File five 人の経歴は複雑です。
本当に、みんな俺の想像もつかない人生送ってるんだな。
★☆
燦々と降り注ぐ太陽の光。青々と茂る芝生。木陰といったら広げたパラソルの下くらいしかなく、すぐ近くで火を使っていることもあって非常に暑い。
肉の焼ける音のみが響き、煙が上空へと上がっていく。同時に感じるのは、夏の暑さにも負けない食欲をそそる香り。
「うーん、これぞ夏って感じだねぇ」
パラソルの下に置いた木製の椅子に座り、アイスコーヒーを片手にテオがしみじみと呟く。同じく木製の大きなテーブルを挟んだ向かい側に、申し訳なさそうな表情のイアンがちょこんと座っている。テオの隣には、レタスの葉をもそもそと食べているチコを抱えているリオノーラがいる。
少し離れた場所ではバーベキューグリルがフル稼働しており、焼き網の上で肉や野菜がじっくり焼かれている。肉をひっくり返したり取り分けたりをしているのは、もちろんエリオットである。直火にあたっているので、エリオットの額にはじんわりと汗が浮かんでいる。
そして、テーブルとグリルの間に仁王立ちし、怒りも相まって顔を真っ赤にして汗だくになっている中年男性がひとり。
「どうして私が、貴様らのバーベキュー代を工面せにゃならんのだッ!」
話は一時間ほど前に遡る。
ベレスフォード共和国で開催された各国首脳会議と、それに先立って行われた歓迎式典。その際に発生したブリジット王国の国王を狙ったテロから、今日で一週間が経過した。
勿論、テロを未然に防げなかったベレスフォード側にも落ち度がある。幸いにして死者はなく、怪我人も擦り傷や打撲程度であり、犯人のグループもみな逮捕されたが、今まで以上に市内の警備は厳重となった。それまで治安維持隊が行っていた警備を、実戦部隊が引き継いだほどだ。
テロの首謀者であった男は起訴されることになったが、その原因を作ったブリジットの国王もまた法の裁きを受けることとなるだろう。そういう点では、テロを起こした目的は達したということである。
波乱の幕開けとなった首脳会議であるが、その後は万事予定通りに進み、無事に閉会を迎えることができた。この期間が一週間だ。
この間、イザードは市中の警備に忙しくしていた。イアンも閉会の際に少しばかり演奏があるとかで練習に明け暮れていたし、リオノーラに至ってはオースティン伯の言いつけで一週間屋敷から出られなかったという。
そうして首脳会議も終了したこの日、どういう偶然か三人は揃って下町の万屋を訪れたのである。リオノーラは兄の無事を自分の目で確かめるために、イアンは助けてもらった礼を言うために、イザードは現状報告をしに、だ。
意図せず集まってしまった三人を出迎えたテオは、一通り彼らを見据えてこう結論を出した。
「よし、せっかくだし全員でお昼食べよう。エリオット、裏の倉庫にバーベキューグリルあるから、出しておいてくれる?」
「は? あ、ああ」
「それじゃイザード、お肉とか野菜とか買って来てね!」
「なんだとぉ!?」
という理不尽な訳であった。
まあ、それで大人しく買い物に行ってくれるイザードもイザードだ。基本的にテオには甘いのか、それとも言われたらきちんとやってしまうお人好しタイプなのか。下町暮らしのエリオットやテオには年に一度お目にかかることができるかできないかというほど高級な肉を買って来てくれて、エリオットがそれを調理したのである。
買い物に行ってから文句を垂れるので、いささか順序が逆な気がしないでもないが、イザードの不満はもっともである。
アイスコーヒーのコップを机に置いたテオはにっこりと微笑んだ。
「だって式典の時、俺たちに『協力』を『依頼』したよねぇ? これはその報酬だよ、お金で要求しなかっただけ有難く思ってほしいな」
