第18話 すきだ。
「うわぁぁぁぁぁぁぁ!!!!!!!」
天沢家の洗面所で、天沢家次女、すなわち私の叫び声が轟いた。
結局あの後20時頃に目を覚ました私は、顔を真っ青にする高槻先生と、たんこぶを8個くらいこさえた浅緋さんに土下座された。
『こ、ここここの度はうちのあさひが、その、えっと……!!! とにかく申し訳ありません!!! 学校への通告だけは……!!!!』
『ほんとうにすみませんでしたぁ……』
謝られているのは、梅ジュースと間違って梅酒を提供されたことであると思い出すのに数分かかってしまって、うっかり『えっと……なんの謝罪ですか?』と尋ねた私に、高槻先生が既に青い顔をさらに蒼白にさせ、横の浅緋さんをポカポカ殴り始めたのは記憶に新しい。
その後、事情をやんわりと親に説明して一泊させてもらった私は、翌日の早朝、すなわち今やっとこさ我が家に帰ってこれたわけで。
まだ頭がぼんやりするから顔でも洗うかーと洗面所に来たところで、思い出してしまったのだ。
『一織を特別に思っちゃったって、そんなの……どうすればいいの』
『……私、一織が他の女の子に触るの、いやだ』
『百人斬りしたとか、どうでもいい。過去とかそんなの、どうでもいい。今、私の前で、私だけ見ててほしい』
『触られるのも……限度が、あるけど……。他の人に同じことしないなら。私にだけなら、いい』
『……一織は……かわいい……』
『特別に……なりたい……』
「こ、ここここ殺してぇぇぇええええええ!!!!!」
リフレインするのは、昨日の私が酔った勢いで口走った言葉の数々。
私、天沢乙葉は、酔ったら眠くなるタイプであると同時に、酔ってやらかした事象すべての記憶がちゃーんと残るタイプだったみたいで。
しかも記憶力が低下するみたいなデバフもなかったらしく、そのときの浅緋さんのリアクションとか、そんな言葉を口走ったときに抱いたなんだか暖かい感情の数々さえも鮮明に覚えている。ほんとに、勘弁して欲しい……!!
「ねぇ〜朝からうるさいよ、おと」
「お、おねえちゃ……ごめん、そこにあるバールのようなもので私の後頭部を強打してくれないかな……」
「天沢家の洗面所には、バールのようなものなんてありません」
寝ぼけ眼を擦るお姉ちゃんは、代わりにこれでもと言わんばかりにおしりを叩いてきた。
足りない、こんなんじゃ全然足りない……!!そう叫ぶ私に、お姉ちゃんはあんたそっちのケあったわけ……?と戦慄している。違う!!
「てか、もう9時だよ? 遅刻じゃない?」
「いいんだよ今日は……!! 休むの、体調不良なんだから!」
「体調不良者の声量じゃなかったけど」
お姉ちゃんは小言を言いながら、どいてーと私を端に押す。
顔を洗い始めるお姉ちゃんの隣で、私は頭を抱えた。
……学校なんて、行けるわけない。
夏希とバチッたから気まずいとか、玲緒奈に気を遣わせたから気まずいとか、それももちろんあるけど。
それ以上に、今このタイミングで一織の顔を見ちゃったら私は死ぬ!!恥ずかしさとか、あとなんかもうよくわかんない感情に押しつぶされてきっと死ぬ!!
