File fourteen お見送りは盛大にしましょう。
どんちゃん騒ぎにも程があるだろ。
★☆
「え、お引っ越しされるんですか?」
驚愕の声をあげたエリオットは、淹れたてのコーヒーを客とテオの前に出す。最近はすっかりお小姓である。
「おう、隣街に娘夫婦が住んでるんだ。前々から一人暮らしはやめろって言われてたんだが、どうしても古巣の下町を離れるのは忍びなくてなぁ」
老人というには逞しすぎるその男性は、コーヒーを飲むにはいささか似合わない風体だ。まだ肌寒いというのにシャツ一枚、だぼだぼの作業ズボン、そしてタオルでねじり鉢巻き。
コーヒーを音を立てて茶のように啜り、「あー、うまい」なんて感嘆の声を漏らすのは、親父そのもの。コーヒー飲むときにする動作じゃないだろう。
「だがこの間、うっかり階段から足を踏み外しちまってよぉ……こりゃもう潮時だなって、娘夫婦に厄介になることを決めたんだ」
男性の左足は包帯で固定されていた。ここに来るまで松葉杖をついてきたらしく、玄関を開けてすぐそんな姿だったものだから、テオが驚いて肩を貸したのだ。
「それは……寂しくなりますね」
テオは心底寂しそうだ。表情を取り繕うのが得意なテオだが、その感情だけは本物だろうとエリオットには見分けがつく。
彼、ブルーノは何十年も前からこの下町で大工をやってきた男だ。というよりも、この首都コーウェンの下層に『下町』という居住区間を開拓したのは、彼だと言っても過言ではない。下町にある殆どの建築物はブルーノによって建てられたものだ。
そういう過去もあり、その豪快な気質が下町の人間には強く慕われていた。エリオットは出会って間もないが、最初から暖かく歓迎してくれて、会えば必ず声をかけてくれたこの『おじいちゃん』が好きだった。感情移入しやすいためか、エリオットは寂しくて仕方がない。
「まあ、俺ぁもう歳だしな。あとは若いもんに譲って、老いぼれは大人しくすることにするよ。ってなわけで、この足のこともあるから荷造りをおめぇらに頼みたいわけよ」
からっとしたブルーノの言葉にテオとエリオットも快く承諾した。湿っぽくなるのは、きっとブルーノが嫌がるだろうと思ったからだ。
じゃあ明日から頼む、と言ってブルーノは杖をついて出て行った。送ろうかというエリオットの言葉に、「馬鹿野郎、大丈夫でぇ」と笑ってみせていた。これ以上食い下がれば松葉杖でぶっ叩かれそうなので、エリオットも黙って見送る。
と、横合いから近所に住むグレンという青年がひょっこり顔を出した。彼だけではない、数人の住人が一緒だ。
「エリオット、エリオット」
「ん……? みんな、どうしたんです?」
グレンはエリオットは室内に押し込み、自分たちも万屋の店内に入ってくる。テオは「おやおや」と苦笑している。グレンはエリオットとテオを見て口を開いた。
「ブルーノ爺さんが出ていくってのは聞いただろ?」
「はい」
「爺さんに感謝を込めて、何か催し物をやりたいんだ。そのために手を貸してほしい。依頼人は、下町有志全員」
――これだ。これが、ブルーノが下町の人間に好かれている決定的な証拠である。
勿論ふたりとも乗り気である。
「いいね。……でも、ブルーノさんに感謝を伝えたいと思うのは俺たちも一緒だ。だからそれは依頼じゃなくて、『協力』ということにさせてもらえないかな。俺たちも、下町の住人でしょ」
テオのその言葉に、グレンは驚いたように目を見張った。褐色の肌はいかにも健康的で、どちらかといえば少年に見える。
「いいのか!?」
「勿論。……まったく、みんな依頼にしなきゃ俺たちが動かないとでも思ってるでしょ」
グレンたちが苦笑を漏らす。是か、それは是の笑いか。どれだけ金にがめついと思われているのだろう。グレンは「悪い悪い」と頭を掻く。
「それじゃ一緒にやろう! にしても、何をするかはまったく決まってないんだよな……カーシュナーたちに何か案をもらえないかと思って来たんだけど」
「さて……ブルーノさんに喜んでもらえそうなことか。あの人、わいわい騒ぐの好きだよねぇ」
