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万屋ですがなにか。  作者: 狼花
VOLUME Ⅱ
26/53

File four 式典の際はご注意を。

 

 

 

 言いたいことは分かるが、やっぱりそれは違う。





★☆





 さて、今日の朝食は何にしよう。キッチンに立ったエリオットはエプロンを身につけつつ、片手で器用に冷蔵庫を開けて食材を確認する。

 エリオットの朝食のレパートリーなど、たかが知れている。それでも出来るだけ毎日違うメニューを出したい。そう思うのは、単に自分が同じ料理ばかりだと飽きるからなのだが。


 夏になったけれども、テオもエリオットも「夏だから食欲がない」なんてことはない。朝から甘いものであろうとどんとこいである。

 作った生地をフライパンの上で熱していく。パンケーキだ。手際よく何枚か仕上げて皿に盛り、同時進行で湯を沸かし、さらにベーコンを焼く。


 皿にパンケーキを三枚重ね、焼いたベーコン、彩りで野菜を添えていく。最後にバターと蜂蜜をパンケーキの上に落とせば完成だ。

 あとは、昨日買ってよく冷やしておいた桃を切り分ければ完璧。配膳して、まだ巣箱から顔を出さないチコに食事をやってからテオを叩き起こせば、また同じ一日が始まっていく。


 そう思いつつ桃の皮を剥いていたのだが、急に物音がしたのでエリオットは顔を上げた。見れば、リビングの入り口にテオが立っている。


「おはよ、エリオット」

「おう。なんだ、あんた人に起こされなくても起きれるんだな」

「いや、今日が例外だよ」

「そこは否定しろよ」


 まだ眠気が覚めないのか、ふらふらとキッチンに入ってくる。テオはそのまま棚からインスタントコーヒーの瓶を取りだして蓋を開けた。


「さすがに今日、寝坊して遅刻とかは洒落にならないからねぇ」

「まったくだよ。コーヒー飲む前に顔洗ってこいよ、寝癖酷いぞ」


 桃を皿に盛りつけつつ、エリオットは苦笑した。


 テオがひとりで起きてきた特別な今日――。

 このベレスフォード共和国の首都コーウェンに、各国の首脳が集まって会議が行われる。

 その歓迎の式典で、イアン・コールマンがコンサートマスターを務める学生管弦楽団が、演奏を行うのである。テオとエリオットは、それを見に行く約束を数か月前から交わしていたのだった。





 年に一度、この時期に開かれる首脳会議。

 開催地は年によって異なるが、今年はベレスフォードが会場である。首都コーウェンにある大統領府に、大勢の他国人が集まることになる。この国の品位を見定められることにもなり、国の上層部では緊張が高まっている。それゆえに、学生の管弦楽団も気を抜くことができない。


 その中にあって、イアンは比較的落ち着きを保っていた。生来静かな性格の彼であるが、コンサートマスターという大役を任されているにもかかわらず、その落ち着きぶりは異常なほどであったかもしれない。黙々とヴァイオリンの整備を行い、準備をしている。


 この日の歓迎式典は、大統領府に至る一直線の大通りで行われる。ここを続々と、各国の首脳が馬車に乗って進むのだ。今時は車を使えば良かろうが、昔ながらの慣習でこのときばかりは馬車が使われる。管弦楽団は大統領府傍で演奏を行い、その横でベレスフォード共和国の大統領、そして外交官であるオースティン伯爵などが出迎える。

 民衆たちも式典に参加することはできる。普段見ることのできない各国の首脳陣や豪華なオーケストラを一目見ようと、道端を民衆が埋め尽くすさまは容易に想像できた。


 それを見越して早めに出かけたはずのテオとエリオット、そしてチコであったが、式典の開始まであと一時間以上あるにも関わらず大通りは混雑していた。警備軍が民衆を大通りへ出さないように身体を張っているのは、ご苦労様としか言えない。警備に当たっているのは治安維持隊が主であろうが、さすがに隊長のイザードは現場にいない。


「うわあ、混んでる。みんなそんなに見たいのかなあ、どこかの国のお偉いオジサンたちを」

「ここに来ている俺らが言うのもなんだが、物好きだな」


 テオがすいすいと人混みを掻き分けて前へ出る。エリオットは、肩に乗せていたチコをポケットに移し替えてそのあとを追いかけて行く。二人の目的は各国の首脳でも自国の大統領でもなく、友人イアンの勇姿を見ることであったから、なるべく大統領府の方へ近づきたい。


