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万屋ですがなにか。  作者: 狼花
VOLUME Ⅰ
14/53

File eleven 楽な仕事は大歓迎です。

 

 

 

 実際はめちゃくちゃ退屈だけどな。





★☆





 雪と入れ替わりにやってきたのは、暖かな日差しと春の花々だった。


 それまで雪に覆われていた地面には青々と芝が茂り、美しい花々が花開く。世界の中でも四季がはっきりとしているベレスフォード共和国の春は、厳しい寒さに耐え凌いだ人々が一様に心待ちにするものだった。

 ベレスフォードでは、暦上で『春』になる日に国を挙げての祭りを行っている。この日は国民の祝日で、街中でパレードをやったり屋台で遊んだりと、大層な賑わいを見せる。中でも首都コーウェンの祭りは国内最大規模で、観光客もどっと増えるのだ。


 夜には街の広場でショーが行われる。これは毎年熾烈な場所取り合戦が繰り広げられ、世の男性たちが苦労するのである。何年か前に一週間も前から場所取りをしていた人々がいたので、当日の朝六時以前の場所取りは禁じられた。これによりある程度は公正になったのだが、その分熾烈さは増したのである。


 で、今回の万屋の依頼はその『場所取り』だった。



「……場所取りしてまで見たいショーなのか?」

「結構豪華で大がかりだからね、面白いといえば面白いよ。ファンの中には、気に入った役者目当てで見に来る人もいるとか」


 大きなレジャー用のシートを地面に広げ、その上に足を延ばして座るテオとエリオット。テオの頭の上にはチコもいる。

 六時にここへ来て場所をとり、すでに二時間が経過。ショーの始まりは二十時なので、あと十二時間はぼうっと座っている必要があった。テオは悠々としているが、エリオットは『何もせず座っている』ということに慣れていないので窮屈である。


「でも例年に比べたらずっと過ごしやすいよ。去年の今日は、まだ雪が解けてなかったし。寒かったんだからね」

「去年もやったのか」

「うん、この依頼って結構あるよ。早い者勝ちになっちゃうけどね」


 去年はテオ一人で場所取りをしていたというのか。……どうやって? ひとりだと一度も場所を離れられないではないか。


「去年はイザードを引っ張って行ったんだよ。まさか俺がひとりでこんな依頼受けるわけないでしょ」

「……つくづく暇なんだな、イザードって」

「いや、このお祭り会場の警備だったんだけど、俺が無理矢理座らせて」

「おいおい」


 それ大丈夫だったのか?


 エリオットは後ろに手をついて足を前に投げ出した。見えるのは同じように場所取りをしている人々、遠くに見える祭りの屋台、そして花壇に植えられた様々な花。


「……もう、春なんだなあ」

「春だねぇ。お昼寝には丁度いい季節だよ」


 あんたは一年中寝てばっかりだろ、とエリオットは口の中で呟く。テオが「そういえば」とエリオットを振り返る。


「リオノーラが祝日に遊びに来ないなんて珍しいね?」

「今日は家族で祭りを満喫するんだって言ってたぞ。俺も誘われたけど、貴族様の優雅なお祭りなんて性に合わないし」

「多分、リオノーラの性にも合ってないと思うけどね」

「……それは確かにな」


 苦労しているんだろうな、リオも。


「ふと思ったんだけどさ」

「ん?」

「オースティン伯爵家を継ぐのは、誰なんだろうね」


 テオのその問いに、エリオットは首を傾げた。


「それは、リオなんじゃないのか?」

「今のご時世、女性が家の当主になることはまずない。なるとしたらリオノーラの婿か、君だと思うよ」

「俺!? それはないだろう、だって俺は今まで存在しなかったんだから」

「伯爵にはね、議会で君との遺伝子鑑定書を片手に『エリオットは息子だ』と宣言すれば、みなが頷くだけの人望と力があるんだ。不可能なことじゃない」


 断言してから、テオは苦笑を浮かべた。


「――ま、そんなことは君が望まないだろうし、君が望まないことを伯爵がするはずもないけどね」

「……」

「ただ……君と出会うまで、リオノーラはオースティン伯爵家の将来を一身に背負って生きてきたんだと思う。他に男の兄弟がいなかったのも重圧だっただろう。俺たちの前だとあっけらかんとしたものだけど、あの子、俺たちと家族の前以外で素を出したことがないんじゃないかな」