確かに下町でちょっとした地域の祭りが開かれた際には、ブルーノがかなり盛り上げてくれていたように感じる。
「でも楽しすぎるものだと、ブルーノ爺さんも踊りだしちまうかもな。あんな足だってこと忘れて」
グレンの言葉に、みな『あり得る』と一様に同意する。エリオットは少し考え込み、ふとテオを見た。
「そういえば前に、ブルーノさんから魔装具修理頼まれたよな。楽器だろ、あれ」
「ああ、ハーモニカだね。昔から趣味でやってるんだとか言ってたっけ……」
魔装具が内蔵された、玩具といえば玩具の楽器だ。少ない肺活量でもきちんと音が出るし、音色は本物のハーモニカに劣るとはいえ趣味の程度なら十分である。本物の楽器など高価で手が出ないけれど、下町の住人でも魔装具の玩具なら手に入れることができる。
テオは何か思いついたように手を打った。
「そうか。あれなら座ったままできるし、いいかもね」
「な、なんだよ?」
エリオットが問うと、テオはにっこりと微笑んだ。
「下町のみんなで演奏会しよう」
その意味を正しく把握できたのは、おそらくエリオットだけだったであろう。
★☆
翌日からテオとエリオットはブルーノの家に赴き、引っ越しの荷造りを始めた。
「悪ぃなぁ、おめぇら。そこの棚の荷物はこっちに入れてくれぃ」
「は、はい!」
エリオットは、室内の椅子に座ったブルーノからの指示を受けてあちこちを駆けまわっている。ふと手を止めてぐるっとあたりを見てみれば、木造家屋の温かみが伝わってくる空間が広がっている。家は勿論、家具もすべてブルーノの手作りだという。ブルーノは本当に腕のいい大工だ。
テオはといえば、室内の家具を片っ端から取り壊している。これもブルーノの指示だ。エリオットなどは『勿体ない』と思ったものだが、ブルーノ曰く『木材さえあればまた作れる』と、さっぱりしている。古い家具ゆえに誰かに譲るようなものではないし、家具ごと引っ越すのは無理なことなので、だったら壊してしまおうということらしい。いずれ家ごと、この土地はまっさらにするのだとか。
荷物がなくなって空になった棚を、テオは道具を使って豪快に壊している。ああいうの、ストレス発散になりそうだな、なんてことを思いつつ、エリオットは箱の中にブルーノの衣類を詰めていく。
引っ越しは一週間後の予定だ。それまでに荷造りを終わらせ、当日に迎えに来る娘夫婦の車に乗って、ブルーノは下町を去る。
それまでに、エリオットらには他にやるべきことがあった。
初日の荷造りは昼過ぎに終了した。まだ時間はあるし、思い入れのある我が家でできるだけ長い時間過ごしたいというブルーノの意向によるものだ。
テオとエリオットは急いで店まで戻った。すると店先には大勢の住民が集まっていた。帰ってきたテオらに気付いたグレイが笑顔で振り返る。
「ああ、帰ってきたな! 見てくれ、みんな家から楽器を掻き集めてきたんだ」
地面に置かれた、大量の楽器。弦楽器や金管楽器などが主だ。魔装具搭載の玩具といえど、これだけあれば本格的な演奏ができるだろう。
テオがにっこりと微笑んで頷く。
「かなり集まったね。店の中にもカーシュナーが集めていた楽器があるし……」
「お兄様!」
テオの声を遮って響いたのは、リオノーラの声だ。彼女は大きなバッグを提げていて、重いのかふらふらとよろめいている。エリオットの姿を見つけて思わず声を張り上げたリオノーラだったが、大勢の人間が集まっていることに気付くと真っ赤になって俯いた。
エリオットが駆け寄って、リオノーラが持つバッグを持ってやる。
「リオ、有難う」
「う、うん……おうちにあった楽器は、それで全部だよ」
バッグの中には魔装具のヴァイオリンが数挺入っていた。楽器不足なので、たとえ少数でも有難い。
「ね、こんなに楽器集めて何するの?」
リオノーラの問いに、エリオットは笑って答える。
「演奏会だ。下町のみんなで楽器弾くんだよ」
「演奏会……」
ぽつりと呟いたリオノーラに、下町の住民たちが声を投げかけた。
「リオちゃんも一緒にやろうよ!」
「ふぇ……!?」