「あの時貴様は『冗談だ』と言ったではないかッ! それに、助力の報酬は大統領からオースティン伯爵経由でいっているだろう! それも多額の金貨がッ!」
「あれはあれ、これはこれ。大体ねぇ、ちゃんとお遣いしてきてから文句言うなんて見苦しいよ? イザードのお昼でもあるんだから、楽しくバーベキューパーティしようじゃないか、あははは」
「き・さ・まぁ……」
……イザードでなくともイラッとするところだ。
エリオットはいつものやり取りに溜息をつきつつ、無言で肉や野菜をトングでひっくり返していく。イアンはイザードに向きなおって深々と頭を下げた。
「すみません、僕までお邪魔しちゃって……」
「イアン殿やリオノーラ殿に落ち度はない。すべてはこの堕落男のせいだッ!」
「え? 僕、何も申し訳ないとか思ってないよ?」
「……お嬢さん」
けろっと言ってのけたリオノーラに、イザードも言葉に詰まった。リオノーラはテオ越しに、黙々と肉を焼いているエリオットに呼び掛けた。
「それよりお兄様ぁ、本当に大丈夫だったの? 式典のテロに巻き込まれたって聞いて、僕この一週間気が気でなかったんだよ」
「……」
「お兄様?」
「――え、あ、ああ。大丈夫だよ、怪我ひとつしてないから」
我に返ったエリオットが、慌てて顔を上げて微笑んで見せる。リオノーラは安堵したように頷いたが、テオはじっと横目でエリオットを見つめている。
調理に集中して妹の声が聞こえなかったという風には見えない。何か考え事をしていた、そんな様子だ。
レタスの葉を食べ終えたチコが、おかわりをせがみに芝生の上を一生懸命走って行った。するするとグリルをよじのぼっていくところを、呆気なくエリオットに首根っこを掴まれて阻止される。エリオットの目元まで持ち上げられたチコがばたばたと暴れる。
「こら、焼きリスになりたいのか」
「キュゥっ」
「いてっ、おいっ、蹴っ飛ばすな! レタスならまだあるから!」
暴れたチコの足が顔面を直撃し、エリオットはチコを調理台の上に下ろした。そのまま、チコのために用意していたボウルからレタスの葉を取り、チコに差し出す。念願のおかわりを手に入れたチコは、エリオットのすぐ傍で一心にレタスをかじりだす。
やれやれとエリオットはトングで肉をひっくり返す。それを見ながら、リオノーラが瞬きをする。
「そういえばお兄様、チコが傍にいてももうアレルギー症状出ないんだね?」
「え? ……ああ、そうかもな。毎日一緒にいたから、嫌でも慣れたのかも」
それを聞いたチコが、レタスを両手に持ったままばっと高くジャンプして、べたっとエリオットの顔面に張り付いた。突如そんなことをされては、反射神経が優れているエリオットであろうと避けられるはずもない。
「ぶっ!? ちょっ、やめっ……!」
「うーん、荒療治の効果はすごいねぇ。以前だったら、もう既にクシャミ連発だったよね」
しみじみと呟くテオの横で、堪え切れずにリオノーラとイアンが笑いだす。イザードは呆れたように肩をすくめて椅子に腰をおろし、焼き上がったソーセージを食べ始めた。どうやら腹を括ったらしい。
やっとのことでチコを顔面から引き剥がしたエリオットは、憮然として皿に肉や野菜を乗せていく。それをテオに渡してから、焼き網の空いたスペースに新たな肉を投入した。
一週間も前の出来事など、日々めまぐるしく生きている人間たちにとっては遠い過去の話かもしれない。現に、テロがあったことなど気にすることもなくリオノーラやイアンは平然としている。犯人が拘束されたというのも、心情的に安堵をもたらしたのではあろうが。
エリオットとて気にしているわけではない。せいぜい「酷い目に遭った、人死にが出なくてよかった」程度である。だがどうしても、忘れられない光景がある。
