File two 弟子なんて取りません。
正しいかは分からない、けどあんたの言うことは、いつだって間違いではなかった。
★☆
この季節は朝の七時ともなると、ぐんと気温が上がる。
一年を通して比較的涼しいベレスフォード共和国であるが、夏というものは存在する。世界でも南の国に住む人間たちからすれば、ベレスフォードの夏など暑くもなんともないのだろうが、雪国の住民である彼らにとって夏は天敵であった。
夏には夏の楽しさがあるだろう、ということをエリオットは知っている。水遊びができるのはこの時期だし、冷たい飲み物が美味しいのも今の時期だけだ。冬場は大雪で遊びに行けない子供たちも、夏は大はしゃぎで遊びまわる。「暗くなったら帰ってこい」というお決まりの約束も、夏場は日が長いからたくさんの時間外で遊べるのだ。
しかし、そういったことに楽しみを見いだせず、まだ初夏であるにも関わらず既に夏バテをしている人間が約一名。
「暑ぅい……」
リビングのソファに俯せに倒れ込む、テオ。テーブルに置かれたアイスコーヒーの氷が溶け、カランと爽やかな音が響く。ガラス製のコップの周りには水滴がついており、いかに今日が暑いかを示している。
「そんなに暑いか? 俺としてはまだ涼しい方なんだけど」
反対側に座るエリオットは呆れたようにテオを見ている。至る所の窓を開けているので、黙って座っていれば気持ちの良い風が入ってくる。しかし、テオを冷却するにはそれしきでは足りないらしい。
「冷房、入れる?」
空調系魔装具のリモコンに手を伸ばしたエリオットに、テオは初めて顔を上げた。
「だめだめ、まだ夏じゃないんだから」
「……あんた、言うことと態度が真逆だよな」
「節約だよ、節約。空調系魔装具は特に大量のエナジーを消費するからね」
「……」
テオは、エリオットらが今まで当たり前と信じていた政府の発表が正しくないと断言してきた。だからエリオットは、政府の言う「エナジーを用いた魔装具は永久機関である」という説明を鵜呑みにせずに暮らしてきた。しかし、実際のところそれがどうなのかはまだ分からない。
「エナジーを消費しすぎると、どうなるんだ?」
今まではぐらかされ続けてきたその質問を、改めてエリオットはテオにぶつける。テオはソファの上に座り直し、コーヒーのグラスを手に取った。
「結論から言えば、魔物が増える」
「それってつまり、エナジー量が増えるってことか? それじゃ矛盾するじゃないか」
「最初から考えれば分かるよ。まず、世界各地に『エナジーの源泉』と呼ばれる場所がある。そこからは絶えずエナジーが湧き出ているんだ」
その説明に、エリオットは頷く。テオは一口コーヒーを含んだ。
「大気中のエナジーは、常に一定量を保とうとしているらしい。消費された分を補っているんだ。丁度、いま俺が飲んだ分のコーヒーを注ぎ足すようにね」
エリオットがグラスに最初注いだ量より、コーヒーは少し減っている。その量を親指と人差し指で計ってみせる。三センチぐらいだろうか。
「もしも同時に、全世界の人間が膨大なエナジーを使って魔装具を動かしたら、どうなると思う?」
「消費した分を埋めるために、たくさんのエナジーが源泉から湧き出る……?」
「そう。世界にあるすべての源泉は活動を強め、結果的に……規定値を超えた量のエナジーが放出される。大気のエナジー濃度が増して、その濃いエナジーが生物に悪影響を及ぼすんだよ」
グラスを軽く回すと、氷が澄んだ音をたてる。
「だから俺はなるべく魔術を使わない。環境に悪いから」
「けど……テオ一人が心がけても、仕方ないんじゃないのかな」
エリオットのつぶやきに、テオはくすりと笑った。
「……昔は俺もそう思ってたよ。そのせいで取り返しのつかないこともしてしまった」
「あんたでも、間違えたりするんだな」
「当たり前でしょ。でもね、だからこそ努力だけはしたいんだ」
チコが傍の壁からソファに飛び移ってきた。そのままテオの肩までのぼり、頭をテオの首にすり寄せる。構ってほしいときにチコでよくやる催促の動作だ。テオは小さな頭を指先で撫でてやる。
「動物の魔物化っていうのは、ある意味進化なのかもしれない。けど結局、人間の勝手な行いが彼らを狂わせてしまっている。魔物たちはその罪の象徴だ。チコがこんな風に懐いてくれるのは――奇跡といってもいいかもしれないね」