あまりのことに驚いたリオノーラは目を丸くする。下町の住民に素で接したことがない彼女だが、頻繁に万屋に出入りする『エリオットの妹』であることは、誰もが知っていた。エリオットの親しい者は、下町の住民にとっても親しい者なのである。貴族であるリオノーラも、彼らに歓迎されていた。
「そうだよ、きっと楽しいぞ」
「やろうやろう」
「……い、一緒に、やってもいいの?」
不安そうに兄を見上げるリオノーラに、エリオットは頷いた。
「もちろん」
「……うん! じゃあ、僕もやる。ちょっとならね、ヴァイオリン弾けるんだ」
一転して嬉しそうな笑顔を見せたリオノーラに、エリオットもつられて笑みを浮かべる。
と、リオノーラが急に視線を横手に向けた。それを追ってエリオットも視線を転じると、こちらへ歩み寄ってくる青年がひとり。その姿にエリオットは見覚えがあった。
だがエリオットが口を開くより先に、青年が爽やかに微笑んでくれる。
「お久しぶりです、エリオットさん」
「……イアン!?」
いや、まだ『お久しぶり』というほど日数が経っていないのだが。
以前ヴァイオリンの試験に合格してコンサートマスターになるため、レッスンを依頼してきたコールマン男爵家のイアンであった。
エリオットにとってイアンの登場は予想外であった。リオノーラも、また違った意味で驚いている。その中でテオだけが「ああ」と声をあげる。
「やあイアン。来てくれてありがとう」
「ちょっ……なんで!?」
「俺が呼んだの」
得意げなテオであるが、あまりに非常識すぎではなかろうか。イアンはヴァイオリンの試験を終えたばかりなのだろうに――。
イアンはヴァイオリンケースを地面に置いて微笑んだ。
「試験は昨日終わりました。これから丸々一週間は審査期間で、学生はしばらく休暇です。でも家でじっとしているなんて僕にはできなくて……そんな時丁度良くカーシュナーさんが会いに来てくださって」
さっぱりとしたイアンの表情からは、試験の出来が上々だったことが窺える。エリオットもほっとしたように安堵の息を吐き出した。
しかし、通常みなの願いを叶える立場である万屋カーシュナーが、まさかの『逆依頼』をするとは――。
「それで、僕は何をすればいいのでしょう?」
しかも依頼内容は話していないとか。
「ここにいるアマチュアさんたちに楽器……というか、合奏というものを教えてあげてほしいんだ。楽譜は、これ」
テオは言いながら、数枚の楽譜をイアンに渡す。ごく初歩的な楽譜なのでなんとかなるとかテオは言っていたが、エリオットには楽譜など謎の記号にしか見えない。
イアンはテオを見上げる。
「でも、レッスンならカーシュナーさんがつけられるのでは……」
「俺は楽器を調達しなきゃならなくて。結構数は集まったけど、まだ足りないんだよ」
テオは『調達する』と言ったが、そのやり方は常軌を逸している。そんなことも知らないイアンは『そうですか』と微笑むだけだ。
「カーシュナーさんとエリオットさんには大きなご恩がありますから。お役に立てるなら、なんなりと」
「うん、よろしく」
イアンはケースを持ち上げて、楽譜を手に歩いていく。下町の人間はイアンを『テオの知り合い』と見ているので、歓迎ムードだ。
ぞろぞろと下町の住人が広場へ向かって移動をはじめる中、万屋の店内から飛び出してきたリス――の魔物――のチコと戯れていたリオノーラが、ぱっちりとイアンと目を合わせた。
慌てて下を向くリオノーラに、イアンは首を傾げた。
「こんにちは、リオノーラさん」
「……こ、こんにち……は」
もごもごと口ごもりながらも挨拶をする様子を見て、エリオットは思う――そうか、ふたりは貴族なのだ。面識があっておかしくない。だがあの様子だと、リオノーラの兄がエリオットであることは気付いていなさそうだ。
チコを肩に乗せて、とことことリオノーラはエリオットのもとに歩み寄ってくる。
「お兄様、一緒に練習しないの?」
「ああ……ごめん、俺はテオの手伝いしなきゃいけないからさ。それが終わったらすぐ合流するよ」
「寂しいから、早く来てねっ。チコは借りてくから!」
