始動
「ではまず、このバンドの目指しているもの、そして音楽性について教えて貰えますか?各々の演奏レベルについても知りたいです。……という前に……そもそも、誰がどのパートなんですか?」
初音さんに連れられてやってきた草鹿さんが部室へと入るや否や、早口で捲し立てる。
「あーしがドラム。トラジがギター、ユイがボーカル。あーしも今日初めてここ来たし、なにをやるかはこれからだよ」
品川さんがドラムセットのカバーを外し、点検しながら答え、「……はぁ、最低限って感じだな。まぁ、あるだけマシか」とつぶやいた。
ボクにドラムの知識はないので、『……あれで最低限なんだ』と小さく驚く初音さんと同じ感想を抱く。
……まぁボクも入部後、カバーの下に隠されたギターやアンプをみて似たような感想を思っていたな。と思い出し、懐かしくなる。
「つまり。何も決まっていないのですね。とにかく、少し音を出してみましょう。そしたら……えっと……ベースはどこに?」
「あ……たぶん、このカバーに隠れてるのが……」
ボクがホコリ被ったボロ布を捲ると、安物のベースが出てくる。……当然ながら張られたままの弦はダメになっていて、ネックも曲がってるかも知れない。
……はぁ、いったい、いつからこうして放置されていたのだろう。
「あちゃー、こりゃ酷い保管方法だな。最低限にも程があるわ。で、どう?ダメになってる?まだ使える?」
「え?……壊れてるってこと?」
品川さんと初音さんはボクの表情で察して残念そうに覗き込む。
「まぁ……ハッキリ言って、あまり状態は良くないですね。元々安いのメーカーのものですし、この保管方法だったので……」
「……ネックが反ってますか?」
ボクの前に手を出す草鹿さんにベースを渡すとネックをゆっくりと撫でるように触り、眼のハイライトが消えた。
……やっぱり、ダメか。
「えっと……壊れてるの?」
「いや、音が悪いってことだな。場合によっちゃ鳴らなかったりもするけど」
前途多難。
初音さんと品川さんの会話から、ボクはそんな言葉を想起した。
「……軽音部に入ればベースがあると言いましたよね?」
……怒ってる。
草鹿さんが怒ってる。
そりゃそうだ。彼女はベースを弾きたいからここにいるのに。
「……ベースがないんじゃ厳しいわな。ドラムとギターだけのバンドもあるにはあるけど、ライブになったらサポート呼んだりしてるし」
品川さんも露骨にテンションを下げた口調でスマホをいじり始める。やばい雰囲気だ。
「……えっと、……つまり?」
初音さんは1人状況を理解しきっていないのか、首を傾げている。
「……結成前に頓挫ってことですね。まさに高校生バンドらしいという皮肉な状況です」
「草鹿ぁ、皮肉すぎるだろそれは。……まぁ、あるあるなんだろうけどさ」
2人の言う通り、たぶん良くある話なのだろう。
やる気のある人間が集まっても、きちんと活動を始められるのは一部だけだ。……ボクらはその一部になれなかった。
「……しかし、品川さんがドラムって笑えますね。見てみたかった気がしますよ」
「バカにしてる?」
「賢くはないでしょ?」
「お前と同じ高校に通う程度にはな」
「…………頓挫して良かったです。アナタとバンドを組んだとしたら毎日喧嘩しそうですから」
「はっ!そりゃこっちのセリフだ!」
草鹿さんと品川さんの言い争いが始まる。
いつもの光景ではあるが、今は2人とも少し悲しそうと言うか切なそうで、……どちらも勢いがない。
ボクもだが、2人も肩を落としているように見える。
残念だ。
そんな言葉がずっと頭の中をグルグルと回っている。
「……だれか余ってたり、しないのかな?軽音部の先輩とか」
「あー?まぁ……もしかしたら何本か持ってる人もいるかもだけど、明確に余ってて知らねぇ後輩に貸すほどって人はいねぇーだろ、まだ高校生だし」
「そうですね。OBの方とかにはいるかも知れませんが、どうしたって値段の張るものですし……」
…………あ。
そうか……。不意に一つだけ思いついた。
「……田中くん?どうしたの?」
「なにその表情、なにか思い出したん?」
初音さんと品川さんがボクの顔の前で手を振り、目の前の光景がストロボのように明滅する。
「……ボクの家に、あります」
「「「??」」」
「……ボクの家、というか叔父のなんですけど、……ベース何本かあるんですよ」