だから、今日でちゃんと落ち着かせないと。
明日は終業式だ。配布物もいろいろあるだろうし、夏希と玲緒奈と気まずいまま夏休みを迎えるのだって、そんなの嫌だ。それに……
「ちゃんと、決着つけないと」
「ん? なんか言った?」
歯磨きをしているお姉ちゃんに尋ねられて、なんでもないと答える。
私はお姉ちゃんに続いて洗顔と歯磨きを済ませて、自分の部屋に戻った。
✝︎
「さて、なにをするか……」
学校を休みはしたけど、これといってしたいことなんてなかった。普段の私ならすぐにゲーム機の電源を入れてネビファンを始めていたところだろうけど、今はそんな気分でもないし……。
お姉ちゃんの部屋にある漫画でも読もうかな、と立ち上がろうとしたところで、昨日浅緋さんから読まされたレズ漫画……いや、百合漫画、だっけ?……とにかく、それを思い出した。
浅緋さんに読まされたあれはめちゃくちゃピンク成分が多かったけど、あれよりマシな漫画があるのなら、まだ読める気がする。
私は漫画やら小説やらを買えるサイトに飛んで、ジャンル一覧を探す。
「ほんとにあるんだ、『百合』って」
恋愛、異世界、学園、アクション、ミステリー。それらがずらりと並ぶ一覧をずっと下までスクロールすると、BLという文字の隣に百合って文字がしっかりと書かれていた。BLは、なんか聞いたことがある。たしか男同士の恋愛だっけ……。
なんだか悪いことをしている気分になりながら、恐る恐る百合って文字を押す。
すると、おすすめ順に百合漫画とよばれるものたちがずらりと並んだ。
なにがいいのかわからず、とりあえずスクロールをする。全部女の子が向かい合ってるか、隣に並んでるか、手を繋いでいるか……とにかく女の子同士でイチャイチャしてる。
「あ、これ」
なぜか見覚えのある表紙を見つけて、スクロールしていた指をぴたりと止めた。
見覚えがあるはずだ。そこに表示されていたのは、昨日浅緋さんに読まされたR-18の百合漫画と同じ漫画だった。……いや、よく見るとちょっと違う。昨日のはもっと全体的に色味がピンクだったし、右上にR-18の表示があった。
「全年齢版、ってことかな」
ゲームでも、R-18G版とR-15版の両方が売られるみたいなパターンは少なくない。グロいのが大丈夫な人とそうでない人が、どちらも自分に合ったスタイルでストーリーを楽しむためだ。
漫画でもこんなことがあるんだー、と私は謎に感心しつつ、とりあえずその漫画をカートに入れた。昨日はパラパラ捲っただけだったけど、一応読んだことがあるって分罪悪感というか、よくないことをしているような気持ちが小さくなる気がするからだ。
「てか浅緋さん、全年齢版あるのにR-18版読ませてきたんだ……」
やっぱり相談相手間違ってたかも、とか考えつつ決済を終える。
そして案内に従って専用のアプリをインストールした私は、購入したばかりのその漫画を読み始めた。
物語は、昨日パラパラ読んで大体こんなもんかなって感じたものと、そう変わらなかった。
レズとかありえない、バットのない野球なんて成り立つわけ?みたいに言ってるギャルが、クラスメイトである生徒会長の逆鱗に触れ、「成り立つってこと、わからせてあげる」とラブホに連れてかれるところからストーリーは始まる。
そのシーンは全年齢版だからかカットされているけど、その体に快楽を徹底的に刻み込まれたギャルは、生徒会長のことを次第に意識し始める。けど自分がレズであることとか、生徒会長に落とされたとかなんやら一切を認めることをプライドが許さず、反発してはまた抱かれる毎日……。
第4話まで読んだところで、私は頭を抱えた。
「私と一織じゃんこれぇ……!!」
いや、こんなこと認めたくないけど!!
けど、昨日浅緋さんが『乙葉ちゃんって完全にその漫画の主人公だなーと思ってさ』なんて言ってくるほどのことはあった。
レズなんてありえないって言ってるところ、レズに抱かれてる(私の場合はただのセクハラだけど)ところ、徐々に意識し始めてるところや、それを認められないところの何から何まで……!!
そんなときに、スマホからピコンと通知音が鳴った。
現実逃避をしたかった私は、慌てて漫画のアプリを閉じてLINEを開く。
けど、その通知はどうやら私に大人しく現実逃避をさせてくれないみたいで……
一織:だいじょうぶ?
