彼女にとっての変わり映えのない1日 3
「はぁ!?今のなに?お前らさ、ウザすぎんだろ!」
今まさに入室したばかりのアキちゃんが大きな声でそう言い放ち、クラス中に緊張が走った。
顔こそ向けていないが教室中の全員がこっちの様子を伺うような雰囲気になってしまう。
全員が遠巻きに見るだけで介入はしない。
アキちゃんに関わりたくないのだろう。
見た目だけ言えば可愛い。が、アキちゃんは……ちょっと過激だから。
「は?なに?品川さんは関係ないじゃん……」
少し震えた声で反論するのは《ユリア》。
……彼女はバスケ部一年生の中におけるリーダーのような存在だ。
そして、バスケ部を急に辞めた私に最も敵意のようなものを向けているのも彼女。
「関係とか知らねぇよ。ウザいもん見たからウザいって言っただけだろ?なに?あーしに文句あんの?いくらでも相手になるけど」
準備運動をするように肩を回すアキちゃんにユリアは見るからに戸惑っている。
「ねぇユリア、さすがにマズいよ……」
「うんうん、ミアの言う通り、バレたら部活全体の責任になっちゃうし……」
ユリアの腕を掴みながらミアたちは引き際を探っている。
「はっ、んだよそれ。もーいい、萎えた。くだらねぇ。もう終わり」
さっきまでの勢いが嘘のように大きな欠伸をしてアキちゃんは自分の座席に座った。
気まぐれ、といえばいいのか、まるで猫みたいに興味の対象がコロコロ変わる奔放ぶりに私は少し羨ましさを感じた。
椅子に座ってスマホをいじるアキちゃんを見てユリアたちは蜘蛛の子を散らすように自分の席へと向かった。
良かった。と素直に思う。
彼女たちにとって私は『逃げた』裏切り者かもしれないが、私にとってはまだ……友達のつもりで……。
友達同士が喧嘩するのは見たくない。
……アキちゃんを友達って呼ぶのはまだ早いかもだけど。
「ねぇ?なんだったのアイツら?ウザスンギだったんだけど?だから脳筋って嫌いだわ」
スンギ?……韓国語?
アキちゃんはたぶん、私に声をかけているのだろうけど、ユリアがコチラの様子を伺っているのが見えたので返事をできない。
「――つーかさ、なにがあった知らんけど、ユイもちったぁ言い返せよ?ムカつかないんか?」
「……私も悪かったから」
「そうなん?……じゃあしゃーねーか。あーしのキレ損じゃん。アホくさー」
アキちゃんはそう言って机に突っ伏した。
……やっぱり、私のために怒ってくれたんだ。
「はい、ホームルーム始めっぞー!?今、自分の席にいねーのは遅刻にすっぞー?誰がいねーかー?」
担任のヨシマツ先生がそう言いながら入って来たことで、張り詰めていた教室の空気は弛緩した。
ヨシマツ先生のほどよい緩さのおかげだろう。
「先生、田中くんがいません!あと品川さんが朝から喧嘩騒ぎを起こそうとしていました!」
クラス委員長の《草鹿さん》が元気よく手を上げながらそう言うと同時に勢いよく扉が開き、田中くんが駆け込んできた。
「いますっ、すみません、遅刻じゃないです……」
「いや、遅刻だろ!?」
ヨシマツ先生の早いツッコミにクスクスと笑い声が起きる。
よかった、いつもの教室へと完璧に戻った。それにアキちゃんの件は流されそうだ。
「いや、遅刻じゃなくて、……学校には来てたんですよ。部室に……荷物を」
「そうなのか?んじゃまぁ、今日くらいは……」
「はい!先生!」
草鹿さんが元気よく手をあげる。
「……草鹿さん、発言どーぞ」
「遅刻には変わりないと思います!」
実直、真面目、堅物。
草鹿さんの印象を聞かれたらみんながそう答えると思う。……昔は違ったんだけどなぁ。
「だ、そうだ。……田中さん、どうする?」
「……遅刻でいいです」
「まぁそうなるわな。……3回で欠席だからな。気ぃつけろよ?」
「はい……」
結局、遅刻扱いになった田中くんは窓際の1番前の席に座った。廊下側の1番後ろに座る私と対極。
「……そっか、こんなに遠くの席だったんだ」
「ん?なにが?」
隣の席のアキちゃんが突っ伏したまま、顔だけをコチラに向ける。
「なにが遠いの?」
「う、いやぁ……なんだろうね?」
「なんそれ?まぁいいや!つーかさ、部活やめたんなら遊べんべ?あーし、ユイと遊んだことねーから――」
「――うおいっ!品川さん!なーに普通にくっちゃべってんの!?先生の話を聞く時間だぞ!」
先生に怒られてもアキちゃんは何も気にせずスマホを取り出し、『とりあえず連絡先交換すんべ』と言った。
アキちゃんは本当に怖いものなしというか、反抗的というか……。――問題児?
