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万屋ですがなにか。  作者: 狼花
VOLUME Ⅰ
18/53

Other file 【3】

 

 

 

 旅芸人一座である劇団エースは、雪が解けはじめるころに一か月だけ首都コーウェンに居を置く。


 その間には勿論劇場で公演を行っているが、この期間というのは劇団員の羽休めという意味合いが強いそうだ。

 だから団員たちは、公演や練習以外の時間を、首都で自由に過ごしている。この街が故郷だという者も多いので、久々の実家帰りをする者もいるらしい。


 そんな中で出会ったセイラは、劇団の華でありながら、公演以外ではまったりとした少女だった。





★☆





「……で、お兄様はそのセイラさんのところに?」

「うん。ごめんねリオノーラ、なんか今日は劇団の首都最終公演だとかでどうしても観に行きたいんだって」


 ふうん、なんて言いながら食卓でジュースを飲むリオノーラの真正面で、テオは小型の攻撃系魔装具を布で磨いている。チコはちょろちょろと食卓の上を走り回っており、さすがにテオがひっ捕まえてじっとさせる。特別リオノーラに懐いているチコは、彼女が来るとしばらくの間テンションがあがってしまうらしい。


「まあ、せっかくの休日なのに申し訳ないってエリオット、昨日これ買って来てたからさ。ちょっと大目に見てやって」


 食卓の端に置いてあった袋をリオノーラの前まで引き寄せる。中を覗いたリオノーラは嬉しそうに目を細めた。


「わ、マフィンだ。お兄様ったら、僕の趣味分かってる!」

「この間チーズケーキ食べさせてあげられなかった罪滅ぼしも入っているから、遠慮なくどうぞってさ」

「ああ、そっか。なんか人のふりしてお父様を看取るっていうお仕事だったんだっけ」


 マフィンを皿に出したリオノーラに、テオは少し微笑んで見せる。実際には少々違った依頼だったが、あの時は数日間病床の男性につきっきりで、エリオットが妹へと買ってきたチーズケーキはついに食べさせてあげられなかったのである。

 正直、エリオットはああいう依頼のあとは引きずるだろうなと思っていたのだが――テオが思っていたより切り替えは速かった。慣れてきたのだろうか。時に人の生死を扱う万屋だが、そういう依頼に携わるにはエリオットは優しすぎると思っていたのだが。


 優しすぎるのは変わらないか――ただ、去っていく人の想いを受け止め、自分のものにできるようになっただけだ。


 テオは魔装具をテーブルの脇に置き、肘をついて指を組んだ。


「……ちょっと意外だったな。君、絶対エリオットの傍にいるセイラさんに食って掛かると思ってたんだけど」

「僕のことなんだと思ってるのさ」


 不満そうに頬を膨らませた表情や声は、どことなくエリオットに似ている。


「いや、『お兄様は僕のものなんだからね!』くらい言うかなあと」

「そりゃあお兄様のことは大好きだけど! 僕はお兄様の妹だもん。お兄様は、お兄様が好きな人と一緒にいてほしいよ。セイラさんって、すごくいい人そうだったし」

「……良い子だねえ」


 テオは微笑み、組んだ指の上に顎を乗せた。その瞳はどこか遠くを見ているようだった。


「俺の周りは良い子ばっかり……それに比べて俺は、ねぇ……」

「どうしたの?」

「……ん、なんでもないよ」


 テオはコーヒーのカップを取り上げ、口元に近づける。「もう冷たいコーヒーでもいいかもなあ」なんて言いながら。

 リオノーラはマフィンをフォークで崩しながら顔をあげる。


「劇団エースって一か月首都にいるんだよね? もうそろそろ旅に出ちゃうのかな?」

「今日なんだって」

「え?」


 テオは目を閉じる。


「今日午前の公演が終わったら、夜には出発するそうだよ」


 だから尚更、テオはエリオットを引き止められなかったのだ――。





★☆





 最初からこうなることは分かっていたのだ。


 言い訳じみたことを考えているな、とエリオットはひとり胸の内でひっそり笑う。

 いまエリオットは、繁華街の一角にある巨大な劇場に来ている。開幕する前で薄暗い劇場内の席に座り、幕が開くその時を待っている。

 セイラとは何度も会ったが、彼女の仕事としての踊りを見るのは実はこれが二回目である。一回目は約一か月前のショーの時だ。思えばあの時、ショーのピンチヒッターを頼まれたのが出会いのきっかけだったか。