 それを聞いて、エリオットははっと我に返った。これまで何度もリオノーラと会って、彼女と話してきた。家のこと、学校のこと、話題はさまざまだったけれども。


「……俺、リオの口から学校の友達の話とか、聞いたことないな」


 呟くと、「でしょ?」とテオが頷く。


「親が偉大だというのも、子供にとっては辛いことだよね」

「オースティン伯爵って、何をしている人なんだ?」

「他国との外交だ。周辺諸国との不戦条約を取り付けたのはあの人なんだよ。恒久的平和の立役者、といってもいいかもしれない。穏健派の中の穏健派だね」

「平和……か」

「リオノーラが外では黙りこくるのも、伯爵の顔を潰さないためなのかもね」


 エリオットは身体を起こし、テオに向きなおる。


「――テオは、もしかして貴族なのか?」


 テオはじっとエリオットを見つめていたが、やがて静かに首を振った。


「違うよ。俺の父は政府で働く研究者だったけど、社会的な身分は低かった。平民と同じだよ」

「研究者……!」


 ……研究者の息子は、やはり研究者だろうか。


 話が一段落したところで、エリオットは重苦しい空気を払拭するために息を吐き出した。


「なんで急にこんな話になったんだか」

「え? 暇だったからつい」

「あんたは暇だと重い話を始めるのか!?」


 はぐらかすように笑ったテオの肩から、チコが飛び降りた。そのまま、すぐ傍にあった木にチコはするすると登っていく。テオは透かし見るように、チコのことを仰ぎ見た。


「さすがリス。このくらいの木を登るのは造作もないんだね」

「放してよかったのか?」

「大丈夫でしょ。チコにとっては久々の外だし、あの子も馬鹿じゃないしね」


 いや、そういう問題だろうか。


 テオは視線を屋台の方に向けた。


「屋台も賑わってきたみたいだね。……エリオット、なんか美味しそうなもの買ってきてよ」

「なんで俺が?」

「俺が行っても良いけど、そうしたら君がチコとここで戯れているんだよ?」

「う」


 一緒に生活を始めて結構時間は経ったが、やはりアレルギー症状は改善していない。チコに近寄られると鼻がムズムズするし、長時間まとわりつかれるなんてとんでもない。


「わ、分かったよ、行ってくるから」

「いってらっしゃーい」


 上機嫌なテオに見送られ、エリオットは渋々立ち上がったのだった。


 遠ざかるエリオットの後姿を見つめながら、テオは溜息をつく。テオが冗談以外で溜息をつくというのは、非常に珍しいことであった。


「……暇だと、ついつい口の紐が緩むね。ちょっと喋りすぎたか」

「キュゥ?」


 木の上から、ふわりとチコが飛び降りてきた。テオは微笑み、小さな頭を人差し指で撫でてやる。


「――エリオットは、もう俺の正体に大体の見当をつけているみたいだなぁ。勘が鋭くて困るよ、ほんとに」





★☆





(美味そうなものといっても、どれも美味そうなんだよなぁ……)


 人の波に流されるまま歩きつつ、周りの屋台を見ているエリオットは内心で呟く。


 首都の城門をくぐるとすぐ繁華街で、繁華街を抜けた先がテオの待つ広場である。祭りの今日、繁華街はすべて屋台に姿を変え、直線三百メートルほどがすべて祭りの装いになっている。

 エリオットはいま広場から城門の方へ繁華街を逆走して、屋台を冷かしていた。

 冷たいもの、温かいもの。甘いもの、塩辛いもの。揚げ物、焼き物。売っている食べ物の種類が多すぎて決めるのが難しい。それに時刻は朝の八時。朝食とも昼食とも取れぬこの時間、エリオットとしてはそこまで何か食べたいとは思わない。


 とりあえず目についたドリンクを売っている店で、缶に入ったジュースを二本購入。メニューには酒もあり、ちらりと「テオは酒を飲むだろうか」と考えはしたものの、さすがに依頼中にそれは頂けない。

 再び歩き出すと、紙コップに入ったフライドポテトを発見。定番だよな、と口の中で呟きながらそれも購入。

 隣の店ではフランクフルト。それも買うと両手が塞がったので、エリオットは来た道を戻ることになった。急に方向転換ししために隣にいた人と肩がぶつかり、慌てて謝す。


 ほんの十分ほどで一気に人出が多くなった気がする。先程は難なく歩けた大通りも、今では少し身体の向きを変えなければ通れない。


(すごい人混みだな……でもいいよなぁ、祭りって。わいわいして楽しそうだし、食べ物は安くて量が多い。団のみんなと一緒に来たら、きっと……)


