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万屋ですがなにか。  作者: 狼花
VOLUME Ⅱ
28/53

Other file 【5】

 

 

 

 岸壁に打ち付ける、激しい波。

「ざっぱーん」なんて陳腐な擬音で表現するのも恐れ多いほど、迫力があり恐ろしい波音が響く。


 そんな中でも、岩場に陣取り釣竿を垂らすふたりの男の背中は、静寂を保っていた。


 既に釣りを開始して長い時間が経過しているが、どちらのバケツも水しか入っていない状況である。しかしだからと言って特に焦ることもなく、穏やかに時が過ぎていく。不思議なものだ。普通ならば結界系魔装具の庇護のない『外』にいてのんびりすることなどできるはずもないのに、ここにいる時だけは驚くほどに心が落ち着く。打ち付ける波の音、吹き抜けていく風、強い潮の匂い、そして青い空。


 結界系魔装具というものは量産が難しい。大型であるために移動も利かず、結果として街の数は限られてしまう。だからこそ街と街の間には広大な平原が広がり、森林が広がり、砂漠が広がる。全くと言っていいほど人間の手が入っていない豊かな自然が、このベレスフォードにはたくさんあった。

 良い国だ。本当に。


 そんな思いに浸っていると、持っている竿が大きくしなった。携帯式の折りたたみ椅子に深く座っていたが、ぱっと身体を起こす。リールを巻いていくと、次第に重みも増していく。これは大きい。


 やがて海面から姿を現したのは、この季節にベレスフォードの南海で大量に水揚げされる大型の魚だった。寒い海では魚も豊富でかつ美味い。首都で魚は好んで食べられる食材だ。


 本日一匹目を釣り上げたエリオットは、満足そうに息をつく。と、隣に座る父が苦笑した。


「またエリオットに先を越されたか」

「はは、これで三回連続で俺の勝ちですね」



 月に一度か二度の頻度で、エリオットとオースティン伯爵は首都から少し離れたこのクラリッサ海岸に釣りをしに来る。父である伯爵の護衛も兼ねているが、がっつりエリオットも釣りを楽しんでしまっている。元々護衛というのが口実のようなものだったから、それはそれでいいのだが。伯爵から釣りの基礎を教えてもらいつつ、最近の二人は「どちらが先に一匹目を釣るか」を競っていたのである。いささか子供っぽい競争ではあるが、これはこれで燃えていた。


 しかしやはり経験と技術で伯爵はエリオットを勝っており、小一時間もすればあっという間に伯爵のバケツも魚でいっぱいになった。エリオットは頭を掻く。


「毎回すごい量ですね……持って帰って、全部食べているんですか?」

「ああ、勿論だ。ナディアに魚料理を作ってもらっているよ」


 ナディアとは勿論、オースティン伯爵夫人のことである。ちなみに伯爵の名はウォルターという。情けないことだが、エリオットはつい最近それを知った。

 伯爵夫人、つまり母のことだが、彼女の料理は何度かエリオットも食したことがある。というのも、妹のリオノーラがよく差し入れを持って来てくれるのだ。貴婦人が使用人の手を使わずに料理をするのは極めて珍しいことだが、その腕前は本物だと思う。基本的に自炊するエリオットも、他人の作る料理は美味しそうに見えて仕方ない。


「そういうエリオットは、その魚をどうしているのだ?」

「そりゃ夕飯に出しますよ。余った分は冷凍保存して、それでも多いときは近所に配っています」


 幸いにもテオは魚が嫌いではないらしいので、どれだけ出しても文句は言わない。食事の用意を一任されていて文句を言われたらたまったものではないが。それにしても、こうして魚だけでも自給自足できるのは有難い。市場で売っている魚は新鮮味でどうしても海の魚に劣るので、今更市場の魚に戻ろうとは思わない。クラリッサ海岸では、素人のエリオットでも面白いように魚が釣れることだし。


 夕方前にふたりは引き上げた。伯爵をあまり遅くまで首都の外に出しておくわけにはいかないので、エリオットが促したのだ。嫌なら嫌といえば良いものを、伯爵はエリオットの進言に「はいはい」と嬉しそうに笑って頷く。何がそんなに嬉しいのか。