 あの時から、彼女は「一か月間しか首都にいられない」と言っていた。親しくなれば親しくなるほど別れが辛いということは子供でも分かる。


 舞台の幕が開いた。オープニングを華々しく飾るのは、あの時のショーと同じく男性役者によるアクロバットだ。バック転で舞台を駆けまわったり、高所から吊り下げられている空中ブランコを使ったり、見るからに危険な動きばかりなのだが、不思議と見ている側はひやひやしない。この安定感はさすが専門家だ。

 派手な演出で観客を引き込んだところで登場したのが、踊り子セイラだった。

 まだ寒いだろうに、薄手の煌びやかな衣装をまとって、しかも裸足。緩い癖のある豊かな金髪は高く結い上げて、本当に綺麗――。


 彼女は手に持っていた扇を広げ、ふわりとその場で回って見せた。それと同時に音楽が始まり、合わせてセイラも踊り始める。


 ――惹かれたのだ。彼女に。

 エリオットに声をかけたときはあんなにもおずおずしていたセイラが、舞台上では堂々と演技をしている、その様に。優雅で、それでいて軽快で、煌びやかで。

 それでいて公演が終わってしまえば、すっかり元のお淑やかな少女に戻ってしまう、そんなセイラに、エリオットは惹かれた。

 好きとかそういう感情以前の問題だ。ただ、もう少し見ていたいと思っただけで――。




「ほんとに観に来てくれたんですね! ありがとう」


 化粧や飾りはすっかり落とし、先程まで舞台で華麗に踊っていたとは思えないほど質素な少女が舞台裏から走り出てきた。ショーは終わったというのに観客たちはまだ劇場周辺をうろついていて、お昼を食べに行くのか午後めいっぱい遊ぶつもりなのか、話を盛り上がらせている。


 おかしなものである。別にエリオットは彼女に「外で待ってる」と言ったわけでもないし、セイラもエリオットに「終わったらどこか行きましょう」なんて言ったわけでもない。しかしなんとなく互いにこれが当然のように思えてきてしまったのだ。


「いいの、こんなに早く出て来ちゃって? 俺はいくらだって待ってるから……」

「大丈夫です! 団長も、最後なんだから反省会はあとにして遊んで来いって言ってくれたので」


 ――『最後』。

 そう、分かっていたのだ。この日が来ることは。


『首都を見て回りたい』とセイラが言ったのは、テオから割引券をもらってなし崩し的に向かったピザ店でのことだった。


『首都生まれじゃないのか?』

『ち、地方の生まれでっ。首都には、ほんとにこの時期にしか来たことなくて……この期間に色々見て回ろうと思うんですけど、なんか、お勧めの場所とかありますか……?』

『うーん、でも俺も首都に住み始めてまだ半年も経ってないし……あんまり詳しくないんだけど』

『首都って、一年来ない間にがらっと変わっちゃうんです……お店とか。だから、半年でもここに住んでいるエリオットのほうが、私よりずっと詳しいと思い……ます』

『……じゃあ、一緒に見て回る?』

『は、はい!』

『え、即決……?』


 もうあれから一か月。隣にいるセイラはあの時のようにエリオットに対し緊張していなくて、もっと笑うようになっていた。人に声をかけるのが苦手だと言っていたが、今になっては彼女がエリオットを見つけてくれることの方が多い。

 行った場所といえば、ごくありきたりな場所だ。商店街を回って美味しいものを食べたり、観光名所を回ったり。中には「こんなところ見て何が楽しいんだろう」と思う場所もあったのだが、セイラの目にはすべて新鮮に見えたらしく、始終楽しそうにしていた。それを見てしまうと、彼女が楽しいならそれでいいなんて思いもしたものだ。


