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万屋ですがなにか。  作者: 狼花
VOLUME Ⅰ
19/53

File fifteen 怪盗ですか、強盗ですか。

 

 

 

 盗人でもなさそうだぞ。





★☆





 青いキャンバスの上に、大きさも不揃いな白い雲が三つ。ところどころに見える住宅の屋根は、赤だったり黒だったり。さすがに近所で遊ぶ子供たちの声は、筆では表現できない。


「いーい天気……」


 リビングの窓辺に椅子を置き、外をスケッチしているテオは大きく欠伸をした。丁度真反対にある窓から裏庭に出ていたエリオットが、洗濯籠を手に戻ってくる。


「おいテオ、布団干すから持って来いよ」

「えぇ、俺いまお仕事中」

「絵を描いてるだけだろ! しかもそんなぐうたらで。俺はシーツ洗濯しなきゃならないんだから、そのくらい手伝ってくれって」

「シーツ取りにどうせ君も部屋まで行くんじゃん」


 やれやれと呟きつつ、テオは筆をおいて立ち上がった。自室の布団――そんなに使ってはいないのだが――を持ち上げ、外の物干し竿にかけた。

 そうして再び椅子に戻り、書き途中のスケッチブックを眺める。ただ単に、万屋の窓から見える風景を写生しているだけだ。


 エリオットが通りがかったときに、ひょいとスケッチを覗いていく。そして心底嫌そうな顔をして一言。


「……無駄に上手いし」

「無駄って何さ無駄って」

「でも良かったのか、あの子の依頼受けて。『学校の宿題で絵を描かなきゃいけないのに自分じゃ下手だから無理』なんて丸投げされて。あんただって、そういうのは自分でやれって最初言ってたじゃないか」

「うん、まあごもっともなんだけどね。あまりに頼まれるから、色塗りは自分でやってねってことで妥協した」

「なんで?」

「あれ、知らない? 下書きのときすっごい上手くできても、色を塗ると失敗するってよくあることだよ?」


 エリオットが呆れているのが、背中越しでもよく伝わってくる。エリオットはそのままシーツを持って洗面所へ向かったのだが、それをチコが追いかけて行った。


「――あっ、ちょっ、チコ、やめろって! 折角洗ったのにまた毛だらけになるだろ!? ……そうか分かった、お前も洗濯されたいんだな!?」

「エリオットー、動物虐待は駄目だよー」


 洗面所でどたばたしているエリオットに声を投げかけたテオは、そのまま椅子の背もたれに背を預け、大きく腕を天井に突き上げて伸びをする。


「……お絵かき日和、洗濯日和、お昼寝日和」


 なんにせよ、春のこの時期は気分がいい。



 そんな麗かな気持ちをぶち壊す、白昼の騒ぎは。



「助けてぇッ!」



 悲鳴から始まった。


 エリオットがはっとして洗面所から飛び出してくる。それまで散々乱闘していたのか、チコはエリオットのズボンの後ろポケットに頭から突っ込まれていた。


「いまの、リオッ!?」

「の悲鳴に似てたねぇ」


 テオも立ち上がる。エリオットはその時既に玄関を開け、外に飛び出している。視線を巡らせると、右手の路地に大柄な男性に腕を掴まれているリオノーラがいた。


「こ、こらお嬢ちゃん、静かに……!」

「やだやだ、離してぇッ」


 懸命に抵抗するリオノーラだが、大の大人が相手では歯が立たない。エリオットがすぐさまに快足を飛ばした。遅れながらそれを見たテオは苦笑を浮かべ、右手をつと上げた。


「白昼堂々、嫌がる女の子につきまとう変態ひとりっ」


 その声と共に振り下ろされた右手には、小型の攻撃系魔装具。


 エリオットがリオノーラから男を引き剥がそうとした瞬間、彼らの間で小規模な爆発が起こった。主にそれは男性に矛先が向いており、軽く吹き飛ばされかけたリオノーラを慌ててエリオットが受け止める。地面に転がった男を見て、エリオットはさっと顔色を失った。


「あ、あんた……!」

「あっれぇ、イザードだったのかぁ。ごめんごめん、変質者かと思って術使っちゃったよあっははは」


 しれっと登場したテオに、身体を起こしたイザードは今年一発目の怒鳴り声をあげたのだった。


「分かっていてやっただろうが貴様ッ――!」




 朝から一騒動起こしてくれたふたりを店の中に招き入れる。そしてここで、今まで「ありそうでなかった」テオ、エリオット、リオノーラ、イザードという四人の顔合わせが行われたのである。

