第51話 青の女騎士
俺は周囲の魔道具の暴走を見て、一つの可能性が脳裏をよぎった――が、今は考えている暇などない。
「レイはここにいて! 危ないからじっとしてて!」
「えっ、お兄ちゃん!?」
彼女の制止を背中で聞きながら、俺は混乱の渦中へと飛び込んだ。通りでは清掃魔道具が火花を散らしながら走り回り、空では水球ランタンが無差別に飛び交っている。
(このエリア全体に届くように――白の力を!)
俺は呼吸を整え、胸の奥から湧き上がる力を放つ。
瞬間、俺の身体を中心に柔らかな白光が波紋のように広がっていった。光は周囲を優しく包み込み、あらゆる魔力の“異常”を洗い流すように――消えていった。
やがて、光が消える。
暴走していた清掃魔道具は、その場でぴたりと動きを止めた。
空を飛んでいた水球ランタンも、まるで糸が切れたように落下し、ぽたぽたと水を撒きながら地面に着地した。
レイはその力をまじまじと見つめていた。
「あれが……お兄ちゃんが言っていた魔法を消す力!」
「……よし、止められた!」
安堵とともに、肩の力が抜けた。だが同時に――
ミーナにかけてもらっていた≪ミラージュドレス≫の魔法が、白の力の影響で解けてしまったらしい。
俺の髪は黒く戻り、瞳も元通り。街の住民から見れば、異質な姿がそこに立っている。
しかし今は、それを気にする者はいなかった。
「おぉ、止まったぞ……!」
「ったく……。いったいなんだったっていうんだ?」
――そのとき、隣の水路からさらに叫び声が響いた。
さっきまで穏やかだった水位は明らかに上がっており、流れも目に見えて速くなっている。
「ワシの……ワシのコマちゃんがああああ!」
悲鳴交じりの声に通りが一気にざわめいた。
(コマちゃん……?)
俺が視線を水路に落とすと、濁流の真ん中に浮かぶ板切れに、小さな犬がしがみついていた。その体は水に沈みかけ、明らかに溺れている。
「誰か……誰か助けてやれよ!」
「いや……お前が行けよ!」
市民たちはざわめくばかりで、誰ひとり水に飛び込もうとはしなかった。
迷う暇はなかった。
俺は息を吸い――
「行くしかない!」
しかしレイが俺を静止する。
「お兄ちゃん、さすがに危ないよ!」
「でも、俺が行かないと!」
レイの制止を振り切り、水面へと駆け出した――。
* * *
青銀色の毛並みに覆われた水馬にまたがり、ひとりの女騎士が水路に駆けつけた。
その姿は堂々たるものだった。
「騒ぎの元は……ここか」
蒼銀の甲冑にサファイア色のマント。手には馬上で扱うために設計されたような長いランス。その立ち姿に人々は自然と道をあけ、声を上げた。
「おお……グレイス様だ……!」
グレイスと呼ばれた女は水路の激流を見つめると、事情を尋ねる。
「なにがおきているのだ?」
市民が慌てて答える。
「あのおじいさんの飼い犬が流されて……! そしたらこのあたりの魔道具の暴走を止めたあの青年が、水路に飛び込んだんです!」
その先には、板切れにしがみつく小さな獣――と、それを追って飛び込んだ青年の姿があった。
「……あの男、このあたりでは見たことがないな……」
そのとき。
(うぐっ……!)
俺は水中で思わず顔をしかめた。急な流れと冷たさで足がつり、まともに泳げなくなっていた。
それでも、なんとか腕で子犬を抱えることはできた――が。
(やばい……このままじゃ……!)
その瞬間だった。俺の周囲の水が――渦を巻き、空へとせり上がった。
「な、なんだ!?」
噴水のように立ち昇る水柱。
俺と子犬は、その中心で空へと浮かび上がった。
「グレイス様の魔法だ!!」
群衆から歓声が上がる。
橋の上からグレイスが片腕をすっと振り下ろした。
「水よ、我が導きに応えよ! ――青の間欠泉」
彼女の言葉に呼応するように、水柱がやわらかく飛翔する。
まるで巨大な手のひらのように俺たちを包み、地上へと運んでいった。
「た、助かった……!」
へたり込んだ俺の腕の中で子犬が「ワン!」と元気に鳴いた。
「おお、ワシの……可愛いコマちゃんや!」
老人が駆け寄り、子犬を抱きしめて泣き崩れた。
「ありがとう、若いの……! そしてグレイス様……本当にありがとうございます……!」
「グレイス様の魔法を見られるなんて……」
「すごい……鳥肌立ったわ!」
だが、その歓声の中――俺の背後でなおも勢いを増す水路の流れに、彼女が気づいていた。
「皆、まだ水位の上昇が続いている! 私がなんとかする。それまでに高台へ避難を!」
グレイスの呼びかけに、ざわついていた群衆が動き出す。人々は次々と家族や荷物を抱え、整然と避難を始めていった。
レイが俺のそばに駆け寄る。
「もう、お兄ちゃん! 無茶はやめてよ!」
「……わるい」
苦笑しながら謝る俺のもとへ、青いマントの女騎士が歩み寄ってくる。
「君の勇気ある行動に、感謝する。……本来なら君も避難すべきところだが、どうやら先ほど、魔道具の暴走を止めたらしいな?」
「……はい。たまたまですけどね」
「ふむ。ならば、私に力を貸してもらえないか?」
俺は問いかける。
「どういうことですか?」
彼女はちらりと水路の上流を振り返りながら、言葉を続けた。
「君はこの国の人間ではなさそうだな。セルナの水路は、上流にある進入禁止区域に設置された《水流制御石》によって、常に水量が調整されている。だが、今は明らかにそれが暴走している」
目の前に広がるのは、張り巡らされた水路。ここだけではなく、町全体に及ぶ水系が連動しているようだった。
(このまま水位が上がり続けたら――)
最悪、街ごと水没しかねない。
「軍が動くのを待っている待っているのも市民に危険が及ぶ。魔道具の暴走を沈めたという噂が本当なら……君の“力”が必要だ。私と一緒に来てくれないか?」
「わかりました。行きましょう。でも……俺の妹が」
レイは俺に言った。
「私は一人で避難できるから大丈夫! だから、頑張ってね、お兄ちゃん!」
レイが笑顔で手を振ってくれる。俺は彼女の無事を願いながら、うなずいた。
そして――俺は女騎士と共に、蒼銀の馬にまたがる。
水の上さえ駆けられるという、その背中はしなやかで、どこか飛竜にも似た感覚があった。
(……なんだか。リシアと一緒に飛んだあの時を思い出すな)
「よし。ではいきなりですまないが、しっかり掴まっていてくれ!」
彼女が手綱を引いたその瞬間。アクアホースが軽やかに跳ね上がり、水路の水上を滑るように走り出した――。
☆今回の一言メモ☆
グレイスは賢い女性なので、目の前の危機に対して必要な人材だと判断した凪のことを躊躇なく連れていくことを判断しました。