「えーと、それは、前に言ってた叔父さんのものってことだよね?」
「マジかよ!もっと早く言えよ!」
「……か、貸してもらえるってことですか?」
3人がボクを囲い込み、異様な光景が生まれる。
……この姿を見たらボクの母はイジメを連想するんじゃないかな。
「つーかなんで余らせてんの?……もしかして!プロのバンドマンなの?!」
「……え?!すごっ!田中くんのおじさんプロなの?!」
品川さんと初音さんが間違った想定でテンションを上げてしまったので、ボクは大急ぎで否定し、正しい方向へと話を戻す。
「ち、違いますよ!……これ言っていいのかな……。その、叔父の黒歴史に触れる感じなので、誰にも言わないでもらいたいんですけど……」
と、前振りをすると3人は首を大きく縦に振った。
「15年くらい前に『軽音部を舞台にした深夜アニメ』が流行ったのって知ってます?ボクらが生まれた頃の話です」
「あー、知ってる。つーか、なるほどね。うん分かったわ。うちの親父から聞いたことある」
品川さんはすぐにピンと来て察してくれたが、初音さんと草鹿さんは理解できていないらしい。
叔父には悪いが全てを語らないと伝わらないようだ。
「……まぁそういうアニメがあって、その影響で高校生にバンドブーム見たいのが起きて、すごい数のギターやベースが売れたらしいんですよ。ボクと同じでインキャの叔父も当然のようにハマり、みんなと同じようにギターを買い、叔父は何年かは続けたらしいです」
品川さんは気まずそうな表情のままドラムセットの元へ向かい、丸い椅子へと座った。
初音さんと草鹿さんは立ったまま真剣な表情でボクの話を聞いているが、……そんなに真面目な感じで聞く話じゃないので申し訳なくなる。
「叔父はその……、続けていたんですけど、……叔父の友人は『アニメが終わると同時にやらなくなった』らしく、手放そうとしたんです。……で、叔父がそれを買い取った。と……」
「買い取った?それは何故ですか?田中くんの叔父さんは別にプロとかではないのですよね?」
まるで推理でもするかのように草鹿さんは真剣に考え込む。……そんなちゃんとした話じゃないのに。
「……バカみたいに売られて一部の市場が崩壊したんだよ。そもそも大量に売れたのが『初心者モデル』で、それが中古屋に出回った。そうなったら買い取る側も売れないから安く買い取るだろ?……だからトラジの叔父さんが中古屋よりも高く買い取ってあげたって話なんじゃねーの?」
「な、なるほど……。品川さんらしくない、真っ当な推理ですね」
「あ?余計なこというなや」
「田中くんの叔父さんってなんの仕事してるの?……自転車の件といい、ずいぶん羽振りが良さそうだけど?」
初音さんの質問をボクは真顔で聞き流す。
それだけは、言うわけにはいかないのだ。
「……もし本当に貸して頂けるのなら、挨拶はさせて下さい。いくらなんでも勝手に借りるわけにはいかないので……」
「たしかにな、あーしも行くよ。トラジの叔父さんってことはギターの師匠でもあんだろ?どんな人か気になるわ」
……叔父に興味をもたないでくれ。
「じゃあ!今からいこうよ!今日ここにいてもできることないんだもんね?」
「……今から?……ど、どこへいくんですか?」
初音さんは何も言わずに笑った。
……そういうことか!
本来なら『クラスメイトの女子たちが家に来る』なんて超がつくほどの青春イベントだ。
しかし、ボクの家に、いや叔父の家に彼女たちを連れていくワケにはいかない!!
なぜなら……ボクの叔父は……『エロ同人作家』だからだっ!!
仕事部屋は鍵もあるし、隔離してくれているが、万が一……万が一のことがあったらボクは……。
絶望の淵で足を止めるボクを無視して3人は部室を出ていく。
「……どうしたの?案内してよ?」
「お菓子とか買って行った方がいいですかね?」
「そりゃそうだろ。流石に手ぶらはありえねーべ」
……もう行くことを止めるなんて言い出せない雰囲気だな。
まぁ、……叔父は決して恥ずかしい人間というわけではない。その職業だって大声では言いにくいが、家庭内でのゾーニングはできてるし、何も問題ない。とボクは思っている。しかし、それはボクの感想であって……彼女たちがどう思うかは別だ。
「どうか皆に叔父の職業がバレませんように……」