第2話:モフモフとのふれあい
僕はバイソンのような獣の引く、幌付きの荷車に乗せられた。内部は両サイドが椅子になっていて、そこに座らされる。キツネ男は僕の隣に腰掛けた。
しばらくするとウルフィナが乗り込んできた。キツネ男が眉をひそめる。
「ウルフィナ様、こちらではなくご自身の車へ」
「こいつに興味がある」
「またそうやって。先ほどご自身の口で"見せしめにいたぶる"と言ったばかりですよ」
「それは、お前がそう言ってほしそうだったからな」
「当たり前です。人間族が攻めてくるなんて話を聞かされてのほほんと笑っているようでは臣下の者に示しがつきません」
「だからそういう演技をしただろう? こうして兵も起たせた」
「姫様、兵を起たせたのは、こやつうんぬんというより、人間族側が国境付近に兵を集めているのを数日前に察知したからであって」
「ああもう、うるさいな。気に食わないならフォークス、お前が降りるか?」
キツネ男――フォークスがあからさまにため息をつく。
「……いえ、どうぞお好きになさってください」
ウルフィナは僕の正面に腰を下ろした。
露骨にじろじろ見られて居心地が悪い。俯いていると、視界に獣の手が現れて、つい、と顎を持ち上げられる。
蜂蜜色の瞳とかち合った。咄嗟に視線を横向けてしまう。
「目を逸らすな。私を見ろ」
鋭く命じられて、逆らうこともできないので従う。じっと僕を見つめる彼女の虹彩はまるで、誰も足を踏み入れたことのない原始の大地のように神々しかった。
「ふむ。人間族の美醜の基準は知らないが、嫌いじゃない顔だ」
「姫様、まさか飼うおつもりじゃ――」
「フォークス、いちいちうるさいぞ。お前は私の一挙手一投足に口を出さないと気が済まないのか」
見せしめにいたぶると言われたり飼うと言われたり、いったい僕はどうなるのだろう。
それにさっき言っていた、演技をしたというのは何だ? この姫は何を考えているのか……。
荷車が動き出した。
ウルフィナは、やや前のめりに言う。
「声ももう少し聞いてみたい。さっきはずいぶん怖がって震えていたからな。ほら、何か喋ってみろ。ん?」
これにも逆らう余地はないので、僕は恐る恐る口を開いた。
「あ、あのう……それじゃあ、質問してもいいですか」
「なんだ?」
「ここって、どこなんでしょう? 僕は死んで、地獄に落ちたんですか?」
ウルフィナは不可解そうな顔をする。そんな彼女にフォークスが言う。
「おそらく人間族の宗教の話でしょう。地獄というのは、この世で罪を犯した者が死んだ後に行くとされる場所のことです」
「ほう……お前は何か罪を犯したのか?」
「いえ、そんな……身に覚えは……」
道で拾った百円玉をそのまま懐に入れるなどの小さな罪は犯してきたが、小学生のころの話だ。
「だったらここは地獄とやらではないんじゃないか? それにお前はまだ生きているように見える」
「でも僕、ここじゃない全然違う場所にいたはずなんです。それが、気づいたらあの草原にいて……」
「全然違う場所、か。それはオル××大陸のどこかか?」
「オル……?」
「オルデナ大陸だ」
「どこですか、それ」
僕の反応に、ウルフィナとフォークスが顔を見合わせる。
「姫様、もしかするとこやつは、人間族の中でも相当に身分の低い者なのでは? 自分の住む大陸の名も知らないとなると、碌な教育を受けていませんよ。飼うにしたってこれでは……」
「いや、変な入れ知恵をされているより扱いやすいじゃないか。知らないことは教えてやればいい」
ウルフィナは荷車の隅に置かれていた布袋を漁って紙束と木炭筆のようなものを取り出し、絵を描き始めた。
大きな横長の楕円の中にその三分の一ほどの大きさの横長の楕円。外側と内側の楕円を繋ぐように――時計でいうなら二時と四時と八時と十時の方向に、斜めの線が一本ずつ引かれる。
フォークスが小さく「もう少し正確に……」と呟いてまた、ため息をつく。
やがて完成したのか、ウルフィナが嬉々として顔を上げた。
「いいか、これが私たちの今いるオルデナ大陸だ」
「はあ」
「そしてこの中心の丸が、我が王国ファングリット。獣人族の住む国だ」
「獣人族……」
ウルフィナは頷き、続ける。
「ファングリットの北側が、機械族の住むRM主機国、西側が精霊族の住むユスティ王国、南側が魚人族の住むリュモラール王国。そして東側が、今我らが向かっている人間族の国、アルディア王国だ。それぞれの国は長年対立状態にあり、国交もほとんどない。他民族の国に侵入すれば、今のお前のようにスパイ容疑で捕まり、大抵は拷問される。そして洗いざらい情報を吐かされたあとは、あっさり殺される。だから気をつけるんだぞ」
「は、はい……」
まるで他人事のように言うが、彼女はどういうつもりなのか。そうしてやるからな、という脅しにも聞こえないからよくわからない。
地獄ではなさそうだけれど、とんでもないところに来てしまった。人間は死んだ後に天国か地獄に行くという通説は嘘だと今、証明された。
獣人族、機械族、精霊族、魚人族、人間族……まるでハイ・ファンタジーの世界だ。
と、そこまで考えたとき、僕の胸にむくむくと湧き上がってくる衝動があった。
異種族恋愛、なんてどうだろう。今まで人間同士の恋愛ものしか書いたことがなかったが、種族の壁を越えた禁断の愛というのもなかなか。しかも五種族もいるなら、いろんなカップリングパターンでオムニバス形式にしても……!
