彼女にとっての変わり映えのない一日 2
田中くんの後を追って入った旧校舎の中は11月とは思えないほど寒く、吐息が白くなった。
部活の朝練や登校中の学生たちのお陰で活気にあふれていた外と違い、一種独特な雰囲気をまとっている。
その雰囲気に呑まれて、部活の合宿中に聞いた怪談話を思い出し、自然と小走りになった。
音楽室は4階。近い方の階段から登ると、登り切ったところで田中くんに追いついた。
「どうしたの?」
音楽室は突き当たりなのに、田中くんは廊下を進まずに立ち止まっている。
「ここで待とうかと……」
「え?待つの?すぐそこなんだから音楽室まで行って話しかけたら?」
「ぐぬぬ……?!……そ、そんなことボクにできるとでも?!」
……ぐぬぬ?
「え~、そんなに難しいことかな?」
「……難しい。難しいさ。……今だって心臓がバクバクしているくらいだよ」
今も?
――それは階段を急いで登ったからじゃないの?と私は言いかけて……口を閉じる。
――扉の開く音がしたからだ。
「……なっ?」
田中くんは大袈裟な驚き方をして、絶句した。
開いた扉から出てきたのが、あまりにも予想外の人物だったからだろう。
「あれって、」
と私が言いかけて横を向くと田中くんは壁に張り付くよう隠れていた。
「……えぇ?なにしてるの?」
私はその姿に困惑する。
「――あれはきっと密会だ。バレたら証拠隠滅されるかもしれないし、隠れて様子を伺おう。ほら初音さんもこっちへ」
……?なんだろう……急に、スパイごっこ?
まぁなんだか真剣だから付き合うけど……。田中くんって意外と子どもっぽい?
音楽室から出て来たのは、音楽教諭の先生と《南さん》だったと思う。
いや、あの身長。間違いなく南さんだ。
田中くんは隠れながら目を瞑って耳に手を添えている。
「盗み聞きなんて良くないと思うよ?」
「……しっ、」
目を瞑ったまま人差し指を唇に当てる田中くんは真剣そのものといった様子。
なぜそこまで真剣に?
「『すごく上手くなってる』『俺の本気はこんなもんじゃなかった』『もっと凄くなるの?』……だと?完全に『事後』じゃないかっ!あの2人、まさか……?」
田中くんは何をどう曲解してるのか、とても苛立った様子だ。
「ねぇ、たぶん田中くんの思ってる展開じゃないと思うんだけど……」
彼の中で変な想像が暴走しているみたいだ。
「……くそ、さっきの曲は嬌声をかき消すためのフェイクか。朝からなんてことを……」
どうしよう。1人で勝手に盛り上がってるし、絶対に間違った変な妄想で暴走してる。
――でも、ちょっと面白いから訂正しないでおこうかな。
なんてね――。
「――まずい、コッチにくる!」
「なにもマズくないよ?南さんもクラスメイトなんだから挨拶すればいいだけじゃん」
「ム、ムリ!ボクは初音さんみたいに明るくないし、同じクラスってだけのほぼ初対面な人に話しかけられないよ。ましてや年上なんて……」
年上?あぁそうか。南さんって留年してるんだっけ。
「うーん、別に私、言われるほど明るくないんだけどな」
「ごめんっ、ボクは先に行くね!」
……そっか、田中くんからすると私は明るいキャラなのか。
――ホントはそんな事、ないんだけどな。
田中くんが階段を一足飛びで駆け降りていくのを見送る。
あぁあんなに焦って、転ばないといいけど……。
「っ、……お前は……」
「あっ、おはようございます!」
振り返ると南さんが私を見て驚いた表情をしていた。
なんでこんなに驚いたのだろう。
田中くんの妄想は確実に間違ってるとして、なにかを見られたくなかったとか?
「……声もデカいんだな」
「……なっ?!」
南さんは返事を返さないどころか、ちょっと嫌なことを言ってきた。
――私よりそっちの方が背高いのに……酷いや。
「……あの、さっきのピアノって南さんが――」
――弾いていたんですか?と訊ねる前に、『黙れ』と言わんばかりの視線が飛んでくる。
噂話を信じるわけじゃないが、誰かが『南さんは喧嘩で留年した不良』だなんて言っていたことを思い出してしまう。
「すみませんッ!」
その冷たい視線に私は思わず謝る。
「……授業、始まるぞ」
「あ……っはい!」
「あと、俺がここにいたことは誰にも言わないでくれ」
頭を上げると南さんはいなくなっていたが、私は今のやりとりで確信した。きっとあのピアノは彼の演奏だったんだ。
なんで隠していたのかは知らない。
でも、もし私の想像通りなら、彼の苦悩がちょっとだけわかる気がする。
多分だけど、彼も私と同じで『背が高いというだけで、周りから勝手に色んなイメージを持たれた』のだろう。
「……なんてね」
違ったら恥ずかしいから、勝手な想像は控えておこう。
そんなことを考えているとチャイムが聞こえたので私は小走りで一旦、3階に降りて渡り廊下を渡る。
そしてまた階段を上り教室へと着いた。
南さんはすでに窓際の1番後ろ。自分の座席に着いているが、田中くんは見当たらない。
部室に棺桶……ギターケースを置いているから遅れているのだろう。……そういえば、田中くんってどこの席なんだろ?
私は教室内を見渡しながら自席へと荷物を置いた。
「ちっ、邪魔なんだけど……」
「あ、ごめんね」
よそ見しながら椅子を引いたら、朝練上がりの元部活仲間にぶつかってしまった。
「はぁ……、デカいんだから突っ立ってんなよ」
「邪魔すぎでしょ」
「周りの迷惑とか考えてくんない?」
この前までずっと仲良くしていたバスケ部の元仲間たちから手荒い言葉を投げつけられる。
私は悲しいとかよりも、その変わり身の早さに感心してしまった。
……きっと向こうは私のこと、『逃げた』って思ってるんだろうな。
事前に相談したりしなかった私も悪いけどさ。
――それは間違っていないけど、間違ってるよ。
朝から品川さん、――アキちゃんや田中くんと話せて楽しかったのに、ケチついちゃったな……。
なんて暗いことを思っているとタイミングよく現れた――。
『はぁぁぁ?!』
――アキちゃんが廊下からこっちに向けて、吠えた。
私たちのやり取りが聞こえていたのだろう。
そのあまりの怒声にクラス中の視線が一気に集まり、アキちゃんの姿を見て、皆自分のところへ飛び火しないよう目を逸らした。
部活を辞めてから、『心に大きな穴』が開いてから感じる『退屈な今日』、それがまた始まるのだと朝に家を出たときは思っていたが……。
どうやら、それは違ったらしい。今日はの変わり映えのない一日なんかにはならなそうだ。