 イザードを警戒しているのか、ぴったりエリオットから離れないリオノーラは、訝しげなままエリオットに問いかける。


「お兄様、その人はだれ?」

「ああ、ちょっとしたテオの知り合いの――……おじさんだよ」

「おい貴様、なぜいま一瞬考え込んだのだ」


 イザードに問い詰められたエリオットは笑ってそれを誤魔化す。テオはリオノーラとイザードを見渡す。


「それでどうしたんですかおふたりとも。はい、まずリオノーラから」


 テオに発話権をもらったリオノーラが、懐から一枚のカードを取り出す。受け取ったテオがそれを読み上げる。


「……『日付が変わるころ、オースティン伯爵家の家宝「カタナ」を頂きに参ります。怪盗ヨシュア』……? なにこれ」

「犯行予告だよ!」


 リオノーラが身を乗り出す。テオが苦笑した。


「それは分かるんだけど……なんとまあ今時古典的な」

「『カタナ』ってなんだ?」


 エリオットが口を挟むとリオノーラはすとんとソファに腰を下ろした。


「オースティン家のご先祖が昔、遥々海を越えてベレスフォードに来たってのは知ってるでしょ? 『カタナ』はその故郷の武器で、要するに片刃しかない剣のことだよ」

「オースティン家はそれを大切に祀っているんだよね」

「よく知ってるね、テオ! 僕もね、昔から刃研ぎとかやらせてもらってるんだ。だからまだ武器として役に立つんだよ」


 おい、家宝って子供に研がせていいものなのか。


「しかしまあ、カタナを盗みに来るとは……確かに古い時代の鉄器だから価値はあるだろうけど、なんでことさらそれを狙って……」

「お父様もテオと同じこと言ってたよ。で、でもさ、やっぱり怖いじゃん。だから僕からの正式な依頼として、今夜の護衛をお願いしたいんだけど……」


 エリオットは内心で『またリオとテオが結託して俺を騙そうとしているんじゃ』などと思ったが、緊迫した様子からそんな秘め事の雰囲気は伝わってこなかったので、黙っている。

 テオは「分かった」と頷き、黙っていたイザードに目を向けた。


「お待たせイザード。どういうご用事?」

「……怪盗から予告状が来たというのは警備軍のもとにも報告が来た。ということは、だ! きっとご令嬢が貴様らのところへ護衛の依頼を持ち込むだろうと思って先回りに来たら案の定というところだ!」

「支離滅裂です」


 テオの短いが鋭い言葉に、イザードが咳払いをする。


「お前を阻止に来たんだ、テオ」

「……どういうことかな」

「お前はきっと、護衛を頼まれればほいほい引き受けるだろう。いいか、お前は最近目立ちすぎなんだ。貴族の護衛なんぞをしたら、今度こそ確実に正体が知れる。オースティン伯爵にだって、捕縛命令は出ているんだぞ」

「伯爵は彼らの父親だ。そんな真似はしない」

「どうだろうか。伯爵だって権力者だ」


 テオが眉をしかめた。そんな厳しい表情をするテオは、エリオットも滅多に見たことがない。

 イザードの口調は静かだ。『貴様』だった呼び方も『お前』へと柔らかくなっている。しかし、それがかえって深刻だ。


「……やめてよ。俺以外にも今いるでしょ」

「このままだとまずいのは、お前にも分かるだろう? エリオットだって奴らの監視下にある。私もここまで来てしまうと隠しきれん」

「イザード!」


 制止の声がテオの口から飛び出す。だがそれでもイザードはやめない。


「もうお前だけの問題じゃないんだ。分かっていてエリオットらを巻き込んだのはお前だろう?」


 テオは目を閉じた。そして静かに立ち上がる。


「――リオノーラ。その依頼、受けるよ」

「おい、テオ!」

「イザード、俺はね、十年以上平和な生活を送らせてもらったんだ。これ以上、知らないふりはできない」


 そう言って笑ったテオは、いつになく悲しそうに見えた。





★☆





「ごめんなさいね、エリオット。折角来てくれたのに、私ったら……」

「あ、いや、大丈夫ですから! その……ちゃんと、寝ててください」


 ――怪盗から伯爵家の家宝を守るためにこの屋敷へ来たのだが、これは一体どうしたことだろう。


 玄関ホールで伯爵に出迎えられたのはほんの五分ほど前だ。しかしその時、伯爵夫人の姿がないことにエリオットはすぐ気付き、どうしたのかと尋ねたのだ。夫人は、少々風邪気味のため挨拶は遠慮するとのことで休んでいるそうだ。すると、あれよあれよという間にエリオットは夫人――実母の寝室までリオノーラに引っ張られてしまい、室内に放り込まれて二人きりにさせられたのである。


