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万屋ですがなにか。  作者: 狼花
VOLUME Ⅱ
22/53

Other file 【4】

 

 

 

「こっ、こら! こら待て、テオッ」

「やだね、誰が待つか」


 必死で追いかけてくるイザードにそう吐き捨て、俺は手近にあった住宅の塀の上に飛び乗った。大柄なイザードでもさすがに届くまい。俺は昔から運動神経が良いし、こんな塀に飛び乗るのは朝飯前だ。

 塀の上でまた疾走を始める。イザードがぎょっとして、慌てて方向転換をして追いかけてきた。


「とっ、止まらんか!」

「しつこいなあ、どうして追いかけてくるんだよ」

「貴様がっ、またエルバートの留守に魔装具を改造して遊んでいたからだッ! その手に持っている爆発物を渡せ!」

「爆発なんてしないよ、頭悪いな」

「この、小生意気なッ……」


 イザードは息を切らせながら、手元で何か操作している。ああ、何かの魔装具か。


 俺の行く手を塞ぐように、巨大な透明な壁が現れた。結界系魔装具だ。

 ――俺を相手に魔術を使うなんて、馬鹿みたいだ。


『crush!』


「粉砕」の意味を持つ単語を呟く。どうやら周囲のエナジーは、俺の声に動かされるらしい。イザードやカーシュナーが同じ単語を言葉にしても、何もエナジーは反応しない。なので、どうせだったら、どういった魔術を発動させるのか相手に分からせないように、異国の古語を使ってみようと思ったのだ。


 言葉と同時に、周囲のエナジーが若干薄くなる。常に一定量大気に満ちているエナジーという物質は、魔装具を発動するたびに少量ずつ消費する。人よりエナジーへの感応力が高い俺は、そういったエナジーの動きがよく分かる。エナジーが減ると、少し身体が軽くなる感じがするのだ。

 もっとも、その感覚は一瞬で元通りになってしまう。消費された分のエナジーが、すぐ補填されるからだと言われている。


 イザードが作り上げた結界を砕く。ハンマーで硝子を叩き割るように、それは脆い。俺の行く手を遮るものはなくなり、走る足も緩めない。

 地上でイザードが怒鳴っている。


「テオッ! またお前は眼鏡をつけずに! エルバートに散々言われていただろう!」

「眼鏡つけるとか手間だし邪魔。抑制器って言ったって、エナジーの消費を抑えるには微力過ぎるんだよ、無駄無駄」

「無駄な訳あるかぃッ! 貴様には危機感が足りん!」

「危機感なんて、危機に陥ってからでいいんだよ」


 ――イザードがなぜそこまで必死になるのか、俺には分からない。俺が魔術を使うと、通常の魔装具を扱うよりエナジーの消費が激しい? だからなるべく使うな、使うなら抑制器をつけろ? 訳が分からない、力は使ってこそだ。それに、俺が一度使うくらいで何が変わるという。今もこうしている間に、世界中で大量に魔装具が使われ、エナジーが消費されている。俺の魔力で消費する量が、その全世界の消費量に勝るというのなら考えてやるが、そうではないのだ。


 塀を飛び移って逃げていると、イザードはさすがについてこれなくなったらしい。適当な場所で路地に降りて辺りを見回す。イザードの姿が現れることはなかったので、そのまま俺は帰宅することにした。

 そこで、ずっと右手に持っていた魔装具に視線を落とした。銃型の攻撃系魔装具だ。カーシュナーが留守で暇だったので、手頃にあったこの魔装具を改造していたのである。最初よりずっと威力が強いものになったし、これを爆発物と言うなんてイザードは本当に無知だ。俺が改造したものが、爆発するわけがない。


 下町にある、そこそこ立派な平屋住宅。それが、俺とカーシュナーが隠れ住む家だった。

 俺を連れて逃げたカーシュナーが、なぜ下町に住むことにしたのかは知らない。だが、大統領の息子ということが世間に知られていない変わり者カーシュナーには、下町の質素な生活が性に合っていたらしい。毎日のように下町の困っている人たちの助けをして暮らしている。

 今日も、近所の人に頼まれて朝から出かけている。留守番をしていた時に、定期的に会いに来るイザードに魔装具改造をしていたのを見つかってしまったのだ。


 扉を開けた瞬間に、室内からふわっとコーヒーの香りがしてくる。――いつでもこの家は、コーヒーの香りに満ちている。コーヒーは嫌いじゃないが、正直もう飽きた。


「やあ、お帰りテオ」


 ソファに座って本を読んでいたカーシュナーが、俺に気付いて微笑を向けてくる。テーブルの上には、やっぱりコーヒーがある。


「どこ行ってたの? 留守番頼んだのにいないから吃驚したよ」

「あ、いや……ごめん」


 いたたまれなくなって俺は顔を背ける。小さいころから傍にいてくれて、いつでも味方になってくれたカーシュナーに、どうしても俺は強く物を言えない。このふわふわした感じの人に、頭が上がらないといっても良いだろう。俺を助け出してくれた人に楯突こうなんて恩知らずな真似をするつもりもない。

