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万屋ですがなにか。  作者: 狼花
VOLUME Ⅱ
25/53

File three 料理で人は殺せます。

 

 

 

 なるほど、いわゆるこれが「ゲテモノ」か。





★☆





「お兄様、お兄様」


 今日も朝一番に遊びに来たリオノーラは、爽やかな薄緑色のスカートをひらりと揺らせてエリオットのもとへ駆け寄ってくる。最近は夏が近づくにつれてどんどん薄着になっていっている。なんとも元気な妹だ。貴族のお嬢様はそう簡単に肌を見せないはずなのだが、日焼けも怖くないのか肩がむき出しである。透き通るような白磁の肌は、適度に日に焼けて健康そうなエリオットと似ても似つかない。


「なんだ?」

「これ見て」


 リオノーラが差し出してきたのは白い封筒である。受け取り、中に入っている紙を引き出して広げる。例のごとくソファで寝そべっていたテオも、ぬっと首を伸ばして覗き込んでくる。


「『新作料理コンテスト』……?」


 印刷された文字を、エリオットはそのまま読み上げる。テオが首を捻った。


「そんな大会あったっけ?」

「今年から始まるんだよ。なんでもね、ここ最近の首都の観光客が減少傾向にあるんだって。だからまず、美味しい食べ物でお客さんを釣ろうって。でね、名物になりそうな新料理を民間から募集するんだ。これはそのコンテストの案内」


 確かに、ベレスフォード首都コーウェンには『観光スポット』というべき場所は少ない。各国でも有数の賑わいを見せる繁華街を目当てにやってくる人々もいるが、一日歩けば満喫できる規模だ。娯楽施設もあるがもっぱら大人向けで、子連れの家族などが楽しめる場所でもない。

 観光客の増加を目指すのは良いが、それにしても「名物料理を作って客を呼び寄せる」とは少々安易ではなかろうか。上手くいけばいいのだが。


「……つまり、これに参加して新作料理の考案に協力しろってことか?」

「違うよ」

「あ、違うの?」


 あっさり予想が外れ、エリオットは拍子抜けする。


「このコンテストって、上流階級者と平民の親睦イベントも兼ねてるんだ。上流階級者が考案した料理を平民が試食して、平民が良いと思ったものに投票していくって形だよ」

「へえ、そりゃまた……」


 面白いというか面倒というか。考案と試食は逆のほうが良い気もしないでもない。案内の紙の下の方へ視線を下ろしていくと、そこにあったのは『主催、オースティン伯爵』という文字である。これにはエリオットも苦笑する。


「そんな気はしたけど、何やってるんだか……大体、伯爵は外交交渉の専門だろうに」

「お父様だもん!」

「そうだな……あの人らしいか」


 沈黙していたテオが口を開く。なぜだかひどく渋い顔だ。


「ってことは、俺たちはいわば『審査員』?」

「そうだよ」

「……うーん」


 熟考するテオに、エリオットは当惑を隠せない。いつもならすぐこの手の依頼には食いつくはずなのに。


「どうしたんだよ? いつもなら『タダでご飯食べられるなんて最高じゃない』とか言うだろ」

「そう言いたいのは山々なんだけど……俺、エリオットの美味しいご飯食べて舌が肥えちゃってるからさあ」

「は?」

「耐えられるかなあ、と思ってね」


 エリオットがその意味を理解するよりも早く、リオノーラが身を乗り出していた。


「だ、大丈夫だもん! 僕だって、ちゃんとお料理練習するからっ!」



 沈黙が舞い降りてくる。


 エリオットは意味もなく髪の毛を掻き回し、妹に問いかける。


「……リオも出場するのか?」

「そ、そうだよ? だって主催者の娘だもん、まず僕が頑張らないと……」


 貴族の子息令嬢。料理経験一切なしで、苦労知らずの彼らが作る料理。

 それだけならまだしも、コンテスト内容は「新作料理」だ。どんな突飛なアイデア料理が出てくるのか――。


 ――この世のものならぬ料理が出来上がることを、覚悟した方が良いかもしれない。





★☆





 コンテストはそれから二週間後のことであった。


 リオノーラはといえば、エリオットに助言を求めればいいものを『お兄様を驚かせるんだもん』と言って手を借りようとはしなかった。『健気じゃないの』とテオはにこにこしているが、リオノーラの包丁の持ち方からして危なっかしくて仕方がない。

