誘い 4
「トラジがさー、『ユイとバンド組みたい』って言った気持ち、ちょっとわかった気がする」
品川さんがベーグルをコーヒーで流し込み、真面目な面持ちで話しかけてくる。
そういう感じで食べるものじゃないだろ。……オシャレな雰囲気の喫茶店が似合わないのはボクだけじゃなさそうで安心した。
「え?そんなに私って歌上手い?ははっ、なんか照れるなぁ」
ボクと品川さんの間に座る初音さんが両手を頬に添えてわざとらしくしている。
「んー、上手いっていうレベルじゃないけど、迫力みたいなのがあったよ。よく通る声だし、感情を乗せるのが上手いっつーか」
「あっ、ボクも同感です。上手い下手じゃなくて、……雰囲気があるんですよ。説得力って言うんですかね……。言語化するのが難しいんですけど」
「ぶー!上手いって言ってくれてもいいのに……」
初音さんは分かりやすく肩を落として項垂れる。
「……歌ってさ、誰でもできるせいで勘違いされがちだけど、ちゃんと色んな技術の積み重ねで上手いって言われるもんなんだよ?そりゃ最初からできる奴もいるだろうけどさ。たぶんバスケもそうじゃん?シュート上手い素人が、『バスケ上手い』わけじゃないでしょ?チームプレーとか守備?とか色んなことできて、初めてちゃんと上手いってなるわけじゃん?だから――ってごめん、語りすぎか。……らしくなかったわ」
品川さんはそう言って恥ずかしそうに「忘れて」と付け足した。でも……彼女の言葉にボクは深く頷き、初音さんも首を振る。
「ううん。そんなことないよ。……アキちゃんらしい真っ直ぐな意見で、とっても分かりやすかった。そうだよね、ど素人の私が上手いって言われたがるのもおかしな話だもんね!」
「初音さん……。今の時代、ネットでちょっと探せばいくらでも情報が出てきます。初音さん自身に合った練習法を探しましょう。きっと、……初音さんならすぐに……ってどうしたんですか。二人と……も……?」
窓際のカウンター席、そこに横並びで談笑していたのに、二人は外を見て固まったまま何も言わない。
ボクはまた自分が余計なことを言って空気を壊したのだと思い冷や汗をかいたのだが、――違った。
「……く、草鹿さん?」
街頭に照らされて歩く人たちの中、俯いて歩く彼女を見つけた。
本来なら小柄な彼女を見つけるのは大変だが、……彼女と対照的な大柄の男性に肩を抱かられながら歩いているので目立ったのだ。
……誰だろうあの男の人は、父親にしては若すぎるし、兄だとしたら……あまりにも似ていない。
「っ、何してんだアイツっ!」
品川さんが飛ぶように立ち上がり、そう呟くと急ぎ足で出て行ってしまった。
「……ねぇ、あっちの方って、なにがあるんだっけ?」
初音さんの質問でボクは状況を理解する。
「そうか……。駅の向こうにあるのは、飲み屋や――ラブホテルです」
「え、ラブっ……うそ」
呆然とする初音さんを横目に、ボクは自分の分と品川さんの残したゴミを急いで片づけ、後を追う。
――飲み物を胃に入れてすぐ走るもんじゃないな。
横っ腹を押さえながらボクは駅前を駆け抜ける。
駅の反対側、寂れた小さな商店街には切れかけたネオンがいくつもあり、暗い雰囲気を加速させている。
今日、ボクらのいた方ですら活気があると言えないのに、再開発を拒んだこちら側はもっと酷い有様。
だが、この静けさのおかげで先に出た品川さんの怒鳴り声が聞こえて、位置をすぐに特定できた。
問題は、……ボクにこの状況をどうにかする力がないことだ。
「う、うるさいっ!放っておいてくださいよっ!」
「はぁ!?放っておけだ!?話の途中で逃げようとすんな!つーか、テメーだっていっつも、人に説教くれてんじゃねぇか!『自分がするのはいいけど自分がされるのは嫌』なんて理屈、許されるわけねぇだろ!」
「なっ、……」
落書きの目立つシャッターの降りた建物の裏から品川さんの怒号が聞こえたのでボクは向かう。
商店街の裏路地で品川さんと草鹿さんは案の定、言い争いを繰り広げている。教室でよく見る光景だが、……今は関係が逆だ。
草鹿さんは言い訳慣れしていないせいか、言葉に詰まり、上手く弁明できず、劣勢だ。
「はぁあ。……なぁ、俺はもう帰っていいか?こんな風に騒がれると萎えちまうよ」
大柄な男性は言い争う2人を見て、長くなると察したのかタバコを吸い始める。
……こいつ、この状況でなんてふてぶてしいんだ。
「ごらぁ!このデブっ!!高校生、金で買おうとした変態の癖に、なに偉そうにしてくれてんだボケっ!」
見るからに成人している男性。おそらく三十歳は過ぎている相手にも品川さんは一歩も引かず言い返し、それどころか、草鹿さんと男の間に割って入った。
……マジでカッコいいな、この人。――ボクとは大違いだ。
「……ちっ、ガキが偉そうにっ!」
あっ、ビンタ!?
