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万屋ですがなにか。  作者: 狼花
VOLUME Ⅱ
37/53

Other file【6】

 

 

 

「どうしても行くのか」


 もう今更引き留めることもできないと知っていながら、父は息子にそう声をかけた。


 背後からかけられた言葉に振り返ることもなく、息子は父に対する。生まれた家を出て、もう二度と帰らないつもりであるというのに、彼はひどく身軽だった。軽い荷物を背負い、腰には二本の長刀。同じ年頃の男子でも振るうのがやっとなそれを、彼は腕のように扱うことができた。


「ええ。行きます」

「なぜだ。これから住みやすく、豊かな世界を作ろうとしているのに。なぜお前は、わざわざ傭兵という生き難い世界に身を置こうとする」

「その話はとうの昔に済んだはずです」


 これ以上の話をする気はなかったというのに、どうしても声が熱を帯びる。


「エナジーによるエネルギー転換は成功するかもしれない。豊かな生活が待っているのかもしれない。けれども、必ずや激動の時代となる。そんなときに人々の守り手であることができるのは、政府でも警備軍でもなく、傭兵だ」

「だから傭兵になるというのか。それは短慮ではないか」

「短慮でしょう。しかし、確実に人々を守れる手段ではある。父上が、街を包む結界を作るというのなら――それが完成するまで、私が街を守る」


 そこまで言って、彼は微笑んだ。


「友が大志を抱き、私を誘ってくれたのです。乗らない手はありません」

「ジェイク、か……確かに、庶民の少年にしておくには惜しい男だ」

「ですから私は行くのです」


 きっぱりとその言葉を口にすると、背後で父が溜息をついた。


「……ブロウズ家の人間は昔から、やりたいことをやりたいようにやってきた。己が歩むと決めた道からは決して逸れることなく、ただひたむきに」

「父上が政界進出とエネルギー転換を一心不乱に求めたのと同じように、ですね」

「お前は随分と、私の血が濃いようだ。……好きなようにやりなさい。止めても無駄だということは、私が一番よく分かっている」


 初めて肯定的な言葉を聞いて、思わず振り返りそうになった。しかし、意地でも振り返らないと決めた。袂を分かつ決意をしたからには、意志を貫く強さがなくてはならない。


「私は今このときからブロウズの名を捨て、ただのイシュメルとなります。戸籍は消してくださって結構です。いずれ大統領として傭兵の規模縮小をお考えの貴方に、傭兵の息子など邪魔なだけでしょうから」


 イシュメルはそう告げ、目の前にある屋敷の扉を押し開けた。外は深夜、まだ夜が明けるには時間がかかる。まるで自分の未来のようにはっきりしない空であるが、イシュメルは颯爽とその世界に向けて足を踏み出した。

 父は追ってこなかった。おそらく父は息子が出ていくだろうことを予測し、こんな時間帯に待っていたのだ。背を押すことは出来なくとも、旅立ちに餞の言葉を贈るために。





「本当に行くのか」


 住宅街の出入り口を塞ぐように仁王立ちしていたのは、幼馴染だった。

 かなり大柄かつ筋肉質な彼とは、昔から親しくしていた。彼は警備軍幹部の嫡男だ。剣の腕は相当であり、イシュメルも幼いころからよく共に研鑚を積んできた。


「行くよ」

「お前と一緒に、警備軍で活躍するのが夢だったんだけどな」

「将来、警備軍が傭兵を取り締まるようなことにならないことを祈るよ」


 イシュメルの皮肉に、幼馴染は「はっ」と笑った。そんなことはない、あってもお前とは戦わない。そんなことを言っているような笑みだ。

 彼は警備軍に入ることが、生まれたときから決まっている人物だ。正直、自分の生きる道を勝手に決められて辛くはないのかと思わないでもないのだが――警備軍というのは性に合っているらしい。


