File one 青春といえばスポーツです。
青春とかけ離れた俺らが何を言ってるんだよ。
★☆
冬の暖かな日差しはどこへ行ってしまったのか、最近太陽の機嫌は悪くて刺々しい。
気温が高くなって発育が良くなったのか、目立ってきた店の玄関先の雑草をむしっているエリオットのもとにグレンがやってきた。少し前一緒にブルーノの見送りをして以来、何かと頻繁に会うようになった。それもそのはずで、グレンはこの下町のリーダーとも呼べる人物の息子なのだ。祭りや催しごとのたびに顔を合わせる。
「よう、エリオット! 真昼間から草むしりとは、精が出るねぇ」
「いや、好きでやっているわけではないんですけどね……」
エリオットは立ち上がり、苦く笑いながら軍手を外した。シャツの袖は肘のあたりまで捲り上げないと暑いくらいだ。
「カーシュナーも、お前が来る前は立派に一人暮らししていたんだけどなあ。なんでああなったんだか」
「ははは……」
多分それは、俺がさっさと家事を済ませてしまうからだろう。そういう確信があるのだが、エリオットは口に出さなかった。
「それで、今日はどうしたんですか?」
「ああ、そうそう」
グレンは右手に持っていた紙をぺらっとエリオットの前に差し出す。
「お前、カーシュナーから地域別体育大会のことは聞いてる?」
「ちいきべつ……なんですか?」
「要は運動会だよ。年に一回、この時期に広場でやるんだ」
「は、はあ……」
「これはその案内だから、目は通しておいてよ」
紙を押し付けられ、エリオットはただただ頷く。グレンは頭を掻いて苦笑する。
「まあ気は進まないかもしれないけど、気晴らしだと思って参加してみてくれ」
案内状を他の人にも配らないといけないから、とグレンは早々に立ち去った。エリオットは怪訝そうにその紙を一瞥し、むしった草を入れたゴミ袋を持って室内へと戻る。
テオはチコを肩に乗せ、リス型魔物の幼体のケージを掃除していた。これに関しては本当に熱心である。ただ、やはりエリオットの弱動物アレルギーに改善の兆しはなく、特にケージの掃除中は一番鼻を刺激するのでなるべく近づきたくない。
「テオ、なんか運動会の案内みたいなのもらったけど」
「あー……もうそんな時期かぁ。やだねぇ、もう夏だよ夏」
「いや、まだ春だろ。五月だぞ」
「何言ってるの、もう五月だよ。これからあれよあれよという間に、あの不快な夏がやってくる……」
「それはいいから。で、運動会って何するの?」
テオはチコの巣箱の中を布巾で拭きながら答えた。手つきが魔装具を磨くのと同じに見えるのは気のせいではない。おそらくこの男は、何かを『磨く』ということに関して達人並みの技術と執念を持っている。
「地域の親睦を深めましょうってことで、何年か前から始まったんだけどね。下町を住所によって四つの組に分けて、色んな種目で得点を競うんだ。優勝した組には市場の割引券出るから、毎年かなり白熱するよ」
「あんた、毎年出てるのか?」
「うん」
「へえ、意外。そういうの参加するんだな。……割引券目当て?」
「いや、まあそりゃ割引券欲しいけどね?」
綺麗にした巣箱をケージに戻すと、それを追うようにチコもケージの中に入っていった。今の時間帯は、チコはこの中で大人しくしているように言いつけられているのだ。
「この辺り一帯は下町の東組なんだけど、東組の組長がまたえらく燃えている人でねぇ」
「燃えている?」
「熱いの。暑苦しいの。本気で勝ちたい人だから。でも『勝利より絆』とか言える人」
テオはなんか苦手そうだな、そういうタイプ。
「もうそろそろ来るんじゃない?」
「は?」
テオがちらりと玄関の方を見やったので、エリオットもつられて視線を動かす。