 なんとか先頭の方へ出ると、遠目ながら大通りの向かい側で準備を行っている学生管弦楽団の姿が見えた。指揮台のすぐ左側に着席しているのがイアンだ。他の学生たちががちがちに緊張しているのが見て取れる中、イアンは顔色一つ変えていない。


「な、なんか妙に落ち着いているな……」

「興奮とか気持ちの高ぶりとかって、心の内で燃やすタイプなんじゃないかな」


 そういえば、いつだってイアンは微笑んで朗らかだった。一緒に行動しているときだって一歩下がってみなを立てているし、一番大人びているのではないかとエリオットは本気で思う。

 だがそうすることにはそれなりの度胸が必要だ。肝が据わっていなければ、大舞台で平然としていられない。平民の子でありながら出世を遂げる彼は、やはり強い。


 やがてイアンはヴァイオリンを構え、一つの音を響かせた。少し間が空き、様々な楽器が同じ音を発する。音合わせをしているそうだ。大勢の学生をまとめて指示をしているイアンは、大層立派に見える。


 コンサートマスター。第一ヴァイオリンのトップ奏者。演奏をとりまとめ、自らが楽団の手本となる。時には指揮者の代役すら務めあげる。名実ともに最高のヴァイオリニストだ。

 ごくごく自然に会話を交わす仲であるイアンがその名を持っているということが、なぜかエリオットに不思議な感慨をもたらす。つい数日前に、ゲテモノを食べて笑いあっていたのが嘘のように、今のイアンは凛としている。


 と、テオがエリオットの肩を叩いた。そちらに顔を向ければ、テオは無言で大統領府のほうを指差した。さらにその指を目で追うと、大統領府から数名の人間が出てきた。

 まず先頭に立つのはきっちりとした正装の男性。おそらく年齢は六十代から七十代か。しかし頭髪に白髪らしいものはなく、腰はまっすぐで姿勢が良い。威厳というか貫禄というか、そういった風格が漂っている品の良い男性だ。


「あれがベレスフォード共和国の大統領、アレクシス・D(ダレル)・ブロウズ。大統領選挙で六期連続当選した、有能な政治家さんだよ」


 テオの説明を受け、もう一度改めて大統領を見る。

 この国の大統領は国民投票で決定し、その任期は六年と定められている。今の大統領アレクシスが初めて当選したのは今から二十七年前。それから任期満了を迎えて行われた次の大統領選でも、圧倒的な支持を得てアレクシスは選出された。現在は六期目、任期は残り三年である。しかし、次の大統領選でも当選するのではないかと言われている一方、もう出馬はしないのではないかという噂もある。


「ってことは、カーシュナーの父親……?」

「そういうことだね」

「っていうか、六期も連続で当選するって、何か裏があるんじゃないのか?」

「そう思うのが普通なんだけど、実際は何もないんだ。確かに政治家としてあの人の右に出る者はいない。この国は変革よりも保守を選んだ、そういうことだよ」


 人格者かどうかは別だけどね、とテオは付け加える。魔装具の実用化を推し進めたのはアレクシスであるし、そのためにテオを強制的に協力させたのも彼だ。息子であるカーシュナーの不祥事をもみ消したのも然り。政治に個人の意思は必要ではないのだ。

 テオの言う通り、彼より優れた政治家はこの国にいないのかもしれない。だがその政治体制は共和国でありながらさながら「支配」であり、老齢のアレクシスが死ぬなり引退なりしたあと、この国はどうなるのか。有能な人間に頼り若手を育成してこなかったベレスフォードの未来が混沌としているのを、エリオットでも容易に想像できる。


 そんなことを思いながら大統領を目で追っていたエリオットだったが、不意に顔をしかめた。それに気づいたテオが首を傾げる。


「どうしたの?」

「……なんか、大統領に見覚えがあるなと思って」

「まあ、一度くらい大統領の顔は見たことあるでしょ」

「いや、初めてだ」


 テオは顎に手を当てる。エリオットの上着のポケットに突っ込まれているのが嫌になったのか、チコがテオの方へ避難していく。


「店でカーシュナーの写真でも見た? 割とあそこの親子は似ているけど」

「見てないと思うけど……うーん、誰だろ」


 大統領の姿に既視感を覚えつつ、それは氷解しないまま、大統領に付き従うように現れた人物に目が行く。左側に立つのがオースティン伯爵。そして右側に立っているのは、これまた見知らぬ人物だ。