 そういう点では、様々な選択肢があった自分の幼少期には感謝するべきなのかもしれない。


 幼馴染はイシュメルを引き留めようとしているわけではなかった。ただ、見送りに来てくれただけだ。こんな夜明け前に、わざわざ。


「……イザード、ひとつ頼まれてくれるか」


 ぽつりと呟くと、イザードは腕組みを解いた。


「なんだ?」

「エルバートを頼む。弟のことを、見ていてやってくれ」


 エルバート。生まれて間もない、イシュメルのたったひとりの弟だ。まだ彼がどんな性格で、どんな思想を持つのか、それすらイシュメルには分からない。ただそれでも、確かに血の繋がった兄弟なのだ。

 願わくば、誰かの手先になるような人間にならないように。


「お前の弟だからな。何かとんでもないことをやらかしそうだな、エルバートは」

「……それでこそ、だな」


 イシュメルはそう言って、イザードの横を通り抜ける。イザードは振り返ってイシュメルの背に声をかけた。


「しっかり見ていてやる。だから死ぬなよ、イシュメル」


 幼馴染の言葉に、イシュメルは軽く片手をあげて応えた。





「良かったのか? 俺と一緒で」


 そうやって念押しされるのは、何度目だろうか。

 しかもそう問いかけてきたのは、イシュメルを傭兵の道に誘った友人その人だった。豪快なくせに妙なところで気を遣う男に、イシュメルは苦笑したものだ。


「何度も言わせるな。これでいい」

「そうか。なら、いい」


 残念ながらイザードとは比べ物にならないほど、筋骨隆々とした男。実際はまだ十代も後半なのだが、とてもそうは見えない逞しい少年。

 その隣にいるのは、こちらも引き締まった体躯を持つ青年。生まれつき白いという髪をひとつに結い上げた姿は精悍だ。


 彼ら二人が、これからイシュメルの『仲間』となる。


 首都コーウェンの下町で、三人は合流していた。イシュメルは改めてふたりを見渡す。


「ジェイク、スペンサー。これからよろしく頼む」


 イシュメルの言葉に、弟ジェイクはにかっと笑う。兄である白髪のスペンサーも微笑んだ。


「正直意外だったぞ、ジェイクの無鉄砲な計画にイシュメルが乗るなんてな」

「無鉄砲じゃないぞ。それに、なんだかんだ兄貴だって付き合ってくれるんじゃねぇかよ」

「不出来な弟の面倒をイシュメルだけに押し付けられん」


 相変わらず仲の良い兄弟にイシュメルも思わず破顔する。上流階級の品のいい少年たちと話すより、がさつでも彼ら兄弟と話す方がイシュメルには気が楽だった。


「よぅし、やることは簡単だ。俺と兄貴、イシュメルで傭兵団を立ち上げる! まずは団員を募集しながら、魔物を狩って経験を積んでいくぞ。何よりも必要なのは実力と信頼だ。こまめにコツコツ、これを合言葉に」

「一番コツコツが苦手なのはお前だろう」

「まったくだ」

「団員二名、文句が多いぞ」


 ジェイクはそう指摘しておいてから、はたと顔を上げた。


「……そういえば、誰が団長なんだ?」

「言いだしっぺだろ、お前がやれ」


 にべもなくスペンサーが断言した。ジェイクは困ったようにイシュメルに視線を向けてきたが、イシュメルも頷く。ジェイクは照れたように頭を掻くと、気を取り直して拳を握った。


「ジェイク傭兵団、始動だ!」

「おう」


 三人は拳を突きあわせ、契りを結んだ。


 長い戦いが始まるのだろう。いつか世界が近代化して、剣や盾がなくとも身を守る手段が生まれるのかもしれない。そうなったとき傭兵は無用の存在になる。けれども自分たちはあくまでも傭兵として人々の生活に寄り添い、みなが安心して街で暮らせるようにしよう。