 日が暮れても残る暑さに辟易しつつ、ふたりはのんびりと歩を進めて首都コーウェンの城門をくぐる。ぽつぽつと街灯の明かりが灯り始め、人々もいそいそと家路につきつつある。それでもなお首都の繁華街は賑やかで、この季節は仕事終わりに冷えた酒をかっくらっている者たちの姿も目立つ。

 そういえば、テオはともかくエリオットが酒を飲まないので、万屋に酒の備蓄はない。テオにはコーヒーさえ出しておけば良いからと酒は買っていないのだ。


「……あ、すみません。俺、夕飯の買い出しをしなきゃいけなくて、今日はこっちに」


 いつもならまっすぐ進む十字路で、エリオットは足を止めた。左へ曲がれば下町の市場へ行ける。本来ならもう少し先で曲がって下町の万屋へ帰るのだが、今日は市場へ寄り道だ。そのため、このまま直進して上流階級区へ向かう伯爵とは一足先に別れることになる。

 ちなみに最初のころは屋敷まで送ると言っていたのだが、笑って却下されていた。


「なんだ、買い物があったのか? 言ってくれれば良かったのに」

「いえ、そんなたいした買い物じゃないので」

「そうか。……ああ、そうだエリオット、次の休みは空いているか?」

「え?」


 急にそんなことを聞かれて、エリオットは顎に手を当てる。暇といえば暇だ。毎日休日のような、毎日仕事のような、変則的な時間を送っているためにこればかりは何とも言えない。急な依頼が入ってしまうこともあり得る。今のところは、何も予定はない。


「その日の夜だけ、空けておいてはくれないか。うちに夕食を食べに来てほしいんだ。テオくんと一緒に」

「夕食!?」

「無理かね?」

「い、いや……すごく、光栄です。しかしなんでまた急に……?」

「おや。たまの家族団らんくらい良いのではないかな?」


 優しい笑顔で諭すように言われ、エリオットは言葉に詰まった。折角の誘いを断るなどできようはずもなく、エリオットは頷いたのだった。


「では、その日を楽しみにしているよ。今日はありがとう、またな」

「は、はい、また……伯爵」


 去っていく伯爵の姿に、躊躇いがちに投げかけた言葉は、やはりいつもの『伯爵』。母のように、『父さん』と自然に呼べるようになりたいとは思うのだが。

 自分に溜息をついて、エリオットは市場へと向かう坂道をゆっくり下って行ったのだった。





★☆





 夏の日の買い出しは、体力勝負である。


 少し歩くだけでじっとり汗をかく今、一番大切なのはいかに体力を消耗しないで市場を回るかということ。最も過酷なのは、大量の買い物袋を持って帰宅するまでの道のりだ。そこまでに体力を残しておかなければならない。

 ならばどうするか。日陰を歩くと言うのは勿論のことだが、何より無駄な動きをしないことが大切だ。歩くリズムは崩さない。極力声も出さない。身体の体幹はしっかり安定させ、だらけた風に歩かない。木が一本もない平原を炎天下に歩いた経験のあるエリオットは、熱を足から地面へ流す術を、感覚的に知っている。


(……まあ、そんなこと考えて歩いている奴なんていないか)


 内心で呟きながら、頬まで伝ってきた汗を拭った。いくら暑さ対策をしようが、暑いものは暑いのだ。定期的な休憩と水分補給、これに勝るものはない。



 伯爵と約束した夕食会を三日後に控えているが、この日もエリオットはごく普通に市場へ買い物に来た。テオは店で昼寝を決め込んでいる。夏の暑さを乗り切る最適な方法だよ、とか言っていたが、今日は水物を買う予定なので本音を言えば荷物持ちに来てほしかった。かといって寝ているテオを叩き起こすのも気が引けたので、結局ひとりだ。


 まったく、少しくらい家事を手伝ってくれてもいいと思う。いや、エリオットが何でもかんでもやってしまうから、テオがだらけるのだろう。一度家出でもしてみようか。……やめておこう、そんなことをして虚しくなるのは自分だ。

 でも、家出というのは少し憧れだったりする。家出は、帰るべき『家』がないとできないから。


 そんなことを考えつつ、エリオットは市場を素通りした。繁華街へ依頼品を届けに行かなくてはならないので、先にそちらを済ませようと思ったわけである。……本当に、テオには手伝ってもらいたくて仕方がない。