扉の曇りガラスの部分が、急に黒くなった。バタン、と激しい音とともに扉が内側に開かれる。通常なら差し込んでくるはずの日の光が、巨大な影によって見えない。逆光になっているその物体は何かおどろおどろしく、エリオットは思わず後ずさりをした。
「え、ええっと……?」
エリオットが戸惑いがちに声をかけると、ずんずんとその物体は室内に入ってくる。ようやく全貌が見えた。筋骨隆々の逞しい中年男性。目つきは猛々しく、まさに獣のよう――。
「カーシュナー! ついに来たなこの時期が!」
たった数メートル離れているだけだというのに、まるで遠く離れている相手に伝えるかのような大喝。テオが苦い顔で溜息をつく。
「ついに来てしまいましたねぇ、暑苦しい時期が……」
「うむ! 各組が団結し、限界を超えて己の能力を発揮する夏が来た! 今年も頼むぞ、カーシュナー!」
男性――おそらく東組の組長――は、左手に持っていたものをテーブルに叩きつけるように置いた。布袋に入ったそれは、甲高い金属音を響かせた。テオが袋を開けて取り出したのは銅貨である。
銅貨の詰まった袋をエリオットに向けて振って見せたテオは、朗らかに笑った。
「――ということで、俺は毎年参加してるの」
「依頼としてかよ! 金取ってるのかよ! 割引券目当てより性質悪いわ!」
思わず怒鳴ったエリオットの前に、組長が進み出た。エリオットはびくりとして飛び退く。背丈としてはイザードと同じくらいなのだが、何かオーラが違う。
「そうか! 今年からは君もいるんだったな!」
「は、はあ」
「心強いぞエリオット! 俺は東組組長のハワードだ! よろしくな!」
「よ、よろしく」
されるがままにがっしりと握手をしたエリオットを見て、テオがぽんと掌を打ち合わせた。
「あ、そうだ」
「駄目だ」
「……エリオットくん、俺まだ何も言ってないんだけど」
「どうせ『俺の代わりにエリオットが出れば済むじゃない』とでも言うつもりだろ」
テオは大きく目を見張って後ずさる。
「ま、まさかエリオット……超能力者なの!?」
「あんたの考えることなんかすぐ分かるわ!」
馬鹿馬鹿しいやりとりに頭を抱えたくなったとき、閉めていたはずの玄関の扉が開いた。驚いて振り返ると、そこには三人の男性が立っている。
「ちょ、ちょっと待てよ! カーシュナーがいるだけで毎年東組が有利だったっていうのに、今年はエリオットまでいるなら俺らに勝ち目はないぞ!?」
「そうだそうだ!」
なぜか開口一番に文句を言ってきた三人に、エリオットは怪訝な顔をする。
「……どちら様?」
「北組、西組、南組の組長さんだと思うよ。うーん、こうも簡単に盗聴できるとは、うちの壁も薄いんだねえ」
テオはしみじみと頷く。他地区の組長も、おそらく万屋カーシュナーを危険視しているのだろう。――事実テオの戦闘技術は卓越しているから、そもそもの運動神経も優れているのだろう。エリオットは言わずもがな。
組長のひとりが一歩前に踏み出す。ハワードと比べると頼りがいがなさそうに見えるのは仕方がない。
「か、カーシュナー! お前らは下町の万屋だろ? だったら、依頼として西組に参加してくれないか! 礼は弾むぞ、優勝したら俺の割引券は全部お前にあげるよ!」
「なっ、抜け駆けするなよ! カーシュナー、北組にしてくれ、頼むよ!」
「待て待て、南組だって!」
万屋の店内で揉めはじめた三人を見てエリオットは呆気にとられる。どれだけ優勝したいのか、いや割引券がほしいのか。
「ちょっと落ち着いて」
テオが仲介に入る。三人を引き離し、彼らの中央に立って腕を組む。
「確かに俺は万屋だ、困りごとがあれば解決するのが仕事です。ですので、こうしましょう」
嫌な予感しかエリオットにはしない。
「本来俺たちは東地区の人間ですから、勿論東組に参加します。が、それはエリオットひとりだけということで」
「おい」
「俺は三地区のいずれかに、助っ人で参加しましょう。当然、見合った報酬は頂きますよ?」