――テオの真面目の言葉にある重みは、彼の気が抜けているときとの落差によって生じるものかと思っていた。だがそうではない。テオには苦く辛すぎる過去の経験があるから、言葉一つ一つに重みが出るのだ。翳りと言い換えることもできる。いつだってその真紅の瞳は、どこか遠い場所を見ているようにすら見えたものだ――。
玄関の扉がノックされた。思いつく限り、知人友人の中に扉をご丁寧にノックする者はいない。お客かなと呟きつつエリオットが立ち上がった。
扉を開けると、そこに佇んでいたのは少女だった。薄手のシャツを着ているが、綺麗な布地に品のある仕立てのものだったので、すぐに上流階級の娘だろうとエリオットは察した。歳は十代前半か。かなり小柄で、「幼さが残っている」というよりも「幼い」と断言できる容姿。
恥ずかしいのか、元々そういう性分なのか、俯いてばかりだ。
「どうしたの?」
少々腰をかがめて尋ねると、持っていた鞄から少女は腕時計を取り出した。どう見ても男物なので、父親か誰かのものか。
「落としたら……針、動かなくなっちゃって」
ソファから下りて歩み寄ってきたテオに、エリオットは受け取った時計を見せる。それを手に取ったテオは、すぐ微笑んで少女に告げた。
「十分か十五分で直せるよ。店で待ってる? 都合悪ければ、あとで届けに行くけど」
「待ってる」
即答した少女にテオは頷き、踵を返した。リビングから廊下に出て、突き当たりにある作業場へと向かったのだ。それを目で追う少女にエリオットが声をかけ、ソファに座らせる。
飲みかけのテオのコーヒーを片付けながら、ちょこんと大人しく座る少女に声をかけた。
「何か飲むものでも出そうか?」
しかし少女は、ふるふると首を振る。そのままじっと、テオが向かった先の扉を見つめ続けているのだ。
少女の向かい側のソファに座ったエリオットも、これにはどう対応したものかと頭を掻いた。本来エリオットは社交的な性格ではないし、口数も少ない。客相手にはなんとか話題を振ろうとするのだが、ここまで反応が薄いとエリオットも黙り込むしかない。
結局彼女はちらちらとテオが引っ込んだ作業場に視線を送りつつ、無言を貫いた。十分が経過したころになってテオが戻ってきて、柄にもなくエリオットは「やっと来てくれた」とテオの登場に安堵したのである。
「はい、できたよ。どう、直ってるでしょ?」
時計を渡された少女はじっとそれを確認し、小さく頷く。それからちらりと目線をあげる。
「……あの、お金……」
「いいよ、そのくらいなら。初回サービスってことで」
いつものテオの笑顔に少女はまた目線を下げ、ふたりに軽く頭を下げて駆け去った。その姿を見送り、テオは「おやおや」と目を細める。
「随分と人見知りするのかなあ、あの子」
「……どうかな」
疑わしげなエリオットに、テオは意外そうな目を向ける。
「なんで?」
「確かに何も喋らないし、目線を合わせようともしなかったけど……あの子、ずっとテオと作業場のほうを見ていたぞ。人見知りする子が、他人の家をじろじろ見回すか?」
テオは顎に手を当て、はっと息を飲んだ。
「そうか……あの子は俺に惚れちゃったのかな?」
「おめでたい頭してるな、あんたは」
「いや、あり得なくはないでしょ? 特にあの年頃の女の子は、お兄さん的存在に惹かれるものでしょ」
「そんなの知らないけど……」
――まあ、分からないでもない。テオは背が高く、顔立ちはそれなりに整っているし、特に伏せがちな真紅の瞳にある影に惹かれる女性も少なくはないだろう。黙って立っていれば。
「それはさておき、良からぬことを企んでいるようには見えなかったから、気にすることもないんじゃないかな」
その楽観的な言葉にエリオットは肩をすくめる。
「だといいけどね」
「やけに疑うね、エリオット」
「悪いね、そういう性分」
エリオットは棚の上に置いてあった財布をポケットに突っ込んだ。
「ん、出かけるの?」
「ああ、今日は市場で特売やっているからさ。大量に買い込んでおきたいんだ」
「なるほど、暑いのにご苦労様。いってらっしゃい」
テオに見送られてエリオットは店を出て、真正面の路地に入る。市場への近道だ。
そこでぴたりと足を止めて我に返ったエリオットは、振り返って店を見やる。ふたりで住むには少々広すぎる平屋。彼は呆れたように頭を掻いて呟いた。