 そこまで考えて、エリオットは軽く頭を振った。――どうにもならないことを考えるな。もう、どうにもならないんだから。


 やっと繁華街を抜け、広場へと戻ってくる。広場一面が様々な色のシートで覆われ、もはや地面が見えなくなっている。繁華街のように人が密着し合う空間は苦手なので、解放された気分でエリオットは歩き出す。



「――?」



 その時、首筋に何かが突き刺さる。


『視線』。敵意や殺気はない。ただ、見られている。


 振り返っても、誰もいない。そもそも背後には大勢の人がいる繁華街だ。あの人混みの中から誰がこちらを見ていたのかなど、さすがのエリオットでも分からない。

 エリオットは昔から気配を読むのが得意だった。もっぱら魔物からの殺気を察知するのだが、人の気配も読める。いや、むしろ魔物より人のほうが、視線に思いを込める分強烈だった。


 だからこそ分かる――「誰かが見ていた」と。


 足早にその場を離れ、テオのもとへと戻る。広場の北側に特設のステージがあり、その真正面に大木が一本植えられている。そのすぐ下にシートを敷いたので、目印としては分かりやすい。

 テオはシートの上に仰向けに寝転がり、アイマスクの代わりにチコを目元に乗せて熟睡していた。テオの顔の上で俯せになっていたチコが顔をあげてエリオットを見る。おい、どういうことだこれは。人を買物に行かせておいて、その間にあんたは寝るのか。確かに今日は朝が早くて、五時にテオを叩き起こしたので寝不足だろうとは思うが。


 チコをひょいと持ち上げると、日光が目に突き刺さったらしくテオは目をしかめた。そして目を開ける。


「眩しいんだけどぉ」

「……」


 エリオットは缶ジュースをテオの目元に押し当てた。先程まで氷水に浸かっていたそれはテオの目を覚ますには丁度良い刺激だったらしい。


「ちょっ、冷たっ」

「コールドドリンクだからな」


 身体を起こしたテオに缶ジュースを手渡し、エリオットは持参した水筒から器に水を出してチコの前に置いてやった。チコは一心にその水を飲み始める。

 早速フランクフルトにかじりついたテオに、フライドポテトをつまみながらエリオットが問いかける。


「テオ、あんた誰かに恨まれる覚えあるか?」

「ありすぎて怖いくらいだね」


 即答するテオに思わずエリオットは笑ってしまう。テオがそれを見て驚いたように目を見張る。


「……エリオットが笑った」

「は?」

「いや、ちゃんとした笑顔って初めて見た気がする」

「珍獣を見たような目はやめてくれ」


 と返しながらも、『俺って笑ったことなかったのか?』と自分の頬を触ってしまう。そういえばテオに対しては呆れているか怒っているかで、苦笑以外は見せなかった気もする。


「それで、恨まれる覚えって何の話?」


 缶のプルタブを開けたエリオットは、口元に缶を近づけながら呟く。


「――見られていた」

「誰に?」

「それは分からないけど、確実に見られていた。監視みたいな目だったと思う」


 テオは片手で頭を掻く。


「ふぅむ……で、なんでそれの原因が俺?」

「だって、あんた以外に監視される覚えがないんだもんな」

「心外だなぁ」


 苦笑いしたテオは、小さく肩をすくめた。


「心配しないでよ。多分お客さんの誰かが、君の髪が珍しいとかで見ていたんだろう。気になるものがあると、人って場所を弁えずガン見するからね」

「そ、そうなのか……?」

「そうだよ。エリオットだって、いま目の前に禿げ頭の人がいたら見ちゃうでしょ?」

「全世界の禿げ頭さんに謝れ。もしかしたらスキンヘッドかもしれないだろ」

「例えだよ、例え」


 テオはそんなふうに笑うが、エリオットにしてみれば頭の上にリス型の魔物を乗せて散歩している人間のほうが、よほど禿げ頭より目につくのだが。


「気を張っても仕方ないよ、気楽に気楽に」

「ああ……」

「にしてもこのフライドポテト美味しいんだけど、エリオット食べないの?」


 その言葉で我に返ると、紙コップの中に大量にあったフライドポテトはもはや残り数本となっていた。


「ちょっ、いつの間に!? 残しとけよ、もう!」

「あはは」

「キュゥっ」

「あっ、チコ、お前いくら雑食だからって油もの食べていいのかよ!? こら待てっ」


 フライドポテトを持ってちょろちょろと逃げ回るチコを、エリオットが慌てて手を伸ばして捕まえる。しかしその時すでに、チコは頬一杯にフライドポテトを詰め込んでしまっていたのだった。