顔を見合わせた三人の組長は生唾を呑み込み、緊張した面持ちで向き合う。
固く拳を握って腰を落とし、身構えて飛び出した言葉は――。
「じゃんッ!」
「けんッ!」
「ぽんッ!」
公正なる運試しの結果、テオを獲得したのは北組であった。
チョキを出して勝利した北組組長の喜びようといったら凄まじく、他ふたりの落胆ぶりが浮き立つほどであった。テオは「よろしく」なんて朗らかだったが、この男の真意は「暑苦しいハワードから離れたい」というものであるから、どの組でも良かったのだろう。
「でもさあ、なんでハワードさんにお金返しちゃったの? せっかくくれたのに」
組長たちが帰ってから放たれたテオの言葉に、エリオットは溜息をついて振り返った。
「あのな、俺はあんたと違って金なんかもらわなくても地区代表としてちゃんと出るつもりだったんだよ」
「勿体ないなぁ……じゃあ、絶対優勝して割引券を手に入れてね、エリオット!」
「『俺が活躍して北組を優勝させる!』みたいな意気込みはないわけですか」
呆れながら、エリオットは帰り際にハワードに渡された青のハチマキを持ち上げる。東組の色は青だそうで、当日はこのハチマキをして参加してくれとのことだ。
……本当に、随分な熱の入れようで。
「――なあ、俺たち普通に生活しちゃってるけど、いいのか?」
「何が?」
「とぼけるなよ。レナードとかいう研究者を捕まえて、それで終わりなわけないだろ。それなのに、なんかいつも通りだし……」
テオは微笑んだ。
「いいんだよ、いつも通りで」
「でも」
「いいの。……どうせまたいつかちょっかい出してくるんだ。今のうちに、日常は楽しんでおかないとね」
北組の組長から渡されたハチマキを、テオは頭に巻いた。きゅっと締めてエリオットの方を振り返る。
「どう? 似合う?」
「いや、どうって……っていうか、なんだよその色?」
黒地に、ところどころに白の斑点。なんと表現すればいいのだろう。飾って「マーブル色」か、「モノクロ色」か?
「北組カラーって、確か黒だろ」
「黒だよ。厳密に言えばこれは『ぱんだ色』」
「……は?」
「だから、『ぱんだ色』だよ」
沈黙。
「……なんだよ、ぱんだ色って」
「ぱんだみたいな色じゃない?」
「そうかもしれないけど……なら『ウシ色』でもいいんじゃないの?」
「うわー……エリオットくん、それを子供たちの前で言ったらドン引きされちゃうよ? ぱんだのほうが可愛いじゃない」
ぱんだ色。なぜ白を混ぜる必要がある。黒なら黒一色にするべきじゃないのか。
自分が持っている青一色のハチマキを持ち上げて見せる。
「……参考までに、これは何色?」
「それは『青い鳥色』」
「鳥は必要ないだろ!?」
「鳥がミソなんじゃない。ちなみに南組は赤で『ワインレッド色』。西組は白で『しろくま色』だ」
「ねえ、もう『くま』っていらないだろ? なんで『白色』じゃ駄目なの? 比較的普通なはずのワインレッドが逆に浮いてるんですけど?」
「そうは言っても、伝統カラーだからねぇ」
「伝統するとこ違うだろ!」
北組、ぱんだ色。
南組、ワインレッド色。
東組、青い鳥色。
西組、しろくま色。
「……訳分からん」
まあ、これが下町の住人らしいのかもしれない。
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ついに地域別体育大会の当日になった。空は晴れ渡り、気温もそこそこ、湿度は低め。本音を言えば曇りくらいのほうが運動には適するが、これはこれで運動会日和といった天候。広場に大きなトラックが作られ、それを中心にして東西南北に各組が陣を張った。
「健闘を祈る」というグレンの父である下町の自治長の言葉を賜ったあと、東組の面々は陣に戻ってハワード組長の周りに集まった。
