第49話 王女の趣味
俺はミーナに問いかけた。
「……ここに来るまで執事の人や、家政婦さんはいたけれど"ご両親"はどこにいるの? もし、いらっしゃるならご挨拶しとかないと」
ミーナはさらりと答えた。
「パパとママは王宮にいて普段はここには住んでいないんです。姉もいますが、同じく王宮勤めなので普段はほとんどいません」
「そうなんだ。だったらしょうがないね」
そのあと俺たちは食堂に案内された。目の前に次々と運ばれてくる料理に、ただただ圧倒される。
黄金に焼かれた肉料理、澄んだスープ、見たこともない果物をあしらった前菜、ふんわりと香るパン。
どれも素材の味を活かし、目でも舌でも楽しめるように作られている。
「……美味すぎる……!!」
俺がうなると隣でレイも同様に反応した。
「うん、うますぎるねお兄ちゃん!」
一方のミーナは、というと――
(すごいな……)
隣で静かに食事を進める彼女は、姿勢からナイフの扱い、食べ方に至るまで洗練された所作だった。これが王族における彼女の“日常”なのだろう。
食後は部屋に戻り、ふかふかのベッドに体を預けた。俺とレイは兄妹で同じ1室で別々のベッドを用意してもらった。
「なぁ、レイ!すげぇふかふかだな!」
「ほんとだねお兄ちゃん!」
しばらくそんな小さな興奮に対して会話していたが。
「ねぇ、お兄ちゃん」
「ん?」
「私が記憶喪失で、お兄ちゃんが私のお兄ちゃんなのはなんとなくそうだと思うんだけど、記憶があるときの私はどこでなにをしていたの?どんなんだった?」
そうだった。どうやって説明する? どうしたら。
「……そ、それは」
少し俺が考えておれが再び話し始めようとしたとき。
すー すー
「え?」
彼女は寝息を立てていた。
「……寝ちゃってる」
俺が彼女に布団をしっかりかけてあげた。
「……ふー、どうしたもんかな」
俺もベッドに横たわると、心地よい重さが全身にのしかかる。――ここまでの怒涛のような出来事が一気に押し寄せて、頭の中を満たしていく。
だが、それらを整理する間もなく――静かに、意識は深い眠りへと沈んでいった。
* * *
翌朝――
柔らかい太陽の光がカーテン越しに差し込み、昨夜の非日常が夢だったのかと錯覚するほど、穏やかな朝だった。
「……よく寝たなあ」
ふかふかのシーツから体を起こすと、昨晩の疲れが嘘のように抜けているのに気づく。
レイはまだ眠っているので起こさないようにした。(よく寝るなこの子)
軽く身支度を済ませ、家政婦さんの案内で朝食の席につく。
並べられていたのは、温かいスープと焼き立てのパン、彩り豊かな果物にハーブティー。素材の一つ一つが丁寧に仕込まれていて、舌にも胃にも優しい。
食事を終えると、俺はミーナを探すことにした。改めてのお礼と、今後のことを少し相談したかった。
(家政婦さんによると、たしかこの辺りの部屋にいるって言ってたよな……)
大理石の廊下を歩きながら、ミーナの部屋と思しき扉をノックしてみた。が――返事はない。
「……留守かな?」
中に入ると、そこはやはり彼女の私室だった。女の子の部屋にしてはかなり広く、それでいてどこか無機質な静けさがある。レースのカーテンが風に揺れ、整えられたベッドの上には薄手のブランケットが畳まれている。
壁には魔法陣の描かれた掛け軸、机の上には魔導書が数冊。棚には小瓶や宝石のような道具も並んでいた。
しかし肝心のミーナの姿は見当たらない。
「お嬢様でしたら、地下室にいらっしゃるかもしれません」
振り返ると、近くを通りかかった家政婦さんがそう告げた。
「地下室……?」
聞き返すと、彼女は困ったように微笑んだ。
「よくあるんです、朝になるとお一人でお部屋に籠ってしまうのです。……あまり人を入れたがらないのですが、黒瀬様でしたら大丈夫かと思います」
「……いってみます。ありがとうございます」
地下へと続く階段は、一つの扉に繋がっていた。
(こんな所で……いったいなにを)
木製の扉をノックすると、扉が開いた。
「おはようございますナギさん! あ、もうこんな時間でしたね。つい、没頭しちゃって」
「こんなところでなにしてるの?」
俺が中をのぞき込みながら問いかけると、ミーナは笑顔で答えた。
「私、薬草を使って薬を調合するの好きなんです。ここは集中できるから、気づいたら時間が経ってることが多くて……」
彼女は作業台に並べられた乾燥草や蒸留器、瓶詰めの液体を指差した。
昨日、荷台に山のように積まれていた薬草。それはこのためのものだったのだと、ようやく理解が追いついた。
「へぇ……すごいな。こんなにたくさん、自分で?」
「はい。でも、おうちの人達には“汚いからやめなさい”って、よく言われちゃうんですけどね」
確かに、王族にとってそれは必要がないことではあるのかもしれない。
「……まぁ、“王女様”って言われてたもんな」
彼女の表情にふと、影がさした。ほんの一瞬。だが、俺にはそれがはっきりと見えた。
「それでさ、一体どんな薬を作ってるんだ?」
すると、ミーナの顔がぱあっと明るくなる。
「えっ……聞いてくれますか!?」
食いつくように身を乗り出し、目を輝かせる彼女。そこからはもう止まらなかった。
「この薬草は“ルリグサ”っていって、主に熱冷ましに使うんですけど――」
「うんうん、そうなんだ!」
三十分後――
「でもね、蒸す時間と湿度を調整すると逆に活力を与える薬にもなるんですよ!あとこの“アメウツギ”は……!」
それからさらに一時間、ミーナの口から言葉が止まることはなかった。俺は、ただうなずきながら聞いていた。
「――すみません。また没頭しちゃった! では、私はこれから魔法と剣術と礼儀作法のお稽古があるので……」
俺は彼女の綿密なスケジュールに驚きながら言葉を返した。
「魔法に剣術に礼儀作法……なんていうか、王女様も大変なんだな」
「いえ、いつものことですので!……あ! そうそう今日は私のお姉ちゃんが帰ってくる日なんです!」
「あぁ。王宮勤めの?」
「はい! お姉ちゃんはパパとママ……えっと国王の近衛騎士団の団長を務めています! とっても頼りになるのでナギさんが困ってることを相談したらきっと力になってくれます!」
「そっか。ちょっと今、煮詰まってるから助かるよ。お姉さんはいつごろ帰ってくるの?」
「うーん、お昼過ぎには帰ってくると思いますので、それまでナギさんたちはここにいてくれてもいいですし、気分転換に街に行ってもいいかもしれませんね」
部屋でじっとしているのも落ち着かない。街を見て回るか。失くした俺の剣の変わりを見つけないといけないし。――ただ一つ引っかかることがある。
「なぁミーナ。俺とレイのオセロみたいに目立つ髪色なんだけどなんとかならないかな? ここに"彼ら"がいるとは思えないけど、もしものことがあったら危ないし」
「うーん、そうですね。……じゃあレイちゃんも呼んできて下さい!とっておきの魔法で変身させちゃいます!」
「変身?」
「そう、変身です!」
☆今回の一言メモ☆
ミーナは王位継承権を持った正真正銘の王女様です。トーマスが彼女の外出をとがめたのはそれが理由です。本人は自由人なので気にも留めていませんが。