 下町から繁華街へと至る坂道を上ると、そこはまるで別の街かのような賑わい。人混みはいっそう暑さを増すから近寄りたくないが、そうも言っていられない。手に提げる依頼品の入った袋がくしゃくしゃにならないよう、胸のところに抱えて人をすり抜けていく。


「ええと、依頼者は繁華街二丁目の雑貨店オーナー……と」


 テオから渡されたメモ書きに視線を落としつつ、雑貨店を目指す。繁華街の雑貨店など高くて入れたものではないが、多分、年頃の男女はああいう店を好むのだろう。残念ながらエリオットが欲しいと思うのは高くて綺麗なハンカチーフではなく、窓ふき用の雑巾である。


「ここだな……ん?」


 エリオットは、ふと足を止めた。そして眉をしかめる。

 エリオットの目の前にある目的の雑貨店の扉を開け、出てきたふたり――リオノーラとイアンである。


 ……もう一度言う。リオノーラとイアンである。


「おっ、おにいひゃまッ!?」


 リオノーラは驚きすぎて呂律が回っていない。イアンもぎくりとした様子で身を固めた。怪しい。


 この時期、学校は夏の長期休暇である。なので平日の今日にふたりが街をぶらついているのはおかしくないのだが、なぜこの組み合わせで――というのは激しく気になるところ。


「何してるんだ、ふたりで?」

「そ、そこでイアンとばったり会ったの! 偶然! イアンもこのお店に用があるっていうから、なんとなく一緒に入って一緒に出てきただけだよ!?」

「なんでそんな慌ててるんだよ」

「あの、エリオットさん……実はですね、リオノーラがエリオットさんの」

「わーっ!」


 あっさり話してくれそうだったイアンを、リオノーラが慌てて制する。イアンを押しのけて、彼女は真っ赤になった顔のまま大きく首を振った。


「とにかくなんでもないのお兄様三日後お家でご飯食べるんだよねすっごい楽しみだよ! それじゃ、行こうイアン!」

「あ、ちょっと!」


 一息で言ってのけたリオノーラと、彼女に引きずられる形のイアンはすぐ人混みの向こうに見えなくなった。挙動不審だった妹の姿に、エリオットは釈然としない思いを覚える。

 ――そういえばリオノーラは、イアンにも素で接するようになったのか。彼女が心を許せると思った人物がひとりでも増えてくれるのは、エリオットとしても嬉しい。イアンは優しいし、心配はないだろう。


「……にしてもあのふたり、いつの間にあんなに仲良くなって……」


 俺に隠し事なんてしなかったリオが、隠し事をしている。

 そのことに妙な気分を味わったエリオットだったが、すぐそのことは頭から振り払い、今しがたふたりが出てきた雑貨店の扉を開けた。途端にアロマか何かの匂いが鼻を突いたが、必死に堪えてさっさと事務的に用事を済ませた。出る間際にちらりと店内を見てみれば、女子が好きそうな可愛い小物もあれば、大人向けなのか落ち着いた雑貨を売るスペースもあった。


 ……こんな店に、リオノーラとイアンは何を買いに来ていたのだろう。





★☆





 ついにその日がやってきた。


 午前中に入った依頼は速攻で片付け、夕方ごろにエリオットはテオと共に店を出た。勿論チコも一緒である。残念なことに、伯爵家に呼ばれたというのに着ていく大層な服など持ち合わせておらず、結局普段着だ。伯爵のことだから気にしないとは思うが、少々情けない。


「にしても良かったのかな、俺までお呼ばれしちゃって」


 隣を歩くテオが不意にそう言うので、エリオットは苦笑した。


「伯爵がテオもって言ったんだぞ」

「そうだけどさぁ……やっぱりちょっと遠慮しちゃうっていうか」

「なんでだよ?」


 テオは行く手を見据えながら微笑んだ。


「これは君のためのお祝いだからね」

「祝い? 祝われるようなことは何も……」

「した覚えはなくても、君が今日という日にここにいてくれること。伯爵たちにとっては、それが喜ばしいことなんだよ」


 相も変わらず何か知っている様子のテオを不思議に思いつつも、二人の目の前には既にオースティン伯爵邸が見えていた。





「お帰りなさいませ、お坊ちゃま。ささ、どうぞこちらへ」


 すっかり親しくなった伯爵家の老執事セルウェイに案内され、ふたりは屋敷内のダイニングへ向かう。最初は『お帰りなさいませ』などと言われてむず痒かったものだが、もう慣れてしまった。『お坊ちゃま』呼びは何度言っても直らなかったので諦めている。今のエリオットには、帰る家がふたつあるのだ。