「諸君! 今日という日のためにこれだけの人数が集まってくれたことに感謝する! 今年も、他の組に我々の団結ぶりを見せつけてやろうではないかッ!」
相変わらずの熱の入った言葉に、さすがのエリオットももう慣れた。東組はハワードに感化されているのか、大部分の人間が『こんな感じ』だ。慣れざるを得ない。
「怯むな、諸君! 我々には、幸運の青い鳥さんの守護があるぞッ!」
『おうッ!』
「ぷっ」
組員が唱和するなか、エリオットは思わず吹き出した。「鳥さんって、鳥さんって……」と呟きつつ笑いをこらえる。見た目に合わない台詞にも程がある。
「エリオットぉッ!」
「は、はいっ」
ハワードに名指しされ、怒られるかと身構えたのだが、ハワードはにこやかに笑っている。
「今日は君の活躍に懸かっている! 頼むぞ!」
「が、頑張ります」
「よぉし! では、いざ出陣!」
おいおい、俺たちは戦争に行くのか。
どの競技も得点制で、そのレースの着順を点数化し、最終的な総合点で勝敗を決めるというルールである。
一種目目は障害物競争。各組から出される三人の選手の中に、早くもエリオットは入ってしまった。障害物競走というから、平均台の上を歩いて、網をくぐって――というものを想像していたのだが、この障害物競走はそんな甘いものではなかったのだということを、エリオットは痛感する。
スタートするなり待ち構えるのは、高さ二メートルほどの巨大な壁。それをよじ登ると細い足場があり、二メートル地点での危険な平均台が待ち構える。一応地面に落下したとき用の足場はあるが、何ともスリリングだ。
それを越えても、また金網を登ったり、バーを飛び越えたりと、やたら高低差があって初っ端からきつい競技である。先にレースした選手たちの疲労困憊ぶりを見れば、過酷さが分かるだろう。
けれども、エリオットには造作のない競技であった。壁も一息で飛び乗り、並外れた平衡感覚で平地を歩いているかのように幅数センチの足場を渡る。開始数秒で、他の組の選手を置き去りにしたのである。
二種目目は子供と父兄による二人三脚だった。こちらは障害物もなく、ただひたすら二人三脚をしていくだけである。
「はい、右、左、右、左……いいよいいよ、その調子」
今日出会ったばかりであろう少年と息の合った走りを見せるテオは、余裕綽々の一位ゴールだ。子供の相手がすこぶる得意なテオであるから、こういうことは得意なのだ。他のペアで続出した転倒もなく、淡々と走って見せた。
三種目目は騎馬戦。三人が馬になり、ひとりが騎手になり、ハチマキを取り合う。エリオットとしては馬になりたかったのだが、どういうことか上に乗る羽目になった。「戦い慣れしているから」という理由らしいが、実戦とこれは訳が違う。
相手は南組だった。赤のハチマキが風に揺らめいている。――確かに、赤より少し昏めの色であるからワインレッドと称しても良いのかもしれないが、なぜ敢えてこの色にしたのだろう。
「我らは、いつか赤ワインを浴びるほど飲んでみたい南組である!」
「ぶふっ」
南組組長の名乗りを聞いて、エリオットが笑い死にしかけたのは言うまでもない。
結局エリオットの馬は、最後まで生き残った。
四種目目、玉入れ。こちらも子供と父兄の参加によるもので、籠の中に多く玉を入れた組の勝ちだ。しかし子供用の競技なので、テオからすれば籠の位置は、手を伸ばせば届くほどの高さである。
さすがにテオもそんなズルはせず――いかに遠くの位置から玉を入れることができるかという、的当てのようなゲームにひとりルールを切り替えていた。
お昼前最終種目は綱引きだ。組全体で綱を引くため、相当な熱気と砂埃が舞うことになる。綱引きという競技は、ただ怪力があれば通用するというものではない。それなりの技術が必要だ。掛け声に合わせて引っ張りがちだが、実際は脇の下に縄を挟みこみ、全体重を後ろにかけて倒れこむように引くのが効果的だ。