 ――イザードは別だ。あの人はからかうと面白いし、たまにちょっと気に食わない。


 エルバート・カーシュナー・ブロウズ。年齢は俺より五歳年上。まだまだ青年といった域の男。茶髪に茶色の目という至って普通、いや地味な容姿。身長はほぼ俺と同じだが、俺はまだ伸びる伸びてやる。運動はてんでだめ。読書と絵と音楽を何よりも愛する。エナジーについて専門的に研究してきた人物で、専門知識から雑学までかなり博識。

 大統領の息子、魔装具開発の研究者という身分を捨てて、少年の俺を助けてくれた、――変人。



 勝手に出かけた俺を叱ることもなく、カーシュナーは本を置いて立ち上がった。


「コーヒー飲む? 寒かったでしょ」

「……うん」


 特に何も考えずに頷き、ソファに腰を下ろす。カーシュナーは頷いてキッチンへ向かった。

 カーシュナーは無類のコーヒー好きだけど、豆に拘ったり自分で挽いたりということまではしない。ただ飲むことができればいいらしい。良く分からない。


「コーヒーって中毒になるらしいよ。胃壊したり、精神的に病んだり」


 そう言うと、カーシュナーが小さく笑ったのが聞こえる。


「相当量飲んだ場合でしょ? 大丈夫だよ、僕はさすがにそこまで飲んでないから。なんというか、口寂しいから『とりあえずコーヒー』ってことさ」

「それがもう違う意味で中毒な気がするんだけど……」


 カーシュナーとここに住むようになって、時間が経った。毎日コーヒーの香りに包まれて、やることもなくのんびり過ごす日々。

 今まで忙しく過ごしていたせいで、やけに時間の流れが遅く感じる、最近。


 ブラックが嫌いな俺のために、ミルクを入れたコーヒーを持って来てくれる。カーシュナーは俺の反対側のソファに座り、閉じていた本をぱらぱらとめくり始める。


「……テオ、また眼鏡かけずに魔術使った?」


 本に視線を落としながら、カーシュナーはそう尋ねてきた。やっぱりその質問か、と俺は身を固くする。


「面倒なのは分かるんだけど、できればつけてほしいな。折角作ったんだし」

「だって、伊達ならまだしもちゃんと度が入っちゃってるし」

「あれ、テオって驚くほど視力が良いわけじゃないよね? 度は弱いからちゃんと見えるでしょ」

「そうだけど、なんか……」

「レンズの部分に抑制器が組み込まれてるんだ。伊達だと意味ないんだよねぇ……」


 コーヒーカップからあがる二つの湯気。数秒の沈黙に、カーシュナーがページを繰る音だけがやけに大きく聞こえた。


「……なんで抑制器なんてつけるんだよ。たいした力じゃないから、抑制できるのもちょっとじゃないか」


 思い切ってそう告げると、カーシュナーは微笑んだ。


「確かに抑制するには君の力は強すぎるね」

「だったら」

「気持ちがほしいんだ。……気持ちが」


 そこで初めてカーシュナーは顔をあげてくれる。


「論理的ではないけれどね。なるべく世界には優しくしたいじゃない。そう思うのは、僕のエゴだけどさ」


 ……よく分からない。

 ただ、カーシュナーはいずれ来るかもしれない『何か』を恐れていると――それだけは分かった。それはきっと俺がもたらす。そうならないように、気休めの抑制器。

 俺の存在は、世界にとって害なのかもしれない。知っている、俺が魔術を使えば使うほどエナジーを大量消費するのだと。それは、俺が思っている以上に深刻な問題なのかもしれない――。


「テオ、絵を描こうよ」

「は?」

「お互いの似顔絵」

「何が悲しくてあんたとお互いの似顔絵描くの?」

「冷たいこと言うなぁ。絵の描き方、教えてあげるからさ。あ、じゃあ楽器はどう? ヴァイオリンとか弾けるとカッコいいよ」

「ちょっ、なんで……!?」

「芸術はね、仕事にすると辛いんだけど、趣味でやっていると楽しいよ。何かに優しくなれるし」


 今日は輪をかけておかしなことばかり言う。俺はその程度にしか思わなくて、押し付けられるがままにヴァイオリンの練習をしたり絵を描いたりしたものだ。

 あの時の俺は子供で、カーシュナーのおかしな言葉の奥にある真意を見抜くなんてことはできなかった。



 だから。



 十年前のあの日、血まみれのカーシュナーを見て、ようやく俺は悟ったのだ。


 俺の存在は、世界の害でしかない。

 イザードの言ったように危機感が足りなくて、カーシュナーの言ったように優しくなかった俺が招いた、悲劇。

 俺のせいで死んだカーシュナー。



 ――テオのせいじゃない。テオのせいじゃないよ。



 二回、カーシュナーはそう言い聞かせて目を閉じた。


 嘘つくなよ。俺のせいじゃないか。

 何度そう叫んだだろう。

 それも、カーシュナーが言っていた『気休め』か。


 幼馴染で弟分のカーシュナーを失ったイザードは、俺を何も責めなかった。自分とカーシュナーの忠告を聞いていれば、などということは何も言わなかった。追い込まれて命を断とうとした俺を、あろうことか助けてくれた。