「さて、まずはお昼だな。今日は何食べたい?」


 そう問いかけると、いつもなら考え込むはずのセイラは、この日に限って最初から答えを決めていたらしく即答した。


「ピザ屋さん」

「ピザ……最初のところか」

「はい」


 それは紛れもなく、セイラが思い出を大切にしている証拠。


「分かった、行こう」


 エリオットが歩き出し、セイラも隣に並ぶ。肩がぶつかりそうなほど近くにいるけれど、そのまま触れることもなければ手を繋ぐこともない。なにせ、彼らは恋人などではないのだから――。





★☆





 食事を終えた後、しばらく繁華街をぶらついた。平日だろうとおかまいなしに人の多い場所だが、最近ではエリオットもこの喧騒が嫌いではなくなってきた。何にせよ、人々が楽しんで買い物をしていられるのは平和の象徴だ。


「そういえば今更言うのもなんですけど、お仕事は良かったんですか?」


 セイラに聞かれたエリオットは、つと視線を向けていた屋台からセイラへと意識を戻す。


「ああ、今日はカーシュナーに暇をもらってきたから」


(いや、断じてあいつから暇を『もらった』わけじゃねぇな)


 内心で自分の発言をすぐ取り消したが、セイラは「そうでしたか」と微笑んでいる。


 とはいえ、繁華街はこの一か月何度も来た場所だ。店の入れ替わりが激しい首都といえど、そうそうこれだけの短期間で変わることはない。最後だというのになんだか締まらない、と思いつつエリオットは頭を掻く。


「ええと……このあとどうする? まだ時間は、あるんだよな……」


 男としてどうなんだこれは情けない、と自虐したが、セイラは少し考えてぱっと笑みを見せた。


「じゃあ、私のお気に入りの場所に行きませんか?」

「お気に入りの場所?」

「はい。ちょっと、遠くなっちゃうんですけど」


 どのみち行くあてもない。エリオットはセイラの提案に頷いた。


 彼女は繁華街を城門のほうへと足を向けていた。首都から出るつもりだろうか? そう思ったが、たいして不安にはならなかった。セイラが平原について無知な一般人ではなく、エリオットと同じく街の外を旅する人間だということで安心感があったのだろう。勿論、何かあればエリオットが全力で守るつもりだ。

 案の定、セイラは城門をくぐって平原へ出た。そのまま南へ。「おや、この道は?」とエリオットは不思議に思いつつ、横にいるセイラに視線を送った。


「……なんか、ごめん。首都、まともに案内することできなかったな」


 急に申し訳なくなって謝ると、セイラは首を振った。


「そんなことないです。私、前からあちこち行ってみたかったんですけど、ひとりで出歩くの怖くって。かといって大勢一緒だと、それはそれで嫌だなあ……とか思っちゃって。だから、エリオットとふたりでお出かけできるの、すごく楽しかったんです」