「あれは大統領補佐官のキースリーだよ。常に大統領の傍に従って、政治の補佐をする。あの人も結構補佐官の地位に就いて長いよ」

「へえ……なんか陰気そうな人だな」

「君に比べたら大体の人が陰気そうになっちゃうよ。君は太陽みたいに明るいから」

「……下手くそな口説き文句みたいになっているぞ」


 大統領、そして補佐官のキースリー、外交官オースティン伯爵。その三人が大統領府の玄関前に立つと、すべての準備が整ったことになる。

 突如、トランペットによるファンファーレが晴天の下に響き渡った。いよいよ式典の始まりだ。


 管弦楽団の指揮者が前に進み出る。と同時にイアンが他の学生に合図をかけ、一斉に起立した。そのまま大統領に向け一礼し、またイアンの指示で着席をする。

 そのまま指揮者がタクトを振った。曲は静かに始まり、非常にゆったりと落ち着いたメロディーが刻まれる。低い音――残念ながらエリオットにはそれが何の楽器の音色か判別できない――が重々しく流れ、徐々に他の楽器も混ざってくる。ヴァイオリンも加わり、イアンは堂々と、かつ優雅にそれを弾いていく。


 本当にすごいな、と聞き惚れていると、わっと左手の方向で歓声が上がった。左手、つまりこの大通りの市街地方面だが、赤い絨毯の敷かれた道をゆっくり馬車が進んできた。二頭の黒馬が引く馬車の屋根の部分には、どこかの国の国旗がはためいている。馬車から顔を出して沿道の市民へ笑顔で手を振っている老人は、他国の大統領だか国王だかだろう。生憎エリオットには覚えられそうもない。

 たとえ他国の元首であろうと、有名人に会うと一般庶民はテンションがあがるらしい。陽気に手を振って、彼らを出迎えている。学生管弦楽団の奏でる明るい音楽もそれに拍車をかけており、随分と賑やかだ。


 続々と馬車が大通りを進んでいく。大統領府の前に到着した馬車から国賓たる国家元首が降り立ち、階段を上がってアレクシス大統領と握手を交わす。続くオースティン伯爵とも同じように挨拶をし、大統領府内へ入る。

 確か今回集まる首脳たちは十か国だと聞いている。既に四台の馬車がエリオットの眼前を通過していった。テオは周りと同じように、しかしやる気なさそうに馬車に向けて手を振っている。目線は明らかにイアンの方向だ。


 五台目も通り過ぎた。丁度その時、イアンが立ち上がった。他の楽器が演奏を止め、イアンのヴァイオリンのみが響く。ソロパート、今回最大の見せ場だ。

 エリオットも目で追えないほどの速さで動かされる弦と左指。かと思えば急にペースが遅くなり、ゆったりと優雅な曲調に激変する。その様に、テオが「ほお」と感嘆の声を漏らした。急に変わった曲調に市民たちも気づき、イアンの凛々しい姿に惚れ惚れとしている。


 代々続く音楽家の家系。学生管弦楽団のコンサートマスターという大役の経験は、今後彼が音楽家として進む道に十分な後押しとなるだろう。おそらく、それだけ重圧や期待も増えるだろうが、それを背負うだけの静かな覚悟が、いまのイアンにはあるような気がする。

 まだたった十七年しか生きていない少年の肩に、重すぎるだろうに――など、二十年も生きていないエリオットが言えることではないが。





 変化は一瞬だった。

 テオの肩に移動していたチコが、急に顔を上げたのだ。そして一声「キュウッ」と鳴いたのだ。


「ん? どうした、チコ」


 エリオットがチコを見た瞬間、まさに目の前を通過しようとしている六台目の馬車が、一度大きく揺れた。車輪がパンクしたようだ。

 しかしその衝撃に驚いた先導の馬が大きく嘶いた。必死にそれを落ち着かせようとする御者を振り落とし、馬車は横転。乗っていた他国の元首も路上に放り出されたが、何とか馬車の下敷きにならずに済んだのは不幸中の幸いか。


