底嫌そうな顔をして吐き捨てるのだ。
「腐れ縁だッ」
思ったけれど、イザードがテオを追いかけまわすにとどめているのは、温情なのかもしれない。
★☆
「腐れ縁だよ」
店に帰り、優雅にコーヒーを飲んでいたテオにイザードと同じ質問を投げかけたところ、全く同じ返答が返ってきた。
イザードが、テオの言う「身近でテオという名を知っているもうひとりの人物」なのだろう。反政府意識の塊みたいなテオに政府側の知人がいるのが心底不思議でならないが、相当長い付き合いと思われる。
「ほらこれ、その書類だろ」
テオに封筒を差し出すと、意外にも大人しくテオはそれを受け取った。封筒の中から書類を一枚取り出す。『営業届』と書かれている。
が、テオがふっと書類に息を吹きかけると、その書類は一瞬で炎に包まれた。ぎょっとするエリオットをよそに、完全に灰になった書類をくずカゴの中に払い落とす。――破り捨てるどころか燃やしたよこの人、と信じられない思いである。
「この書類を出すと色々と面倒なんだよ。要するに政府の傘下に入るってことだから、売上金の報告とか納税とか監査とかいろいろある。それに第一ね、魔装具の修理やってます、なんて店を政府が認可するわけないでしょ。ベレスフォードは魔装具技術を秘匿するために、限られた技術者しか原理を知らないっていうのに」
ここまで饒舌なのは珍しい。……どうやらこの件に関しては、諦めたほうが良さそうだ。
「ということは、先代のころからこの店は追いかけまわされてたってこと?」
エリオットが尋ねると、テオは微笑む。
「いや、先代の時ここは店じゃなかった。やっていることは殆どいまと変わらないけど、あれはカーシュナーが趣味の範疇でやっていたことだったからね」
「……それをきっちり商売に昇華したのがあんたなんだな」
まったく、とエリオットは溜息をつく。
「というわけで……」
「嫌だ」
「……まだ何も言ってないよ、エリオット?」
「言いたいことくらい分かる」
「そうか、学習能力あるんだね。でもあえて言わせてもらうよ」
テオは机の上に無造作に置いてあった紙を手に取ってエリオットに差し出す。そこにはテオの流暢な筆遣いでメモ書きがあった。――看板からしてそうだったが、テオは硬い文章から簡単なメモまで本当に字がうまい。
書いてあるのは、簡単な依頼内容をテオが書き取ったもので――。
「君がイザードと追いかけっこしている間にひとり依頼人が来てね、年末の忙しい時間だから子守りをって――」
「テオも行くんだよな?」
「え、だから俺はイザードに見つかると面倒だから……」
「行くんだよな?」
「……はいはい」
テオは髪の毛を掻き回しつつ立ち上がる。
「まったく、せっかくの年末だっていうのに仕事が多いな」
「いいじゃないか、稼ぎ時」
「うわ、生臭いこと考えてるね君」
「テオに言われたくない。ほら、行くぞ」
「またイザードに出くわしたらどうするの?」
「逃げればいいだろ、あんたのほうが俺より足速そうだし」
エリオットは往生際の悪いテオに、脱ぎっぱなしだったコートを放り投げて背中を押して寒空の下へ出て行く。
一年が、終わろうとしていた。