 とはいえ二週間などあっという間に過ぎてしまい、ついに当日になってしまった。


 割と朝からたくさん食べるテオなのだが、この日はやけに小食だった。理由を聞いてみれば、『お腹が空いていればなんでも美味しく感じるかもしれないでしょ?』ということらしい。一応、きちんと試食して審査するつもりではあるようだ。


 会場は繁華街の先にある広場だ。以前、大規模な祭りの場所取りをしたところである。あれは精神的に辛い依頼だったと憮然としつつも、その依頼がなければ旅芸人である踊り子セイラに出逢えなかったというのも事実なので、複雑なところだ。

 セイラは――今どこにいるのだろう。元気にしているのだろうか。


「劇団エースはね、いまカルダーって街にいるよ。首都の真反対くらいにある遠いところだけど」

「へっ!?」


 唐突に告げられたその言葉に、エリオットが驚愕する。隣を歩くテオがにっこりと微笑んだ。


「いま考えてたでしょ、セイラさんのこと」

「なっ、な、なんで……」

「ばればれ。まったくもう単純なんだから、君って人は」


 かあっと顔を赤らめたエリオットを置いて、テオはさっさと会場に向けて歩いて行ってしまう。エリオットは声にならない呻き声を漏らして、テオを追いかける。


 会場の入り口のところで、リオノーラからもらった招待状を役員に渡す。どうやら審査員に選ばれた平民は完全なる抽選らしい。エリオットとテオは、主催者の指名という特別枠だ。

 ゲートをくぐれば、そこには大量のブースが軒を連ねていた。さながら屋台である。そこで貴族たちが四苦八苦しながら作った新作料理の試作品を食べ、良いと思ったものに投票する。勿論試食代などない。至ってシンプルだ。


 既にブースの前は平民たちでごった返していた。コンテストが開始されてまだいくらも経っていないはずなのだが、予想以上に盛況。


「結構人いるなあ……っていうか、これ全ブースの料理とか数多すぎて食べられないんじゃない?」

「うん……まあ気になったものだけ見ていくことにしよう」


 時刻は昼時。いい具合に腹も空き、あちこちのブースから漂う芳香でいっそう空腹感が増す。匂いはいい、本当に。


 テオが妙なことを言うから、貴族は料理ができないという偏見を持っていたが、実際はそんなこともなさそうだ。貴族の中にも『料理が趣味』という人間もいるだろう。行列のできているブースと、そうでないブースの差がかなり顕著なのはそういう理由でもあるはずだ。

 とりあえず入口の一番傍のブースに人だかりができていたので、そこの行列に並んでみる。渡されたのは串揚げだ。見た目は何の変哲もなく、からっと揚がった一口大の肉が四つほど串に刺さっている。それに甘辛いたれがかかっており、匂いは最高だ。


「見た目は結構普通だな……ほら」


 一本串をテオに渡すと、じっとそれを見たテオはおもむろにかじりつく。無言でそれを噛んでいるテオを、エリオットは見やった。


「どう?」

「味も普通のお肉だなあ。美味しいよ」

「そうか、なら平気か」

「ちょっと、俺を毒見役にしないでくれる?」


 テオの抗議に苦笑しつつ、エリオットも串揚げを頬張る。確かに、さっぱりとした肉に甘辛いたれが絡んで美味い。


「鶏肉……かな?」

「そんな普通なのが出る?」

「だよな」

「じゃあ、熊とか鹿かな」

「いや、どっちでもないよ。熊はもっと硬いし、鹿ともちょっと……」

「……食べたことあるんだ?」


 テオは呆れ気味であるが、傭兵時代に食糧不足に陥った時にはよく野生の獣を狩っていたものである。しかし、色々と経験豊富なエリオットでもこの串揚げの肉の正体は分からない。