「何が起きてる!?」


 現状を把握できないエリオットの隣で、テオは辺りを見回している。市民たちもざわざわとどよめきはじめている。

 単なる事故か。それとも何者かの犯行か。


「……! エリオット、あっちを」


 テオが指差したのは、向かい側に建つ高い建物。時計塔だ。その頂上付近に誰かがいる。しゃがんで姿勢を低くし、手に持っている細長い何かをこちらに向けて――。


「銃か……!」


 エリオットがそれに気づいた瞬間、後続である七台目の馬車も同じように横転した。間違いなく、あの時計台から何者かが狙撃している。

 それと同時に、横転した馬車が一斉に爆発を起こした。式典を見に来た市民たちは悲鳴を上げ、やみくもに逃げ出す。


「テオ!」


 エリオットの声に、テオは行動で応えた。腕を一振りすると、時計台にいた人物が倒れこむのが見える。テオの魔装具による魔術だ。


「落ち着いて! 落ち着いて!」

「二列になって避難してください!」


 誘導する治安維持隊の警備軍もヒステリックだ。こういうときに秩序なんてあるものか。


 炎上した馬車はさらに爆発を繰り返す。火は絨毯に燃え移り、一瞬にしてその場は火の海となる。

 そんな大通りを駆け抜ける人影があった。武装した集団だ。真っ直ぐ大統領府のほうへ向かっている。真っ先にそれに気づいたテオがエリオットを振り返る。


「これはテロだ。おそらく、各国の首脳が集まるこの時を狙っていたんだろう」

「テロ!?」

「個人的なのか組織的なことなのかは分からないけどね」


 言いながらも、テオとエリオットは走り出している。逃げ惑う市民たちとは逆に、襲撃の中心地へと向かって。炎が間近まで迫り、肌がちりちりと痛む。煙も酷い。


「誰を狙ってのテロだ?」

「さあ……国は富めば富むほど、貧しい者を生み出す。そういう意味では、ここに集まっているどの国の元首も恨まれる理由があると思うよ。それにテロっていうのは、大々的にやればやるほど効果的だ」


 テオは白煙のせいで悪い視界に辟易している。と、煙の向こうに人影が見えた。その人影はこちらに駆けてくる。


「テオ! エリオットもか!」

「イザード」


 ハンカチで口と鼻を覆っているイザードの巨体が、ようやくしっかりと確認できた。


「丁度いい、お前ら、大統領のところへ行って護衛を頼む! 部下が数名いるはずだが心許ない」

「いくらで?」

「こんな時に金の話をするな馬鹿野郎がぁッ!」

「冗談だよ。イザードはどうするの?」

「私は消火を急ぎ、首脳の方々と市民の避難を誘導する。情けないことだが、治安維持隊は実戦部隊ではないのだ」


 早口でそう告げて、イザードはテオらの横を駆け抜けて行った。立ち止まった時間は十秒に満たないだろう。自分の部下たちよりもテオとエリオットを信頼してくれたのは嬉しいのだが、それでいいのか。

 エリオットは早速駆け出そうとしたのだが、若干テオが微妙な顔をしていることに気付いた。そしてエリオットはすぐに指示を出す。戦闘スイッチが入ったエリオットは、今この瞬間はテオよりも機転が利く。


「テオはイアンのほうに行け! あっちは俺が行く」

「……悪いね、頼んだ」


 テオが僅かな時間躊躇ったのには理由がある。ひとつは、イアンら学生の身が心配だったこと。もうひとつは、大統領に会うのを恐れたためだ。勿論大統領は、息子が連れて逃げた研究者がテオだと言うことを知っているのだ。あまり表に出たくない気持ちがあるのである。


 快足を飛ばして煙の中に消えて行ったエリオットを見送り、テオもすぐに身を翻した。





 突如舞い上がった白煙は、少し大通りから離れていた学生管弦楽団の元までは届かなかった。しかし何があったかはこの場所から確認できていない。それでも『何かが起こった』というのは容易に理解できた。