ハワードからして東組は勢いそのままといった雰囲気の組であったが、綱引きにおいてはその技術をしっかり知っていた。そのため、予選の西組「しろくま色」をあっさり撃破し、決勝の南組「ワインレッド色」も撃破した。
三位決定戦で勝利した北組「ぱんだ色」であったが、列の中程にいたテオは疲れた様子で埃を払っており、本気でやっていなかったことは明白である。
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「……って、なんであんたは簡単な競技にしか出てなかったんだ!?」
昼休憩のときに合流したテオに、エリオットは思わずそう声をかけた。テオはうざったそうにハチマキを取り、前髪を搔きあげている。滲んでいる汗は疲れではなく、気温のためだろう。
「綱引きには出たよ」
「あれは全員参加だ! 俺が障害物競走やら騎馬戦やらしているときに、あんたは父兄参加の二人三脚と玉入れやってただろ。助っ人がそれでいいのかよ」
「だってねぇ、そういう体力種目では君が無類の強さを誇って勝ち目がないもん。俺は点が取れそうなところで貢献しようと思っただけだよ」
北組陣地で配られたものなのか、テオは持っていた棒アイスを一本エリオットに差し出した。素直に礼を言ってそれを受け取る。
「まあ本音を言うと、汗かきたくなかったからなんだけどね」
「そうだと思ったよ」
エリオットは溜息をつき、オレンジ味のアイスをかじる。テオのものはおそらく、コーヒー味だ。
「君の方は、汗と埃にまみれて……って感じだね。楽しい?」
「そりゃ、まあ。身体動かすのは好きだし、組長の暑苦しさもそんなに嫌いじゃないよ」
「なら来年からも東組はよろしくね、エリオット」
「金輪際出ないつもりかよ」
テオが暑苦しいハワードを苦手とするのはなんとなく分かる。「努力」なんてものに縁遠そうなテオであるし、そういう「青春」らしいものはよく分からないのだろう。極度の省エネ主義で、身体を動かすことが嫌いな人間でもあることだし。
「午後は何に出るんだ?」
「えっと、借り物競争だね」
「また運動量の少なさそうな種目だな」
「『背の高い人』とか『友達』とか『足速い人』とかいうお題だったら君を連れていくから、準備運動はしておいてね」
「近場で済まそうとするなよ」
テオは笑いつつ、手をひらひらと振って自陣に帰って行った。そろそろ昼休憩も終わりである。エリオットは食べ終わったアイスの棒をくずかごに放り込んで、テオと逆方向に歩き出した。
結局テオは借り物競争でエリオットを引きずって行った。お題は『眼鏡の人』だったのだが、テオがいつも持っている眼鏡型抑制器を無理矢理つけられたのだ。こんなその場凌ぎでいいのかよ、と呆れたものである。
そしてついに最終種目――組別対抗リレーだ。
運動会の華ともいうべきリレーは、四組の選手八人がバトンを繋いでいく競技だ。完全なる選抜リレーなので、これにすべてを賭ける組もあるだろう。ひとりトラックを一周、約二百メートルだ。
エリオットは東組の第八走者、アンカーである。運営から渡された青いたすきを肩からかけ、待機している。
一斉スタート。まず最初にトップに立ったのは「しろくま色」の西組だ。「青い鳥色」の東組は二位。「ぱんだ色」は最下位である。
おお、しろくま速いなあ――なんて勝手に脳内で色が変換されてしまうことにも慣れた。
バトンパスやカーブなどで順位が入れ替わることもあったが、結局順位変動はなく第七走者が出発した。それを見送ってレーンに入ると、他三人のアンカーも続く。
「やあ、エリオット」
朗らかにレーン上で挨拶したのはテオだ。彼の肩にはぱんだ色のたすきがかかっている。