「蛇、だそうですよ」

「へえ、そうなの……って、蛇!?」


 あやうく納得しかけたエリオットは、慌てて現実に引き戻された。蛇だったのか。蛇なんて食べるのか。というか食べてしまったのか自分は。蛇ってなんだ蛇って。

 テオは驚いたように振り返り、目を見張った。


「イアンじゃない。どうしたの、こんなところで?」


 唐突に現れたその人物、イアン・コールマンである。代々続く音楽家の家系の跡取りで、優秀なヴァイオリニストだ。学生で構成される管弦楽団のコンサートマスターに選ばれるために日々腕を磨いていたが、以前無事その大役に選ばれたと報告に来てくれた。

 それ以来、実に三か月ぶりの再会となる。本番の式典が数日後に迫っているというのに、こんなところで何をしているのだろう。


「オースティン伯爵に、オープニングセレモニーでのヴァイオリン演奏を頼まれたんです」

「おやおや、豪華なことで。セレモニーに間に合うように来ればよかったね」


 テオが微笑む。エリオットは頭を掻く。


「……わ、悪いな、式典近くて忙しいだろうにわざわざ……」


 なぜ自分が謝っているのかは分からないが。

 イアンは苦笑して首を振った。


「大丈夫ですよ。じゃなかったら、引き受けませんから」


 どうしてかエリオットは、この少年の前に立つと委縮してしまう。三つとはいえ相手は年下なのだから、もう少し普通にしていてもいいのだろうとは思うが。


「それより、これ本当に蛇肉なの?」


 テオが三つの揚げ肉が残った串を持ち上げる。イアンは頷いた。


「そうみたいです。僕もさっき食べましたが、普通に美味しいですよね」

「蛇って食えるんだな……」

「首都の外の平原には蛇が多く生息していますし、名物といえば名物になりえるかもしれませんね」


 あっさりと蛇肉を受け入れるイアンに、エリオットががっくりと肩を落とす。野性的な生活をしてきたエリオットでも、さすがに蛇を食べるという発想はなかった。まあ、人々から恐れられる蛇の駆除を行えて、かつ美味しく頂けるのなら……あり、なのだろうか?

 とりあえず、蛇肉の串揚げは投票候補として考えておこう。


 その後はイアンも交え三人でブースを回ることとなった。参加しているはずのリオノーラのブースはまだ見えず、だいぶ奥の方にいると思われる。手前から順番に試食して行っているので、たどり着くまで時間がかかるかもしれない。


「にしても、思っていたほど外れがないね」


 テオの言葉に、イアンは苦笑して頷く。エリオットはといえば、今さっき受け取った、見るからに青臭そうな飲み物を恐る恐る口に運んでいる。口に含んだ瞬間に眉をしかめ、軽くむせた。熟す前の、通常はまだ食べられない果実を搾ったジュースだ。さすがに苦い。――が、外れといってもこの程度である。健康に害がありそうな飲食物はない。むしろ、このジュースの苦味は健康的かもしれないが。


 と、その時急に大きな物音が響いた。はっとして振り返ると、ひとつのブースの前でひとりの男性が倒れている。わっと騒ぎになり、大勢の人間が駆け寄ってくる。

 ――どうやら、貴族が提供した試作品を食べてひっくり返ったらしい。恐ろしい。


 すると『運営』の腕章を腕につけた人間が数名到着した。オースティン伯爵の部下で、このコンテストの役員のようだ。

 倒れた男性が役員によって搬送されていく。それと同時に、そのブースの貴族に何か話しかけている。やがてそのブースにあった看板が引きずりおろされたのを見て、エリオットが目を見張る。