「……なんで俺、当たり前のように買い物しに行ってるんだろ」
今更である。
無性に虚しくなったので、市場でアイスクリームを買って食べてしまったのはテオには秘密だ。
★☆
翌日もまた朝から気温が高かった。昨日と全く同じようにソファに倒れこんでいるテオを見ながら、キッチンでエリオットはオレンジを剥いている。
「ほんと暑いなあ……いま肉体労働系の依頼が来たら、俺死んじゃうよ」
「暑さのピークはまだまだ先なんですけど。あんた、夏場とか仕事してるのか?」
「してるよ。いつもの六割減くらいで」
「ほぼ仕事してないじゃないかよ」
それでも生活が成り立っていたのだから、金銭的な余裕はあるのだろう。下町の貧しい人たちから金をとらない分、貴族からがっぽり稼いでいるようだし。
ナイフで器用にオレンジを切り分けたエリオットは、失敗した分を口の中に放り込みつつ、綺麗に剥けたものを皿に盛ってテーブルの上に置く。テオはソファに倒れ込んだまま腕を伸ばし、あらかじめフォークを刺してあったオレンジを取る。
「行儀悪いなあ、ちゃんと起きろよ」
「うんー……あ、美味しいねこのオレンジ」
「買い物してたら、おばさんがオマケしてくれたんだよ」
「君って地味に愛されてるよね、下町の人たちに。やっぱり日ごろの行いかあ」
妙なことを言って納得するテオだったが、玄関がノックされて口を閉ざした。エリオットが扉を開けると、そこにいたのは昨日の少女だった。
「あれ、君は……」
相変わらず俯いている少女だったが、今日は違った。顔を上げると、エリオットを押しのけるようにして室内に入る。そしてソファに身体を起こしたテオの前まで歩いて止まった。
「……お願いがある」
「なんだい?」
「私に、魔装具技師の技術を教えて。弟子にしてほしい」
テオの表情が一瞬で変わった。エリオットはその様子を見ながら、静かに扉を閉める。
声も小さい彼女であったが、今日の言葉ははっきりと芯のあるものだった。テオは真っ直ぐその少女に向き合う。
「強い魔装具が作りたいんだ。どうしても」
「……君の名前は?」
「カレン・トラジェット」
「……トラジェット子爵令嬢。申し訳ないが、そのお願いは聞くことができない」
テオの頭の中には、貴族の名簿でも入っているのではないかと時々思う。なぜ姓を聞いただけで相手の身分が分かるのか。
カレンという少女はぐいっと身を乗り出した。
「どうして?」
「危険だから」
「それでも。私は本気なんだ」
「そうか、でも俺も本気だ。君に教えることはない。悪いが、帰ってくれるかい」
断るだろうとはエリオットも思っていた。しかしこれほど強く却下するのは意外だった。「テオらしくない」と、そう感じすらする。
カレンはしばらく粘ったが、テオは態度を変えなかった。やがて彼女も唇をかみしめた。しかし断念した様子はなかった。その証拠に、「諦めない」と言って立ち去ったのだから。
カレンの駆け去る後姿を見送ったエリオットは、ソファに座ったままのテオを振り返った。
「テオ……あれで良かったのかよ?」
「何が?」
「断るにしても、せめて話くらい聞いてあげるべきだったんじゃ……」
複雑な思いを抱えたままエリオットが言うと、テオは膝の上で頬杖をついた。
「――聞いたら、俺は情に流される。魔装具をいじる技術は、誰にも教えるつもりがないから。揺らぎたくなかったんだ」
「危険、だからか?」
「……それは後付の理由。俺はね、エリオット。魔装具を人間が生み出したのは過ちだと思っている」
さらりと告げられた事実に、エリオットは絶句する。
過ち。確かにテオは魔装具によって動く社会を良いとは思っていないようだが、『魔装具』そのもののことは大切にしていたではないか。頻繁に修理をしたり調整をしたり、あれはなんだったのだ。
「魔装具を導入したことで文明は一気に近代化した。でもそれは、世界と共存して生きてきた環境の調和を崩す行為だ。魔装具なんて手に入れるべきではなかったんだよ」
「……けど。もう人間は、魔装具なしじゃ生きられないだろ」
水も火も明かりも。すべて、エナジーと魔装具がもたらすものだ。
テオは微笑んだ。
「それも事実だ。だから俺は『いかにエナジーの消費量を少なくして魔装具を使えるか』を、ずっと考えている。そのために改造や修理をしているんだ」