胸が跳ねた。
そんなつもりなかったのに、震えた指が勝手にトーク画面を開いちゃって、既読をつけてしまう。なにか返事をしなくては……。
おとは:大丈夫だよ、ちょっと風邪気味かなーみたいな?
一織:そうなんだ
一織:安心した
ずきゅん。
は、なにこれ。なんか胸が痛い。
私は震えた指を落ち着かせながら、余裕を保つために返信を打ち込む。
おとは:なに、心配してくれたの?
一織:するよ、そんなの
一織:かのじょだもん
ずっきゅん。
痛い痛い痛い痛い!!これ救急車とか呼ばなくて大丈夫かなぁ!?
これ以上は無理だ!と判断して、私はLINEを閉じた。当然さっき読んでた百合漫画に戻るかーって気持ちにもなれず、結局布団に包まる私。
スマホからピコン、ピコンと通知音が聞こえるけど、開いたら負けだ。きっと私の心臓を握りつぶすような猛攻を仕掛けてきているに違いない。見てたまるものか……!
スマホの電源を切って、瞼を閉じる。
昨日変な時間に寝てしまったせいで、体はまだ微妙に眠たいままだ。
スマホやらなんやらを意識しないように目を閉じていると、いつの間にか睡魔が襲ってきて───
私はそれに一切逆らうことなく、深い眠りについたのだった。
✝︎
ぴーんぽーん。
ぴーんぽーん。
ぴーん、ぴーんぽーん。
「んぅ……うるっさいなぁ……」
何時間眠っただろうか。
執拗に鳴り響くインターホンの音に叩き起された私は、そう呟きながらしぶしぶ起き上がった。
お姉ちゃんが出てくれたらいいのに……そう寝ぼけた頭で考える。
ああでもそういえば、お姉ちゃんは今日3限からーとか言ってたっけ。未だに大学生の3限っていうのが何時からとか知らないけど、もう家出ちゃったのかな……。
そんなことを考えている間も、インターホンの音は鳴り止まない。
私はパジャマの上に、リビングに放置されていたパーカーを羽織って、玄関の方へ向かっていった。
宅配便かな、置き配とかでいいのに……なんて思いながら鍵とチェーンを外し、扉を開ける。
すると、そこには。
「あ、いた、乙葉」
目を疑うレベルの美少女が、立っていて。
「い、いいい一織!?」
「ごめんね、連絡したんだけど……既読、つかなかったから」
勝手に来ちゃった、と微笑む一織。
その眩しさに逆に冷静になれちゃった私は、自分の今の格好を思い出す。
上下パジャマ。羽織ってるパーカーは中学時代買ったやつで、Loveとかわけわかんない刺繍が入ってる異次元のダサさ。
靴下を履いていなかったから、咄嗟に履いた靴はお父さんのボロいサンダルだ。
朝起きてギリ洗顔と歯磨きはしたけど、外に出る予定なんてなかったからメイクなんてしてないし……やばい、髪なんて梳かしてすらない……!!
顔に一気に熱が集まる。
「ま、まって、わ、わわ私こんなかっこ……!!」
慌てて扉を閉めようとしたけど、一織に止められてしまう。
「だいじょうぶだよ。乙葉は、そのままでも……すっごくかわいいから」
ずっっっきゅん。
心臓を握りつぶされるかのような胸痛を覚えて、私は胸を抑えてうずくまった。途端、頭上から一織の心配げな声が降り注がれる。や、やめて、なんかその声で悪化してるような気がするから……!!