 エリオットとは違う、金色の髪。リオノーラと同じ、碧玉の瞳。ああ、リオに似ている、とエリオットは直感した。おそらく傍目から見れば、エリオットも母に似ているだろう。


「……り、林檎でも剥きましょうか?」


 微妙な雰囲気に耐えられず、見舞い品なのかテーブルの上に置いてあった果実の山を見てエリオットはそう提案したが、「風邪のとき林檎剥くって庶民の発想じゃないか」とすぐ赤面する。しかし母は嬉しそうに笑うのだ。


「本当に? 嬉しいわ」

「あ、ああ……じゃあ」


 エリオットは林檎を手に母のベッド傍の椅子に腰かけ、器用にナイフで林檎を剥いていく。母はそんなエリオットの手元や顔をじっと見つめており、エリオットは気まずくて顔を背ける。


「な、何かついてます……?」

「んーん。立派になったんだなあと思って。もう二十歳だものね……」


 感慨深そうな母の言葉に、エリオットはゆっくり顔を戻す。きちんと顔を見て話すのは初めてだ。母親が自分の子にかける想いは父親の比ではないというから、おそらくエリオットを失ったときの心労は相当なものだっただろう。なぜもっと早く、自分は母に顔を見せに来なかったのだろう。今更に後悔する。

 林檎を皿の上に切り分けながら、また尋ねる。


「身体、弱いんですか?」

「そんなことないのよ。ただ、季節の変わり目だから風邪を引いただけ。大したことないのに、みんな大袈裟なんだから」


 ころころと笑う姿は、少女みたいだ。


「ありがとうね。心配してくれて、優しいのね」

「そんなこと」

「……なに、まだ緊張してるの? いいのよ、楽にして」


 楽にしてと言われても。


「――あの、なんて、呼べば?」

「え?」

「リオみたいに『お母様』とか呼ぶのは……俺、無理だし」

「ふふ、そんなこと気にしてたの? 好きな風に呼んでくれたら、それが一番うれしいわ」

「――……母、さん」


 ぽつりと呟いたエリオットの呼びかけに、彼女は大きく目を見張った。それと同時に扉がノックされ、伯爵とテオ、リオノーラが顔を出す。伯爵はすぐ、自分の妻が驚愕している様子に気付いた。


「……どうした? そんなに驚いた顔をして……」

「――あなたッ、聞いた!? いまエリオット、私のこと『母さん』って呼んでくれたわ! ふふふ、あなたが父と呼ばれるよりも先よ、これが母の存在の大きさってものね!」


 ――訂正しよう、この人は『少女みたい』なのではない。中身が思い切り『少女』なのだ。

 リオノーラの性格のルーツはここか、と妙に納得してしまう。


「こらこら、仮にも風邪で療養中だろう……それよりエリオット、見てくれ。これが家宝のカタナだ」


 興奮する妻をなだめて、伯爵は手に持っていた一本の剣を差し出す。古びたものであるが、武器としてまだ使えることは保存状況からしてすぐに分かる。おそらくこの質素な鞘を抜けば、刃としての光が残っているだろう。