★☆





 それからの時間は、ある意味今までの依頼の中で最も過酷だったと言ってもいいかもしれなかった。


 用を足すために交互に立つ以外は、基本的に座りっぱなし。あまりに暇すぎて、エリオットはチコに慣れようと柄でもない気を起こす始末である。手持無沙汰になれば屋台で何か買ってきて食べるのだが、最終的にはふたりで昼寝という手段を取らざるを得なくなった。


「いやぁ、世のお父さんっていうのは大変だねぇ」


 飄々としているテオもさすがに疲れているらしい。エリオットなどもう消沈だ。舞台脇にある大時計に視線を送ると、時刻は十七時丁度を示していた。ショーの開始まであと三時間。周りは既に暗くなりつつある。


「ショーってどんななんだ?」

「サーカスみたいのだと思えばいいよ。空中ブランコとか綱渡りとか、そういうアクロバット系の。……ところでこの君の質問に答えるのは、これで四回目なんだけど」

「もう話題がないんだよ……」


 最初は行儀よく座っていたエリオットも、今となってはシートに寝転がっている。チコはエリオットの足元で丸まって眠っている。


「で、依頼人っていつ来るんだよ?」

「十八時の約束だったから、あと一時間だね」

「……長いなぁ」

「君が依頼に嫌気をさしているなんて、いつもと逆だね」


 テオのその言葉にも、反論する元気がない。エリオットは身体を起こして立ち上がった。テオが驚いたように見上げる。


「あれ、出かけるの?」

「じっとしているのが疲れたから、歩いてくる」

「そう、行ってらっしゃい」


 エリオットは繁華街の方へと足を向ける。薄暗くなってからが祭りの本番だ、人出は昼間以上に多い。今日一日で何度もこの繁華街を歩いたので、エリオットは大体の店の場所を把握してしまったほどだ。特に何かを買う訳でもなく、エリオットは繁華街を抜けた。一本路地を曲がってしまえば、そこはもう世界が違うかのように閑静だ。

 彼がその路地に入ったのは、静かな場所に行きたかったからという理由でもある。だがそれ以上に、いい加減我慢ならないことがあったのである。


 足音がひとつ。エリオットのものだ。だが間を置いてもうひとつ、別の足音が聞こえる。音を立てないように気を遣っているらしいが、野性的なまでの感覚を持つエリオットが拾うには十分すぎる音だった。