 イアンはすぐ、仲間たちに退避を指示した。煙の少ない方へ誘導しつつ、自身はその場に残っている。ヴァイオリンを持ったままでいるのは、ただ楽器が惜しいからではない。


 足音が背後からした。助けが来たのかと振り返る。白煙の中に浮かんだシルエットが徐々に大きくなり、人の姿を取る。

 ほっと安堵の表情を浮かべたイアンだったが、すぐに一歩後ずさった。そこにいたのは警備軍でも音楽学校の教師でもなく、黒い装束に身を包んだ男だったのだ。


「あ、貴方は……!?」

「ちっ、なんだガキか……」


 ぽつりと呟いて舌打ちしたその男は、真っ直ぐイアンに向けて突進してきた。手にはナイフ。その様子を見た男子学生が真っ青になって叫んだ。


「い、イアン先輩ッ!」


 イアンはぐっと唇を噛みしめると、右腕を大きく振り上げた。

 鈍い音が響く。何かが破損する音、一瞬遅れて襲撃者の悲鳴。イアンは荒く息をつき、その場を離れる。彼の足元には襲撃者が倒れていた。


 何をしたのか。

 簡単である。持っていた愛用のヴァイオリンを思いきり振るい、襲撃者を殴ったのである。おかげでヴァイオリンは大破、木片が地面にばらばらと散らばってしまっている。


「思い切ったことしたねえ、大丈夫?」


 知った声が聞こえ、イアンは顔を上げた。駆けつけてきたのはテオだった。イアンは冷や汗を拭い、なんとか微笑んで見せる。


「大丈夫です。ヴァイオリンなど、命と比べるまでもありません」

「まったくだね」


 テオが苦笑した瞬間、イアンのヴァイオリンでしたたかに顔面を打たれた襲撃者が、おもむろに立ちあがった。よろめきつつナイフを振り上げてこちらへ向かってくる。イアンが大きく目を見張った時すでに、テオはイアンと襲撃者の間に割り込んでいる。

 左腕を跳ね上げて襲撃者の手を打ち、ナイフを落とさせる。同時に相手の足を払い、転倒させた。鮮やかな体術に、イアンも呆然としている。


 テオは爽やかに笑って頷く。


「さ、安全なところまで逃げようか。君の度胸は買うけど、さすがに素手は危ないよ」





 いつの間にやらテオからエリオットの方へチコは移動していたらしい。「振り落されるなよ」と一声かけてさらに走るスピードをあげる。白く濁る視界の中でも、エリオットは比較的まともに移動できた。

 大統領府の目の前まで来ると、襲撃者の姿が見えた。どうやら、自分たちが引き起した火災による煙で、対象物を見失っているようだ。間抜けというかなんというか。


 エリオットは剣を引き抜き、襲撃者に一太刀を浴びせた。まったくエリオットの接近に気付かなかったらしく、抵抗もできずに襲撃者は倒れる。他の者たちも、瞬きをする間で打ち倒されている。


 戦いの素人か。エリオットは即座にそう判断した。武器を持つ手も頼りなく、動きにも無駄が多すぎる。そう思ってから剣の刃と峰を返した。


「オースティン伯爵! どこにいますか!」


 とりあえず大声で名を呼んだ。伯爵も大統領の傍にいたのだ、一緒に逃げているはず。


「……エリオット!」


 すぐ横手から返事が聞こえた。そちらの方へ向かうと、大統領府の壁際でうずくまっている伯爵と大統領、補佐官キースリー、他国の首脳がひとりに警備軍数名を見つけた。エリオットを見て「誰だ?」と不審がっている者たちを無視し、オースティン伯爵は息子へ駆け寄る。


「来ていたのか、怪我はないか?」

「俺は平気です。後続の方々はイザードが保護に向かっています。それより、そっちこそ……」

「私たちも無事だ。大規模なテロにしては、随分と手際が悪いようだな」


 落ち着いた様子の伯爵にエリオットは苦笑を漏らし、大統領府を指差した。


「とにかく室内へ避難を」

「分かった。……待てエリオット、後ろだ!」


 伯爵の声ではっと振り返ると、閃光がエリオットの顔の横数ミリのところを通過した。ちりっと頬が焼ける感触がする。

 剣を持ちなおしたエリオットは、チコを伯爵に預けた。いざというときの護衛は任せられる。伯爵らに背を向けながらさらに指示を出した。


「行ってください。ここは俺が食い止めますから」

「……頼んだ、無理はするなよ」


 伯爵がその場を去ると同時に現れた襲撃者は、それまでエリオットが斬ってきた者たちと一味違った。一言で言えば、「戦い慣れている」。おそらく、このテロの首謀者か。

 黒装束なのは変わらない。その中で右手に持つ剣の刃だけが赤く光っている。攻撃系魔装具の一種、セイバーと呼ばれる武器だ。刃はエナジーにより構成されており、鉄の刃と変わらぬ切れ味を誇る。なんといっても最大の特徴は、使用者の意図によって刀身が伸び縮みすることだ。今エリオットと襲撃者は十メートルほど離れているが、おそらく狙えばエリオットまで攻撃が届く。