 セルウェイに促され、両開きのダイニングの扉を押し開ける。暖かいオレンジの光があふれ、それに目を細めながら中に入ると――。


 何かが連続して破裂する音が響いた。


「なっ!?」


 咄嗟に身構えたエリオットだったが、目の前にひらひらと落ちてきたのは小さな紙の破片と細長いテープ。呆気にとられて構えを解くと、視界を束の間遮っていた紙ふぶきも振り払われる。そこはかとなく漂う火薬の匂いの向こうで、満面の笑みを浮かべる人影が三つ。


「お兄様! お誕生日おめでとう!」


 リオノーラと、伯爵夫妻だ。手には今しがた打ったクラッカーが握られていた。彼女の声で、伯爵夫妻と室内にいた侍女たちが一斉に拍手をする。


「……どういう?」

「今日は八月一日。君の二十歳の誕生日だよ」


 テオがエリオットの隣に肩を並べて微笑む。


「君のご両親がそう言うんだ、間違いないでしょ」

「そ、そうだったのか……俺、自分の正確な年齢とか知らなかったから」

「良かったね、これでちゃんと分かったじゃない。おめでとう」


 おもむろにテオはポケットからクラッカーを取り出し、無造作に紐を弾いてそれを鳴らした。鼓膜に直接破裂音を叩きこまれたエリオットは飛び上がり、耳を抑えてよろめいた。


「あ、あんたなあ!」

「あははは、ごめんごめん。人に向けて鳴らしちゃいけませんって書いてあるねえ、このクラッカー」

「当たり前だろうがッ!」


 ――そんなエリオットの怒号から始まった夕食会、もといエリオットの誕生日会であるが、実に豪華なものだった。食卓にずらりと並ぶ料理は、それすべて伯爵夫人ナディアの手製であるという。いくら時間があっても、エリオットにはこれだけ多くの凝った料理を作ることなどできない。これが母の力か。給仕は侍女たちがしてくれたが、ナディアはせっせとエリオットらのために大皿の料理を取り分けてくれる。


「まだまだお代わりあるから、いっぱい食べて頂戴ねぇ」

「ありがとうございます」


 甲斐甲斐しく世話をしてくれる母に恐縮しつつ、エリオットは皿を受け取る。チコは空いている椅子の上で野菜を頬張っていた。すると、エリオットの正面に座るリオノーラがにっこりと笑った。


「お兄様、ご飯美味しい?」

「すごく美味しいよ」

「えへへ。そのスープね、僕が作ったんだよ」

「え!?」


 思わず声をあげ、白磁の深皿に満たされているトマトベースのスープに視線を落とす。特に違和感はなく普通に飲んでいた。まさか、以前殺人的に綺麗な青いスープを作り上げたリオノーラが、これを?


「といっても、お母様に手伝ってもらったんだけどね。美味しいでしょ、美味しいでしょ?」

「う、うん……驚いた。頑張ったんだな、リオ」


 えへへへ、と嬉しそうに笑うリオノーラを見て、ナディアが身を乗り出した。


「エリオット、お母さんの料理はどう? 美味しい?」

「は、はい、勿論。すごく」

「もうっ、敬語なんていらないのにぃ」


 息子にでれでれな母に、伯爵は呆れたように肩をすくめる。そして伯爵は、瓶から注いだ透明な酒のグラスをエリオットの前に差し出した。


「エリオット、これを」

「お酒ですか?」

「ああ、ネクタールと言ってな。古来は神の酒といわれていたものだ。今はその名残で、子供が成人した際に飲む酒ということになっている」


 伯爵はそう言いながら、もうひとつグラスを出してネクタールを注ぐ。それを差し出した先は、ここまで遠慮してかあまり口を開かなかったテオだ。これにはテオも目を丸くしている。


「君もどうぞ」

「あ……いえ、俺はもうとっくに成人していますので」


 微笑んで断ろうとしたテオだったが、伯爵はふっと目元を和ませた。


「ネクタールは基本的に成人の儀の際にしか口にしないものだ。『お前の成人を、自分は祝ってやれなかった。できたら、共に祝ってやってほしい』……と、とある方に頼まれてな。君は成人したとき、頑なに祝われることを拒んだそうじゃないか」