「……俺も、楽しかったよ」


 ぽつりと呟く。聞こえたのか聞こえていないのか、セイラはにこにこと微笑んでいる。


 そして到着したのはやはり――クラリッサ海岸。大きな岩ばかりが転がる、釣りには絶好の無人海岸だ。


「だから……なんでみんなここに来るかなあ」

「え? 他の人も来るんですか?」


 呆れたように呟くと、セイラが振り返る。岩場を軽々と越えていくその動作はさすがだ。エリオットは苦笑を浮かべた。


「いや、俺の父親もここによく釣りに来るんだよ」

「エリオットのお父さん……?」


 セイラは岩場にすとんと腰を下ろす。その隣にエリオットも座った。日が傾いて来たのか、空と海は若干赤く染まりつつある。


「……この間、下町で演奏会をしたときに会った貴族の女の子……リオノーラさん、ですよね。あの子、エリオットのことを『お兄様』って呼んでましたよね」

「ああ。俺の妹だ」

「じゃあ、エリオットも貴族……?」


 セイラの問いに、エリオットは頷いた。……実感はないが、事実だ。隠すことでもない。


「生まれたばかりのころ、俺、誘拐されかけたそうなんだ。それを助けてくれたのが傭兵団のみんなで……俺はずっと傭兵団で育ってきた」

「……」

「その仲間たちも魔物に殺されて、俺も死にそうだったところをあのカーシュナーに助けられた。そのまま成り行きで、店で働いてるんだよ」


 セイラは「そうですか……」と呟く。重くなった雰囲気を払拭するため、エリオットはにっこりと微笑む。


「セイラは? どうして踊り子に?」

「え!? あ、あのぉ……故郷の街に巡業に来た旅芸人の芸がすごかったから、私もやってみたいなぁって……」


 そこまでもごもごと口に出したセイラは、両足を引き寄せて小さく縮こまった。俯いて髪に隠れたその頬は、かあっと紅潮している。


「す、すみません……なんか、単純な理由で……」

「そんなことないよ」

「でも、私が自分の夢を追いかけただけのお仕事ですし……」

「そんなことない。セイラの踊り子としての仕事も、俺の万屋としての仕事も、最後に待ってるのは誰かの笑顔だ。だから俺は万屋って仕事が好きだし、誇れると思う。……セイラも、堂々としていればいいよ」


 ――我ながらクサいことを言っている自覚は、ある。

 けれど、こんな自己満足のようなことを言ってセイラが笑顔を見せてくれるのなら。


「……ありがとう、エリオット」


 この言葉に勝る価値はない。




 ふたりが交わすのは他愛無い話ばかりだ。海に沈みゆく夕日の眩しさに目を細めつつ、ただ岩の上に座って話すだけ。洒落たことはまったくなくて、素っ気なさすぎる最後の時間。


「もう……日が沈んじゃいますね」

「そうだな……」

「昔はね、ちょっと夕暮れ時って苦手だったんです。夜が怖くって……」


 エリオットは微笑み、隣に座るセイラを見る。金髪は沈む夕日に照らされて輝いて見える。


「いまは怖くないの?」

「それはもう、さすがに。……でも、いまはちょっと切ない、です」

「え?」

「楽しかった一日、また終わっちゃうんだなあ……って」


 その言葉に息が詰まりそうになる。それはどういう意味なのだろう、と少々エリオットは深読みしてしまう。言葉通りの意味なのか、それよりもっと深い意味があるのか――。

 セイラは不意に立ち上がった。不安定な岩の上だが、彼女は危なげがない。エリオットもそれに倣って立つ。


「エリオット。手、見せてくれませんか?」


 その要求の意図は分からなかったが、言われたままに右掌を上に向けてセイラに見せる。セイラは両手でエリオットの手を包み込んだ。


「わ、やっぱり大きな手ですね」

「まあ、ずっと剣使ってきたから……普通の人より、ごつごつしてるかな。無骨っていうか……」

「頼り甲斐がありますよ! 私も、ほら、剣舞とかするからちょっと豆とかあるんです。女っぽくないなあって、よく見て思うんですけど。やっぱり本職の人とは違いますね。私の手、全然頼もしくない」


 いや、そもそも男女というだけで手の大きさには違いがあると思うのだが――と考えはしたものの、口には出さなかった。

 セイラの手は白くて細くて――豆があるなんて分からないくらい柔らかくて。


「それでも――」


 貴方の手は綺麗だよ。そう言おうとした瞬間。


 岩場に打ち付ける波が急に高くなった。それを気に留めたのはエリオットだけだったが、セイラもエリオットの雰囲気が変わったことには気付いたらしい。

 そして、大きく水柱が上がった。水の奔流がエリオットらに襲い掛かってくる。エリオットはセイラを抱きかかえ、一段上にある岩場に飛び移った。無駄のない跳躍だ。


 驚愕しているセイラを背後に庇い、エリオットは研ぎ澄ました第六感に従って剣を抜き放ち、その勢いのまま水柱を切断した。耳をつんざくような悲鳴があがり、急に水柱は勢いをなくす。そのまま海へと重力に引っ張られて水が戻っていく最中、巨大な魔物が息絶えて一緒に落ちていくのが見えた。