意識して考えないようにしても、頭の端っこにちらつく影。気付けばそのことばかり考えている。まるで瞼の奥に焼き付いてしまったかのように、鮮明で。忘れようとしても、尚更忘れられない。テオやリオノーラたちとの他愛無い会話をしていても、そちらに集中できない。彼らの言葉が聞こえても、脳がそれを理解してくれない。
もやもやする。まるで魚の小骨が喉に刺さったような気分。どうにかして解決したい、自分一人ではこの靄が晴れないのは分かっている。それでも、テオにすら何も相談できないのは――知るのが怖いから。
「エリオットくん」
至近距離でテオの声がして、さすがにエリオットも現実に引き戻された。さっきまで座っていたはずのテオが真正面にいる。焼き網からあがる煙のせいで、少々対面式に話すのが難しい。
「なんだ? 肉はまだ焼けていないぞ」
「そうじゃなくて。君、さっきから肉ばっかりひっくり返して、横のトウモロコシが焦げそうだよ?」
「え? ……わ、わーっ!」
道理で、煙の量が尋常でないと思っていたよ。
★☆
食べるだけ食べて、イザード、リオノーラ、イアンは帰って行った。一体何をしに来たんだと突っ込みたくなるくらい不思議な面子が揃ったものだが、たまには大勢の食事も楽しいものである。四人と一匹の食事の世話をするエリオットからすればたまったものではないが。
グリルを洗い終えて庭から室内に戻ると、テオはのんびりとソファに座っていた。満腹になったチコは、テオの膝の上で丸まってお昼寝の時間である。チコの身体に青いハンカチのようなものが布団代わりにかかっているが、正直必要ないと思う。
入ってきたエリオットに気付いたテオは顔を上げ、自分の対面にあるソファを指差した。
「エリオット、ちょっとそこ座って」
「?」
訝しみながらも言う通りにすると、テオは少し微笑んだ。
「……ここ最近、ずっと何を考えてるの?」
「何、って……」
「見ていればわかるよ。式典の騒ぎの後からだよね? あの時何があったの?」
口ごもるエリオットに、テオはさらに言葉を投げかける。
「君が前に言ったんだよ。『妙な気を回されて、隠し事をされるのは気に食わない』って」
「……ああ、言ったな」
一度大きく溜息をついたエリオットは腹を決め、こう切り出した。
「なあ……大統領の息子は、本当にカーシュナーだけなのか?」
「カーシュナー?」
急にその名が飛び出して、さすがのテオも驚いたらしい。しかしすぐ、腕を組んで答える。
「少なくとも俺は、カーシュナーに兄弟はいないと認知しているよ」
「はっきりしてないのか?」
「その手の話をカーシュナーとはしなかったんだ。はっきりと彼の口から『自分は一人っ子だ』と聞いたわけでもないしね。……そういえば君は、大統領に見覚えがあると言っていたね。知り合いに似ているの?」
エリオットは頷いた。
「傭兵団の仲間だったイシュメルによく似ている。そっくりだった」
顔も、立ち姿も、雰囲気も、声も――何もかも。
ジェイク傭兵団を支え、エリオットに勉強を教えてくれた、あの優しいイシュメルと瓜二つだ。
テオは膝の上のチコをそっとソファに下ろし、立ち上がった。リビングにある棚の引き出しを開け、奥から一枚の写真を取り出す。それは、エリオットの見知らぬ青年を写した古い写真だった。振り向きざまいきなり写真を撮られたのか少し驚いたような表情で、しかし優しい微笑を湛えて。
「これがカーシュナー。このときの彼は確か二十歳だよ」
「……やっぱり似てるなあ」
カーシュナーがもっと年を取ればイシュメルの落ち着きを手に入れるだろうと思うほど、記憶の中にあるイシュメルと写真の中のカーシュナーは似ている。要するに、ふたりとも大統領にそっくり。