 生きてちゃいけないんだ。そんな風に言う俺に、『命を粗末にするな』と叱りつけて。


 カーシュナーのように人のためになろう。カーシュナーのように頼れる人に。


 もう、同じ失敗はしない。そう誓った。



 けれども目を閉じれば脳裏に浮かび上がる、カーシュナーの姿。



 もうそれは、もはやカーシュナーではなかったというのに――。





★☆





「や、めッ……!」


 知らない間に声が出ていて、一瞬で目が醒めた。ばっと身体を起こすと、びっしょりと額に汗をかいていた。飛び起きた拍子にやってしまったのか、床に積んであった本の山が大きく崩れている。

 ああ、これこれ。これが悪夢見た場合の飛び起きだよね。


 妙な感慨にふけっていると、扉が急に開いた。驚いて振り返ると、エリオットがそこにいる。彼が付けているエプロンのポケットに、チコがすっぽり収まっている。……それじゃカンガルーみたいなんですけど。


「おはよう、エリオット。どうした?」


 声をかけると、エリオットはきょとんとした顔で俺を見ている。


「いや……すごい音がしたから、何事かと思って」

「ああ、これだよこれ。蹴り飛ばしたみたいで」


 床に散乱した本を指差すと、エリオットは「そうか」と頷いて部屋に入ってきた。本を積み直しはじめてくれる。

 最近は魔装具修理の依頼もないので、作業場のソファではなく自室で寝ていた。どうやら俺は、ベッドで眠ると夢を見てしまうらしい。


 本を直してくれたエリオットが俺の方を見る。そして目を見張った。


「あんた、なんでそんなに汗かいてるんだ?」

「またちょっと昔の夢見たからかな。冷や汗さ」

「悪い夢だったのか?」

「……そうだな、できるなら二度と見たくない」


 そこまで言って、我に返った。昔の夢を見たせいか、口調が昔のようにぶっきらぼうになっていたのだ。

 カーシュナーが死んでから、意識して彼の特徴を真似てきた。柔らかい言葉遣いに、絵や音楽、コーヒー。そうしてカーシュナーがやってきたお悩み相談を引き継いだ。

 真似だったはずのそれはいつしか俺にぴったりと馴染み、今では(テオ)の特徴になっている。勿論、昔の俺を知るイザードには滑稽に見えているだろう。それにカーシュナーはここまで怠惰な人間ではなかった。


 カーシュナーが言った『世界に優しくなれ』という言葉の意味を知ろうと思って、真似を始めたのだ。その答えは案外すぐに見つかった。

 カーシュナーは風景画を描く男だった。それに倣って絵を描いてみれば、下町はとても魅力的な街だった。並ぶ住宅も、遠くに見える山も、広場で遊ぶ子供たちの姿も、何もかも見事だったのだ。

 ヴァイオリンを弾いてみれば、いつの間にかたくさんの人が聴いて拍手してくれる。もっと弾いてと言ってくれる人もいた。

 万屋家業をはじめてから、たくさんの人の笑顔を見てきた。


 自分が生活している「世界」を、「守る」努力をしろと、そういうことだと解釈した。


 個人の努力ではどうしようもないこともある。それでも大切なのは、それを心がける「気持ち」だ。



 だから俺は、カーシュナーが作ってくれた眼鏡型の抑制器を使うようになった。それ以前に、なるべく魔術は使わないように決めたのだ。自分の力が世界に害をもたらすと知ったから。



「……大丈夫だよ。心配かけてごめんね」


 俺のことを「家族」だと断言してくれた、エリオットのためにも。


「ならいいけど、調子悪いなら無理するなよ」

「元気元気。平気だってば」

「じゃ、早く着替えてこいよ。朝食の準備は出来てるから」

「はーい」


 エリオットがチコを連れて部屋を出ていく。タンスから服を引っ張り出して着替え、寝間着として着ていたシャツを持ち上げる。うわ、寝汗びっしょりじゃん。相当うなされてたな、俺。

 部屋を出てシャツを洗濯機に放り込み、リビングへ向かう。途端に香る、コーヒーの芳香。キッチンでエリオットがコーヒーを淹れ、リビングのテーブルの上でチコが小皿に乗った野菜を一心に頬張っている。


 パンやスープが並ぶ食卓へ座ると同時に、エリオットがコーヒーカップを置く。自分も座りながら、エリオットはちらっと俺の方に目線を送った。


「よく飽きないよな。そういえば、コーヒーって中毒症状があるらしいぞ」


 どこかで聞いたような台詞だ。エリオットの声も表情も、呆れというかなんというか微妙なものだ。

 あの時、同じことをカーシュナーに告げた俺も、そんな感じだったのだろうか。


 ふっと笑って、コーヒーカップを持つ。その香りを楽しんでから、俺は目を閉じた。


「相当量飲んだ場合でしょ? 大丈夫だよ、俺はさすがにそこまで飲んでないから」

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