それでエリオットは理解した。テオの行う『改造』は、威力軽減のためのもの、もしくは威力はそのままでエナジーの消費量が少ないものにするためにしていたことなのだ。環境に良くするために。『修理』の依頼を受けた魔装具にしても、ちょこちょことそういう細工をしていたのかもしれない。
「……あの子は、『強い魔装具』がほしいと言ったんだよな」
つまりそれは、テオの信念と対極にある願望。テオが、そんな魔装具の開発を手伝えるはずがない。
「多分あの子はいつまででも来るだろうなあ……」
テオは天井を仰ぐ。
「……大変だけど、俺の問題だ。君に投げるわけにも、いかないか」
テオの予測通り、翌日も、その翌日もカレンは店を訪れた。
彼女が店で何をするかといえば、無言でテオへ視線を送るだけである。エリオットが声をかけても反応せず、ひたすらテオを見つめる。正直、あの無言の視線攻撃をさらりと躱すテオの神経は尋常ではない。テオも追い出すことはしないが、声もかけず見向きもしない。空気のように扱うが、いつか諦めるだろうと思っているからだろうか。
何か違う、もっと他にふたりとも対応の仕方がある、とエリオットははらはらしている。
一度テオに魔装具修理の依頼が来たときは、カレンが目を輝かせたものである。意地になって作業場に向かうテオを追いかけた彼女だったが、テオはカレンの鼻先で作業場の扉を閉めてしまい、中に入ることはできなかった。
あとでテオに聞けばそれは「危ないから」だそうだ。思えばエリオットも、作業場自体には何度も入っているが、テオが魔装具修理をしているところは一度も見たことがない。
だが、なかなか諦める気配のないカレンと何日も過ごし、無関心を装っていたテオもさすがに我慢の限界が訪れたらしい。
「……ああもう、分かったよ。おいで、見せてあげるから」
「はい!」
カレンは心底嬉しそうに返事をし、軽い足取りでテオの後を追いかけて行く。エリオットも共に、テオの作業場へと入った。
壁向きに置かれている机の上には、様々な工具が置かれている。針のようなものも多い。その横に置いてあるのはソファと毛布で、テオはよくここで寝ている。
そのふたつの家具以外は、すべてが魔装具だった。足の踏み場もないほどだ。いつ入ってもその機械感には圧倒される。
テオは椅子に座り、手近にあった魔装具を手に取った。光源系魔装具、懐中灯である。
「今回は試しにこれを使うよ」
机の上にある細い工具で、テオはいとも簡単に懐中灯を解体していく。日頃やり慣れている者の手並みだ。
魔装具は大雑把に区別すれば、外装となる「コンテナ」と、中枢である「変換機」から成る。コンテナの中から引っ張り出した複雑な回路、それがエナジーの変換機である。
その変換機をネジの一本まで完璧に解体したテオは、「さて」と前置きして振り返る。
「ものっていうのはね、壊すのは簡単だけど組み上げるのは大変だ。特に変換器は、ひとつ手順を変えるだけでまったく別物になったりもする……君がこの間いじった時計は見事な破損具合だった。多少は知識があるということだね」
カレンが最初に修理を依頼してきた時計は、どうやら彼女が自ら壊したものだったらしい。テオの技術のお手並み拝見、といったところだったのか。
「君の好きなように変換機を作っていいよ。それこそ、君が思う『強い魔装具』にしてもね」
攻撃系の変換機の組み立てをすれば、もとが光源系魔装具であろうがそれは『攻撃系魔装具』となる。テオが立った席に座ったカレンが、少々戸惑いつつも材料を組み立てていく。エリオットには何をしているのかさっぱりであるが、多少なりカレンには知識があるのである。
へえ、テオはいつもこんなことをしていたのか……と、そんな感慨にエリオットが浸っている間に、カレンはさっさと変換機を組み上げた。テオはポケットからあの抑制器付きの眼鏡を取り出してかける。
「それじゃ、俺がこの変換機にエナジーを導くよ……」
むき出しの変換機を掌に乗せ、テオは沈黙した。ただ黙って変換機を見ているようにしかエリオットには見えなかったのだが、不意に淡い緑の光が発生した。眩しいほどの刺激はない。
しかし、一瞬の後にそれは小規模な爆発を起こしていた。カレンが驚いてよろめき、エリオットが彼女を庇うように引き寄せる。テオは素早くそれを床に落とし、踏み砕いた。