リオノーラにとって、それはなけなしの勇気を振り絞った結果なのだろう。この超人見知りな少女が、一方的に顔を知られているだけの相手の輪の中に入っていくのは辛いはずだ。けれどそれでも『やってみる』と言ってくれたのは、彼女も人見知りを克服しようとしている証拠か。
「ほらほらお兄ちゃん、妹の成長に感動するのもいいけど手伝って」
「あんたって人は……」
テオに腕を引かれ、エリオットは溜息をつく。
テオの言った『楽器の調達』方法――それは、テオが楽器を『作る』のだ。
彼が行うのは魔装具の『修理と改造』である。『作り出す』ことはできない。ただ、魔装具のコンテナとなる外装、そしてエナジーの変換機さえ手に入ってしまえば、思い通りの魔装具が作れるわけである。
エナジー変換器はテオが大量に所有している。不要になった魔装具から抜き出して溜めこんでいたらしい。コンテナは――これからエリオットが、街を練り歩いて探しに行くのだ。
一応、魔装具が大量に打ち捨てられている場所は知っている。テオは『勿体ない』といつもそこから収集しているので、探せば何かしらあるだろう。
テオの手伝いが終われば合流するなどと言ったが、おそらく無理だろうというのはエリオットも自覚していた。
やれやれと肩をほぐしながら出かけようとしたところ、再びテオがエリオットの腕を掴んだ。
「いてっ、今度はなんだよ……」
振り返ると、先程イアンが来た道をまた誰かがこちらへ歩いてきている。すらっとしたシルエットと豊かな金色の髪はまさしく――。
「セイラ!」
エリオットが驚いて声をかけると、踊り子のセイラは少々赤面して俯いた。
「あ、あの……最近あんまり来なくなったから、何かあったのかなって……」
「あ……ご、ごめん、最近仕事が立て込んでて」
「ち、違うの! 今もお仕事中なんですよね、お邪魔しちゃってごめんなさい」
恐縮するセイラを見て、テオが何か思いついたように笑ったのをエリオットは見逃さなかった。
「セイラさん!」
「は、はい!」
ほぼ初対面のテオから名を呼ばれ、条件反射なのかセイラが背筋を伸ばす。
「踊っていただけませんか」
「はい!」
「え、ちょっと!?」
また話がややこしくなりそうだった。
★☆
『いいかい、時間がないんだ。君が何かしらの楽器を弾けるようになるまでのレッスンはつけられない。だったら君は持ち前の運動神経を活かして、セイラさんと剣舞をしてくれたほうが何倍も映えるよ。よし、決定』
勝手に話を進めやがって、とエリオットは内心で毒づく。
剣舞は剣術から派生した踊りであるから、日頃剣を腕のように扱うエリオットにとって難しい動作ではないだろう。だがだからと言って、イアンだけならまだしもセイラまで巻き込むのはどういうことか。『時間があるから』とほいほい引き受けてくれたセイラもセイラだが。
午前中はブルーノ宅で荷造りをし、午後になれば各々発表に向けて準備に励む。テオはエリオットがさがしてきたそれらしいコンテナを使って魔装具型の楽器を量産し、エリオットはセイラと剣舞の練習に励む。イアンとリオノーラは下町の住民とともに演奏のレッスンに明け暮れた。
――が。
「おいおい、カーシュナーのやつ舟漕いでるみてぇだが、大丈夫なのか?」
「あ、あはは……あいつ最近寝不足で」
日々徹夜で魔装具を作っているテオは、日中ブルーノの下で仕事をしている最中にうとうとしてしまったり。
「テオ……お兄様と一緒にいる人、だれ?」
「え……あー、ええと、セイラさんっていう踊り子さんでね、ちょっと前に依頼で知り合って仲良くなったみたいで――」
リオノーラの問いに珍しくテオが慌てふためき、彼女がエリオットと話しているセイラのもとに大股で歩み寄ったときは更に顔を青くしたり。
「僕、妹のリオノーラです。お兄様と仲良くしてくれてありがとう!」
「あ、は、はい、こちらこそ」
女の修羅場になるのかと思えば、案外リオノーラがさっぱりしており、しかもセイラに素まで見せてくれたり。
「エリオットさんはリオノーラさんのお兄さんなんですか……? ということは、オースティン伯爵家の!?」
「あー……そこにはいろいろと複雑な事情が」