「これをエリオットに預ける。君が身につけてくれていれば、いくら怪盗でも盗めまい。いざという時は武器として抜いてくれて構わない」

「あ、はい、分かりました。預かります」


 エリオットはカタナを受け取り、愛用の長剣と共に腰帯にそれを佩いた。一応、傭兵時代は二本の剣を持ち歩くこともあったので、重さ的には大したことがない。


「さて、怪盗とやらがやってくるのは日付が変わる深夜零時だ。それまで、ふたりともくつろいでいてくれ」


 伯爵の言葉にテオは微笑み、エリオットは頷く。


「エリオット、もう少しお話しましょ?」

「お母様、お兄様に風邪うつさないでね!」

「いやちょっとふたりとも、俺はこの家の見取り図を把握しておきたいんですけど!」


 母と妹に拘束されているエリオットに、テオは言葉を投げかける。


「エリオット。君はお母上とリオノーラを守ってくれ」

「え?」

「相手の狙いはカタナ。それは君が身につけている。ならば君を守ることが、カタナを守ることと同じだ。だから俺は、君たちを守る」


 唖然としているエリオットに向けてテオは微笑んだ。


「気にしないで、君はいつも通りにしていていいよ」


 そう言い残して部屋を出ると、廊下には伯爵が佇んでいた。明らかにテオに話がある、といった様子だ。少し扉の前から離れると、伯爵もついてくる。


「――君は、怪盗とやらが本当にあのカタナを狙っていると思うか?」


 問われ、テオは足を止めて振り返る。


「いいえ。口実でしょうね」

「奴が狙っているのは……君か、エリオットか?」

「……伯爵ご自身かもしれませんよ?」


 この人は、全部察しているのだろうな。テオは内心でそう思いつつも、何も言わない。


「誰にも怪我はさせない。必ず守ります」


 テオはそう言って伯爵に軽く頭を下げ、その場を立ち去った。




 ――深夜零時。

 昼間はあれだけ賑やかだったオースティン伯爵の屋敷内は、夜の闇に閉ざされて静寂の中にあった。ホールにある壁掛け時計が、絶えず時間を刻む小さな音だけが響いている。


 そんな時、ホールに面している使用人用の寝室の扉がゆっくり開いた。何かあったらすぐ対応できるように、使用人たちはここに寝泊まりしているのだ。

 出てきたのは執事服姿の若い男だった。彼は扉を開けたのと同じようにそっと閉め、視線を上にあげる。部屋の両脇にある階段を上ると、その先に伯爵や夫人、令嬢の部屋がある。


 視線を戻そうとすると、視界の端で何かが光ったのを察知した。さっと天井を見上げると、その瞬間に天井から鋭い光が豪速で降ってきた。罠だ。

 執事の男は軽々とそれを横っ飛びに避けた。だが着地したその地点めがけ、今度は壁から光が襲来する。またしてもそれを回避した男は、襲撃してきたものが先端にナイフを括りつけたワイヤーであることを知った。


「こんばんは、なかなか動きが軽快な執事さん。さすがと言っておこうかな」


 玄関の傍に立っていたのはテオである。執事の男性が口を開こうとすると、テオが手を挙げてそれを制する。


「取り繕わなくていいよ、もう分かってる。貴方が怪盗ヨシュアだね」

「……どうして分かったのです?」

「予告状は屋敷の執務室にいた伯爵の手元に投げ込まれたって言うから、普通に考えてその時点で屋敷内に潜り込んでると思うでしょ。それに今時、わざわざ素顔を隠したら自分から『怪しい』って言うようなものだしね」


 テオはゆっくりと執事――に扮した怪盗ヨシュアのもとへと歩み寄る。高い天井にある天窓から差し込む月の光が、ふたりの姿を照らす。


「いつから潜り込んでいたのかは知らないけど、相当下調べは積んでいるだろうね。カタナをエリオットが持っているのも把握済みかな。……さあ、どうする? エリオットのところに行きたかったら、俺と戦わないといけないんだけど」


 ヨシュアはすっと足を滑らせ、軽く身構える。この男は執事でなく怪盗なのだが、執事といっても良いほど所作が滑らかだ。

 浮かんだ微笑は世の女性すべてを魅了するかのように魅力的でありながら、どことなく危険な色も浮かんでいた。


「それはむしろ、こちらとしては本望」


 ヨシュアは身を屈め、そして床を蹴った。その手に光るのは、短剣だ。

 エリオットにも劣らぬ突進から放たれた斬撃を、テオは回避した。追撃も身を捻って躱し、その勢いのままテオの回し蹴りが炸裂する。

 防御の構えを取っていたヨシュアは難なく蹴りを受け止めたが、さすがに後退する。テオは微笑んだ。


「へえ、最近の怪盗は戦闘力が高いんだねえ」

「時代は変化していくものですから。それより怪盗という呼び方をどうにかして頂けませんか。聞いていて恥ずかしいです」

「自分で言う、それ?」


 緊迫感のない会話ながら、互いに一歩でも動こうものならすぐさま飛び掛かるように身体は準備されている。ヨシュアはナイフを手の中でくるりと回転させた。


「しかし貴方もお強いですね」

「まあ、それなりに」

「ただ、今の状況で私は倒せないと思いますよ。……魔術はお使いになられないのですか?」

「……」

「その左手のバングルは、攻撃系魔装具でしょう?」

「人の家だからね。なるべく大騒ぎしたくないんだよ」


 先に仕掛けたのはヨシュア。テオは基本的に受け身だ。ナイフの一閃を避けたテオはヨシュアの脇腹に肘を叩きこんだ。初めてよろめいたヨシュアは、素早くテオから距離を取った。