「ほ、ほんとに体調悪いんだね、ごめんね」
一織が申し訳なさそうに呟いた。そして試験勉強頑張ってたもんね、と続けてくる。
ようやく少し耐性のついてきた私は、ゆっくりと立ち上がると、一織のその整いすぎた顔面を見ないように顔を背ける。
「……で。そ、その……なにしにきたわけ?」
「あ、そうだ。……その、これ、いらなければ捨ててもらってだいじょうぶだから」
てっきり配布物かなにかを代表して届けに来てくれたのかと思ったけど、一織から手渡されたのはずっしりと重いコンビニのレジ袋だった。
特に抵抗せず受け取って中を見ると、ポカリ、フルーツゼリー、プリン、レトルトのお粥、栄養ドリンク……それらが、3種類ずつ入っている。
「何がいいのか、わからなくて。とりあえず、調べてオススメってでてきたもの、全種類買ってきた」
顔は見れないけど、たぶん少し頬を赤らめて顔を背けてるんだろうな。そんな声がした。
ネビファンのグッズを欲しがっていた私を見て、何が欲しいかわからなかったからと全種買ってきた頃の一織を思い出す。あのときの一織の大真面目な顔が脳裏によぎって、思わずふふっと笑みがこぼれた。
あのときは付き合ったばかりだったから、もう一ヶ月前になるのか。
私は口元に笑みを浮かべたまま、小馬鹿にするように呟く。
「一織ってさ、バカだよね」
むっ、て声が正面から発せられた。
「それを言うなら、乙葉。試験勉強がんばりすぎて知恵熱とか、おばかさん超えて赤ちゃんすぎ」
「全然違うんですけど!? 誰その情報流したやつ!?」
めちゃめちゃ見当はずれかつ失礼なことを言われて、どうせ玲緒奈とか夏希あたりが流したんだろ!!とツッコミを入れる私。
すると、見ないように意識していたはずの一織の顔を、うっかり視界に入れてしまって。
目が合う。
私はどんな顔をしているのだろうか。
「やっと、こっち見てくれた」
一織はそう言って、心底安心したって顔をしながら微笑んだ。
胸が痛い。
どうしたらこの痛みは止むんだろう。
そんな私の悩みなど露知らず、一織は一歩、私に近づいてくる。そして困惑する私の顔を見て、意地悪に笑いながら。
私のことを、ぎゅっと抱きしめた。
今までにハグなんて何回もしてる。
まあ、胸を触られるときにセットでっていうのが多かったから、回数的にはバックハグが多くて、こうやって正面から抱きしめられるのは久しぶりだけど。
最近しぱらく嗅いでいなかった一織の香りが、鼻腔をくすぐる。いい匂いだ。すごく落ち着くのに、脳がぴりぴりする不思議な匂い。
どくん、どくん、と少し早めの心音が聞こえる。
これは私のものなのか……それとも、一織のものなのか。
「あした、学校これるの?」
「……ん、え……い、いく。終業式、だし」
「そう。よかった。たのしみにしてる」
至近距離で聞く一織の声は、まるで耳たぶをくすぐってくるみたいで。すごく良い声のはずなのに、恥ずかしいし、なんだか居心地が悪い。
一織は私を抱きしめる手にぐっと力をいれて、きつくきつく私を抱きしめると、ぱっと離れた。
あまりにも名残惜しくて、一織の背中に回そうかとうじうじ悩んでいた手が、離れていく一織を追いかけるように空を掴んだ。
一織は残念そうに微笑む。
「しんどいのに、無理させちゃうとよくないから……もう、帰るね」
「……ん。その、来てくれて……ありがと」
「わたしが、来たかっただけだから。……じゃあ、あしたね」
「うん、あした」
体にはまだ一織のぬくもりが残っている。服はほんのりと一織の匂いをまとっているし、耳はまだ一織の声を反芻するかのようにリフレインさせている。
帰らないで欲しい。まだ抱きしめていて欲しい。
たぶん昨日みたいにお酒を飲んでいたら、するりと口から零れていたんだろうなって言葉が、頭に浮かんで消えてくれない。
小さくなっていく一織の背中を見つめる。
胸が痛い。でも、嫌な痛みじゃない。
私はコンビニのレジ袋をぎゅっと抱えたまま、その場でうずくまる。
そして、この地球上で自分にしか聞こえないような声量で、ぼそりとつぶやいた。
「……やばい、すきだ」
激しい胸の痛みは、いつのまにか心地の良いものに変わっていた。
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