 たとえそれが、政府に疎まれようとも。


 首都の下町で、たった三人で立ち上げたジェイク傭兵団が、いつしか二十人という決して大所帯でなくとも精鋭ぞろいの傭兵団になるのは、十年近く後の話だ。





★☆





「おい、なんか泣きはじめたぞ!?」

「多分空腹だろう」

「ミルクか? って、ミルクってどう作るんだおい」

「ほら、そこに粉が入った缶が置いてあるだろう」

「どれ!?」

「いまお前が持っている缶だ」


 ジェイクがひとり大騒ぎしている隣で、イシュメルは赤ん坊を腕に抱いている。赤ん坊が急に泣きわめきはじめたものだから、ジェイクなどてんやわんやだ。


 この赤ん坊は、数日前にジェイクが拾ってきた男児だった。まだ生後数日らしい。どうも首都に出かけた際に盗賊と出くわし、その盗賊たちがどこからか攫ってきた子どもだそうだ。放り出すこともできず、ジェイクは首都の外で野営していた団の元まで連れ帰ってきてしまったわけである。


 傭兵団には女性がひとりもいない。そろいもそろって無骨な男ばかりで、勿論育児や子守りの経験などなかった。なんとかスペンサーが粉ミルクや衣服を用意してくれたが、そのあとは団員が交代で何とかするしかなかった。


 イシュメルはその中でも比較的幼児の扱いに慣れていた。歳の離れた弟であるエルバートの世話をしていたからである。



 ジェイクが拾い、『エリオット』と名付けたこの赤ん坊は――至って健康だった。よく食べ、よく眠り、よく泣く。その姿はどこかエルバートを彷彿とさせて、イシュメルは熱心にエリオットの面倒を見ていた。

 イシュメルの指示を聞きながらジェイクが四苦八苦して作ったミルクを、エリオットは一心不乱に哺乳瓶から飲み始めた。ジェイクがにやけた笑みを見せる。


「おうおう、よく飲みやがる」

「顔が緩んでいるぞ、ジェイク」

「赤ん坊ってのは邪気がなくて可愛いじゃねぇか」

「子供好きだったのか、意外だな」

「俺はお前がエリオットの母親代わりやってることの方が意外だよ」


 傭兵団を立ち上げて十年。もう少年の面影は消え、ジェイクもイシュメルも立派な若者になっていた。しかし傭兵歴は若いながらに長く、もうベテランと言っていい域だ。彼らの仕事ぶりを聞きつけて、入団を希望する猛者も多く集まった。


「にしても、貴族の子息か……家が分かれば返してやれるんだがなぁ」


 ジェイクの言葉にイシュメルも頷く。


「こうなってしまっては、団で育てるしか方法はあるまい」

「だな。……だがまあ、うちで育てるからには強い男になるだろうな」


 剣に自信のある人間たちの中で育つのだ。自然と剣を学ぶことにもなるだろう。


「それでこいつが二十歳になったら、こいつに生まれのことを教えてやるんだ。そのうえで聞く。傭兵として生きるか、それとも都市で生きるかを」

「随分と明確な将来設計だな」

「当たり前だ、ひとりの人間の人生を預かるんだからな」


 丁度この頃、イシュメルの父であるアレクシスは大統領として、エナジーのエネルギー転換に成功していた。世の中に『魔装具』という便利な道具が普及し、イシュメルが危惧していたように傭兵の時代は終わりを迎えつつある。

 これから生きていく人間にとって、魔装具は必要不可欠なものであろう。

 イシュメルはこの道を自分で選んだ。だがエリオットは、意思と関係なく傭兵に拾われ、不便な生活を強いられることになる。そのことに対する責任は、彼をきちんと育てること。そして彼の将来を彼に委ねることだ。


 しかし、それはまだ遠い先の話だ。


「子育てに関してはお前に一任するさ、イシュメル。頑張れ」

「ああ、せめてジェイクには似させないようにしないとな」

「酷いね」


 そうしてエリオットは、彼らが思い浮かべたよりもずっと素直で快活な青年へと成長する。

 けれども、エリオットの二十歳の誕生日を、傭兵団が祝うことはできなかった。





★☆





 身体が小刻みに震えているのを感じて、イシュメルは目を開けた。


 顔をあげると、前方には一面緑。隣を見ると、イザードが車のハンドルを握っていた。


「起きたか」

「……ん、ああ」


 警備軍車両の車内、助手席である。鏡越しに後部座席を見ると、エリオットとテオも睡眠中であった。テオはそもそも昼寝の癖があるし、エリオットは酔い防止のため眠りに逃げることにしたらしかった。