 その時、突如としてヨシュアめがけ大量の炎が『降り注いで』きた。驚いたヨシュアが飛び退き、上を見る。階段を上がったところに、小さく跳ねる生き物がひとつ。そして、それを追いかけてくる二つの人影。


「も、もう、チコ! 勝手に……!」


 場にそぐわない少女の声が聞こえたかと思えば、すぐに消える。あとから来たエリオットが、慌てて妹の口を塞いだのだ。

 テオが呆れたように肩をすくめる。


「まったくもう、何やってるの、あの子たちは……」

「ほう、魔物を飼う趣味がおありなのですか」


 ヨシュアはそう呟くと、手に持っていたナイフをくるりと回転させ、身構えた。一瞬遅れてそれに気づいたテオが、はっとして叫ぶ。


「! 待てッ」


 ヨシュアが狙っていたのは、炎のブレスを吐き出して得意げになっていたチコだ。テオの制止の声は遅く、エリオットが滑り込んでチコを抱き上げたまでは良いものの、自身が逃げる暇がない。エリオットが自らの背で迫りくるナイフを受けようとしたとき――。


『shield!』


 エリオットを守るように形成された、透明な壁。ナイフを弾いたその盾は、すっと消えてなくなった。それを見たヨシュアが笑みを深くする。


「聞いていた通り……やはり貴方がテオドール・ティリットか!」



 テオドール・ティリット。


 政府が探している、研究者の名――。



 テオとヨシュアの間にあった闘気がいつの間にか消えていた。ヨシュアは地面を蹴ると、常人にはあるまじき跳躍で一気に二階へと飛んだ。手すりの上に立ったヨシュアは、唖然としているリオノーラに向けて優雅に一礼して見せる。


「お騒がせいたしました、お美しいお嬢さん。いつかまた会える日を楽しみにしております」


 危機感の欠片もないヨシュアに向けてエリオットは剣を抜いて斬りかかり、反対方向からはチコが炎のブレスを吐き出した。ヨシュアはふわりと跳躍することでそれを避け、開いていた二階の廊下の窓から外へ飛び出してしまった。

 エリオットが舌打ちしたのと同時に、リオノーラが我に返る。


「……え、え!? あの怪盗、何しに来たの? カタナを狙ってたんじゃ……」

「いや……カタナを狙うっていうのはただの口実で、本当の狙いはテオだったんじゃないかな」


 エリオットが呟くと、テオは静かに階段を上がってくる。チコがテオの足を登って肩まで駆け上がった。そんなチコの頭を「お手柄だったね」と撫でてやりつつ、階上に上がってきたテオは頷く。


「彼は怪盗なんかじゃないよ。政府の隠密だと思う。それも、戦いに特化した……ね。彼の目的は、探している人物が俺なのかどうかを確かめることだった」

「そして――テオに魔術を使わせて、確信したんだな」


 テオはエリオットに視線を送る。


「……その顔だと、やっぱり俺の正体に気付いていたみたいだね」

「……どうだろうな。俺は、『ティリット』という名の研究者が政府に追われていることしか知らない」

「それが俺のすべてだよ」


 あっさりと認めたテオは、チコをそっと手すりの上に下ろす。


「ごめん。巻き込んでしまったね」


 申し訳なさそうなその言葉にエリオットは肩をすくめる。


「水臭い。今更だよ」

「今更か。……ほんと、今更だ……」


 視線を床に落としているテオの表情は、彼の茶髪に阻まれて見えない。手すりに置いていた両手に力が入り、ぐっと木の手すりを握りしめたのだけが見て取れる。


 リオノーラはひとり話についていけずにおろおろしているが、本当のところはエリオットだって事情が分からない。テオ――テオドール・ティリットがどんな人物で、何をして、なぜ追われているのか。まだ何も分かりはしない。



 ただ確実なのは――これで何かが『変わる』ということだけだった。

依頼提供:ジョシュア様

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