 エリオットは足を止め、振り返る。


「――いい加減にしてくれないか。人がちょっと出歩けば、下手な尾行をして……」


 朝からずっと感じていた『視線』。それに伴う『尾行』。

 テオは気にするなと言ったが、間違いなくこれはテオ絡みだ。であれば相手は政府の人間で、軽々しく接触するのは躊躇われたのだが――それにしては、尾行が雑すぎる。

 もしかして監視の類ではなく、良からぬことを企む輩ではないのか――そう思って振り返ってみたところ。


「すっ、すいませんッ!」

「は?」


 そこにいたのは、十代後半に見える少女だった。着ているドレスは煌びやかなのだが、どうもこの時期にしては薄手すぎる。しかも裸足。まず間違いなく私服ではなさそうだ。


「……どちら様?」

「あ、あのっ、劇団『エース』のセイラっていいます!」

「劇団エース? それって、このあとのショーをやるっていう……?」


 彼らは国中を回って各地でショーを行う旅芸人の一座だ。その名をベレスフォードで知らぬ者はいないし、その芸が超一流。だからこそこの祭りのショーを任されているのだ。

 なるほど、彼女のその服は衣装だったようだ。


「は、はい。それであの、貴方様は傭兵とお見受けしましたっ」

「ああ、そうだよ」


 傭兵と旅芸人は、住む世界が同じだ。特に劇団エースのように、身体能力の高い面々にしてみれば、傭兵ならではの立ち振る舞いは分かるだろう。


「ま、街の人は、貴方が『万屋』さんだと言っていました!」

「そうだ」

「な、なのでお願いしますっ。今日のショーに、出てくださいっ! 急な体調不良で出られなくなってしまった人がいるんです!」

「え!?」

「ずっと尾行まがいのことしててごめんなさいっ、でも私、声かけるの苦手で……」


 いやまあ、そこはどうでもいいのだが。大役をどうしてエリオットに依頼するのだ。大規模な劇団なのだから、代役はいるだろうに。


「……悪いんだが、今は依頼を受けている真っ最中だ。同時にふたつの依頼は受けられない」


 そう、信用で成り立つ商売だから、ひとつの依頼を完遂するまで別の依頼は受けられない。特にこういった大規模なものだと。

 セイラはしゅんと俯き、「そうですか……」と呟いている。その姿は迷子の少女のようで、エリオットも無下にしすぎたかと後悔したのだが――。


「ちょっとエリオットくん、可愛い女の子の頼みを断るなんて、それでも男かい?」


 路地の入口に立ち、向かい合うエリオットとセイラを見ていたのは、紛れもなくテオだった。エリオットが驚いて目を見張る。


「あんた、何してるんだよ!?」

「依頼人さんが予定より早く来てね。俺たちは依頼終了でお役御免だ。ということで、今フリーだよ?」

「う……」


 そりゃ勿論、軽業は得意だ。バク転でも綱渡りでも、正直どんと来いである。

 期待の目で見てくるセイラに、エリオットは折れたのだった。


「運動不足解消だよ、エリオット!」

「あんたに言われたくない」





★☆





 たった三時間で演目をマスターしてしまったエリオットには、やはり運動に関しての天性の才能があったらしい。セイラや、指導についてくれた男性役者も絶賛である。


 本番前に衣装に着替えさせられた。これまた薄い生地の衣装で、夜になると寒い。そして何が何だか分からないままにカツラまでつけられた。曰く、エリオットの黒髪は目立つし、代役であることを悟らせたくないためであるそうだ。くすんだ金色の髪に代わってしまった自分を鏡で見て、エリオットは奇妙な気分になる。


「……ところであんた、いつから俺のことをつけていた?」


 エリオットが隣にいるセイラに問いかけると、セイラはびくりとして身を縮めた。


「す、すみません……昼過ぎくらいから、ですぅ」

「昼過ぎ……」



 ――では、朝感じた『視線』と彼女の尾行は、別物ということか?

 あれだけの視線を送る人間が、尾行が下手だなんて思えない。



「……お、お前、エリオット!?」


 急に声をかけられたのは、舞台袖で演目のイメージトレーニングをしていた時のことだ。

 振り返ると、警備軍の制服をきっちり着込んだ体格のいい親父――イザードがそこにいた。


「イザード? なんでここに……」

「私は会場警備だ! お前こそ何をしている、そんなカツラをつけて」

「なんか、代役頼まれて」


 イザードはぎょっとしたように目を見張り、そして溜息をついた。


「……万屋というのも、なかなか大変だな」

「ほんとに」


 妙に共感してくれたイザードだったが、ふと視線をあげて彼はエリオットを見つめた。


「――丁度いい、エリオット。お前にひとつ言っておきたいことがあった」

「ん?」

「誰かがお前を見ている。元々はテオの監視についていた奴らだが、テオの傍にいるお前も監視の対象になったらしい。気をつけようもないだろうが、目立つ行動は控えろよ」


 ――ほらテオ、やっぱり気のせいなんかじゃない。いや、知っていてはぐらかしたな。


「……それ、今から大舞台に立とうとしている人間に言う?」

「ふむ、次から気をつけろ」

「そうだな、そうするよ。ありがと」


 エリオットは微笑み、心なしか軽い足取りで舞台へと駆け出した。その姿にイザードは「楽しそうだなぁ」と呟いたのだった。



 大舞台に緊張するような繊細な心は、持ち合わせていない。

 高所から飛び降りることに躊躇いはなく、むしろ心が躍る。

 傭兵として鍛えた強靭な身体に、アクロバットな動きは余裕だった。


 エリオットら男性役者の登場で一気に盛り上がった舞台に現れたのは、先程の少女セイラだった。


 彼女は踊り子。いわばこの舞台の主役。


 明るいオレンジの衣装に身を包み、豪奢な髪飾りで髪を結いあげた彼女は、大層神々しく。

 その身体が表現する優美な踊りは、観る者を惹きつける力があった。


 舞台を駆けまわりながらセイラの姿を見て、エリオットは思う。

 これは客席で見たかったな――と。



 ひょんなことでエリオットが参加した劇団エースのショーは、何事もなく大喝采を浴びて幕を閉じた。終了後にセイラと軽くハイタッチをしたのは、演技を共にしたということで打ち解けた証拠である。


 翌日、ショーを特等席から観覧していたリオノーラに、なぜ出演していたのかと問い詰められたのは、言うまでもないことだろうか。

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