そんなアキちゃんの態度を見て怒る委員長。宥める先生。
このクラスになって約半年、幾度となく見てきた光景だ。
毎度の事なので、慣れた様子のアキちゃんは気だるげに委員長をあしらい。
クラスメイト達はそれをからかう様に笑ったり、呆れたり。
教室の隅では南さんがしかめ面を浮かべている。
田中くんは、何かをノートに書いている?――遠くて見えないや。
――結局、いつも通り。
私の人生からバスケットボールという大きな存在が消えても、世界は当たり前に回る。
私だけが立ち止まったところで、誰にもなにも。
関係ないのだ。
そんな当たり前のことを、いまさら実感した私は愚かなのだろうか。こどもなのだろうか。
小学生の時、コーチが口癖にしていた言葉を、不意に思い出した。
それは『逆に考えろ』というものだ。
……あのコーチは連呼しすぎていたが実際、重要な考え方だと今になって思うけど。
自分の小ささを今、実感できたのはいつか財産になるかもしれない。
「ユイ~、無視すんなー?」
「あ。……ごめん、なんの話だっけ?」
物思いに耽っているうちにホームルームは終わっていた。隣の席でアキちゃんがこれ見よがしにスマホを振っている。
ああ、そうか連絡先。
いつもと変わらない一日。
連絡先が1つ増えた。
あぁそうだ、田中くんにも、連絡先を聞いてみよう。
きっとそうやって誤魔化しながら生きていけば『心に穴が開いたような感覚』なんて消えるだろう。
なにかで埋める必要もない……はず。
ダメだったらなにか始めようかな。
それこそアキちゃんの言う通りバイトとか。
『これからの過ごし方』について悩んでいると、あっという間に午前中の授業が終わった。
しまった、……忘れていた。これからよりもこの後どうするかを考えるべきだった。
――お昼、どう過ごそう。
アキちゃんは当たり前のように授業中に早弁をして今はお昼寝中だし。
……先週まで一緒に過ごしてきたかつての部活仲間は私の事なんて居なかったかのように過ごしている。
あーあ。……こんなすぐに忘れそうな悩みに心が支配されるなんて、高校生ってめんどくさい。
……高校生ってホントーにめんどくさーいっ!
そうだ!田中くんはどう過ごしているんだろう。
連絡先を聞いて、ついでにお昼を一緒に食べようかな。
そんな考えはすでに遅く、田中くんは教室内から姿を消していた。
昨日、本人の言っていた通り、あまり教室にいないらしい。
……探しちゃおうかな。
朝のスパイごっこに感化されたわけじゃないが、このまま教室にいても寂しいだけなので、お弁当箱を手にもって教室を出た。
――でも、……探すとして、どこを?
私が知っている彼のいそうな場所なんて。
――軽音部の部室か。
とりあえず行ってみよう。いなかったら……中庭で一人、たべればいい。
そう思って一階まで降りて、中庭を抜ける。
……中庭では複数組のカップルが仲睦まじい姿を見せていた。
――ここで一人過ごすのは、余計惨めになりそうだ。
旧校舎に入ると、すぐに田中くんを見つけた。
厳密にいうと見つけたわけではなく、彼の演奏するギターの音が聞こえたのだ。
耳に入ってきたその音楽は、グロリア。
――そうだ、今日はきちんとノックをしよう。