「看板下ろしたぞ?」

「あー……要するに、ひとりだろうが倒れでもしたら、そのブースは即閉店ってことかな?」

「……生存戦争みたいだな」


 人体に悪影響のある食べ物を長期間提供するわけにはいかない。それゆえの措置だろう。そうしてどんどん投票対象が減っていくのである。

 テオがエリオットの肩に手を置いた。


「エリオット。リオノーラのブースが閉じないうちに、さっさと行ってあげようよ」

「お、おう……」


 否定できないのが、少し悔しいところである。





★☆





 リオノーラに与えられたブースは、会場のかなり奥だった。まだ看板は下ろされていないようでほっとしたのだが、案の定というかなんというか――彼女のブースの前に人はいない。

 よって暇そうにしていたリオノーラだったが、近づいてくる兄たちの姿を見つけてぱっと顔を輝かせた。


「お兄様、こっちこっち!」


 大きく手を振ってエリオットとテオを呼んだリオノーラだったが、その傍にイアンの姿を見つけてぴたりと動きを止めた。そして真っ赤になって俯く。


「……な、なんでイアンまで……」

「ああ、そこで会ったんだよ」


 エリオットがイアンを振り返ると、彼はにっこりと微笑む。


「僕のことは気にしないで良いですよ、リオノーラさん」

「……うー」


 身内以外にはたいそう人見知りをするリオノーラは、何度も会っているはずのイアンに対してもまだ打ち解けられないらしい。それとも、素を見せたくないのか。彼女にも社交界で築き上げてきた「自分」というものがある。素を見せることはすなわち、その「自分」を覆すことになる。


「それより、随分暇してたみたいじゃない? どんな新作を用意したの?」


 テオの視線は、傍に置かれている大きな鍋に向けられる。リオノーラは気を取り直したように顔をあげる。


「そう! 僕すごく頑張ったのに、誰も試食しに来てくれないんだよ。つまんなかったよぉ」


 リオノーラは鍋の蓋を開け、おたまで中をかき混ぜる。どうやらスープのようだ。白い椀にそれをよそった彼女は、笑顔でエリオットに差し出してきた。


「はい、お兄様! 自信作だよ」


 料理が苦手だ、壊滅的だと自他ともに認めているリオノーラである。そんな妹がこの日のためにどれだけの努力をしてきたのか。兄として、それは評価してやらなくてはならない。

 テオとイアンが両側から、エリオットの持つ椀を覗き込む。そして一様にぎょっとした。



 ――白い椀だからこそ映える、透明度のある綺麗な青色の液体。



 具もあるのだが、そんなことは些細なことだ。なんだこのコバルトブルーの汁は。まるでサンゴ礁のようだ。言いすぎか。

 沈黙の果てにエリオットが絞り出した感想は、一言。


「……綺麗な色だな」

「でしょでしょ!」


 褒めてないよ、リオノーラ。なんだろう、この食欲を削ぐ色は。絵の具を溶かした……なら不透明であるはずか。本当にどうやって作ったのだ?


「お父様がよく釣りに行く海があるでしょ? あそこをイメージしたの! この色にするまで大変だったんだからね」

「ああ、うん……この綺麗な色にするがために、食べ物として大事なものを置いてきちまったみたいな感じだよな」


 海がモチーフ。まあ、そんな気はした。椀の中に沈んでいる、茶色くて硬そうな四角い物体は、あのクラリッサ海岸の岩場を表しているのだろうか。そんなところは反映しなくてもいいと思うのだが。

 海ということはあれか、まさかこのスープは塩のみの味付けだろうか?


