第2話 ヒロインがデートに誘ってきた。
牢屋を出て案内されたのは、大きな広間だった。そこでは軍服を身にまとった人たちが数十人。その視線が俺に向けられていた。
その中にいた赤い髪の少女。彼女は俺を一瞬だけ見て、すぐに視線をそらした。
「みんな聞いてちょうだい」
エルマの声が広間に響いた。
「……さあ、みんなに自己紹介をお願いしてもいいかしら?」
その言葉に、全員の視線がこちらへ集まる。
「……俺は黒瀬、凪。こことは違う世界から来たみたいです」
周囲にざわめきが広がった。
「異世界だと?」
「ふざけているのか」
「他国からのスパイでは?」
そんな言葉があちこちから聞こえてくる。
まあ、当然だ。俺だって逆の立場なら信じない。それに、こういう視線を向けられるのはあっちでもよくあった。
「信じられないのは分かってます。俺だって、説明できないんです……。でも、ここは明らかに俺がいた世界じゃありません」
赤い髪の彼女が口を開いた。
「……この男は、私の命を救った。彼があの場にいなければ、私は……ここに立っていなかったかもしれないわ」
彼女の言葉の重みは、それだけで軍全体に影響を及ぼす。
リシアの隣のシブめな男も付け加える。
「“異世界”なんて話は信じがたい。が、嘘をついてる目じゃないな。……俺にはそう見えた」
この二人の言葉が、場の空気を変えていく。
エルマは俺の前で立ち止まるとこう告げた。
「凪ちゃん。ここであなたをどう扱うかは、我々にとって重要な判断になる。だから――しばらく、あなたの“様子”を見させてもらうわ。もちろん、信頼できる監視つきでね」
(監視だって!?)
「――というわけで、リシア。あなた、しばらくこの子のお世話をお願いね」
「……は?」
リシアという名前だったらしい、赤毛のポニーテールの彼女の眉がぴくりと跳ねる。
「彼が何ができるのか、どんな存在なのか。あなたの目で確かめて」
「……承知しました」
彼女からすれば俺に助けられたことも、エルマの命令も、どちらも無視できるはずがなかった。
先ほどの彼女の隣の男が笑い声を漏らした。
「よかったな、リシア。謎の新入りの世話焼きとは、お前も立派になったもんだ」
「……からかわないでヴォルク」
「からかってなんかいないさ」
「……まったく」
* * *
俺に与えられたのは、石造りの兵舎の一角。軍の下級兵たちが寝泊まりする、いわゆる“社員寮”だった。
俺はその隅の小さな一室に通され、数日間の「様子見」として軟禁生活を始めることになった。特に仕事があるわけでもなく、何かを命じられるでもなく。とにかく、“観察対象”として。
当然、一人での外出は許されず、部屋にいるとき以外は常に同伴がついてくる。兵士たちは最初、物珍しそうに俺を見てきたけど、数日経てば興味も薄れる。
とはいえ、明らかに“異物”として距離を置かれてるのは、痛いほど伝わってくる。
その間はというと無断の外出もできないので、ひたすらこの世界の本を読み漁っていた。
あの精霊のような声の主も言っていたように、どうやらこの世界の言葉も文字も、なんとなく理解できる。
* * *
「……これから俺どうなるんだろう。地球に戻れるのかな」
窓の外を眺めていると部屋の扉がコンコンとノックされた。
「はい」と返事をする間もなく、扉が開く。
現れたのは、赤い髪を一つに束ねた少女――リシアだった。
この人はどうやらノックをしてから中の人の返事を待つということができないせっかちな人間らしい。彼女がでここを訪ねてくるのは何度か目なので、もう慣れてしまった。
「今日はなに?」
「確認よ。監視対象が逃げていないか、異常行動はないか……ついでに、お願いもあるの」
その時――部屋の外から、がやがやとした声が聞こえてきた。
「おい、今の……リシア隊長じゃねえか?」
「あんな美人が新入りの部屋に……!?」
「なんでもリシア隊長はあの異世界人の監視を命じられたんだとよ」
「通い妻じゃねぇか」
外の兵士たちは、扉の向こうで全力で聞き耳を立てている。
俺がその気配に気づいて、扉をちらりと見やると――
「気にしないで」
リシアはさらっと言いながら腰に手を当てた。
部屋に入ってきたリシアは、外の騒がしさなどまるで気に留める様子もなく、壁際に立ったまま淡々と切り出した。
「……アナタ、このあと外に出るわよ。荷物をまとめておきなさい。と言っても、なにもないと思うけど」
「え、外って……どこへ?」
「墓地。――前に私がいた場所。……またあそこへ行きたいの」
彼女の瞳に、一瞬だけ陰が落ちたのを俺は見た。
「あのあと一人で行くなって、上に怒られたの。あんなことがあったばかりだからって。だから、アナタを連れていく。監視対象を同伴するって名目でね」
「なるほど、俺は“口実”ってことか」
「理解が早くて助かるわ。別にあなたが戦えなくても問題ない。……あなたはただ、何か危険を察知したら教えて」
「おれは探知機か何かかよ……」
そうつぶやきながら、俺は心のどこかで、少しだけ安心していた。
数日間、軟禁状態で息が詰まりそうだったからだ。
* * *
「で、どうやっていくの?」
俺がそう尋ねる。
リシアが、胸元から取り出した笛を吹き鳴らす。
甲高い音が、空へ突き抜けるように響いた。やがて空に影が差す。
大きな翼。長い尾。発達した後ろ脚に、小さな前肢。鱗は青く輝き、全身にいくつもの古傷が刻まれていた。
飛竜――
俺が本で読んだ種族のことを思い出していると、地面が震えるほどの衝撃と共に、飛竜が舞い降りる。
「……うおぉ! すげぇ、これに乗るのかよ」
「さっさと行くわよ」
手綱を握って前に座るリシアは、何も気にする様子もなく、姿勢良く座っている。
「……せめて、ゆっくり飛んでくれよな……」
背中でつぶやいた俺の声は、彼女に届いたのか届いていないのか。 次の瞬間、飛竜が大きく翼を広げ、風を巻き起こした。
「うわ、うわぁああああっ!?」
そう、俺は高い所が苦手なのだ。
地面が一気に遠ざかる。風を切る音、ぐんと持ち上がる重力。浮遊感。心臓が喉から飛び出そうになる。
だが、やがて視界に広がったのは、言葉を失うほどの光景だった。それは俺の知っている世界にはないものばかりだった。
「……すげぇ……」
しばらく俺は飛竜酔いを感じながら景色に感動していると。
前に座るリシアが、何やらつぶやいた。
「……あの時、た……け……てあ……とう」
俺に何かを言ったように見えたけれど、
風をきる音ではっきりとは聞き取れなかった。
「え、なんか言った? ちょっといま結構、気持ち悪くて。あと怖いし」
「……なにも」
☆今回の一言メモ☆
火の国編は黒瀬凪という少し闇を抱えた人間が、彼と同じく少し闇が見える少女と出会うところから始まります。火の国編は水の国編からの怒涛の演出を映えさせるために、他の作品によくあるような畳みかける展開というよりは、凪が異世界に溶け込んでいく様をじっくりと表現しています。