「イシュメルさんって、四十歳前後だっけ? 生きていればカーシュナーは三十二……兄弟としてなくはない年齢差だね」
「だな……」
チコにかけていた青いハンカチを取り上げたテオは、綺麗にそれを折っていく。
「調べてきたら、エリオット?」
「え?」
「気になるでしょ、もやもやして。上の空で依頼を受けて、怪我でもされたら大変だからね」
「でも、そうしたら仕事が滞る……」
「俺が気になる」
断言したテオに、エリオットが唖然とする。
彼は畳んだハンカチをエリオットに差し出す。訳も分からず、それを受け取った。
「君、ちょっと剣の整備怠ってたでしょ。繁華街の武器商に頼んでちょっと見てもらってきな」
「武器商……」
「それから、ついでにそのハンカチを治安維持隊のナントカっていうおじさんに届けておいで、『忘れ物だ』って」
テオは茶目っ気たっぷりに笑って、そう言うのである。
「これは俺から君への依頼。報酬は、今日の夕飯を俺が作るってことで」
繁華街で武器商を営む男。それは元傭兵でエリオットの恩師ジェイクの兄である、スペンサーに他ならない。ジェイクの片腕だったイシュメルのことを、スペンサーは多少なり知っているだろう。
「スペンサー、久しぶり。ちょっと聞きたいことが――」
「おいエリオット、俺はお前の知恵袋か」
店の扉を開けるなり質問を投げかけたエリオットに、スペンサーはさすがに呆れているらしい。確かに、傭兵関係について疑問があるときしか、スペンサーを訪ねていなかった気がする。もっとも、昔から親しい父のような人なので、今更遠慮も何もない。
手短に事情を告げ、イシュメルの出生について知っているかと問うと、スペンサーから返ってきた答えは『否』だった。
元々スペンサーとジェイクの兄弟は、首都で生活する一般市民だった。イシュメルは、気付いたらジェイクと親しかったと言うのだ。幼いころから高貴なオーラを出しまくりだったらしいイシュメルだが、生まれについては何も話さなかったという。とにかく、スペンサーは何も知らないのだ。
ジェイクが傭兵になると言い出したときにイシュメルも付き従った。貴族と傭兵は相容れぬ存在であるから、おそらくイシュメルは傭兵になると決めた際に実家と縁を切っただろう。それがスペンサーの推測だった。
めぼしい情報はなかったが、それでもエリオットには十分だった。スペンサーに剣も研いでもらって、大満足である。エリオットも自分で剣を研ぐことはあるが、さすがにスペンサーには敵わない。
その後エリオットは繁華街を移動した。次の行き先はイザードのところだ。イザードは一応身分のある生まれで、繁華街を抜けたところにある住宅街に住んでいるらしい。イザードを一人で訪ねるのは初めてなので、ちょっとした緊張もある。
★☆
たどり着いたのは閑静な住宅街。
……否。
閑静な高級住宅街だった。
「うわ……でかい家……」
表札に『シェルヴィー』と書かれた、門のある豪邸。隣近所の家と見比べても、一際大きな規模だ。オースティン伯爵邸には及ばないかもしれないが、あのイザードの生家だと思えば驚きも増すと言うものだ。
へえ、本名はイザード・シェルヴィーって言うのか――とぼんやり思いつつ、呼び鈴を恐る恐る押してみる。……呼び鈴を押すなんて、庶民のエリオットには縁の薄い動作である。
すると門が内側に開き、白髪で小柄の老人が姿を見せた。温和そうで、いかにも執事といった様相の――。
「どちら様で?」
朗らかな笑顔で訊ねられ、エリオットは思わず硬直する。
「あ……え、えっと。エリオットといいます、イザード……さんに、取次ぎをお願いできませんか」
うわ、訪問するときの挨拶ってなんだっけ?