「味はね、お魚で出汁をとったの」

「魚介系スープね……」

「さあお兄様、ぐいっと行っちゃって!」

「栄養ドリンク飲むみたいに言うなよ」


 呆れたように呟いたエリオットは、じっと青い汁を見つめる。テオもイアンも、すっかり他人の振りだ。薄情者め。

 本来、自然界に「青」という食材、つまり植物は存在しない。食における「青」とは夏場に『涼』を感じるための色であって、これが温かいスープであると考えただけで気持ちが悪くなる。というのも、人間の脳というのは「青」を『毒』と認識してしまうからだ。確かに綺麗な青色の食べ物はレアなだけに惹かれはするのだが、正直食べたいとは思わないだろう。


 しかし――自分に期待の目を向けているリオノーラを裏切っては、兄の名が廃るというもの。


 覚悟を決めて椀を口元まで持ち上げたエリオットを、慌ててテオが制止する。


「ちょっ、大丈夫エリオット? お兄ちゃん魂は見上げたものだけどさ」

「俺は平原で妙な食材もたくさん口に入れてきたし、胃袋は鍛えられているんだ。大丈夫」


 自分に暗示をかけるように言い聞かせ、エリオットは一息で青いスープを飲みこんだ。テオとイアンが心配そうに顔を見合わせている。

 椀を下ろして沈黙するエリオットを、恐る恐るリオノーラが見上げる。


「ど、どう?」

「……なんか、無味無臭って感じ」

「それはそれでどうかと思うんだけど……とりあえず食べられるってことかな?」


 テオの言葉にエリオットが頷いた瞬間、彼はぱっと口に手を当てた。


「……うっ!?」

「え、エリオットさん!?」

「イアンくん、係りの人呼んできて!」

「うわああん、お兄様しっかりしてぇ!」


 刺激があとから来るタイプの代物だった。





 エリオットは無事であったが、騒ぎになった以上リオノーラのブースの看板は取り下げられることになった。しゅんとしているリオノーラを見ると、エリオットの罪悪感が増すばかりである。