男が片方の手を振り上げたのを見て、ボクは咄嗟に無策のまま駆け出し――。
「おぶっ?!」
――勢いに任せて男の胴体へと体当たりをする。
ボクのひ弱な身体でも側面から当たったことで男は体勢を崩し、ボクと一緒に倒れる。
「やるじゃんトラジ!そのままボコ――」
「――いやいやっ!逃げましょうよ!」
シャドーボクシングのような動きをする品川さんに路地の向こうを指差して指示を出す。
「くそっ、……ガキがっ、大人を舐めてんじゃねーぞ!」
ボク如きの体当たりではダメージがなかったのか、男はボクの腕を強く掴んで大声を張り上げた。
「は、離せっ!」
必死に腕を振るがダメ。ボクの力じゃ振り解けない。
「俺を誰だと思ってんだ!くそが――」
「――誰なんだよ。アンタは?え?そんなに偉いのか?」
背後から、低く威圧的な声が聞こえた――。
「はっ?なんでミッくんが!?」
「……アキ、その名前で呼ぶのはヤメてくれ。もうお互い、子どもじゃないんだから」
190センチ近い長身を少し曲げ、疑うような三白眼でボクらを睨みながら、無造作に流した髪を触ってる男の人が立っていた。
……南さんだ。
なぜ彼がここに?
ボクの手を掴んでいた男は「な、なんだこれ!?美人局か?!騙したのかっ?!」なんて騒ぎ始める。
「ん?……そう思うか」
南さんはジッと男を睨み続ける。
「みんな平気?!」
南さんの背後から初音さんが顔を出した。
「ユイがミッくんを連れてきてくれたの?!」
「……ミッくん?……もしかしたらなんかトラブルになるじゃないかって思ってたら、南さんがこっちに向かって歩いてるの見かけたからついてきてもらったの!」
南さんをミッくんと呼ぶ品川さんとの関係性が気になるが今はそれより、この握られた手をどうにかしたい。
「……アキがブチ切れながら走ってるの見かけたから……まぁ、なんかあったのかなって見てたんだよ。そしたら初音に話しかけられたってわけだ」
南さんが誰かを気にかけるなんてイメージと違う。旧知の仲なのが伝わってきた。あと、男の手汗で緊張も伝わってくるけど、……かなり気持ち悪い。
……この手をどうする予定なんだ?いや、きっと何も考えてない。平静を装っているが、この男も動揺しているのだろう。
ボクと同じように……。
「……くそっ!ごちゃごちゃ、さっきからうるせぇんだよ!ガキが調子乗んなよ!デカいからなんだ!ふざけんな!俺は関係ねー!もう帰るぞ!」
ボクの手を強く握りながら男は顔を真っ赤にしていく。いい加減離せよっ!
「お前まさか、俺から逃げられると思ってるのか?」
「が、……ガキが……」
南さんの静かな口調に男はただ小さく唸る。
まぁ、むっちゃ怖いわな。
「関係ねぇわけねぇだろ!警察来るまで待ってろ豚野郎!」
「アキちゃんっ!さすがにちょっと落ち着いて!」
今にも爆発しそうなくらい頭に血が上った品川さんを落ち着かせようと初音さんが駆け寄る。
その隣でずっと……俯いたままの草鹿さん。彼女は今、なにを考えているのだろうか。
「け、……警察……だと……」
男はそう呟き、……膝から崩れ落ちる。
――そして、ようやくボクの手を離した。
アスファルトに項垂れる男を軽蔑するように見下ろす南さん。見るからにケンカ慣れした彼が来たことで男は、……いろいろと諦めたのだろう。
ボクは男が今更逃げないとは思いつつも退路を塞ぐために少し移動しておく。
ボクにできることなんてこれくらいなものだ。
「え?……は?警……察……?無理!無理だよそんなの!私……学校、退学にっ……」
今になって状況を飲み込んだのか、動揺した草鹿さんブツブツと呟きながら品川さんの肩を勢いよく掴む。
掴まれた品川さんは露骨にイヤそうな顔をして……吠えた。
「はぁ!?……何言ってんだ!?パパ活だかエンコーだか売春だか知らねぇけどなぁ!碌でもないこと考えた自分の責任から逃げんなっ!」
品川さんの説教を、――ボクは正しいと思ってしまった。たぶん彼女は、『お金欲しさにやってみただけ』だったのだろう。
しかし、……例え事情があろうとも……やったことの責任というものはついて回るのだとボクも思う。
でも、きっと今の草鹿さんに必要なのは、正しさじゃなくて……。
嫌味ったらしく切れかけの街灯がチカチカと音を立てながら明滅を繰り返す。
ボクはそれを……、ボクらの青さを嘲笑っているようでちょっとムカついてしまったのだった。