ぎくしゃくしてしまったエリオットに、執事の老人は「しばしお待ちを」と告げて屋敷の中へ戻っていく。程なくして再び門が開いた。
「若旦那様がお会いになられます。どうぞ」
「若……っ!?」
思わず突っ込みたくなったが、エリオットはなんとか自制した。まあ、そうだろう。イザードの父がこの家の主なのだろうから、息子のイザードが若様なのは当たり前か。
広く長い廊下を進み、とある一室へ通される。そこには所せましと書架が並んでおり、だいぶひんやりした空間だった。書庫のようだ。
執事に言われるまま、書庫の奥に進んでいく。書架に沿って曲がると、あの巨体と行き当たった。
「うわっ」
「エリオット、お前どうした?」
案外静かなイザードの声に、エリオットは落ち着きを取り戻す。少々挙動不審だったようだ。
「あ、あれだ、これ返しに」
テオに渡された青いハンカチを差し出すと、それを受け取ったイザードは盛大に舌打ちをした。
「……なくしたと思っていたら、テオが取っていたのか! まったく。……わざわざすまなかったな、エリオット」
「いや、こっちこそ押しかけて悪かったよ」
最近思うのだが、テオがいないとイザードはひどく穏やかだ。頼りがいがありそうに見える。錯覚ではないと思うが。
「なんだ、なにを緊張している?」
「い、イザードってそういえば上流階級者なんだったと思いだして」
「妙に委縮をするな! 我が家は元々しがない商家でしかなかったのだ、気にするんじゃない」
そう言われても。
エリオットは気を取り直し、本題に入った。ハンカチを返すというのは、テオにもらった口実だ。
「ところでさ、イザード。ひとつ聞きたいことがあったんだ」
「ん?」
「イザードは……イシュメルって人を知ってる?」
イザードが沈黙する。この静かな書庫で、通常よりも重苦しい静寂がのしかかった。
「……エルバートの兄のか?」
だからこそ、その言葉が聞こえたとき我が耳を疑ったものである。
「兄……?」
「テオの奴がカーシュナーと呼ぶ男の兄。そいつの名前がイシュメルだ。私の幼馴染でもある」
「え? ……え!?」
頭が混乱したエリオットを、「まあまあ」とイザードは落ち着かせる。書庫の壁際に置いてあったソファに座らせ、イザードはその正面で床に積み重ねた本の上に腰を下ろす。
元々、イシュメルはカーシュナーの血縁ではないかと睨んでエリオットは調べていたのだ。イザードの言葉はエリオットが待ち望んだものであったのだが、それとこれとは別である。やはり、断言されると困惑してしまう。
「けど、カーシュナーは一人息子なんじゃ……」
「それはな、大統領が政界で頭角を現すより前に、イシュメルがブロウズ家から勘当されたからだ」
イザードは適当に、書架から引き抜いた本をぱらぱらとめくっていく。
「三十年近く前までブロウズ家は無名の一家だった。それが彗星のごとく現れ、あっという間に大統領に当選した。脚光を浴びるようになったのはそれからだ。だからそれ以前の家庭事情なんざ誰も知らない」
「イシュメルが勘当されたのはちょうどその頃ってことか?」
「ああ、地位を捨てて十代半ばで傭兵になったと聞いている。おかげで、イシュメルの戸籍を消してエルバートを『長男』と偽ることができたわけだ」
ということはつまり、イシュメルは最低でも四十代半ばということか。……若作りにも程がある。見た目より多めに見積もっていたつもりが、甘かったようだ。年齢不詳というのは恐ろしい。
「エルバートとイシュメルは年も離れていたし、エルバートの物心がついたときには既にイシュメルとは絶縁状態だったらしい。見たことのない兄貴に、そこまで気を留めなかったそうだぞ」
「でも、イザードとイシュメルは同年代でしょ?」
「私の方がいくつか年下だがな!」
むきになって強調するイザードに思わず苦笑する。ここまで話しているとイザードも大体事情を察したらしく、ちらりとエリオットを見やる。
「……要するに、お前はイシュメルと知り合いなんだな?」
「知り合いも何も……俺の師のひとりだ」
「そうか……」
イザードは細く長く息を吐き出した。
「イシュメルは昔から、政界に進もうとするアレクシス大統領が気に食わないと言っていた。大統領選挙の時の公約は『エネルギー転換』だったから、大統領からすれば傭兵という存在は消し去りたいものだった。傭兵に憧れていたイシュメルは、それで家を出たんだとさ」
「……」
「それ以来私はイシュメルの足取りを知らん。……エリオット、奴はどうしていたんだ?」