「リオ、悪かったよ。俺がちゃんと食べれば……」

「ち、違うよ! お兄様は何も悪くないよ! 僕がもっとしっかりお料理できればこんなことには……」


 俯いたリオノーラはきゅっと拳を握りしめる。ぽたぽたと地面に涙の滴が落ちているのを見て、エリオットは驚愕する。


「ううぅ……ごめんなさいお兄様ぁ。僕のせいでっ、嫌な思いさせちゃってぇ……」

「だ、大丈夫だから! だから泣かないでくれよ、な……?」


 目元をこすって涙を拭っている妹の頭を、そっとエリオットは撫でてやる。

 彼女にはショックだったのかもしれない。自分の料理が相変わらず壊滅的だったことよりも、それを食べた兄を大変な目に遭わせてしまったことが。


 テオが泣きじゃくるリオノーラの肩をぽんぽんと叩く。


「ほら、いつまでも落ち込んでないの。せっかくの可愛い顔が台無しだよ」

「そうですよ。元気を出してください」


 イアンにも励まされて、リオノーラは頷いて顔を上げた。エリオットが持っていたタオルを受け取って、涙を拭う。



「相変わらず、賑やかですね。貴方がたは」



 不意にそんなことが横合いからかけられた。どこかで聞いたことのある声だ。

 声がしたのは、隣のブースだ。そこで料理をしていた貴族の青年が、束の間手を止めて面白そうにこちらを見ている。

 茶色の髪。エリオットやテオほどではないが、すらっとした長身。指の先まで滑らかな動き。浮かんでいる、美しいとすらいえる微笑み。


 どこかで見たことがある。そう直感したエリオットはじっと相手を見つめ、四秒ほどで大きく目を見開いた。

 ぐいっとリオノーラの腕を引っ張る。彼女が驚きの声をあげるのも無視して、自分の背後に隠した。その時にはテオも気づいていたのか、すっとさりげなく身構える。


「あんた……あの時の怪盗!」

「はは、街中で『怪盗』なんて呼ばないで下さいよ。目立つじゃないですか」


 怪盗ヨシュア。

 オースティン伯爵家へ忍び込み、テオがティリットという名の研究員であるかを確かめに来た、政府の隠密。

 あの時は夜でもあったし、服装や雰囲気ががらりと変わっているため、気付くのに時間を要したのだ。


 臨戦態勢のテオとエリオットに、事情を察知して縮こまるリオノーラ、事態の切迫さは理解しているイアン。そんな四人を見て、ヨシュアは軽く両手をあげた。


「よしてください。今日は別に貴方がたの監視だとか、そういう訳ではないんですよ。ここで会ったのはただの偶然です」

「偶然? まさか貴方は貴族で、このコンテストに一市民として参加している……とでも言うのかな?」


 テオの言葉に、ヨシュアはふっと笑った。


「半分は正解です」

「半分?」

「私は貴族ではありません。普段はこの首都の路上で、楽器を弾いたり手品をしたりしてお金を稼いでいる芸人なのですよ」

「……は?」

「貴方がたと同じ『万屋』を名乗ってもいいのかもしれません。……ただ、引き受ける仕事は『裏』のものばかりですが」


 ヨシュアは、身につけていた黒のエプロンを払った。エリオットが驚いたように身を乗り出す。


「じゃ、じゃあこの間伯爵家を襲ってきたのは……!」

「政府の依頼だったからです」

「なら、今ここにいるのは?」

「これは単純に、お金がほしいからです。ここのコンテストで優勝すると賞金が出るんですよ。ちょっと生活に困ってきたので、ある貴族に取り入って特別に参加させて頂きました」


 色々と意外すぎて困るのだが、要は彼は隠密などではなかったということだ。依頼があれば殺傷だろうがなんだろうが行うが、表の顔は人々を楽しませる芸人。そこに個人の情などないから、政府との契約が終わったらしい今、テオらとの関係は「敵でもないが味方でもない」状態だ。

 しかし、金がないからコンテスト出場とは。理由が貧乏くさい。いや、実際貧乏なのか。


「まあそんなわけで、今日は本気で勝ちに来たんですよ。おひとつどうぞ」


 ヨシュアが差し出してきたものを、反射的にエリオットが受け取ってしまう。紙でくるまれたそれを開けると、中にあったのはパンである。


「……なんだこれ?」

「首都近海で獲れた白身魚を揚げ物にして、パンで挟んだものですよ」


 作り置きしてあったそれを、ヨシュアは気前よく全員に配ってくれる。これもまたエリオットが毒見がてら一口かじる。

 嚥下して一言。


「――美味い」


 それを聞いて、みな驚いたように包みを開けていく。


「あ、ほんとだ。お魚美味しい」

「このソースも絶妙ですね」

「揚げ物をパンと一緒に食べるって、僕初めてだよ」


 テオ以下全員もまったく同感だったらしい。今まで、ありそうでなかった食品だ。簡単な料理なようだけれど、揚げ具合も丁度良いし、自家製のソースは絶品だ。

 これは、料理にうるさいエリオットも脱帽の腕前である。


「あんた……料理美味いんだな」


 ぽつりと称賛すると、ヨシュアはにっこりと微笑んだ。


「お褒めに預かり、光栄です」


 こいつは、テオに次ぐ『何でもできる奴』かもしれない――と漠然と思う。何でも屋を掲げるならば、そういった才能が求められるのだろうか。

 敵でないのは分かったが、かといって依頼さえあれば殺人だろうが何だろうか手を貸すヨシュアのやり方には、賛同できないけれど。

 警戒は解いても良いかもしれない。同業者の匂いが、なんとなくしたから。



 結局、『新作料理コンテスト』はヨシュアの一人勝ちで終わったのだった。

依頼提供:天狐紅様

ありがとうございました。

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