スランプだったのが嘘みたいだ。水源を掘り当てた瞬間のように、アイデアが溢れ出して来る。
「すみません、その紙と書くもの貸してください!」
「うん? お前も絵を描きたいか? フォークス、手が使えるようにしてやれ」
「姫様! ……はいはい、承知しましたよ」
二の腕の上からぐるぐる巻きだった縄がほどかれて、脇の下からへそ辺りまでの拘束になった。これで腕は自由だ。
ウルフィナが紙束と木炭筆を渡してくれる。
僕は溢れ出るアイデアを、ひと粒残らず忘れたくなくて手を動かした。
「何を書いてる? 絵じゃないな。共通語でもない……人間族の文字か? フォークス、文字は書けるらしいぞ」
「姫様、何をのんきな! 味方へ向けた暗号文かもしれません。おい、お前、書くのをやめろ」
フォークスが僕の手から紙束と木炭筆を奪おうとする。
「ま、待ってください。これは怪しい暗号文なんかじゃありません。小説のもととなるアイデアです」
「またショウセツか! その話はもういい」
「いや、私はもう少し聞きたい。結局お前の言うショウセツとやらが何なのか、さっきはよくわからなかった」
「姫様!」
フォークスが細い目で横から睨んでいたが、正面から見つめてくる原始の瞳のほうが威力があった。
「今書いているのは、異種族間恋愛小説のアイデアです。獣人族の娘が、捕虜として捕まって殺されかけている人間族の青年にひと目惚れをし、彼を逃がす。そこからふたりの愛の逃避行が始まるんです」
「なんだそれは。獣人族と人間族が恋をする? ありえない」
「現実にはありえないかもしれません。でもフィクションなら――小説の中でなら、できないことなんて何もないんです。誰もが自由に恋をできるし、好きな魔法を使えて、会いたい人に会えて、なりたいものになれる。小説の中でなら、この大陸を支配する五つの種族の王国を、ひとつの帝国にすることだってできます!」
その時、僕は見た。ウルフィナのモフモフの尾が、小さくパタパタ振られるのを。
「わ、可愛い」
と思わず言って、慌てて口をつぐんだ。だが聞き咎められる。
「何だと?」
「すみません」
「今なんと言った」
「すみません! しっぽが揺れてるのが可愛くて、つい」
叱責されるかと思ったが、ウルフィナは――僕の目がおかしくなったのでなければ――照れるような顔をして、耳をぺたんと下げた。
ヒコーキ耳だ、と思った。これも可愛い。
「あの、頭撫でてもいいですか?」
「貴様、姫様が甘いからって調子に乗るなよ!?」
隣に座るフォークスに胸倉を掴まれる。
「だって! だって! (犬の)耳がぺたんてしてるときは、頭撫でてほしいときだって……!」
「許す」
「姫様っ!」
悲鳴のような臣下の声もどこ吹く風と聞き流し、ウルフィナは頭を差し出してくる。
フォークスがしぶしぶいった様子で僕の胸倉から手を離した。
僕は片手を彼女の頭の上に差し伸ばす。そして触れた。
モフモフ
……素晴らしい。まるで高級絨毯のような手触り。永遠に触っていられる。
ウルフィナはというと、目を閉じて心地よさそうにしていた。オオカミというより、ワンちゃんだ……。
その時だった。早馬の音がして、ウルフィナが頭を上げる。表情はきりりと凛々しく戻っていた。
戦列の前方から駆けてきて、幌のない荷車の後ろ側へ回り込んだ騎兵が言う。
「斥候からの情報です。国境付近に集まっていた人間族の兵たちが、どうやら軍事演習を始めた模様です」
「なるほど、あくまで我が国に攻め入る準備ではない、と? だが国境にほど近い場所での演習など、挑発もいいところだ。黙って見ていたのでは獣人族の名折れ」
フォークスが皮肉っぽく鼻を鳴らした。
「では姫様、こちらも演習をしましょうか、これ見よがしに」
別の早馬がやってきた。こちらはずいぶん焦っている様子だ。
「姫様、申し上げます。人間族の軍事演習ですが、どうやら国王アルセイヤが陣頭指揮を執り――」
ドォォォォン!!
突如、前方から鳴り響いた爆発音。
ウルフィナは動じず、「血の気の多いことだ」と呟くと、報告に来た騎兵へ向き直る。
「前線に出る。私の馬を」
「二頭だ」
フォークスが言った。そして振り返ったウルフィナへ、
「おひとりでは行かせません」
と宣言し、僕を縛る縄を固く握った。