さすがにイアンにリオノーラとの血縁関係がばれたりした。
無情なほど時間は速く流れ、ついにブルーノが下町を去る日となった。
荷物を運び出し終え、最後にテオが家を爆発するタイプの攻撃系魔装具で一気に取り壊した。瓦礫だけが残る更地となった自宅跡をしばらくブルーノは見詰めていたが、すぐ気を取り直して杖をつきつつ身体を反転させた。
「よし、じゃあ行くとするか。広場に娘が車で来てくれるんだ、そこまで荷物運ぶの頼むわ」
「はい」
ひょこひょこと片足で歩いていくブルーノのあとを、手分けして荷物を持ったテオとエリオットが追う。ブルーノは視線を前に向けたまま言った。
「にしても、なんだ。お前さんたちにゃ世話になったな」
「そんなの、こちらの台詞です」
「はん、俺ぁ何もしてねぇよ」
嬉しそうなブルーノだったが、広場にいざ入ったところで足を止めた。驚きの声すらない。
それはそうであろう。広場で待っていたのは娘夫婦の迎えの車ではなく、整然と楽器を構えて整列した下町の住民たちだったのだから。
「ブルーノ爺さん!」
「な……何してんでぇ、お前ら……?」
「いいから、こっちきて座って、これ持っててよ」
グレンに支えられ、ブルーノは広場のど真ん中、住民たちと向き合うような位置に置かれた椅子に座らされる。そしてグレンから渡されたのは、赤いハーモニカであった。これはエリオットが荷造りをしている際にブルーノ宅から見つけ、申し訳ないと思いつつ荷物に詰めなかったものだ。
「今日はみんなでブルーノ爺さんの送別会をするために集まったんだ! 聞いててよ、爺さん」
グレンがそう言って自分の持ち場へ戻ると、この一週間ずっと指揮をしながらレッスンをしてくれたイアンがタクトを振る。
と同時に始まったヴァイオリンの演奏。イアンがタクトを振るごとに追加されていくフルートやトランペットの音色。
本物の管弦楽団に比べたら人数が圧倒的に足りないし、ひとりひとりの技術も、魔装具であるゆえに音色も完璧なものではない。だが彼らが奏でるハーモニーは、ひとりの老人の心を震わせるには十分であった。音の調和を生み出す交響曲。下町の素人集団の完成度はかなり高いものであった。
短くはあったが、一曲が終了する。と、テオがヴァイオリンを弾きつつ前へと進み出た。そうして登場したのがエリオットとセイラだ。
ふたりは舞台用の細剣を持ち、衣装と呼ぶには少々粗末な上着を着ていた。しかし両者とも動きは軽快かつ滑らかで、テオのヴァイオリンに合わせて剣の舞を踊っていく。これを正味一週間で習得したエリオットには、身体を動かすことに関しての才能があるのだろう。
いまだ呆然としているらしいブルーノに、テオが片目を閉じて見せる。それで硬直が解けたのか、ブルーノは一気に笑みを顔に浮かべると、渡されたハーモニカに息を吹き込んだ。独特の音を奏でるその小さな楽器は、見事にテオのヴァイオリンと調和した。ハーモニカが好きだというのは、伊達ではなかったらしい。エリオットにはヴァイオリン以上に音の吹き分けが理解できないその楽器を、ブルーノは楽しそうに使いこなしている。
ブルーノのハーモニカが加わったところで、イアンが再び指揮を始めた。合わせて交響曲が再開される。リオノーラも真剣な面差しでヴァイオリンを弾き、余裕がなさそうなところが逆に愛らしく見える。曲に合わせて踊ってくれるセイラの動きもまた、軽やかで惚れ惚れする。
曲が終わると、観客に回っていた下町の住民たちが大歓声を上げた。グレンは笑ってブルーノに抱き着き、ブルーノも声をあげて笑っている。その眼に涙が滲んでいるのは、誰の目からも明らかだった。
ブルーノは軽く眦をこすり、一際大声を張り上げた。
「ったくよぉ……最高だよ、お前ぇらぁ!」
その声に感極まった住民たちは『爺さん』と呼びながらブルーノの傍へと駆け寄っていく。それを見守るエリオットやテオ、リオノーラ、イアン、セイラなども、満足そうに微笑んだ。
こうしてこの日、下町の父と呼ばれた巨匠ブルーノは、惜しまれつつこの街を去って行ったのだ。
依頼提供:子猫 夏様
ありがとうございました。