そう聞かれて、エリオットは答えた。イシュメルと過ごした二十年間を、彼に教えてもらったことを思い出しながら。ジェイクが『教える』ということに関して不得手だったため、そういったことはすべてイシュメルから学んでいた。剣の扱いの基礎も、文字の読み書きも、人として守るべき礼儀も、何もかも。エリオットを真人間にしてくれたのはイシュメルだ。
最期には、その身を以ってエリオットを守ってくれた大切な師。
聞き終えたイザードは訳もなく髪の毛を掻き回した。
「皮肉なもんだな。早々に長男を失って、残った次男をなんとしでも守ろうとしていたというのに、その次男まで父親に反抗したのだから」
大統領のことか。父親としての情なのかどうか知らないが、事実を隠蔽してまでカーシュナーのことを守った大統領だ。イシュメルとカーシュナー、ふたりそろって父に背いたなど、確かに皮肉以外の何物でもない。
――もしかしてイシュメルを勘当したのは、イシュメルを自由に生きさせるためなのだろうか。
イザードは立ち上がると、エリオットの頭をぽんぽんと二回叩いた。言葉は何もなかったが、エリオットには十分伝わる。『よく無事だったな』と――そんな意味ではないだろうか。思えばイザードに、エリオットが傭兵をやめた理由を話したのは初めてだった。
そして同時にイザードは、生存を密かに信じて期待していたもうひとりの幼馴染を、いま永遠に失ったのだ――。
「不思議な縁だな。世界というのは、案外狭い」
「……ああ、本当に」
感慨深げなイザードに、エリオットは短く答える。それ以上多くを語ると、声の震えがばれてしまいそうだったから。
「私がなぜエルバートを守ってきたか分かるか」
「え……?」
「勿論、エルバートも私の幼馴染だ。だが、イシュメルは首都を去る前に私に言った。エルバートを頼む、と」
「……」
「そうして私が見守ってきたエルバートが、テオを見つけた。その時に同時にイシュメルはお前を見つけていた。そう思えば……お前とテオの出会いも、偶然じゃないのかもな」
……運命なんて信じない。
それでも、この狭い世界の中で、知らずイザードを媒介にしてみなと出会っていたということは、真実なのかもしれない。その出会いには、感謝している。
「……ありがとう、イザード」
★☆
帰宅したのは、すっかり日が沈んでとっぷりと夜になったころだった。玄関を開けると、ソファに座って本を読んでいたテオが顔を上げた。
「お帰り」
「ただいま、ごめん遅くなった」
「いいよいいよ。ご飯食べる? 今日はね、頑張ってシチュー作ったんだよ」
「おい、この真夏になんでシチューだよ」
「お肉安かったから、つい」
テオはキッチンに入ってシチュー鍋を温めはじめた。疲れて食卓に座り込んだエリオットに、キッチンからテオが声をかける。
「どうだった?」
「……やっぱりイシュメルは、大統領の息子なんだそうだよ。イザードに聞いた」
ぽつりぽつりとその話を終えるころには、エリオットの前にシチューとパン、サラダが出揃っていた。相変わらずコーヒー片手にエリオットの対面に座ったテオは、「ふぅむ」と唸る。
「カーシュナーに兄なんていたんだねぇ……」
「テオは本当に知らなかったのか?」
「うん、全部初耳」
サラダをフォークでつつきながら、エリオットは呟く。
「……でも、ちゃんと知ることができて良かった。もやもやしていたのもなくなったし。迷惑かけて悪かったな」
「迷惑なんてかかってないよ。気持ちが落ち着いたようでよかったね」
エリオットは素直に頷いた。大統領の息子だったなど意外も意外だが、受け入れることはできた。こうなれば、エルバート・C・ブロウズという人にも会ってみたかったと――エリオットは心からそう思う。
アイスコーヒーを口にしながら、テオは心中で思う。
以前から考えていたことではある。だがそれをエリオットに伝えるのは、いらぬ期待を彼に抱かせてしまうのではないかと思い、ずっと言い出すことができなかった。優しいエリオットは、きっと一生懸命になってしまうだろうから。
エリオットが目の前で見たのは、団員のひとりと、ジェイクが殺されるさまのみ。
イシュメルをはじめとする者たちは、エリオットを逃がすために身体を張ったという。
そしてエリオットがテオとともに現場に戻ったとき、誰ひとりそこにはいなかった。それはテオも確認している。
――殺されたところを、見ていない。
それはつまり。
ひとりくらい、逃げ延びている者もいるのではないかという仮説だった。
しかしそんなことを告げるのは、あまりにも酷というものだ。エリオットは既に仲間の死を受け入れ、乗り越えようとしている。いま、「もしかしたら彼らは生きているかもしれない」などということを言って何になる。確証もないことを口に出すのは、憚られたのだ。
この件については黙っておこう――テオはそう心に決めた。