 剣を収めたエリオットは、後ろにいるセイラを振り返った。


「大丈夫だったか?」

「は、はい……! びっくりしました、まさか海から攻撃されるなんて……」

「水の中にも魔物はいるんだよ。だからこんなところで釣りなんてしないでほしいのに……」


 今も時々釣りに付き合う父親のことを思い出し、エリオットは溜息をつく。まだどきどきしているのか、セイラは胸に手を当てて大きく一息ついた。


「有難う御座います、助けてくれて……やっぱり、頼もしいです」


 ――手が、だよね。


 ふたりは岩場を下り、土を踏んだ。何の整備もされていない土なので、少々歩きづらい。セイラはエリオットを振り返った。


「私……もう帰らなきゃ」

「送っていくよ」

「いえ、今日は首都の外に陣を張っているんです。時間になったら早く出発できるようにって。すぐそこだから、大丈夫です」


 暗くなってきてようやく見えてきたが、確かに丘の上にそれらしき明かりがあった。「そうか」とエリオットは呟く。


「また、国中旅して回るんだよな」

「はい。来年のこの時期に、また帰ってきます。あのお祭りのショーをするために」


 夕日は沈みきっても、まだ水平線はうっすらと赤く染まっている。


「俺は――もう傭兵じゃない。国内を旅することも、多分ない……だから、首都にいるよ。いつでも、あの下町の万屋に」


 夜に海から吹く風は、ひんやりと冷たい。


「また来年――会いに行っても、いいかな」


 ぽつりと問いかけて返ってきたのは、優しい笑顔。


「むしろ私が、会いに行っちゃうかもしれません」


 これは、何が何でも来年の祭りのショーは観に行かなければならない。



「……ずっと笑っててくれ。俺は、貴方が笑顔で踊っている姿が、好きだから」





★☆





「あれ、落ち込んでるかと思ったらそうでもないね」


 万屋に帰って真っ先にかけられたテオの言葉は、それだった。


 テオは珍しく台所に立って夕食の準備をしていた。内心、またエリオットが夕食の支度をしなければならないだろうと覚悟していたので、少し拍子抜けする。


「別に……永遠の別れじゃ、ないし」

「そりゃそうだね」


 エリオットは上着を脱いで椅子の背にかけ、そのまま食卓に突っ伏す。皿にスープをよそっているテオがそれを見て肩をすくめる。


「……前言撤回。やっぱり落ち込んでるね」

「だからそんなことないって……」


 テオはスープ皿を食卓に並べていく。温かく食欲をそそる匂いが鼻を刺激したが、エリオットは溜息をつく。


「どうすれば……」

「ん?」

「……あ、いや」


 俺はどうすれば良かったのか。去っていく彼女を追いかければ良かったのか、引き止めれば良かったのか。いや、それだと踊り子としての彼女の夢を潰すことになる。

 あんな言葉をかけて、俺は何がしたかったのか――。


「……君はここに残ることを決めたんでしょ。だったら、彼女がまた来るのを待っていればいい」


 今日のメインは魚のホイル焼き。なかなか珍しいものを作ったものである。


 というより、テオのその言い方だと、まるでテオは「エリオットが劇団を追いかける」ことすら予想の範疇に入れていたような――。


「君が言ったんだよ。『永遠の別れじゃない』って」

「……そうだよな」


 エリオットは顔を上げた。食卓に突っ伏していたせいで並べられなかった皿を、テオがすっと押しやる。そうしてエリオットの向かい側に座った。


「――君は恋愛とか女性とかに免疫なさそうだもんなあ」

「ん、なんだって?」

「なんでもない。ほら、そんな湿気た顔してないでご飯食べようよ。俺が折角時間かけて作ったんだから」

「ああ……ありがとう」



 恋というには淡すぎた想い。


 おそらく来年、彼女がこの街に現れたとき、エリオットはその想いを恋に昇華させるだろう。


(不器用な人だなあ……)


 テオは内心おかしく思いつつも、何も言わない。ただくすくす笑って、魚をほぐしている。途端にエリオットの刺々しい視線が刺さる。


「なに笑ってるの」

「ふふふ……いや、なんでもなーい。……あ、いてっ、口のなか骨刺さった」

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