誘い 5
「け、警察なんて来たら私っ、大学に……ダメですよ!」
自らの今後を今になってリアルに考えたのか、品川さんの両肩を掴む草鹿さんの顔色がみるみるうちに生気を失い、青くなっていく。
……そりゃそうだ。退学だってあり得るだろう。
彼女はそれほどのことに手を出そうとしたのだから。
「っ、手ぇ離せ!事情は知らねーけど自分で選んだんだろ?だったらその――」
「待ってアキちゃん!」
混乱したこの場に初音さんの声が響き渡る。
――それは、まるで彼女の歌声と同様に不思議な力を持ったもので、ボクらは全員が初音さんの次に続ける言葉を自然と待った。
「……警察はやめよう?法律とか……私は分からないけど、草鹿さんはまだ、……未遂なんでしょ?」
品川さんの肩を掴む草鹿さんの手に、初音さんが手を添えると草鹿さんはだんだんとその顔に血の気を取り戻し、品川さんの肩から手を退け無言で頷いた。
……そうだ、初音さんのいう通り、……まだなにも起きてない。
「……終わったみたいだな。俺は帰るぞ」
ボクと反対側、道の向こうを塞ぐように仁王立ちをしていた南さんが背を向けてそう言った。
クラスメイトとはいえ、留年しているだけあってか、貫禄がすごい。まさに背中で語る男立ち。
いや、……たとえ1年経ったとしてもボクは彼のようにはなれないだろう。
「……はぁ、わーったよ!ユイの言う通りだ。未遂で止めれたし、もういいや!おい、オッサン!次見かけたらマジで容赦しねぇからな!」
「ひ、……ひいぃぃ……」
太った男性は南さんの隣を走り抜け、駅の方へと向かった。……そうだよな、普通、地元の駅なんて使わないよな。
痛い目に遭いかけたわけだし、あの人が2度とこういった行為をしないことを願おう。ボクらにできることなんてそれくらいだ。
「南さん!……ありがとうございました!」
「ミッくん!さんきゅーね!居てくれるだけで助かったわ」
初音さんは頭を下げ、品川さんが南さんに向けて手を振るが、彼は振り返ることもなく進み続けた。
「あっ、あとさー、ミッくんもバンドやらない?!」
………………。
…………。
……。
「はっ?!」
な、なんだ?今、品川さんは何を言ったんだ?
聞き取れたのにっ、理解が及ばない!
「ちぇっ!なんだアイツ、無視してやんの。まじ気取りすぎだろ、筋トレオタクがっ!」
南さんの背中に罵声を浴びせる品川さんと対照的に、草鹿さんは今の言葉を噛み締めてなにかを呟いた。
「…………バンド?」
「そう!バンド!草鹿さんもどう?楽器に興味あるんでしょ?軽音部に入ったら、草鹿さんの欲しがってたベース?って言うんだっけ?あれもあるみたいだよ!」
「「あっ……」」
ボクと品川さんは絶句する。
……今の初音さんの発言は、つまり、『あのやり取り』を見ていたと言ってるようなものじゃないかっ!!
「……え?……は?……見てたの?!」
戸惑い、驚き、眉に力が入り語気が荒くなる草鹿さん。対照的に初音さんは自身の失言にようやく気づき、慌てた様子で手をパタパタさせて誤魔化そうとしている。
可愛らしい姿ではあるが、そんなもので誤魔化せる空気じゃないだろう。
「……はぁ……、どこから見ていたんですか?」
ようやく草鹿さんはいつもの『距離を置くような丁寧な口調』へと戻った。どうやら少し、落ち着いたらしい。
「まぁ、あーしが聞いたわけじゃないけど、あの店でのやり取りは全部聞いたよ。でも――」
「――はぁ?!なんで聞いたんですか?!誰に?!あの、いつものいる店員さんですか!?」
草鹿さんはボクと初音さん、品川さんの顔を順番に覗き、誰に文句を言えば良いのか見定めているかのようだ。
――『ボクが盗み聞きしました』なんて絶対に言うもんか。
「そんなことよりよぉ、草鹿ぁ。アンタ、どんな理由があっても体売るなんてバカな真似しちゃいけねぇよ。いけねぇよなぁ?」
任侠ドラマかなにかに影響を受けたような口調で品川さんは草鹿さんに詰め寄る。
「ぅ、……それは……」
ジリジリと近寄る品川さんに怯えて草鹿さんは後退する。
「言い訳はやめとけ。理由もどーせ、ベースが買いたいって話だろ?だったらさ、軽音部入っちゃいなよ?」
草鹿さんの肩を抱き、囁くようにそう言う品川さん。……な、なんてストレートな勧誘なんだ。
「いや、こんな事されなくても……」
「……されなくても?」
初音さんも詰め寄る。
「……初音さんに言われた段階で軽音部に入るのも……有りかなと思いました。……お母さんにバレないように。ですけど……」
……お、お、おお〜。
そうなるとは思ってなかったのでボクは内心、驚いてしまう。
ドラムの品川さん。
ベースに草鹿さん。
ボクがギター。
スリーピースバンドとしての体裁は整った。
「ほほう。……で?ユイはどーすんの?草鹿のこと誘っといて自分は入らないなんて、ナシとは言わねぇけど、どうなんよ?」
確かに、品川さんは核心をつくのが上手い。あとは『あーしバカだからわかんねぇけどヨォ』って付けてくれたら完璧なんだけど……。
「……入るよ。私も」
「えっ?!」
初音さんの返事にボクは思わず驚きを声に出してしまい、三人の視線が集まる。
「な、何そのリアクション!嫌なの?田中くんが誘ったのに?」
「つーか、トラジいたんだったな……。影薄すぎて完全に忘れてたわ……スマン」
「……あ、えっと……田中くん?ですよね?……どうしてここにいるのですか?……よく考えたら初音さんと品川さんが一緒にいるのも変ですし……あれ?」
いまさら異色のメンツが集っていることに気が付いた草鹿さんは目を丸くする。
「……とりあえず今日はもう遅いですし、帰って……月曜日の放課後、軽音部の部室に集合しませんか?」
「いいね。あーしは賛成」
「私も。草鹿さん、軽音部の部室ってわかる?」
「え?……あ、いえ、ウチの学校に軽音部があることすら知らなかったので」
「じゃあ、一緒に行こう?」
「あ、はい。お願いします」
自然と駅前に向かって歩き出す三人の後ろをついていく。
このままだとボク以外が女子っていうバンド構成になるんだけど、それって大丈夫なのか?
バンドが組めるという事よりも、ボクはそっちの方が気になったまま家へと帰った。
玄関を開けると母が飛んできて『本当に友達と遊んでいたのか?』と訊ねてきたので『カラオケに行った』と伝えて部屋に戻る。
……友達。
……人付き合いから逃げ続けたボクがこうして同級生と遊びに出て、バンドまで組めるだなんて、ほんの数日前まで考えられなかったな。
それもこれも初音さんのおかげだ。
……いつか彼女に恩返しができると良いのだけど。