 襲撃者はゆらりと上体を揺らし、エリオットに問いかけた。


「……ブリジット国王はどこだ……」


 誰だそれは、と思いはしたが口には出さない。おそらく伯爵らと一緒にいた人物だろう。


「奴はなぁ……俺の妻と娘を殺した犯人を無罪にしたんだ。その犯人が自分の息子だからってなぁ!」


 セイバーが唸る。赤い刀身が揺らいだかと思えば、エリオットの眼前まで刃は肉薄していた。咄嗟に剣を振り上げてそれを防ぎ、弾き飛ばす。――これは厄介だ。おそらく伸びる長さに限界はあるだろうが、彼の間合いに迂闊に入れない。

 伸縮自在なセイバーは、大ぶりの攻撃のため遠心力を伴って襲来する。その威力はエリオットでも弾き返すのがやっとというところである。


「奴の罪を知らしめるんだ……そして奴を殺して仇をとる!」

「……くっ」

「俺の邪魔をするなぁ!」


 セイバーの攻撃を身を沈めて避ける。……やっと動きに慣れてきた。いける。


 相手の言うことも分かる。理不尽に家族を奪われ、犯人が罰せられないなど我慢できないことだ。しかしそれで武力に訴えるのは違う。自分たちは法の下に生きているのだから、個人ではなく法によって裁かれるべきなのだ。絶対王政や独裁など、そんな支配制度は世界にもう存在しないのだから。

 けれどそんな風に説教をするつもりはエリオットにもない。ただ、言いたいことはひとつ。


「俺の目の前で、誰も死なせない」


 唸る斬撃をひょいと躱すと、エリオットは一気に身を低くして駆け出した。


 攻撃範囲の広い武器――比例して隙も大きい。セイバーの伸縮速度より速く懐に潜ればいいだけの話。


 あまりのことに驚愕している襲撃者の顎を、剣の柄で下から打つ。悶絶した襲撃者を横転させ、後ろ手に抑えつけた。そんなことをせずとも、相手は気絶したようだ。

 元の長さへ戻ったセイバーを遠くへ放り投げ、エリオットはひとつ息をつく。


 煙が薄れてきた。消火活動が進んでいるのだろう。本来なら煙の中を動くなど言語道断なのだが、今回ばかりはそうも行っていられなかった。

 襲撃者を肩に担いで、大統領府前まで戻る。と、伯爵がすぐに建物から出てきた。


「エリオット、手を煩わせたな。すまない」

「いえ。……それより、ブリジット国王とやらに話があるとか。あとで聞いてやってください」


 治安維持隊の者に襲撃者の身柄を渡しながら、エリオットが告げる。伯爵の後ろで、当のブリジット国王本人が青褪めているのが見えたが、エリオットは無視をした。


 剣を鞘に納めたエリオットのもとへ、ひとりの人間が歩み寄ってきた。顔をあげてみて驚愕する。アレクシス大統領その人だったのだ。

 少々強面の大統領はじっとエリオットを見つめる。あまりの威圧感に思わずエリオットが生唾を飲みこんだ瞬間、ふっと大統領は唇の端に笑みを浮かべた。


 そして差し出された、老人の右手。


 呆然としているエリオットは、無言の圧力に負けてすっと手を出し、大統領と握手を交わした。そこで初めて大統領が口を開く。


「君のおかげで助かった。礼を言うぞ、傭兵の青年」


 その眼差しは、まるで息子か孫を見るかのように優しく――。



 エリオットの脳裏に、ある人物の面影が重なった。


『お前を信頼している、エリオット。助けを呼んできてくれ』


 ――この、感覚は。



『そしてそのあとは……自分で生きろ』





(……イシュ、メル……?)

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