「……!」


 テオが息をのむ。それが誰なのかなど、言われなくとも分かる。テオが成人の祝いを拒んだのは、柄じゃなかったからか。言われるがままにグラスを受けとり、テオは溜息をつく。


「イザード……余計なことを」

「嬉しいくせに」

「……それ以上言うと、もう一度クラッカー耳元で鳴らすよ」


 珍しく脅されて、エリオットは肩をすくめる。伯爵はその様子を見て微笑み、グラスを持ち上げた。


「……おめでとう、ふたりとも」


 伯爵のグラスがすっと差し出される。エリオットは照れているのか赤い顔で、軽く自分のグラスを伯爵のそれにぶつけた。テオもそれに倣う。そしてそのまま、エリオットはネクタールという名の酒を口に含む。

 初めて飲む酒は、どことなく甘かった。





 食後はリビングへ移動してコーヒーを飲みながらの団らんとなった。ローテーブルを囲むように置かれたソファに座っていると、酷くアットホームな気分になる。

 エリオットはそれほど多く飲酒したわけではないので、ほろ酔いといった状態だろうか。とにかく少し気分は心地よい。横にいるテオはいつもと変わらない様子でコーヒーを飲んでいるので、酒には強いと見た。


 ソファの後ろに置いてあった何かを取り上げたリオノーラが、エリオットの隣に座った。そして、綺麗にラッピングされてある青い袋を差し出した。


「はい、お兄様」

「え?」

「開けてみて」


 言われるがまま、リボンを解いて袋を開けた。中に入っていたのはレザー製のベルトだった。少々変わった形状をしており、まるで二本のベルトを組み合わせたような形だ。しかしエリオットはそれを見慣れている。


「あ、あのね、僕ずっとお兄様への贈り物を考えてたの。でもお兄様ったら私物らしいもの何も持ってないし、趣味とか分かんないし、アクセサリーつけるような人じゃないのは分かってたし……そもそも、男の人に何をあげたらいいのかさっぱりだったし。だからね、イアンに付き合ってもらったの。一緒にいろんなお店に行って、プレゼント考えるのを手伝ってもらったんだ」


 そうか、あのとき雑貨店から出てきたリオノーラとイアンはそういう訳だったのだ。リオノーラは落ち着きなく手を握ったり開いたりを繰り返す。


「手芸はね、僕ちょっとならできるんだ……イアンにアドバイスもらって、作ってみたんだよ。剣を吊り下げるベルト……ちょっと不恰好だけどね」


 エリオットは常にベルトをしている。これはリオノーラが言う通り、剣を吊り下げるためのものだ。ベルトと剣の鞘に金具を取り付けることで、比較的簡単に剣は佩くことができる。しかしそのベルトは少々複雑な形をしており、魔装具が実用化されてからはめっきり市場に出回らなくなった。いまエリオットが使っているベルトは、武器商のスペンサーに作ってもらったものだ。もう何年も前のものなので随分古びている。


 立ち上がったエリオットはつけているベルトを抜き取り、リオノーラ手製のそれをつけた。今は剣を持って来ていないが、ベストな高さだ。いつの間にか測ってくれたらしい。

 不安そうなリオノーラの頭に手を置き、エリオットはそのまま彼女の黒髪を軽くくしゃくしゃにした。


「ありがとう。大事にするよ」

「……うん!」


 と、そんなエリオットの肩に急に何かが被せられた。驚いて振り返ると、そこに母が満面の笑みで立っている。肩にかけられたのは、真新しい茶色のコートだ。


「母さん、このコートは……」

「ふふ、それは私からのプレゼント。季節感ガン無視してることは気にしないでね?」


 真夏にコートの贈り物だ、確かに季節感はない。


「貴方が以前うちに来たとき着ていたコートがあるでしょ? すごくぼろぼろになって……貴方が物を大切にしているのは分かるのだけれど、もう着替えてもいいんじゃなくて?」

「君のコート、もう防寒着にも防護服にもなりそうにないもんねえ」


 膝の上で丸まるチコを撫でながら、テオが苦笑する。着古したコートは身体に馴染んで良かったのだが、どうやら母もその点は考慮してくれたらしい。同じ生地質の、同じタイプのコートを見繕ってくれたらしい。これは有難い。