「アンカーかよ。動くの嫌だったんじゃないの?」
「そうなんだけど、これは不可抗力でねぇ。まあたいした役にも立ってこなかったし、最後くらいはね」
そう話すテオの横で、エリオットは落ち着きなく身体を動かしている。テオは苦笑した。
「……君、本当に運動好きだねえ。目が爛々としてるよ」
「うん」
「あ、良い笑顔」
そうこうしているうちに、トップの西組のバトンがアンカーに渡った。そのすぐ後に東組が迫る。エリオットはインコースに入って身構えた。
「それじゃ、お先に」
ほぼ感覚で、エリオットはスタートした。走り始めたら後ろなど見ない。全速力で前へ走る。これだけの声援がある中でも、前の走者の合図の声だけは鮮明に聞き取ることができる。合図とともに右手を後ろに跳ね上げ、奪い取るようにバトンを受け取った。綺麗なバトンパスだ。そのままエリオットはトップスピードに乗り、カーブに入っていく。
視線の先には先行する西組。もう射程圏内だ、直線に入ったところで一気に外側から抜いた。おおっ、と観客席からどよめきが起こる。ハワードの「いいぞエリオットぉッ!」という声はひときわ大きく響いた。
そのまま差を離して、最後のカーブに入る。ゴールはもう目の前だった。
――背後から聞こえてくる、軽やかな足音。
いくらカーブに入って減速しているとはいえ、エリオットに追いつき、まさに今抜き去ろうとしている人物がひとり――。
テオだった。
(う、嘘だろっ!?)
思わず目を疑った。テオがエリオットより足の速さで上にいるのは知っている。しかし北組は圧倒的最下位だったのだ。まさか、たった二百メートルの間に三人も抜くというのか。
横を駆け抜けていくテオには無駄な動きがなく、特に力んでいる感じもない。歩幅はエリオットとほぼ同じ。軽々と走っているように見えて、怪物並みに速い。
そのままテオはゴールテープを切り、かなりの僅差でエリオットもゴールした。エリオットが食らいついた結果であるが、負けは負けだ。
膝に手をついて乱れた呼吸を直しながら、エリオットは悠然としているテオを見上げる。
「……あんた、こういうところでだけ本気出すの、反則……」
「はは、ごめんごめん。別に一位になりたかったとかじゃないんだけど……最下位だけは嫌だからね」
なんだ、その微妙な負けず嫌いは。
エリオットはもう何も言えなくなり、がっくりとうなだれたのであった。
★☆
優勝は東組であった。体力勝負の種目で、軒並みエリオットが一位を取ったのが効果的だったらしい。参加した選手たちに割引券が渡され、歓喜の嵐だ。最後の最後で腑に落ちない勝利であったが、優勝したこと自体はエリオットも嬉しい。
男泣きをしたハワードをなんとか宥めてエリオットとテオが帰路についたのは、もう夕方のことであった。テオは歩きながら、エリオットから受け取った割引券を夕日に透かしている。
「いやあ、いいねぇ、割引券! エリオット、今日の夕飯は焼き肉にでもしない? 俺お腹空いちゃったよ」
「肉を焼くだけか、それ最高。俺は疲れたよ」
割引券を簡単に消費するなよ、なんてお小言を言う気力もなく、エリオットが同意する。テオはそんなエリオットの姿を見てくすりと笑い、頭の後ろで腕を組んだ。
「楽しかったね」
「……そうだな、楽しかった」
下町の皆と交流できたし、依頼以外で活動するのも悪くない。
その時背後から、ハワードの声が響いてきた。声がどんどん近づいてくる。テオが慌てて背後を振り返った。
「わ、ハワード組長だ」
「追いかけられるようなことしたっけ……」
「いや、あの人は大会のあと選手に暑苦しい抱擁をするんだ。ほら、逃げるよ!」
「ええっ、だから俺疲れたんだってば……!」
テオに腕を引っ張られ、エリオットも駆け出す。
何かと疲労感に襲われた一日だったが、やっぱり下町はうるさくて騒がしくて――それが良い。