呆然としているカレンに、テオは向き直る。
「……言ったでしょ、魔装具の改造っていうのは危険なんだ。君の知識は、技師になるには浅すぎる」
「……っ」
「そもそも、変換機にエナジーを導くのは俺にしかできないんだ。これは先天的な問題だから、努力ではどうにもならないよ」
カレンは踵を返し、部屋を駆け出して行った。エリオットは一度テオを振り返ってから、慌てて彼女を追いかける。
店の外にある立て看板の傍に、カレンは座り込んでいた。エリオットがその傍に行ってしゃがむと、カレンは重かった口を開いてくれた。
「私の父様、医者なんだ。私も、将来医者になるために勉強してる」
「うん」
「母様は昔から心臓が悪かった。魔装具に頼って、なんとか命を繋いでたんだ。けど一年前、母様の心臓に取り付けていた医療系魔装具が故障して、母様はそのまま死んじゃった……」
「……だから、カーシュナーに弟子入りしたかったのか? あいつに魔装具の改造や強化の仕方を習って……」
「そう。母様みたいに、魔装具の故障で死ぬ人がいなくなるように」
心臓に取り付ける魔装具。内臓に直接エナジーを送り込むものだろう。それは、テオの理論で言うのならむしろ『危険』なのではないだろうか。エナジーを大量に体内に取り込むのは人体に悪影響なのだから。
「……カーシュナーはさ。キツいこと言ったけど、全部君が心配だから言ったんだよ」
「危険なんて承知してるって、最初に言ったのに……」
「あいつはここまで辛い目に遭ってきたんだ。多分、俺も君も想像できないほどの辛い目に。そんなカーシュナーが言うんだ……分かってやってくれ」
「分かってるよ……! 私はまだ子供で、才能もないんだ!」
玄関が開いて、テオが出てくる。はっと顔を上げたカレンの前に、テオは膝をついた。
「君の夢を否定したいわけじゃないよ。ただね、魔装具は万能じゃないんだ。あくまでも『道具』で、人間の手助けにしかならない。魔装具ですべて解決するとは思っちゃいけないんだよ」
「……」
「君は君のまま、医者を目指してほしい」
テオはそう言って、カレンの小さな両手を取る。そして優しく微笑んだ。
「いつか君が大人になって、立派なお医者様になったその時は、俺が医療器具開発を手伝うよ」
医療系魔装具ではなく、医療器具とテオは言った。そこに彼の頑なな意思が見て取れるが、カレンはぽろぽろと涙をこぼして俯いた。
「……約束、だから」
「うん、約束」
テオの笑みは、いつになく優しく見えた。
帰っていくカレンの後姿を見ながら、テオは独り言のように言葉を漏らした。
「医療系魔装具は、一番未完成な技術だからなあ……」
「やっぱり、人体に取り付けると影響が出るんだよな」
「うん。確かに延命措置は出来るだろうけれど、患者は余計に苦しむことになる。俺は実用化を反対していたんだけどね……多分彼女の母親の魔装具は故障したんじゃなくて、心臓が止まったから稼働も止まったんだと思うよ」
かけたままだった眼鏡を、テオはゆっくりと取り外す。
「でもさ、あの子が大人になるころには、魔装具の存在も見直されていると良いよね」
「……そうだな」
何も知らないまま、魔装具を夢の機関と信じているのは恐ろしいことだ。今まで知らせる気力もなかったテオだが、地道に努力をはじめている。魔装具が万能でないことを知れば世界は混乱するかもしれないが、その時代を引っ張って行ってくれるのは自分たちではなく、子供たちの世代だ。
「なんだかな……」
「どうしたの、エリオット?」
「俺は、世界のために何ができるのかなって。何も思い当たらないから、虚しくて」
テオのように魔装具をいじってエナジー消費を抑えることもできない。考え付くのは「節約」という言葉のみで、それでは自己満足ではないかと思うのだ。
エリオットの言葉に、テオは驚いたように目を見張っていた。それからくすりと微笑み、エリオットの肩を叩く。
「……何かしたいと思う気持ちが、一番大切なんだよ。エリオット」
そう、かつてテオ自身が思ったように。
エリオットには、後悔などさせたくないから。彼が自分でそう思ってくれたことが、テオには何よりも嬉しかった。
依頼提供:吉夫(victor)様
ありがとうございました。