「ほら、貴方も! エリオットにプレゼントを用意していたのでしょ?」

「う、うむ……」


 ナディアに促され、伯爵が歯切れの悪い返事をする。そのまま待っていると、どんとテーブルの上に大きな箱が置かれた。両手で抱えなければ持てないくらいの大きさだ。

 気まずいのか、伯爵は頭を掻く。


「その、あれだな……息子に何を贈ればいいのか見当もつかなくてな。この間釣りに行ったとき、鍋を新調したいとか言っていただろう……だから、鍋だ」

「な、鍋!? お父様、それはさすがにちょっと……」


 呆れ気味のリオノーラだったが、エリオットは「おお!」と目を輝かせた。


「本当ですか!? 嬉しいです、うちにあるのはもう底が錆びついちゃってて!」

「……お兄様が喜んでるからいいけどさぁ」

「エリオットくーん、そんな仔犬みたいに喜ばれると、まるで我が家が貧乏みたいじゃないですか」


 テオも苦笑してそう突っ込む。父からの誕生日の贈り物が鍋というのも斬新だが、何気にエリオットはそれを一番喜んだようだ。さすが主夫。


 こうやって誰かに祝ってもらえるのは――なんて、幸せなことだろう。



「ありがとう、リオ……母さんも、……父さん(・・・)も」



 それは酔った勢い、という要因もあったかもしれない。





★☆





「しかしまあ、面白い誕生会だったね」


 夏であろうと、ここは北国ベレスフォード。夜風は冷たく、酔いが醒めるのも早い。

 綺麗に畳んだコートを入れた手提げの袋をぷらぷらと揺らしながら歩くテオの横で、エリオットは鍋の箱を両手で抱えている。さらにその箱の上にチコが乗っているので、夜で暗いということもあり、前が全く見えなくて困る。


「面白いのか、あれ?」

「面白いよ。型破りすぎるよね、君たち一家は。ほんと、見ていて飽きないよ」


 歩いているうちに、いつの間にか上流階級区は抜けて繁華街へ。さらに路地に入れば、そこは街灯も少ない下町居住区。


「……八月一日。今日が、俺の生まれた日なんだな」

「そうだね」

「覚えておかなきゃな」


 下り坂に入り、エリオットは慎重に足元を見ながら歩を進める。


「こんな風に祝ってもらえたの、初めてだから嬉しかったな……」

「これからは毎年、みんなが祝ってくれるよ」

「……そうか」


 やがて万屋の店の前に到着し、テオはポケットから鍵を取り出す。夜のこの一帯は、ひどく静かだ。

 玄関を開けて室内に入り、壁にある光源系魔装具のスイッチを肘で押す。行儀は悪いが、両手が塞がっていたために致し方ないとする。リビングのテーブルに鍋の入った箱をおろし、エリオットは溜息をつく。


「にしても、随分高そうな鍋もらっちゃったな……」

「こらこら、もらったものの値段の話なんてしないの。結局は気持ちなんだからさ」

「気持ち、か。……うん、もらえたものはなんだって嬉しいよな」

「そういうこと。ってなわけで、はい、俺からのプレゼント」


 思わぬ言葉に、驚いてエリオットが振り返る。エリオットより少し遅れて室内に入ってきたテオの手には、大きな花束があった。おそらく玄関脇にでもバケツを置いて活けていたのだろう、濡れた茎を布で拭いている。


「な、なんだよその花」

「ん? お祝いの花束」

「……めっちゃ手抜きだな」

「あ、失敬な。これでもちゃんとお花屋さんに行って束ねてもらったんだよ。お金かかったんだよ?」

「値段の話するなって言ったの誰だっけ」


 花束をもらったところで、部屋に飾るしかないじゃないか。そう思ったのだが、エリオットはしばし沈黙する。


「……大事なのは気持ち、なんだよな」


 呟きつつ、テオが差し出す花束を受け取った。香る花の匂い。土や草の匂いと慣れ親しんで育ってきたエリオットには、懐かしい感覚。



「――サンキュ。ちゃんと花瓶に入れて、活けておかないとな」



 守銭奴のテオが、わざわざ自分のために時間を割いてくれたのだから。

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