第16話 腹が減っては喧嘩もできぬ。
リシアと話し終えたその日の夜。
一人での外出の許可が下りた俺は意気揚々と一人でイグナスの街へと繰り出した。
軍への入隊をどうするか――答えはまだ保留中だ。
それでも、こうして以前のように自由な行動が許されたことが、なにより嬉しかった。ヴォルクたちも俺の立場と感情を案じてくれていたのだろう。
最悪の場合、疑いを向けられて命を狙われてもおかしくない中で、最低限の理解が得られたという事実。それだけで、十分に救われた気がした。そして、なんの制限もなく外を歩き回れるという当たり前の自由に俺は感謝した。
* * *
ここはイグナス――火の国。この国の戦力の中心 焔戦団を擁するこの国は、軍事力をもって国力をあげてきた国家だ。
火属性の魔力因子(難しい話は置いておこう)を持つ人間が多く、その特性は髪色や瞳の色にも如実に現れる。
つまり、なにが言いたいかというと黒髪、黒目の俺は、けっこう目立つ。地球ではどこにでもいる二十歳の大学生だったはずなのに、ここではただ、立っているだけで異物感を放ってしまう。人の視線がちらり、ちらりと刺さるたびに、少し肩がこわばってしまう。
だが服装だけはマシだ。軟禁生活が始まった当初、リシアに付き添ってもらって一式揃えた異世界仕様の一般着。素材や縫製はこの世界のものだが、意外と着心地もいい。
よく知らないが作成工程に魔法も使われているとか。これも地球でいう"ノンアイロン加工"とか"ストレッチ加工"とか、まぁそういう類のものだろう。
とはいえ、髪と目だけはどうしようもなかった。俺はそのローブのフードを深く被り、人目を避けるようにしながら、街の一角にある屋台通りへと足を向けた。
「今日は、ひとまず外で飯を食おう」
通りを曲がった先――そこは、夜の帳が降りる頃になると自然と明かりが灯り始める屋台通りだった。
街の中心からやや外れた石畳の小道に、色とりどりの布を垂らした小さな屋台が軒を連ねている。魔法ランタンの柔らかい光が、赤や青、金糸の刺繍を施した天幕を下から照らし出し、幻想的な影を踊らせていた。
香ばしく焼ける肉の匂い、果実を煮込んだ甘いソースの香り、鉄板の上で踊る魚介の音――異国の風土を感じさせる刺激的な香りと音が、鼻と耳を一気に包み込む。
思わず足が止まる。
すれ違う客もさまざまだ。軍服を脱いだ兵士、家族連れの市民、旅の商人らしき者。火の国イグナスらしい快活な笑い声が、あちらこちらから飛び交っている。
そんな中、ふと目に留まったのは、一軒の屋台。
屋根の端には火の紋章と、唐草模様のような文様が刻まれており、その中心には丸い鉄鍋が煮え立っていた。鍋の中では、朱色のスープがぐつぐつと泡を立て、異世界の根菜や鱗のついた白身肉が踊っている。時折、香辛料の粉末がふわりと振られ、湯気と共に立ち上る匂いが俺の鼻をくすぐった。
屋台の前には木製の長椅子が三つほど。腰の曲がった老婆がひとりで切り盛りしているようで、優しげな笑みを客に向けていた。
看板代わりに掲げられていた手書きの札には――《焔鍋亭:身体ぽかぽか 火の薬膳スープ》とある。
「こういう場所、地球にもあったな」
俺はその屋台へ吸い寄せられるように歩み寄っていった。
「いらっしゃい」
女性店主の声は、火をくぐりぬけた炭のようにあたたかい。その手には、今まさにスープをかき混ぜていた木のおたまが握られていた。俺は空いていた一番端の木の椅子に腰を下ろす。
「えっとここって、何がおすすめなんですか?」
「それはもう、この《焔薬膳鍋》さね。
火蜥蜴の骨と、レアトマ草の根っこを煮込んでる。身体の芯から温まるよ」
俺は脳内で映像記憶を使う。必死に魔物図鑑のページをめくって二七ページ目をめくった。
火蜥蜴。イグナスでよく狩られてる中型のトカゲのような魔物。
見た目はおぞましいが、肉はクセがなくて美味しいらしい。あまり想像するのはやめよう。
「じゃあ、それを一人前くださ――」
「二人前ね。テレサおばさん」
言い終わる前に、涼しげな声が俺の背後から割り込んできた。
「リシアちゃんも来たのかい。はいよ」
おばさん、いやテレサは、まるでそれが当然の成り行きであるかのようににこりと微笑み、鍋の中から朱色のスープをすくい上げる。
「リシア! って、よくここがわかったな」
驚きつつ振り返る俺の隣に、すんと澄ました態度で腰を下ろしたリシアは、目を合わせることなく淡々と答える。
「勘違いしないで。このあたりは、私もよく来るから。ただ――」
言葉を一拍置き、顔はそむけたままで続ける。
「寮であなたが外出したって聞いたから。ちょっと、街の人に聞き込みして回っただけ」
「あー」
俺は苦笑いを浮かべながら、目立つ自分の外見を思い出して軽く額を押さえた。地球ではなんてことのない黒髪と黒目が、この世界では逆に異彩として目を引くのだ。
「目立ちすぎてたか、俺」
「そうね。」
リシアの目がわずかに細められ、口元がほんの一瞬だけ和らいだ気がした。
やがてテレサが器を二つ差し出してきた。
「さ、熱いうちにお食べ」
素焼きの器には、湯気を立てる朱のスープと、ゴロリとした具材たち。火蜥蜴の肉、小さな赤玉果、透明な根菜、そして香草の葉が、ゆらゆらと湯に踊っている。
「あなたには言いたいことがあるけれど、まずは食べましょう」
「うん。いただきます」
俺は木の匙でそっとすくい、一口。熱い、だがうまい。
「これうまいな」
隣を見ると、リシアも静かに匙を運んでいる。
「でしょう? ここ、私が一番好きな屋台なの。テレサおばさんは、十年前からここでお店を営んでいるのよ」
「ふーん十年かぁ」
しばらくの間、二人の間に静かな時間が流れる。
思えば誰かと落ち着いて食事をとったのはずいぶん久しぶりのことだった。
☆今回の一言メモ☆
作中で詳しく出そうとは今は思っていませんがこの世界の人々は魔力因子をもっています。僕らでいう血液型とかMBTIの診断結果のようなものですね。
美術関係やアパレル関連のお仕事をされる方には一般常識ですが、色相環とインターネットで調べていただくと色が明るい色から暗い色まで流れる円グラフのようなものが出てきます。
このアルフラディアの人々も一人一つその色を持っていて、その色によって使える魔法属性や特性が決まります。
ちなみに凪やハクの使う白と黒の力はこの色相環には入っていませんね。つまり、そういうことです。