 イシュメルも知らない間に眠ってしまい、イザードは次の目的地へ向けて黙々と車のアクセルを踏んでいたわけである。


「お気楽な奴らだ、まったく」

「悪かった。……そういえば、お前がずっと運転しているな」

「本当はテオと交代で運転するはずだったんだがな、どうも私の割合が高い」


 イザードは憮然としている。運転できるのはテオとイザードで、ふたりが交代で運転しようという話だったはずなのに、いつの間にかイザードばかりが運転している状況である。


「ならば今度運転を教えてくれないか。そうすればお前も休めるだろう」

「構わんが……何を生き急いでいるんだ、イシュメル?」


 鋭いところを突かれたイシュメルは一瞬言葉を詰まらせた。だがすぐに平静を取り戻す。


「生き急ぐ? 私がか」

「お前以外にいないだろうが。エリオットやテオのためにと、何か必死になっているじゃないか。……エルバートが巻き込んだテオと、自分の判断で放り出したエリオットへの負い目か」


 今度こそイシュメルも沈黙した。イザードは正確にイシュメルの心境を察していたのだ。


 エルバートと出会ったがために、彼を殺す羽目になったテオと。

 自分たちに拾われたがために、常に危険な目に遭ってきたエリオット。


 過程はどうであれ、彼らが苦しんだのは違いない。彼らに対して負い目がないといえば、嘘になる。


「……私は自然と彼らの支援をしていたつもりでいたが、わざとらしかったか?」

「わざとらしいにも程があるぞ。エリオットなど、腫物を扱うような接し方だっただろうが」


 確かにイシュメルがやろうとすることを、エリオットが慌てて肩代わりしてくれた。隻腕であることを気遣ってくれているなら、気にするなと言いたかったのだが、そうではなかったらしい。


「お前はあいつらが辛い目に遭って来たと思い込んでいるようだが、それだけじゃないんだぞ。テオを地獄のような労働から連れ出したのはエルバートだ。ひねくれたガキだったが、それでもテオとエルバートは楽しそうに暮らしていた」

「……」

「エリオットのことは、お前が一番知っているだろう。あいつは一度だって自分の境遇を嘆いたことはなかった」


 エリオットの出自は、オースティン伯爵家の嫡男だと聞いている。貴族だろうとは思っていたが、そこまで高位の貴族だったとはイシュメルも想定外だ。実の両親と妹と出会って、日々過ごしていたという。両親は自分を捨てた、と思い込んでいたエリオットがそんな風に打ち解けるなど、イシュメルには信じられなかった。


「いいか、よく覚えておけ。とにかくエリオットは、お前が生きていたことが嬉しいんだ。お前がここにいるだけで満足なんだよ。だから命を粗末にするな」


 再会したときに決めていた。

 たったひとり残った仲間であるエリオットと、弟が助けたテオ。ふたりを守ってやろうと。それが自分の義務だと、そう思ったからだ。


 だがイザードに言わせれば、それは『余計なお世話』なのだそうだ。ふたりとも、守ってやるまでもなく強いから。自分たちは支えであれればいいのだと。


「私たちはもう年寄りだ。お呼びでない年齢なんだよ。大人しく若者の成長を見守ってやれ」

「……ああ、そうだな」


 イシュメルは微笑み、イザードを見やる。


「知らない間に、すっかり面倒見が良くなったんだな、イザード」

「お前こそ、いつの間に過保護になりやがった」


 友は、約束を果たしてくれた。

 イザードは長年に渡ってエルバートを見守ってきてくれた。そしてエルバートが死んだ後も、彼の思いを守り続けている。

 それに何よりも感謝をして――自分はこれから、エリオットとテオの後見として傍にいてやろう。


 この危険な旅に、きっと自分が培ってきた魔物狩りの技術は役に立つと信じて。



 すべてが終わったら、ジェイクたち団員が死んだあの場所へ行こう。

 そのあとは――武器商となったスペンサーを訪ねる。


 せっかく生き延びた命だ。自分が生きているだけでエリオットの助けになるならば、意地でも生き残らねばならない。

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